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行政文書解題 「こ」から始まる文書

行政文書解題 [総合資料館]

2007年09月03日更新

護王神社造営一件

明治11(1878)年から18(1885)年までの護王神社造営に関する簿冊3冊。護王神社は、和気清麻呂を護王善神とし神護寺の鎮守社とされていた神社。明治7(1874)年別格官幣社となるが、明治政府の神仏分離政策により、明治11(1878)年高尾山に社殿の造営が計画された。しかし最終的には明治17(1884)年現在の地(上京区烏丸通出水上ル)に社殿が造営され、同19(1886)年遷座が挙行された。

御大喪儀京都府記事

英照皇太后、明治天皇および照憲皇太后の各大葬儀について、京都府が編さんした簿冊4冊。湯本文彦(編纂委員)が担当した。英照皇太后大喪儀記事(1冊)は明治30(1897)年12月に、明治天皇大喪儀記事(1冊)は大正3(1914)年3月に、また、照憲皇太后大喪儀記事(2冊)は、大正4年2月にそれぞれまとめられている。

御陵墓実測図

明治政府が幕末以来の陵墓管理を継承し、さらに陸墓の確定と新築修繕を行うにあたり、京都府土木掛(課)が作成し提出した実測図1冊及び御陵墓製図2冊。

実測図は陸墓の測量図で、道と溝に薄い彩色が施されている。地名の表示が明治12(1879)年制定の三新法以前のものであること、印鑑を押している職員の在職が同9~12年であること、「地種変更」「区域決定」等の付箋があることから、明治7(1874)年の太政官布告第120号による地所名称区別の全面改正後、明治8~9年頃に作成されたものと推定される。

御陵墓製図は一枚の台紙に図面が2~3枚重ねて貼付されており、三種類に分けられる。台紙の一番下の図面が最も古く、明治8(1875)年教部省達第25号及び翌9年教部省達第32号により作成されたと見られる。この達の指示に従い、東西南北の長さ及び坪数、兆域を示す敷石、石垣、階段、柵、門、樹木などが丁寧に書き込まれ、彩色されている。次に作成されたのは「実測之図」と表記された図面で、地名が明治21(1888)年の町村合併以前のものであること、明治13年6月18日に宮内省へ御陵墓兆域坪数取調測量図并表を進達していること(京都府庁文書 明13-11「太政官并諸官省へ銘書」件名目録のみで本文なし)などから、この図面の作成時期は明治13(1880)年頃と推定される。最後に作成されたのは、明治22(1889)年6月の宮内省の達により、光孝天皇陵他10の御陵墓を修営するにあたってまとめて提出した実測図である。

陵墓の管理にあたっては、その場所の確定、新築修繕、敷地取得などのたびごとに宮内省へ申請しており、御陵墓製図にはそれらの事項が加筆訂正されていることから、陵墓管理の基本台帳として用いられていたものと思われる。