古文書解題 「あ」から始まる文書
2007年11月30日 更新
藍商社文書(あいしょうしゃもんじょ) 館古518
京都藍商社の書類。明治3~8年。14点。染色のための藍の取引について阿波(徳島)との取引の書類など。
明石博高文書(あかしひろあきらもんじょ) 館古069
明治時代前半、京都の近代化政策を推し進めた第2代京都府知事槙村正直のもとで勧業課長・衛生課長を務めた明石博高家に伝来した文書。263点。安政6(1859)~明治43(1910)年。明石は京都府を明治14年に退職し、府から伏見製作所の払い下げを受けるが、同16年には廃業した。本文書群には、その払い下げの書類および経営に関わる書類、譲渡・負債に関わる書類が多く含まれる。また明石の経営した事業として、京都染殿社・煉火石(石炭)採掘事業等に関する書類がある。他に明石診療所の診療に関わる書類、平野鉱泉(兵庫県川西市)有馬温泉の泉質検査書等が含まれる。
安達家文書(あだちけもんじょ) 館古507
西陣高機八組織屋仲間関係資料(株札添状、出銭受取通、貼札)、近代の家屋敷売券、種痘証ほか。 天保11(1840)~明治期。21点。
穴川村小沢家文書(あながわむらおざわけもんじょ) 館古380 館古382
桑田郡穴川村(現亀岡市)の庄屋を勤めた小沢家に伝わった文書、697点。明治期のもの30点を除くほかは江戸時代のもので、江戸前期が多い。元禄15(1702)年「丹波国高帳」は、表紙に「朽木伊予守・小出伊勢守・織田山城守様御改」とあり、各村の村高が石単位で書き連ねられている。これと似たものに宝暦4(1754)年「丹波国村高帳」がある。文化10(1813)年「惣目録」は、村古書箱に伝えられていた文書を書写して、後日の証拠にしようとしたもので、原文書が伝わっていないものが多く含まれている。堤や溜池に関するものが大部分であり、これは当村にとって用水問題が大きな課題となっていたことを伝えている。宝永5(1708)年「材木川下シニ付一札」は観音寺村が穴川村庄屋に進めた一札で、近隣他村との契約である。また宝暦4年「村方座席ニ付同心一札」は村内の住人が進めたもので、こうした一札ものが多く残っている。そのほか、「御物成之通」が享保18(1733)年から弘化2(1845)年まで9点、「免割目録」が延宝8(1680)年から天保9(1838)年まで9点残っている。村の東方に蛭子社があり、百姓も多く参詣した蛭子講があったため、享保7(1722)年「恵美酒講帳」や、寛延元(1748)年「蛭子社明細覚」などがある。また元禄15年「走田社御造営入用目録」など、走田神社に関するものも残っている。
新井家文書(あらいけもんじょ) 集古M139
加佐郡大江町波美の新井家に伝来した文書。574点。新井家は久美浜代官所大庄屋役等を勤めた。丹後国村高帳、幕府巡見の一件、元禄10(1697)年~明治4(1871)年の年貢皆済目録と割付状、近代久美浜県の達書、近代の波美村惣代の資料、河守町助役時代の日誌、蚕糸同業組合関係資料ほか。
安祥校記録(あんしょうこうきろく) 館古202
南桑田郡篠村(現亀岡市)の安祥尋常小学校と併設されていた篠村夜学校の日誌など8点。明治31(1898)年9月から大正5(1916)年3月までの安祥校日誌6冊と明治39年12月から同44年3月までの篠村夜学校日誌1冊のほか、安祥尋常高等小学校と篠村実業補修学校の「農村児童便覧」がある。
