京都府立総合資料館

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第1部 江戸時代の京都研究-歴史考証と地誌の発展-

 江戸時代は約260年間も大きな争乱のない平和な時代が続きました。こうした太平の世ならばこそ、経済は大いに発展して人々の心が豊かになり、様々な学問が発達しました。ことに京都では、有職故実など伝統文化を継承してきた公家等と、新しい実証的な研究態度を持つ民間の学者が交流する機会に恵まれており、新しい歴史考証の成果が次々と生み出されました。
 また、地方ではその地域の文人等により、それまで地域で語り伝えられてきた歴史や伝承を編纂したり記録としてとどめたりするという動きが各地で見られるようになりました。
 第1部では、江戸時代における歴史考証と地誌に関わる資料について紹介します。

1.伝統の継承と歴史考証
 江戸時代の京都は医学・儒学・国学など様々な学問の中心であり、全国から多くの優秀な学者や学生が集まってきました。しかし京都研究・歴史考証という点から見れば、平安時代以来の伝統文化を継承してきた公家の存在が大きいでしょう。彼等は、有職故実(ゆうそくこじつ)等に関する書物を互いに貸し借りして筆写し、考証・研究を重ねていました。
 こういった知識や研究の蓄積が、その後の京都研究の土台になっていったともいえるでしょう。
※有職故実 古来の儀式・礼法の典型的方式。それを研究する学問。
2.実証的な歴史研究の萌芽
 江戸時代には、古器物や古文書、社寺伝来の宝物等への関心が高まり、それらを模写した記録類が作成されるようになりました。実物を観察し考証するという実証的な歴史研究の基礎が築かれ始めたと言えるでしょう。
 このような研究者の代表的な人物として、出土品等の歴史遺物を集め「集古図」を著した藤原貞幹がいます。
3.新たな歴史考証の成果
 江戸時代の公家達の中には、公家社会における伝統的な学説に囚われることなく、市中の知識人達とも交流し、その刺激を受けながら研究を進める人々がいました。
 その内の一人、裏松光世(固禅)が編纂した「大内裏図考証」は平安京内裏の構成・建造物等を考証したもので、寛政度の内裏再建にも貢献しました。
 また、歴代天皇の陵墓について実地踏査して著した「御陵図絵」、公家の邸宅や旧跡等の情報全てを1枚の絵図に著した歴史地誌図等、新しい発想の歴史考証の成果も生まれました。
4.地誌・名所案内の興隆
 江戸時代も18世紀に入ると、京都をはじめ山城・丹波・丹後各地域で地誌の編纂、史蹟・名所の案内等の出版といった動きが見られるようになります。それまで口伝(くでん)等によって伝えられてきた地域の歴史や文化が文字で記録され、それらが書き写されたり出版されることにより郷土研究者のすそ野が広がっていきました。
 その背景には、寺子屋の発達などにより庶民が書物を読み使いこなす能力がついてきたこと、また暮らしが豊かになり自分の生活する地域への関心が高まったこと等があったと思われます。
山城地方の地誌
 山城地方の地誌は、京都洛中の地誌と同様に盛んに刊行されました。それは、山城地方が洛中洛外の延長として巡覧の対象であり、早くから人々の関心を集めていたためと思われます。
 そのため、ほとんどの地誌が山城一国を対象とし、洛中洛外から山城の郡村へと説明が展開する形式をとっています。
丹波地方の地誌
 丹波地方の地誌は山城地方のように一国の地誌ではなく、郡や藩領、村を対象とした地誌が編纂されました。その中で「丹波志」は、丹波一国の編纂を目指した注目すべき編纂事業でしたが、残念なことに未完に終わりました。しかし、編纂にあたっては協力者が各地にいたと思われ、丹波地域の文人ネットワークの存在を彷彿とさせられます。後に、その協力者等により「丹波負笈録(ふきゅうろく)」「丹波志桑船記(そうせんき)」がまとめられました。
 また、亀山(亀岡)藩士の矢部朴斎(ぼくさい)は「鎌谷睫地志(かまたにしょうちし)」「桑下漫録(そうかまんろく)」等、藩領の地誌を編纂しました。
 なお、丹波地方の地誌は、江戸時代には版本として刊行されませんでしたが、近代にいたって各地域の史談会や自治体史編纂事業等によって資料集が刊行されました。
丹後地方の地誌
 丹後ではいろいろな種類の地誌が編纂されています。
 宮津藩主本庄氏の命令による藩撰地誌(「丹後州宮津府志」「丹哥府志(たんかふし)」)、旧事記を古書から引用詳述したもの(「丹後旧事記」他)、風土記の残欠逸文集め編纂したもの(「丹後風土記」他)、各領主の事績等を記したもの(「田辺旧記」他)などがあります。
 また編者も、藩士を始め、住職、町人、医師、神官等バラエティに富んでいます。
 なお、丹後の地誌も、版本として流布することがあまりありませんでした。しかし、これらの主なものは郷土史家永浜宇平氏や木下幸吉氏によって、『丹後史料叢書』(昭和2(1927)年)、『丹後郷土史料集』(昭和13年〜15年)として活字翻刻され出版されました。

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