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古文書解題 「こ」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(か行)

2009年6月19日 更新

郷士相続願書(ごうしそうぞくねがいしょ) 館古528

葛野郡御所内村(現下京区)に居住していた侍身分の郷士が身分を相続するための安政4(1857)年の願書。1点。

宏寿法印御聞書(こうじゅほういんおんききがき) 中集古S322

平松家旧蔵。中世東寺の僧侶が書いた記録。1点。京都大学附属図書館所蔵。

後素協会沿革一件資料(こうそきょうかいえんかくいっけんしりょう) 館古297

明治時代の京都で活躍した画家の結社である後素協会に関する資料、5点。後素協会の前身は慶応2(1866)年に土佐光文・鶴沢探真・狩野永詳・原在照・吉村孝一・国井応分が中心となり、新古書画展覧および動植物写生などの研究のため創設された。のち、明治元(1868)年に後素如雲社と命名し、ついで同28年に京都後素協会と改称した。明治27年7月の後素如雲社々則、明治28年12月から同30年7月までの委員会議事録、名誉・特別賛成員名簿のほか、後素協会沿革と『後素協会の三十年』がある。このうち、後素協会沿革は明治29年1月26日の同協会発会式で朗読すべく用意されたものであるが、当日に原在泉が朗読したものとは内容が異なるので草稿と推定される。また『後素協会の三十年』は記念誌として印刷刊行されたものである。

牛王女畠地譲状(ごおうじょはたちゆずりじょう) 中館古007

文保2(1318)年11月2日に、梅宮社領内にあった平三郎入道作畠の字「御曹司」畠2段の内の1段を、牛王女から乙熊女に譲与された時の譲状である。料紙は、縦24.7センチメートル、横28.0センチメートル、軸装、杉箱に収納。

五ケ荘村田原区有文書・甲(ごかしょうむらたわらくゆうもんじょ) 館古324

船井郡五ヶ荘村田原区(現南丹市)の区有文書、40点。山林や田畑の一切限帳が24冊、いずれも年未詳である。そのほか、区費徴集関係の史料9点のほか、明治15(1882)年「田原村寺院重宝目録」「山地段別収穫帳」などがある。

古久保家文書(こくぼけもんじょ) 館古033

寛文8(1668)年以来、代々上京下西陣組の町代を勤めた古久保家に伝えられた文書、266点。この古久保家文書の中心は御触留、御触頭書、町代番日記である。京都町奉行所から出された命令である御触は、町代を通じて、町々に伝えられたが、それを書き留めたのが御触留である。元禄5(1692)年から文化10(1813)年までの分29冊が残っている。ただし、途中で元禄10年・享保16(1731)年から同18年・天明3(1783)年から同7年・寛政元(1789)年から同5年・享和2(1802)年から文化4年までの分が欠けている。このほか、「御変革後御触達」として慶応3(1867)年12月以降のものが3冊ある。御触頭書は御触の要旨のみを書き留めたものであるが、元禄5年から嘉永3(1850)年にいたる15冊。記事の欠けているのは元禄10年だけである。日記は京都町奉行所の勤番日記等である。延宝3(1675)年から文久3(1863)年にいたる36冊であるが、残念ながら途中の欠落も多い。このほかのものでは、寛文8年に町代になる以前の文書として、慶長9(1604)年の豊国大明神の花笠踊衆への給米請取21点を含む37点がある。町代となってからのものとしては、寛文8年12月5日付「町代役之覚」以下、年頭江戸下りを中心とした町代の役職にかかわる史料33点がある。私的なものとして、古久保家が年貢の取立てをしていた土地に関して「御本所様年貢納并下作取立帳」34冊とこれに伴なう請取数通がある。茶道関係写本46冊も含まれている。

古久保家文書・丙(こくぼけもんじょ) 館古548

上京下西陣組の町代を勤めた古久保家に伝えられた文書の3次分。貞享5(1688)年一乗寺村鉄炮改帳、享保7(1722)年年頭御礼江戸下入用覚、文化・文政期の茶会録、近代教育関係資料、和歌・漢詩ほか。延宝4(1676)~昭和44年。426点。

小島家文書(こじまけもんじょ) 館古290

愛宕郡西賀茂村(現北区)の庄屋であった小島家に伝わった文書、33点。延宝7(1679)年から明治7(1874)年に至る庄屋文書で、私文書はない。もっとも多いのは小堀役所からの御触書で、ほぼ半分を占める15点。天保14(1843)年から明治元年に至るが欠年を1点含む。ほかには村明細帳・村高帳が各1点、検地帳および水帳が3点。「宗門改寺請帳」2点、「五人組改帳」1点、人別寄書帳など3点。また、小前帳・小入用帳・勘定帳などが4点ある。なお、もっとも古いものは延宝7年6月の「西賀茂村検地帳」である。

