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もうひとつの京都、行こう。森の京都

【恵】豊田知八さん「歴史、自然、技術が出会った場所。それが保津川下りです」

保津川遊船企業組合

豊田知八さん

プロフィール

「保津川下り」の船頭を務める。保津川下りを通じて、京都の雅やかな文化ではなく、生活基盤を支えた庶民の文化や技術の背景にあった「森の京都」の魅力を訪れる人々に伝えている。

京都(みやこ)の繁栄を支え続けた水運

私は、「森の京都」が京都(みやこ)を支えてきた証が、保津川下りだと思っています。遡れば、平安京の造営以前まで。良質で大量な木材が必要とされ、それを供給できたのは保津川の上流に位置する京丹波地域でした。保津川の流れを利用して材木を筏で流し、京都へ運搬。もし「森の京都」が無かったら、今の京都が存在しなかったかもしれません。
 さらにその後、京都からスケールの大きなビジネスマンが現れます。角倉了以(すみのくらりょうい)です。彼は、材木だけでなく、「森の京都」の豊かな森の恵みや「海の京都」の物産まで視野に入れ、全てを京都というマーケットへ持ち込もうと考えたのです。そのためには、筏ではなく荷が水に濡れない船で輸送する必要がありました。その狙いに立ち塞がったのは岩盤や巨石、奇石に閉ざされた「森の京都」らしい自然深い峡谷、保津峡です。彼は私財を投げ打ち、船が通れるよう保津峡を開削すると同時に、高い操船技術を備える外部の力も借り、ハードとソフトの両面から流通革命を巻き起こしました。保津川の水運は、高速化、安全化、安定化を果たすとともに、政治の中心が江戸に移り意気消沈しつつあった京都に活気をもたらし、生活の安定をも取り戻しました。
 時代は変遷し、水運から観光へ。保津川下りの目的が変わりましたが、私たちの操船技術はそのまま。明治期には海外の著名写真家が、両岸から迫る自然の中で和船をものの見事に操る船頭の様子を見て、“自然と芸術が出会った場所”と称して保津川下りを絶賛。その後は欧州からの来賓の方々をはじめ、海外の方々が次々と訪れ、インバウンド観光の先駆けに。今では世界中の皆さんに、自然の美しさと保津峡を抜ける船頭の巧みな船さばきに感嘆していただいています。
 京都の雅やかな文化ではなく、生活基盤を支えた庶民の文化や技術の背景にあった「森の京都」。その魅力に海外だけでなく、国内の皆さんも気付き始めたことは、とても嬉しい限りです。
 保津川下りは、水しぶきが上がり、川面を跳ねるアトラクション的要素はもちろん魅力。しかしさらに、急流の中を操船するために川自体にメンテナンスする川作という手法や「棹(さお)」「櫂(かい)」「舵(かじ)」を3人で役割分担して船を自在に操る技術などにも注目していただければ、川面レベルから見上げる「森の京都」の雄大さや美しさが、さらに魅力を持って迫ってくることでしょう。夏の森は、緑濃くエネルギッシュで、青く高い空とのコントラストは圧巻ですよ。

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