行政文書解題 「お」から始まる文書
2007年09月03日更新
大村兵部大輔旅寓江致乱入候暴人吟味
明治2(1869)年9月4日、木屋町三条の旅寓で暴徒に刺され、後日死亡した兵部大輔大村益次郎襲撃事件の吟味に関する京都府鞠獄掛の文書2冊。1冊は犯人の捜査と捕縛、犯人供述口書、御仕置伺書及び罪状申渡等の一件書類、もう1冊はこの事件の吟味の内容・書類などが弾正台より漏洩したことについての一件書類。なお、関連の史料として「京都府史」中に「大村兵部大輔負傷事件」がある。
御達書
慶応3(1867)年12月から明治5(1872)年までの明治政府からの達書及び布告等の綴り14冊。その内9冊は明治元(1868)年で、明治2(1869)年は欠けている。この文書には、京都府の前身である京都市中取締役所、京都裁判所と、中央政府との往復文書も含まれており、王政復古の大号令、維新政府の樹立という情勢の中でめまぐるしく変わっていった京都府政並びに全国の激動する事情をうかがうことができる。一紙一点の奉書紙に書かれた文書を、便宜的に綴ったもので、太政官、参与役所、弁事役所、行政官等から出された文書の原本である(現在は解体して保存している)。近代的な公文書の処理方式や様式等の定式化がなされる以前のもので、近世文書や律令制などの古来の様式を継承した過渡期の公文書の書式や用紙などを知るうえで参考となる。なお、この内の重要な内容については、別に浄書して「政典」「御達書」「布告」等の簿冊に編綴され、京都府庁文書の中に含まれている
乙訓自治会館文書
乙訓自治会館(向日市上植野町御塔道)に保管されていた乙訓郡内町村自治関係諸団体の文書467冊。明治23(1890)年から昭和44(1969)年までの文書群。
乙訓自治会館には、郡内の各町村組合(学校、病院等の一部事務組合及び水利、水害予防等の公共組合)や町村会、町村議長会等の町村諸団体の事務所が置かれていた。このため、同会館にはこれら諸団体の文書記録類が明治期より系統的に引継がれ保管されていたが、昭和57(1982)年に会館の建物が取りこわされ、当館へ引継がれた。
当館では各団体ごとに一括して区別することとし、12の文書群に分けた。また、同一会館内で作成保管されてきた文書群であるという特性を持つものであるため、乙訓自治会館の名称と各団体名(略称)の両方を冠した文書名を附与した。
これらの文書群は、現在の乙訓地方を中心に京都市編入前の淀村、久世村、久我村、羽束師村、大原野村、大枝村等をあわせた地域の多岐にわたる記録を含んでいる。各団体文書の概要(団体沿革、年代、内容、冊数)は次のとおりである。
乙訓自治会館 自治研究会文書
大正15年から昭和22年までのもので、自治研究会本来の事業(町村長会、事務主任会等)に関するもの38冊、乙訓郡誌編纂委員会関係4冊、長岡宮城大極殿遺址保存会関係9冊、在郷軍人会関係1冊からなり、全53冊。
乙訓郡自治研究会は、郡内各町村の相互連絡協議、業務研究等を目的として大正15(1926)年に結成された。町村長会を主体に統計、戸籍、兵事等の事務主任会が設けられ、さらに乙訓郡誌編纂委員会、長岡宮城大極殿遺址保存会、戦時諸団体(在郷軍人会、産業報国会その他)等乙訓地域全体に関係する団体の事務局も担当しており、昭和22(1947)年まで存続した。
乙訓自治会館 会館事務局文書
昭和8年から43年までの日誌、行事予定、郡内各種団体名簿、同予算決算綴など41冊。
乙訓自治会館は、郡内の町村組合や自治研究会等町村諸団体の共用施設として、昭和17(1942)年4月に設立されたが、それ以前の明治大正期において町村諸団体は乙訓郡役所内に置かれ、郡役所廃止後もその庁舎跡を事務所として使用していた。昭和9(1934)年1月諸団体は、乙訓郡農会内へ移転したが、この前後から自治研究会が世話役となり、諸団体の共通用務に関し事務局体制がとられるようになった。戦後自治研究会廃止後は、代って町村会、町村議長会が中心となり正規に会館事務局が置かれることになった。
乙訓自治会館 町村会文書
昭和22年から44年までの、町村長連絡協議・府町村会評議員会関係43冊、市町村職員共済組合関係10冊、特別問題対策・臨時的組織関係15冊、全68冊。
乙訓郡町村会は、郡内全町村長の連絡組織として昭和22(1947)年に結成された。郡内各町村の連絡協議・京都府町村会評議員会関係のほか、町村合併促進協議会、国鉄新幹線対策協議会、高速道路対策委員会、農業委員連絡協議会、原水爆禁止対策協議会等の特別問題対策や臨時的組織の事務局を担当した。
