古文書解題 「く」から始まる文書
2007年11月30日 更新
九鬼家履歴集(くきけりれきしゅう) 館古134
「履歴集」という表題をもつ1冊。内容は2つの部分に分かれ、前半は綾部藩主九鬼家初代隆季の時代の寺社方への寄進状をとりまとめたもの。これは、享保16(1731)年に綾部城武具方の反古の中から発見し、履歴集のはじめに収めた旨の前書がある。後半の履歴集の部は、隆季から隆都にいたる歴代藩主の事蹟を編年体で記したものである。
口宣案(くぜんあん) 館古529
地下官人三善家当主に対して出された叙任の口宣案。寛政12(1800)年ほか。5点。
国絵図(くにえず) 館古044
江戸時代の国別絵図、105点。3群に大別できる。第1群は松平乗命(のりとし)本を書写した国絵図68点、第2群は第1群以外の手書の国絵図28点、第3群は江戸時代後半期の木版本国絵図9点。第1群は陸奥国から大隅国まで全国の絵図が完全に揃い(ただし、信濃国は南半分のみ)、帝都図と名付けられた洛中図が1点加わっている。明治5(1872)・6年ごろ、美濃国の旧岩村藩知事松平乗命が所蔵するものを、京都府が借用し、当時、京都を中心に活躍していた画家約50名ほどを動員して模写させたものである。現在、原図は内閣文庫の所蔵になっているが、それと比較してみると、非常に忠実に模写されていること、山・田畑や建物の描き方や色彩の使用において各画家の画風がよく表われていることがわかる。絵図の大きさは、大小まちまちで、最大のものは石見国で、縦509センチメートル、横274センチメートル、最小は加賀国で、縦74センチメートル、横99センチメートルである。一人の画家が一国を基本に担当模写したと思われるが、小さな絵図の場合、一人が5ヵ国を担当した例もある。また、記載内容から判断して、正保度と元禄度のものが多く、帝都図は寛文年間(1661~73)の様子を伝えたものである。なお、模写にあたった画家は、嶋田雅喬・吉阪鷹峯・浅井柳塘・八木雲渓・鈴木瑞彦・重春塘・塩川文麟・村上和光(京都府職員)・今尾景年・秦金石・加納黄文・村瀬玉田・野村文挙・石原蘭石・菱田日東・山田文厚・小沢文隆・土佐光文・山岡墨仙・岡嶋清曠・羽田月州・中西耕石・久保田米僊・岸竹堂・巨勢小石・鈴木百年・林耕雲・幸野楳嶺・中島有章・望月玉泉・伊沢九皐・鈴木百僊・□山松泉・永瀬雲山・森寛斎・邸瀬雙石・中島華陽・前川文嶺・桜井百嶺・福島半僊・狩野永詳・田中有美・長野祐親・国井応文・円山応立・鈴木百翠・前田暢堂の47名が確認できる。ただし山城・丹波・摂津・美濃の4ヵ国の模写担当者は不明である。第2群の国絵図は、信濃・遠江・三河・美濃・尾張・越中・能登・若狭・加賀・越前・伊勢・志摩・伊賀・近江・大和・紀伊・山城・摂津・河内・和泉・丹波・丹後・但馬・播磨の24ヵ国分ある。その内、信濃・三河・若狭の3ヵ国絵図は元禄図であり、遠江・越前・志摩・紀伊・山城・河内・和泉・丹波を除く国絵図は、すべて分割図となっている。第3群の木版本国絵図は、武蔵国全図(橋本玉蘭画図)、慶応4(1868)年発行の甲斐国全図(水戸、鶴峯彦一郎作)、天保6(1835)年刻成の信濃国大絵図(森川保之図画)、安政3(1856)年の近江国大絵図(徒然菴□著)、寛政11(1799)年の丹波国大絵図(矢野貞利著)2点、改正和泉国大絵図2点、嘉永7(1854)年発行の備中国大絵図(松川半山書図)である。
倉橋家資料(くらはしけしりょう) 館古154
祖先が宮津で大工を営んでいた倉橋家に伝えられた資料、50点。すべて家業の大工に関係したもので、内訳は絵図類が3点、文書類が5点、木版本が42点。絵図は縮尺20分の1の頂法寺(六角堂)建地割、大坂城絵図、屋敷絵図である。文書は文化6(1809)年の丹後田辺桂井寺上梁書、弘化3(1846)年の同家の江戸道中日記、辰年の大工請合手形、明治39(1906)年の内務省宗教局達、屋敷格門格次第である。木版本は、江戸時代の発行で、新撰雛形(1~5)5冊、大和絵様集(1~4)4冊、大工規矩尺集(上中下)3冊、隅矩独稽古(上中下)3冊などである。
黒田地区文書(くろだちくもんじょ) 集古M142
旧京北町(現京都市右京区)黒田地区(下黒田村・黒田宮村・上黒田村)の文書。林業、筏流、献上鮎、村落・家等に関わる中世から近代までの資料。同地区は江戸時代は初期を除いて禁裏御料で、御所との関わりが深い地域である。
