はなやぎ 京の五花街-京都デジタルミュージアム
2007年4月26日更新
本作品は、京情緒あふれる京都の五花街(祇園甲部、先斗町、上七軒、宮川町、祇園東)の様々な表情を収録したものです。華麗な衣装を身にまとった芸妓・舞妓が、洗練された優雅な立居振舞で日本の伝統文化を伝えます。
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概要
店出し
舞妓としてのお披露目の日です。しきたりと行儀作法を学び、芸の精進を重ねて、新たな門出を迎えます。
歴史に磨かれた花街の芸能文化
始業式
花街の1年は始業式で幕を開けます。芸妓・舞妓が全員、黒紋付の正装で集います。
稽古風景
舞妓の1日は稽古に次ぐ稽古の連続です。舞のほか、鳴り物や茶道・華道など、それぞれの師匠のもとで厳しい修行に励みます。
都をどり
祇園甲部の芸妓・舞妓が、日頃の稽古の成果を問う年に一度の大舞台です。気品と格調に満ちた芸術性豊かな京舞は、日本の舞踊の代表格として知られます。
八朔
礼儀としきたりを重んじる花街では、1年の節目節目に様々な行事が行われます。特に、芸事の師匠やお茶屋への挨拶回りの風習は、最も重要な行事の一つです。
事始め
12月13日は事始め。1年を振り返り感謝の気持ちを込めて家元に技芸の研鑽を誓います。
五花街の歴史と伝統
祇園甲部
祇園甲部は、八坂神社参詣道の水茶屋に起源を持つ門前町として発展してきました。江戸中期には、歌舞伎の舞台としても登場し、それ以来、祇園の名は全国に知られることになりました。
先斗町
先斗町は、夏の風物詩、納涼川床で知られる鴨川に沿った細い通りに位置します。高瀬舟を利用する人々のために、茶店や旅篭で賑わったのが、花街の起こりです。
上七軒
北野天満宮の門前茶屋として栄えてきた上七軒。室町時代、火災で焼失した天満宮を再建するとき、その残った材木で七軒の茶屋を建てたことから「上七軒」と呼ばれます。
宮川町
宮川町は、出雲の阿国を祖とする歌舞伎と深く結びついて、発展してきました。あたりには芝居小屋が建ち並び、見物客のための茶屋や役者の宿が、花街として発展していきました。
祇園東
祇園東も八坂神社の門前茶屋として発展してきました。この界隈は江戸時代、江州膳所藩の藩主邸があったところであり、明治になりその屋敷跡地にお茶屋街が作られました。
京の暮らしと花街
節分祭(八坂神社)
京の花街は、この町に暮らす人々の生活と深く関わり合いながら、その歴史を伝えてきました。八坂神社で行われる節分祭での舞妓の豆まきもその一つです。
お化け
節分の日の夜、仲良しの芸妓や舞妓が思い思いの扮装をし、お茶屋の座敷を回って歩くユーモラスな年中行事が「お化け」です。発祥は江戸時代、節分の厄払いとして始められました。
梅花祭
京都の町に今も伝わる様々な歳時や行事。花街はその伝承の担い手として、重要な役割を果たしてきました。北野天満宮の梅花祭もその一つです。
かにかくに祭
かにかくに祭は、祇園をこよなく愛し、祇園に大きく貢献した吉井勇を偲んで行われます。
洗練された花街のもてなし
お茶屋遊び
お茶屋では、芸妓・舞妓の舞や踊り、お囃子を鑑賞し、ともに遊びに興ずる座敷を提供します。それは、客一人ひとりの趣向にあわせてもてなすための、花街が独自に作り上げてきた伝統です。
衿替え
舞妓は5、6年で「衿替え」をします。舞妓から芸妓になるための儀式です。
花街での本当の修業は、芸妓になってから始まります。衿替えは、花街の誇り高い文化と優れた芸を身につけるための、新たな旅立ちの儀式でもあります。