乙訓自治会館 議長会文書
昭和24年から44年までの郡内各町村議長の連絡協議・府町村議会議長会関係16冊、陳情書その他3冊、全19冊。
乙訓郡町村議会議長会は、郡内全町村議会議長の連絡組織として、昭和24(1949)年に結成された。
乙訓自治会館 全町村組合文書
明治23年から36年までの会議、上申、往復書類7冊、高等小学校関係(建築設計書図面を含む)7冊、共有金処分関係1冊、全15冊。
乙訓郡全町村組合は、郡内11ヶ町村(向日町、久世村、久我村、羽束師村、淀村、大山崎村、新神足村、海印寺村、乙訓村、大原野村、大枝村)の共有金及び高等小学校管理運営の事務を共同処理するための事務組合として設立され、明治23(1890)年から同33(1900)年まで存続した。高等小学校に関する事業は学校組合に引継がれることになった。
乙訓自治会館 学校組合文書
明治34年から昭和43年までの向日町外十ヶ村学校組合4冊、同九ヶ村学校組合43冊、同八ヶ村学校組合32冊、同四ヶ町村学校組合41冊、青年学校組合5冊、全125冊。
向日町外十ヶ村学校組合は、明治33(1900)年6月全町村組合より高等小学校事業を引継ぎ設置されたが、同38(1905)年大山崎村が離脱して向日町外九ヶ村学校組合となった。昭和11(1936)年に淀村が離脱して向日町外八ヶ村学校組合となり、戦後は学制改革にともない同23(1948)年3月一旦解散し、新たに中学校設立運営のための学校組合として再出発することになった。その後三か村合併による長岡町の実現、大山崎村の加入などにより同26(1951)年以降は向日町外四ヶ町村学校組合となった。さらに久世村、大原野村の京都市編入にともない乙訓郡三ヶ町村及京都市中学校事務組合になったが、組合立各中学の市町立への移管にともない同57(1982)年3月に解散した。なお、昭和18(1943)年4月乙訓青年学校(郡内各町村立青年学校を統合)事務の共同処理のため向日町外九ヶ村青年学校組合が設置され、同23(1948)年3月には廃止されたが、この関係の文書も学校組合文書中に含めている。
乙訓自治会館 教育委員会共同事務局文書
昭和28年から31年までの例規・引継書その他文書綴10冊、教職員関係7冊、教科書等国庫負担4冊、施設関係2冊、社会教育関係4冊、全28冊。
乙訓郡教育委員会共同事務局は、小学校の管理運営を中心に郡内各町村教育委員会間の連絡、事務の共同処理のため、昭和28(1953)年4月設置され、同31(1956)年9月、教育委員会制度の改正にともない廃止された。
乙訓自治会館 病院組合文書
明治33年から昭和25年までの規約、往復文書その他17冊、会議関係11冊、会計関係4冊、病院建築施設関係6冊、病院管理関係6冊、全44冊。
向日町外九ヶ村病院組合は、大枝村を除く一〇ヶ町村の組合立として設立された伝染病院(乙訓病院)経営関係事務の共同処理のため設置された事務組合。
乙訓自治会館 悪水路組合文書
明治24年から昭和20年までの規程、進達、往復書類12冊、会議、公告5冊、水害復旧工事2冊、全19冊。
久世村外三ヶ村組合は、久世、久我、羽束師、淀の四ヶ村の悪水路修繕工事関係事務の共同処理のため明治24(1891)年に設置された事務組合。昭和11(1936)年に久世郡淀町(同町に淀村編入)を加え、また同13(1938)年には水害復旧工事のための土木組合(公共組合)を併設し排水樋門復旧工事を施行した。
乙訓自治会館 水利組合文書
明治25年から昭和5年までの規約類2冊、帳簿台帳類4冊、全6冊。
羽束師村外二ヶ村普通水利組合(公共組合)は、羽束師、久我、淀の三ヶ村の桂川堤防内田畑用水の水利組合として明治25(1892)年に設置された。
乙訓自治会館 水害予防組合文書
大正8年から昭和22年までの例規、進達、往復書類17冊、会議、公告4冊、組合費徴収簿その他12冊、全35冊。
久我村外四ヶ村水害予防組合は、久我、羽束師、淀、大山崎、新神足の五ヶ村における水害防禦設備、閘管理を目的として、大正8(1919)年に設置された公共組合。
乙訓自治会館 産業組合文書
大正15年から昭和12年までの往復文書8冊、報告書4冊、乙訓郡購買組合連合会1冊、産業組合研究会1冊、全14冊。
産業組合中央会京都支会城北部会は、大正15(1926)年に乙訓、愛宕、紀伊三郡内の産業組合及同連合会をもって結成され、山城北部三郡における産業組合普及のための諸事業を行った。昭和8(1933)年頃まで乙訓郡役所跡に事務所が置かれていたため乙訓自治会館に保管されることになったと考えられる。