小林家文書(こばやしけもんじょ) 館古282

紀伊郡深草村(現伏見区)で弘化4(1847)年から水車業を営んでいた小林家に伝わった文書、14点33通。うち9点27通は、明治19年から同22年にかけて同業者との間で争われた、使用水契約違反に関わる裁判の関係書類である。京都始審裁判所の「裁判言渡書」を不服とした被告側(小林家側)が控訴院へ控訴し、この判決にあき足らない相手側が大審院へ上訴し、控訴審棄却・差戻しの判決を得ている。ほか営業に関する願書類3点3通などがある。

小林万兵衛家文書(こばやしまんぺえけもんじょ) 館古403

上京第20区近衛町(現油小路通出水下ル近衛町)で両替商(鎰屋)を営んでいた小林万兵衛家に伝わった文書、390点。大別すると会津藩関係42点、博覧会関係10点、普請関係53点、冠婚葬祭関係110点、金銭関係43点、書状類等132点となる。会津藩関係の文書は、小林万兵衛が会津藩御用達を勤め、幕府への出入を許されていたため同家に残ったもので、安政3(1856)年から明治13(1880)年にわたる。この中には安政の大獄に関係して「水戸藩家老家来之処分ニ付書付」や長州征伐に関係した書状のほか、「会釈米受納挨拶状」「拝領之目録」が含まれている。博覧会関係のものは、明治6年に京都御所で開催された第2回京都博覧会の際に監護人をつとめたことから「大博覧会物品録」「博覧会場監護人心得書」「宮中絵図(小冊子)」などが残されている。普請に関する文書については嘉永7(1854)年から明治36年までのもので、火災の影響による普請のものが多い。嘉永7年「近衛町絵図」や同年「小林万兵衛家絵図」の絵図類をはじめ、「普請方諸事控」「瓦之通」「普請用御見積」「沽券状」「土地所有者住所異動届(控)」などがある。冠婚葬祭に関するものには幕末から明治期にわたって「誰々婚礼関係書類」といった一括形式で、主に親類書、目録、献立覚などがまとめられている。他に出産、養子縁組、葬式関係のものがある。金銭関係では文久、元治期の家業に関する「節季毎出入書附」「勘定覚」などが大半を占める。

五傍の掲示(ごぼうのけいじ) 館古451

綾部市大嶋村にたてられた明治維新期の高札。3点。

古文書(こもんじょ) 中集古S325

鎌倉後期から南北朝にかけての古文書7通を集めたもの。1点。宮内庁書陵部所蔵。

御用砂子屋美濃地仲間文書(ごようすなごやみのじなかまもんじょ) 館古159

扇・屏風・短冊などに金箔銀箔の箔押し、木版画の模様附け、粉色等を施す、紙の加色を職業とする同業者の仲間文書、12点。その代表者である仲間年寄が代々伝えてきたものと推測される。内訳は商売仕法、株異動、奉公人、寄会等々の規定を記した宝暦6(1756)年8月付の仲間定書(冊子)1点。公式の仲間登録簿で、株の移動増減を随時記入した元株帳(別名、名前帳・仲間帳・印鑑帳)が、寛政9(1797)年・天保11(1840)年・弘化3(1846)年・安政3(1856)年・慶応4(1868)年8月・明治元(1868)年10月付のもの(冊子)6点。天保12年5月と嘉永元(1848)年の出入済状(冊子)2点。そのほか、文化11(1814)年付の惣砂子屋仲間印札添状(状物)1点。仕掛金取集に関する嘉永元年8月付の示合連判状(冊子)1点。文久2(1862)年11月付の惣砂子屋組分帳(冊子)1点がある。なお、この文書群については、昭和58(1983)年、当館発行の『資料館紀要』第11号「<史料紹介>御用砂子屋美濃地仲間文書」で全文の翻刻を行ない、解説を付した。

近藤家文書(こんどうけもんじょ) 館古144

船井郡上谷村(現南丹市)の近藤家に伝えられた天和元(1681)年から明治14(1881)年に及ぶ文書、160点。上谷村は明治9年に他村と合併して世木村となり、現在は日吉町に属する。大部分は証文類であるが、その内訳は、山林売買証文60点、田地売買証文28通、畑売買証文3通、山茶畑売買証文1通、山林質入証文4通、田地質入証文3通、銀子借用証文5通。山林を中心とした経済構造の反映が見られる。このほか、天明3(1783)年「山こなし場境目ニ付一札」・寛政12(1800)年「こなし場境目相改ニ付証文為替ノ覚」・享和2(1802)年「把木保津川下シノ義ニ付訴状」・同3年「保津川筏下シノ義ニ付為取替一札」をはじめとする山林関係の史料がある。