ページの先頭です

本文へ | このサイトのメニューへ

文字の大きさ : 大きくする | 元に戻す  背景色を選ぶ : | |   ふりがなをつける  ふりがなをはずす | ご利用案内

文字の大きさ、背景色を変更する機能は、スタイルシートが無効なため使用できません。

古文書解題 「に」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(な行)

2007年11月30日 更新

西京薬種商永代記録帳(にしきょうやくしゅしょうえいだいきろくちょう) 館古502

薬種問屋仲ヶ間の由来・定・等を記した永代記録。宝暦8年~天保11年。1点。

西陣織物工業組合統製調査課書類綴(にしじんおりものこうぎょうくみあいとうせいちょうさかしょるいつづり) 館古245

表紙に「昭和十三年八月起 京都府往復書類綴 統製調査課」とあり、内容はすべて製品の販売許可申請書を綴った1冊。

西田家文書(にしだけもんじょ) 館古424

桑田郡野々村中村(現南丹市)の西田家に伝来した明和8(1771)年から昭和35年までの文書、80点。村文書としては享和3(1803)年から天保14(1843)年までの「免相」7通と文政8(1825)年「園部屋舗用意銀年賦調達銀仕法帳」、嘉永5(1852)年の「名寄帳」「免割帳」のほか若干の文書が存在する。他はすべて西田家に関する私文書である。山林や畑に関する証文類や銀札借用証文が中心であり、他に八坂神社等の祝詞類や「御手本」などの教養書が含まれている。

西田村戸長役場文書(にしだむらこちょうやくばもんじょ) 館古143

船井郡西田村(現南丹市)の土地・河川等に関する明治元(1868)年から同28年までの文書、21点。土地関係としては「永代売渡山林証」「異状地取調書」等があり、河川関係としては大井川筋のものとして「堤防修繕御願」「捕魚取締御鑑札御下渡願」。また、村内を横切る三俣川が同村をはじめとする周辺八ヶ村によって共同管理されていたため、この三俣川に関するものとして「三俣山諸費記録」「砥石堀取願」「三俣渋谷間数並字覚帳」などがある。

西田村文書(にしだむらもんじょ) 館古140 館古141 館古142 館古259

船井郡西田村(現南丹市)に関する文書、623点。当館では、西田村関係の文書が四段階に分けて架蔵することになったため、甲・乙・丙・丁の四群に分けて運用している。甲群が572点、乙群が38点、丙群が11点、丁群が2点である。甲群のまとまりのあるものから紹介していくと、「西田村御蔵入免諸入用勘定帳」が、延享年間(1744~48)と天明元(1781)年から慶応元(1865)年まで、途中に若干の欠落があるが、56冊。つぎに人数ならびに牛馬員数改帳の類が延享元年から慶応4年までの間で35冊。高名寄帳の類が、享保18(1733)年以降、明治5(1872)年までの間に23冊、村小入用帳が天保5(1834)年から元治元(1864)年までの間に12冊。村明細帳・村鑑は宝暦6(1756)年・天保9年・同15年・慶応4年のものがある。そのほか、用水・堤の普請に関する仕様帳、目論見帳の類が延享2年以降慶応3年までの間で51冊。年貢免状は寛文6(1666)年から弘化2(1845)年までの間で28通。村惣算帳が寛文9年から明治3年までの間で166冊ある。このほか、人足関係の史料も多い。乙群は、すべて口丹波船井郡村々の貯夫食に関する文書で、明和6(1769)年から明治3年にいたる。丙群はすべて明治期のもので、西田村々会議事細則や徴兵并成丁簿のほか、区長日誌(原勝次)などがある。丁群は明治7年筆数書上帳と田高反別荒地鍬下取調書である。

西村家文書(にしむらけもんじょ) 館古025

江戸幕府の京都御大工頭中井家配下の棟梁西村家に伝わったと考えられる文書、52点。文書のまとまりに一貫性が乏しく、大部分が自己の生業である大工の参考にするため、書写したものである。寛文6(1666)年と推定される3月5日付の「老中申渡覚書写」、「貞和4年建立光明院本堂上棟記録写」、文化7(1810)年の「御所定御修理方并二条御城御破損方相詰候覚」の3点を除いて、すべて絵図であり、そのうち、「高台寺ニ有之利久好時雨亭之図」は起絵図である。文書群中、雛形は鳥居并門様式雛形、拝殿等様式雛形、輪蔵雛形等8点。安政度内裏造営に関するもの3点。三条大橋、文化4年写の伏見肥後橋等の橋梁に関するもの5点。そのほか、清水寺諸堂絵図、有栖川宮御方新御殿惣絵図、(寛政度恭礼門院御所)指図、安永6(1777)年の二条御城内御掃除場絵図、大仏組絵図、元治元(1864)年の京都守護職松平肥後殿御仮館絵図、同家の引直修復前後の絵図、下村正太郎居宅絵図等がある。なお、当文書群については、昭和56(1981)年、当館発行の『資料館紀要』第10号「<史料紹介>総合資料館所蔵の中井家文書について」の附録に、1点宛の目録を掲載した。

西門前町文書(にしもんぜんちょうもんじょ) 館古036

大宮通松原下ル東側の片側町である西門前町に伝えられた町文書、153点。同町は上五条町とか山崎町と呼ばれたこともあり、本文書中の1通には、西門前町と称するようになってからも刊行の京都の地図には山崎町となっているので旧名に復したい旨の訴状がある。一番まとまりがあるのが「宗門人別改帳」で安永9(1780)年から慶応2(1866)年までの66冊。このほか、安永9年と明治3(1870)年の「町内借屋宅替控」、文久元(1861)年の「家持借屋総人数帳」、明治4年「職業調」、明治6年「東京行戸籍写」、年未詳「番戸姓名控」などがあって、幕末から明治初年にかけての人口動態を伝える史料が多い。また、明和4(1767)年「御改沽券状」、明治3年「御改正ニ付軒役附改」、同年「町中家屋敷表口裏行軒役下書」、同年「券状」、同6年「地券軒数取調簿」、同10年「地所軒数取調簿書」、同17年「地籍」など家屋敷の所有状況を伝える史料が含まれている。文政2(1819)年「大福帳」と題されるものの内容は文政2年から明治3年にいたる町記録である。状物では、寛政元(1789)年、同10年、天保5(1834)年、同6年、同7年の御触書がまとまりがある。このうち、寛政元年のものは、触れ出された各紙を貼り継いでいるが、他の年次のものは切紙のまま、ばらばらで保存されている。また、同町が本国寺門前であるところから柴荷役を課せられており、これをめぐる相論文書がある。延享元(1744)年と明和4年には同町が境内であると主張する本国寺と境内には含まれないとする町側の対立があり、これをめぐる口上書、請書、裁許状なども多い。

二条二之丸御番所御道具申送帳(にじょうにのまるごばんしょおどうぐもうしおくりちょう) 館古503

二条城二之丸入口にあった番所が管理していた鉄砲などの諸道具の数量・保管場所についての文化8(1811)年の記録。1点。

人形商「面竹」岡本家文書(にんぎょうしょう「めんちく」おかもとけもんじょ) 館古076

明治末から昭和初期にかけての文書、58点。うち「雛人形頭簿」など、家商に関するもの7点。人形商の信仰を集めた粟島神社に関するもの12点。住ノ江観玉の観友会に関するもの24点。

仁和寺年代記(にんなじねんだいき) 中集古S334

「東寺王代記」と同内容の年代記。1点。宮内庁書陵部所蔵。