古文書解題 「ひ」から始まる文書
2011年3月4日 更新
比叡山山上絵図(ひえいざんさんじょうえず) 館古514
京都側から見た比叡山の様子を描いた絵図。近世期の状況と思われる。1巻。
檜垣家文書(ひがきけもんじょ) 館古565
吉祥院村(京都市南区)の庄屋を勤めた檜垣家に伝来した資料。223点。但し一部に正面町(京都市東山区)の松原家の文書(近世の木版刷りが中心)が含まれる。田地売券・借用証文・普請願等の証文類、検地帳・年貢算用帳ほか吉祥院村関係資料。近世の木版刷の角力番付・暦・名所案内・武鑑、幕末の長州戦争等に関する風説書の類等。223点。
東九条村文書(ひがしくじょうむらもんじょ) 館古378
紀伊郡東九条村(現南区)の庄屋に伝わった文書、4点。安永3(1774)年の「花山院家領高寄帳」、文政2(1819)年・同8年の「西園寺家領水帳(検地帳)」、同8年の「花山院家領水帳」である。
東本願寺侍衆座帳(ひがしほんがんじさむらいしゅうざちょう) 館古098
真宗大谷派本山東本願寺の侍衆について、江戸期の3代門跡宣如から9代乗如まで各代ごとに記したもの、1点。侍衆(寺侍)は門跡寺院など寺格の高い寺院が抱えていた武士で、肉食妻帯し境内に居住していた。門跡への取次役など、主として仏事法要以外の世俗の交渉事を担当した。同寺では下間家・松尾家・粟津家・宇野家などが近世初期以来の有力家臣であった。
東山松本家文書(ひがしやままつもとけもんじょ) 館古535
文化年間、弘化年間の長寿者を記したもの。1点。
東山名所踊関係文書(ひがしやまめいしょおどりかんけいもんじょ) 館古225
明治7(1874)年にはじまった東山名所踊に関する文書、14点。東山名所踊は明治7年に京都博覧会で多くの人々が入京することに目をつけ、下河原町の芸者踊として始められる。明治7年には2度にわたって日延願が出されるなど好評であった。文書は、すべて東山名所踊の「開催願書」「日延願書」「建札(看板)願書」であり、明治12年分までが残っている。
人のうわさ(ひとのうわさ) 館古031
文久年間(1861~64)を中心に、幕末の混乱の世情の中で起きた諸事件に関する文書や貼り紙・高札などを写したもの31冊。ところどころに挿絵が描かれている。類書に「文久紀聞」「文久記事」「文久聞書」などがあるが、これらに比して記事は充実している。
日吉町四ツ谷区文書(ひよしちょうよつやくもんじょ) 館古527
船井郡日吉町四ツ谷区(現南丹市)に関わる書類。明治11~昭和10年。255点。海老坂玉岩地蔵堂修繕諸経費の一件、岡安神社の修繕・運営等に関する書類、松茸刈りの件、区有山の山林に関する一件、区費諸経費等。
平井氏旧蔵中村家文書(ひらいしきゅうぞうなかむらけもんじょ) 館古563
地下官人(今出川家(菊亭家)の侍)の中村家の資料の内、縁戚の平井家に伝来したもの。文久3(1863)年の七卿落ち事件にかかわった中村政房が、晩年にそれを回顧してまとめた記録や、幕末・維新期の政房自身の活動等をまとめた資料が中心である。ほかに明治24年の大津新報第404号付録露国皇太子御遭難之始末がある。明治期。7点。
平田家文書(ひらたけもんじょ) 館古392
平田家の文書も含むが、大半は東坊城家で作成・伝領された文書、330点。東坊城家は五条長経の二男茂長を祖とする菅原氏の家で、詔勅や位記・宣命など天皇発給文書の調進にあたった。平田家は、朝廷の儀式において文書や道具を準備し、また記録保管する役人の家である。平田家は東坊城家の下役を勤めたために、関係の文書が残ったものと推測される。正文で古いものは、天正16(1588)年、元和6(1620)年、寛永3(1626)年の行幸に関するものがあるが、中心は江戸時代中期から幕末にかけてのものである。(1)天皇発給文書の詔書、勅書、綸旨、宣命、口宣が約60点。加茂祭奉幣発遣には赤い料紙、石清水放生会には黄の料紙、その他には宿紙を用い、口宣には送状を添えて、写としてはできるだけ原本に近づけたものと思われる。(2)立太子・立后・贈位贈官の宣下の文書とその関連文書が約50点。これは詔勅や宣命の草案、前例の写、儀式の次第を記した冊子や横帳を一まとめにし、袋や包紙に入れて表に内容を記したものである。同じ体裁をとって、「少納言部類」「内記」「請印」などと記されたものも7点ある。これは、その地位や仕事に関連した記録や前例・次第を整理して写したものである。これらの中には、裏に「菅聰長」などの署名がみられるものがあり、東坊城家にある間に一定の整理が行なわれたことを伝えている。(3)「梅園」「橋本」といった他家の蔵書印のあるものや、夏長など東坊城家の書写奥書があることから考えて、この時代にあっても公家の間で蔵書や記録の貸借・書写が行なわれていたことが明らかになる。(4)ほかに年号・謚号の勘文8点、「後愚昧記」の写17点、作法・文言先記抄25点などがある。(5)絵図では寛文3(1663)年「霊元天皇即位図」、文化14(1817)年「仁孝天皇即位図」、文政元(1818)年「大嘗会之図」などが17点ある。東坊城家も平田家も、維新後に東上し、蔵書、日記、文書を宮内省その他に寄付した。現在宮内庁書陵部に東坊城家系譜、同綱忠・任長・聰長日記、出納平田家文書、お茶の水図書館成簣堂文庫に東坊城文書、同聰長文書、東京大学史料編纂所に東坊城文書、同家譜、早稲田大学図書館に外記平田家文書が残っている。また当館にも「東坊城和長記」「(菅家)詔勅宣下実記」「(平田)職忠日記」「(東坊城家宣命稿)」などがある。
平和家資料(ひらわけしりょう) 館古460
丹波綾部藩の重臣であった平和家の当主が着用していた具足類。
平和家文書(ひらわけもんじょ) 館古445 館古459
丹波綾部藩の重臣で、町奉行・寺社奉行・用人・大目付家老などを勤め、維新後は綾部藩権少参事、本宮村(現綾部市)の戸長、学務委員などを勤めた平和家に伝来した文書。受入時期により2群に分けられる。第1次分は1628点。永正8(1511)年から昭和3(1928)年にわたり、主要な部分は江戸時代後期で、主なものに藩主書状約50点、大目付日記約15点、領内村々から出された宗門改帳約40点、宗旨寺請帳約20点、五人組御改帳約20点、藩に関する覚え書き約10点等がある。第2次分は28点。綾部藩主、近隣福知山藩主、柏原藩主、公家烏丸光政などの書画等、28点。 藩主の文化的側面を知ることのできる資料
平和家文書(奥村氏蔵)(ひらわけもんじょ) 集古S073
丹波綾部藩の重臣であった平和家に伝来した資料。6点。鳥羽藩主九鬼守隆から同家当主への慶長6(1601)年と元和9(1623)年の領地宛行状、同家の系図等。
