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更新日:2018年3月16日

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府民生活・厚生常任委員会管外調査(平成29年11月6日から8日)

社会福祉法人 聖家族の家(大阪市西区)

児童心理治療施設の運営について

児童心理治療施設は児童福祉法に定められた施設で、心理的問題を抱え日常生活の多岐にわたり支障をきたしている子どもたちに、学校教育との緊密な連携による総合的な治療・支援を行う施設で、全国に46施設(京都府内2施設)あります。

当該施設は、昭和37年、日本で3番目の「情緒障害児短期治療施設 大阪市立児童院」として開設されました。こうした情緒障害児短期治療施設が必要となった背景には、戦後の復興期が終わり、児童福祉施設のニーズ(戦後復興対策、孤児対策等)に変化が生じ、貧困だけでは捉えられない児童の問題の出現などがありました。開設後、施設内には「大阪市立明治小学校分校」が開設され、施設内での学校教育が可能となり、平成25年からは指定管理者制度により、同法人が施設を運営しています。平成29年には児童福祉法改正により、「情緒障害児短期治療施設」が「児童心理治療施設」に呼称が変更されました。入所には児童相談所の判断が必要で、現在小学生が26名、中学生が1名入所し、10名が通所しています。

施設では、心理治療、生活指導のほか、施設内にある明治小学校分校(特別支援学級)において国語と算数を中心とした一人一人にあった教育が行われ、子どもたちが少しでも早く家庭や地域で安定した生活が送れるよう取り組まれています。また、家族との懇談や相談支援などにより子どもたちがスムーズに家庭復帰できるよう家族への支援も同時に実施されています。

平日は、起床から就寝までのスケジュールが一日の中で決められ、規則正しい生活を送り、週末は外出や親子の面会、帰宅などが可能となっています。平均的な入所期間は2年から3年ですが、症状や家庭の状況によっては長期入所になることもあります。また、症状が改善されても、家庭への帰宅がかなわない場合は他の施設へ入所することもあります。

入所する子どもたちは心に傷を負っていることが少なくありません。自分自身が悪くないこと、もっと自分を大切にすることを施設での生活を通して子どもたちに伝え、子どもたちが健やかに成長できるよう、これからも取り組まれていくとのことでした。

主な質疑

  • 入所児童の休日の過ごし方について
  • 施設への入所待機児童数について
  • 施設の職員体制、勤務期間について
  • 市からの措置費について
  • 受け入れ児童の年齢について
  • 小学校分校の教員数について
  • 親への支援について
  • 治療後(退所後)の状況について など

概要説明を聴取した後、同施設を視察

東松島市議会(宮城県東松島市)

東日本大震災からの復興のまちづくり及び防災システムについて
現地施設(防災備蓄倉庫、野蒜地区等)

東松島市では東日本大震災において震度6強の大きな揺れと10メートルを超える高さの津波に襲われました。1,109名の方が亡くなられ、いまだ行方不明の方が24名となっています(平成29年11月現在)。津波により、市域全体の約36%が浸水し、住宅は市内の約15,000世帯のうち、11,000世帯(約73%)の家屋が全壊、大規模半壊、半壊の被害を受けました。公共公益施設の被害額は約669億円、避難者は最大で15,000人、それぞれ106箇所の避難所で避難生活を送ることを強いられました。順次、仮設住宅等への入居が進められ、平成23年8月末には避難所が閉鎖されましたが、震災前に比較すると同市の人口は約3,000人減少し、今も仮設住宅で生活されている方もいらっしゃいます。

同市では、「東松島市復興まちづくり計画」(平成23年12月)に基づき、復興を進めており、被災したまち、家屋の復興として集団移転団地を市内に7団地計画されました。視察直前に最後まで残っていた野蒜地区の団地が完成し、宅地の引き渡しがすべて終了しました。また災害公営住宅についても整備計画個数1,122戸のうち平成29年11月の入居率は97%、平成30年度末までにはすべての入居が可能になる予定であり、ハードの整備は完了しつつあります。新しい団地では、新しいコミュニティが始動し、まちづくりが進みつつありますが、団地によっては高い高齢化率となっているところもあり、継続的なサポートが必要となるなど、新しい課題も出てきています。

