古文書解題 「へ」から始まる文書
2007年03月28日 更新
弁慶石町議定(べんけいいしちょうぎじょう) 館古188
三条通寺町西入ルの両側町である弁慶石町に伝えられた町記録、2冊。第1冊は「延享三年 町議定」の表題をもち、(1)年寄役改附、(2)五人組次第、(3)町議定、(4)買得控、(5)奉公人証状、(6)口上書控、(7)諸祝儀控の項目を設け、それぞれ帳数の余白をあけ、編年順に記入すべく用意されたもの。書き進む内に、項目によっては余白が足らなくなり、他項目の余白を利用して記入するなどしたために、一見複雑だが、記入の順序をたどりながら読むと、(1)年寄役改附は享保16(1731)年にはじまり、維新後の制度的変化の後を含めて明治31(1898)年に及ぶ。(2)五人組次第は元文5(1740)年から明治6年までの記事がある。(3)町議定は享保13年から明治2年。(4)家屋敷の売買証文を書き留めた買得控は明治14年までの記事である。(5)奉公人請状は宝暦7(1757)年に町奉公人を雇った時の1通のみ。(6)口上書控も宝暦12年の3通のみ。(7)諸祝義控は文政9(1826)年から嘉永2(1849)年までの記事がある。さらに、明治になってから、(1)と(2)の間に、新しく(8)正副区長、(9)戸長、(10)改正町議控の項目が起され、(2)と(3)の間に(2)学校生徒番控が記入されている。煩雑ではあるが、帳簿の成立した延享3(1746)年前後から明治14年ごろまで(役改附を除く)の弁慶石町の町記録ということになる。第2冊は、明治16年に成立した帳簿で、表題には「町議定」とあるが、内容は明治16年から同29年までの土地建物に関する証書類が書き留められている。さらに末尾に明治23年改正の町規約と同年決算・同24年予算案があり、最後に「町儀出金之部」の項目があり、家督相続や隠居などにあたっての各家からの出銭が定められているが、これは明治28年3月20日町中立会のもとに停止されている。
弁天町文書(べんてんちょうもんじょ) 館古163
土屋町(つちやまち)通出水上ルの弁天町に伝わった文書、11点。「寛政八年正月 式目帳」の表題を持つ1冊は、最初に寛政8(1796)年以前の同町の掟を記した上で、以降の町の諸事件を書き留めるべく用意されたものであろうが、実際には町内家屋敷の売買にあたって買主が出した出銀記録ばかりである。記事は明治25(1892)年まで。また「借家判鑑」2冊がある。1冊は安政2(1855)年から慶応2(1866)年まで、他は慶応2年から明治20年までの記事。このほか、明治3年「上京拾四番組弁天町寺請状」、年未詳「地見願并地所間数盈縮之廉取調帳」、明治5年「上京第十八弁天町戸籍」、同12年同控、同21年町控、同10年「地所間数取調帳」、同17年「弁天町地籍」がある。他に安永4(1775)年3月4日付の同町弁天宮改造記の寄進状1通が含まれている。
