古文書解題 「も」から始まる文書
2007年11月30日 更新
最上屋喜八家文書(もがみやきはちけもんじょ) 館古038 館古534
下京富小路姉小路上ル松下町(京都市中京区)で、紅の原料である紅花の荷主問屋をしていた最上屋(明治以降は井山姓を名乗る)に伝わった文書。受入時期により2群に分けられる。
第1次分は4857点。当館所蔵分の内には25点の仲間文書が含まれているが、これは縦36センチメートル、横28センチメートル、高さ32.5センチメートルの桐箱に納められている。この桐箱は、天明4(1784)年に「御本丸奥御用紅花荷主仲ヶ間」名で、仲間が結成された時に新調されたもので、その時々の仲間年寄が保管していたが、明治維新に際し、最後の仲間年寄を最上屋が勤めていた関係から同家に仲間文書が残ることになった。その内容は、天明3年より同9年までの記事がある「紅花御触書御請書留書」、同年の「御呉服師方并紅屋方諸用集」(2冊)、「紅花方秘録」、文化8(1811)年の「撰方意図方紅花惣仲間帳」、同年の「大御奥御用紅花売直段書上帳」、嘉永6(1853)年の「紅花荷主名前帳」(2冊)など天明3年から安政6(1859)年にかけてのものである。本来の最上屋文書は4832点あり、天保期(1830~44)から明治期(1868~1912)にかけて、集中して残存している。内容はすべて紅花荷主問屋など、自家の経営に関するものであり、大別して自家の帳簿類と、取引相手との間で授受された文書に分けることができる。帳簿類は横帳形式のもので、文化14年から明治43年までの「金銀出入帳」(9冊)、嘉永3年から明治3年までの「紅花代金帳」(5冊)、嘉永7年から明治3年までの「仕切下書帳」(6冊)、天保4(1833)年から明治6年までの「金銀両替取渡通」(39冊)、安政2年から明治28年までの「荷物高合勘定帳」(7冊)、天保15(1844)年から嘉永3年までの「御下シ物通帳」(10冊)、嘉永6年から文久4(1864)年までの「手形受払帳」(3冊)、明治2年の「借家宿料帳」(1冊)などがある。また、取引相手との間で授受されたものは、切紙・折紙の形式のものが多い。その内容としては、「紅花請取」(約270通)、「紅花仕切状」(約300通)、「為替手形」(約400通)、「振差紙」(約70通)、「預り手形」(約1,200通)、「紅花買目録」「紅花売渡状」「紅花積附状」「紅花送り手板」「紅花駄数帳」「書状」など、種類も数量も豊富である。
第2次分は第1次分で欠落していた天保年間の為替手形・覚などである。158点。
なお、最上屋喜八家の文書は、山形大学図書館と当館に分かれて所蔵されている。
元大谷延仁寺旧地一件書類写(もとおおたにえんにんじきゅうちいっけんしょるいうつし) 館古253
延仁寺跡地に関する証文類を筆写した写本1冊。西本願寺が天保15(1844)年に延仁寺の跡地を、泉涌寺から買い取ろうとして交渉を行なう過程で作成した証文類等を筆写したもの。なお、延仁寺は浄土真宗の祖親鸞を荼毘に付したと伝えられる寺院である。
元北小路町中家屋敷伝来帳(もときたこうじちょうちゅういえやしきでんらいちょう) 館古181
今出川通大宮西入ル元北小路町に伝わった町記録、1冊。帳簿の成立は明和5(1768)年であるが、内容は、町内39ヶ所の各家屋敷所持者の変遷が、延宝9(1681)年から明治前期まで書きつがれている。
元北小路町文書(もときたこうじちょうもんじょ) 館古335
今出川通大宮西入ル元北小路町に伝えられた町文書、143点247通。元禄11(1698)年から大正元(1912)年までのものである。明治15(1882)年までは、「死後譲状」「金(銀)子預り・借用証文」「地所・建物売渡証文」が多い。死後譲状は53点92通で、家族相互が同日付で出した2通が包紙で一緒になっているものが多い。「預り・借用証文」は14点15通、「地所・建物売渡証文」は12点21通であるが、後期のものは用紙、罫紙を使った借用証・請取証書などになる。町を出ていく人との間に相論が起こっており、関連資料が4点37通ある。人別送り証文類4点5通、「奉公人請状」2点3通。借金・取引の清算証類4点4通、献金および請取証3点4通、町入費の廻状および集金簿4点4通。町内で用人を雇っており、用人職に関するもの3点7通がある。
元立本寺前町文書(もとりゅうほんじまえちょうもんじょ) 館古383
寺町今出川上ル元立本寺前町の公的記録、3冊。天明6(1786)年「永代帳」、寛政10(1798)年「譲状控帳」、文政8(1825)年「勘定銀貸附帳」である。
森島国男家文書(精華町)(もりしまくにおけもんじょ) 集古M136
相楽郡精華町の旗本天野氏の上方代官の文書。森島家は乙訓郡下久世村、綴喜郡大住村、相楽郡菱田村・祝園村の在村代官として江戸にいる旗本に代わり、領地支配の実務にあたった。各村庄屋から提出される見分帳や勘定帳、宗門改帳、江戸との往復書簡など、旗本の上方支配について具体的にわかる資料である。
森島家文書(もりしまけもんじょ) 館古095
相楽郡笠置村(現笠置町)の庄屋である森島家に伝えられた文書、37点。文政10(1827)年「請取帳」、天保11(1840)年「住吉毎年参詣人并住吉講諸入用帳」、安政5(1858)年「戌方并万覚帳」、文久元(1861)年「酉年年貢免状」のほかは、すべて明治期のものである。金銭の出入に関する帳簿類13冊のほか、明治16(1883)年「船積駄数帳」、同年「森嶋又七郎船積帳」、同18年「船積口取帳」などがある。
森田家文書(もりたけもんじょ) 館古318
船井郡富田村(現京丹波町)森田善四郎家に伝わった文書、6点。すべて同氏所有の同郡升谷村(現京丹波町)の土地に関するものである。明治6(1873)年から同19年までの3点、欠年3点。内容は、「村高新田高両高集帳」1点、一筆限帳4点、農帳1点である。
森村庄屋文書(もりむらしょうやもんじょ) 館古228
船井郡山内庄塩田森村(現京丹波町)の庄屋中尾長右衛門家に伝来したと推定される文書、20点。永禄12(1569)年「山内庄塩田村何鹿大明神棟札写」をはじめ、延宝8(1680)年から明治4年までの村文書。文書の内容にはまとまりがなく、延宝8年「身許引請一札」、寛保3(1743)年「年貢免定」、安永3(1774)年「年貢皆済次第書上」、寛政9(1797)年「人別送り手形」が含まれている。