また、視察しました防災備蓄倉庫は東松島市防災備蓄計画に基づき平成26年2月に完成、供用開始されました。震災時には3日間程度支援物資が届かなかった経験から、全市民の3日間分の食料、飲料水などの備蓄を備えています。今年発生した熊本地震の被災地へ備蓄品を送付するなど、災害時以外の有効的な活用も進めておられます。

同市は東日本大震災の前の平成15年、「宮城北部連続地震(震度5強)」を経験し、その教訓から「地域自主防災組織の強化」を図ってこられ、災害時には自助を基本としつつ、共助を重要視する視点に変更してきました。新しく整備された団地等においても地域のコミュニティづくりを強化するなど、共助の視点にたったまちづくりを今後も進めていかれるとのことでした。

防災備蓄倉庫を視察

震災遺構(旧野蒜駅)を視察

公立大学法人福島県立医科大学(福島県福島市)

ふくしま子ども・女性医療支援センターの概要について

同センターは、福島県での周産期医療の厳しい状況に対応するため、「県に住む女性が安心して子どもを産み、育み、そして健康な一生を過ごすための医療支援を行う」ことを目的に、平成28年4月に県立医科大学に設立された全国的にもユニークな施設です。

同センターが開設した背景には、福島県の現役医師数が人口比で全国43位、そのうち、小児科・産婦人科・麻酔科についてはいずれの診療科も人口10万人対医師数が全国平均を下回り、医師が全体的に不足している状況がありました。そこで、県では平成23年に福島県地域医療支援センターを設立し、医師確保対策に取り組んできました。

そうした取り組みの一環として、県は同大学に「周産期医療支援センター」の設置を計画し、未熟児診療や専門医の育成、医師の県内への定着を目指すこととしました。設立に向け準備する中で、周産期医療を中心に、妊娠前の段階から妊娠、出産、子どもの成長まで、女性の生涯にわたる健康を一貫して支えたいとの理念から「ふくしま子ども・女性医療支援センター」として設立することになりました。名称と役割を変更した理由には、すでに同大学には周産期医学のリーダーとなる教授がおられたこと、周産期の専門医を地域に招聘することは困難なこと、周産期専門医よりも分娩も取り扱える産婦人科医師の確保が急務であったこと、さらに高齢化社会の人口構成に見合った産婦人科医がこれからさらに必要になるとの考えがありました。

同センターでは、産婦人科医4名、小児科医4名が在籍し、小児発達障害対策・不妊治療、女性医学(女性の一生を通じた健康管理)、遺伝相談、学生・研修医勧誘、専門医教育、地域医療支援に取り組んでいます。

国レベルでも産婦人科医のなり手が減少していること、男性医師が減少し、女性医師が増加していること、2030年には分娩を行っている診療所から大量の男性医師の高齢による退所が見込まれていることから、女性医師の働く環境を整えることが非常に重要となってきています。

同センターでは、トップレベルの医師の招聘、同大学病院と地域医療機関の連携、小児科医、産婦人科医の人材育成、県内定着支援を中心に取り組み、さらに発達障害や生殖医学、遺伝相談などにおいて地域の拠点病院や診療所などさまざまな医療機関連携を強化していきたいとのことでした。

主な質疑

  • 患者の搬送手段、方法について
  • 医療機関の集約について
  • 県内での産後ケアの施設について
  • 女性医師の働き方、今後の課題について
  • 地域医療支援について
  • 原発事故の影響について
  • センターの県民への浸透度について
  • 女性医学の領域について など

担当者から概要等について説明を聴取

南相馬市議会(福島県南相馬市)

東日本大震災からの復興状況及び原子力災害対策について

南相馬市では、東日本大震災において震度6弱の大きな揺れと津波に襲われ、1,142名(直接死636名、震災関連死506名)の方が亡くなられました(平成29年11月現在)。住宅の被害は全世帯約24,000のうち、全壊、大規模半壊などの被害を受けた世帯は約5,300と大変多くの被害がありました。

