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さきがけ 京都の近代建築-京都デジタルミュージアム

2006年1月30日更新

本作品に収録されている京都の近代建築を紹介します。今回収録できませんでしたが、たくさんの魅力的な近代建築がほかにも京都には存在します。これを機に、府内にある近代建築に興味をもっていただき、実際に足を運んでくだされば幸いです。

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日本語版【50k】/【300k】/【1000k】English【50k】/【300k】/【1000k】

プロローグ・岡崎エリア

平安神宮

1895年(明治28年)。

琵琶湖疏水

1890年(明治23年)。1868年の明治維新により大きく衰退した京都は、近代化による都市再生の道を選択します。そのひとつが「琵琶湖疏水」 です。山中にトンネルを掘って琵琶湖から水をひき、安定した生活用水を確保するだけででなく、京都の殖産興業に活用する---琵琶湖疏水は、京都にさまざ まな恩恵をもたらしました。この琵琶湖疏水による近代化で京都は再びよみがえりました。

南禅寺水路閣

1888年(明治21年)。

京都府立図書館

1909年(明治42年)。

京都市美術館

1933年(昭和8年)。

公共施設

京都府庁旧本館

1904年(明治37年)。京都御所に近い京都府庁旧本館。庁舎建築の集大成とされます。古くから政治の要衝地にあり、新生京都を象徴する近代的な技巧がいたるところに施されています。

京都国立博物館

1895年(明治28年)。奈良、東京の国立博物館と並ぶ「帝室博物館」の一つです。ルネッサンス様式を基調に、東洋的手法とバロック的手法を採用した意欲作として、評判を集めました。

文教施設

京都大学人文科学研究所

1930年(昭和5年)。スペイン風アメリカ住宅の様式を採用した京都大学人文科学研究所。中庭を囲んで研究室が並ぶ設計が、重厚でアカデミックな雰囲気をかもし出しています。

同志社大学 彰栄館・礼拝堂

彰栄館1884年(明治17年)。礼拝堂1886年(明治19年)。京都御所に隣接する同志社大学には美しい煉瓦造りの校舎が並びます。礼拝堂は現存するプロテスタントの煉瓦造りチャペルとしては日本最古の建築物です。アメリカン・ゴシック様式のなかに、日本人大工の手技が光ります。

龍谷大学大宮学舎本館

1879年(明治12年)。本館は「疑洋風建築」と言われ、外観は石の柱が立ち並ぶが実際は木造で、柱の上に石材を貼り付けた「木造石貼り」という工法を採用しています。

聖母女学院

1908年(明治41年)。左右対称の堂々たる外観と、細部の古典的な様式美。聖母女学院本館は古典様式の傑作です。

京都ハリストス正教会

1903年(明治36年)。ロシアビザンチン様式の教会堂。日本のハリストス正教会最古の木造建築。内部のイコンが深淵な信仰世界にいざなってくれます。

商業施設・三条エリア

京都府京都文化博物館別館

1906年(明治39年)。旧日本銀行京都支店。当時の近代化を担った京都経済の中心地です。内部は空間を贅沢に確保した設計。いまは京都府民のための文化博物館として利用されています。

中京郵便局

1902年(明治35年)。中京郵便局は、ルネッサンス様式を基調とした明治期の郵政建築の名品です。内部は新築し、外観だけを残す「ファサード保存」の先駆けとして、現在に伝えられています。

新風館

1926年(大正15年)。旧京都中央電話局。昭和初期の代表作。旧来の構造はそのまま生かしながら、モダンな商業施設として生まれ変わりました。

北國銀行京都支店

1916年(大正5年)。

山城、丹波、丹後地域

大山崎山荘美術館

1915年(大正4年)。天王山中腹に位置する大山崎山荘。ウイスキー会社創設者が、イギリスの炭坑王の家をモデルに設計しました。いまは美術館として活用されています。

亀岡楽々荘

1899年(明治32年)。亀岡市にある楽々荘は当初、地元実業家の本邸として建てられました。この邸宅は木造瓦葺・寄棟造りの日本館と、煉瓦造の洋館から構成されており、和と洋が美しい調和を見せています。

宮津教会聖ヨハネ天主堂

1896年(明治29年)。宮津教会聖ヨハネ天主堂。毎週ミサが捧げられる現役の木造聖堂としては日本最古の教会といわれています。フランス風の構造に木造・畳敷きの和洋折衷の聖堂として、この地におけるキリスト教布教に貢献しました。

北吸赤煉瓦倉庫群

1901年(明治34年)~1921年(大正10年)。かつて日本海側の一大軍港として賑わった舞鶴市。旧海軍の煉瓦建築物がいまも数多く残されています。当時は武器倉庫などに使用されてきましたが、いまは地域文化の拠点として、市民文化の拠点として利用されています。