同市では地震と津波だけでなく、福島第一原子力発電所の事故により、震災の翌日から半径10キロ、20キロ圏内の住民に避難指示が出され、半径20キロ~30キロ圏内の住民は屋内退避が指示されました。避難指示圏内では、市がバスを用意し市外に避難を誘導したほか、自主避難により群馬県や新潟県などに多くの市民が避難しました。平成23年3月末頃の市内の人口は約1万人(当初約7万人)であったと想定されています。同年9月末には緊急時避難準備区域解除を受け、多くの市民が避難先から戻られました。翌年4月には警戒区域および計画的避難区域が避難指示解除準備区域、居住制限区域および帰宅困難区域に見直しされ、平成28年7月には帰宅困難区域を除く避難指示区域が解除されました。解除された後も市民の安全を守るために市内の各地には大気中の放射線量を把握するモニタリングポストが設置され、放射線量を常時監視しています。測定結果によると多くの地点で1マイクロシーベルト/毎時を下回っていますが、海側が低く、山側が高い傾向にあります。

現在同市の人口は約51,000人で、約75%の人が戻って居住されています。ただその内訳をみると老年世代の戻りが多く、生産年齢や年少世代の戻りが少ないなど、いびつな構造となっており、特に専門職(建築、看護師、医療技術者等)の人材が不足するなど職業間でミスマッチが生じています。また震災前と比較して医療施設が55%減少するなど病院や診療所の不足なども大きな課題となっています。

震災を経て災害発生に備えた原子力災害対策の見直しを始め、さまざまな対策を進められています。そのほかにも甚大な被害を受けた沿岸部の土地利用として、メガソーラーや工業団地、植物工場の立地などが計画されています。こうした新しい動きも同時に進めながら復興に向けた取り組みをさらに進めていかれるとのことでした。

主な質疑

  • 原子力発電所からの情報の住民への伝達について など

バスの中から海岸復興工事を視察

消防防災センターを視察

社会福祉法人こころん(福島県西白川郡泉崎村)

農福連携の取り組みについて

農福連携とは、働く場としての農業と、働き手としての障害者がつながり、そこから地域コミュニティが生まれていくことを目指す取り組みです。京都府においても本年4月から「きょうと農福連携センター」が立ち上がり、「農福連携」×「共生社会」を目指し、マルシェや技術指導支援などを行うなど、農福連携の取り組みが進んでいます。

視察しました同法人は、農福連携に約10年前から取り組む先進的な団体で、2010年には農産物直売所を開設し、カフェも併設するなど事業を徐々に拡大しています。

同法人が事業を実施されるきっかけとなったのは、障害を抱えた人たちが規則正しい生活が送れていない、社会参加が難しい、就労が難しく経済的な問題に直面しているなどの状況が見られたことでした。そこで「食」を中心に、障害者の方が働きやすい環境を整備することとなり、もともとあった施設周辺の土地を借りながら農業に取り組むことになりました。土に触れてものを作り出すということは体力作りや心の健康にもよく、働く障害者の方の生活習慣も安定し、また、周辺には高齢化等によって放棄された耕作地もあったことから結果的に地域の課題を解決することにもつながりました。

農福連携は障害者だけが対象の事業ではなく、まさに地域を巻き込んだ地域の人たちの参画が期待できる事業で、こうした取り組みは全国的に広がりつつあります。

同法人がある泉崎村は、福島第一原発から約80キロの距離にあり、同原発の事故による放射能の影響は少ないといわれていますが、食の安全に関しての意識は高くなっています。同法人では、商品の差別化を図るために、こだわりのある「良いもの」だけを生産し、(例えばオーガニック食品など)、直売所では食の安全を見直す新鮮な食材を販売しています。

今後も地域の人や事業所等と連携しながら新しい商品の開発などに取り組み、地域産業との連携をさらに農福連携事業を広めていきたいとのことでした。

こころんファームを視察

お問い合わせ

京都府議会事務局委員会課調査係

京都市上京区下立売通新町西入

ファックス:075-441-8398