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古文書解題「ろ」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(ら行)

2011年3月4日 更新

鹿王院文書(ろくおういんもんじょ) 中集古M009 中集古S305

京都市右京区嵯峨鹿王院に伝来した文書、5400点。うち中世文書900点、近世・近代文書4500点。
鹿王院は南北朝時代、足利義満が春屋妙葩を開山として建立した禅宗寺院で、近世には天龍寺の末寺に組み込まれ、近代には単立寺院として現代に至る。春屋妙葩は天龍寺の開山夢窓疎石の高弟で、義満や北朝歴代天皇の信頼を受け、天龍寺・南禅寺・相国寺の住持職を務めた。康暦元(1379)年には後円融天皇から智覚普明の国師号を賜り、義満により初代の天下僧録(五山十刹の禅宗寺院を統括し、その人事を司る僧職)に任命された。
鹿王院文書のうち中世文書には、朝廷からの綸旨・院宣・官宣旨などがあり、また足利将軍家の御判御教書・室町幕府の御教書・奉行人奉書などが遺されていて、同院の開創期の由緒や所領に関する模様を伝えている。なかでも春屋妙葩に国師号勅賜を伝える後円融天皇綸旨や、天下僧録職・天龍寺以下の住持職補任を伝える義満の御内書・御判御教書は、その代表的な物である。また永禄11(1568)年9月の織田信長禁制は、京都に中世の終わりを告げるものとして有名である。最古の文書は寛治4(1090)年の藤原某破立文案であるが、案文である。正文では延応元(1239)年の譲状・売券が最も早い。
近世以下の文書は、目録上大別して「開山・鹿王院・天龍寺・末寺子院」以下となっているが、歴代の遠忌を始めとした寺内行事の文書、本山・末寺との往復文書、寺領に関する文書を中心として残っている。
また春屋妙葩を始め、歴代住持の「偈」や「法語」が遺されているのも、禅刹文書らしさを見せている。
鹿王院文書は、京都府が調査・写真撮影を行い、目録を作成した。原本は鹿王院が保存し、当館で複製物による公開を行うこととなった。中世文書は写真帳10冊(資料番号 中集古S305)を作成し、近世・近代文書はマイクロフィルム(資料番号 中集古M009)により、閲覧に供している。なお中世文書については、『鹿王院文書の研究』に全点の翻刻が掲載されている。

六条家文書(ろくじょうけもんじょ) 中館古020

羽林家である六条家に伝わった文書、22点。六条家は鎌倉時代中頃に久我通光の五男通有にはじまる家柄。通有の息六条有房とその息六条有忠が、学問をもって後宇多上皇に仕えた。この文書群は、内容的に3群にわかれる。(1)鎌倉時代に六条有房書写にかかる雲州消息1巻と宿曜御運録1巻。雲州消息は、明衡往来上巻の本篇として、すでに『教科書大系―往来編―』に紹介されている。宿曜御運録は、文永6(1269)年6月26日亥時に生まれた男性の運勢の予言を記した1巻である。2巻とも同一布表紙が付されている。(2)有房奉の後宇多上皇院宣と、有忠の奉書。後宇多上皇院宣は、東大寺別当僧正に宛てられ、寺領河上庄下作名主等が、度々の勅裁に違背し、年貢を年々抑留することを停止した文書であるが、年紀を欠き、7月7日付である。有忠奉書は、元亨3(1323)年9月20日付で、右大将殿(西園寺実衡)に宛てられ、筑前国感多庄が、延慶年中(1308~11)以来持明院殿の勅裁に預かると主張した冬定卿の使者を追出し、元のごとく、西園寺家の所務を安堵した文書である。この2通は、ともに軸装である。(3)明治維新期の書状18通であり、いずれも六条有容に宛てられている。有容は、公武合体論を唱えて、禁門の変ののち明治天皇の議奏となり、時局の収拾にあたった人物であるところから、公家武家に交友知己が多く、これらの書状は、二条斉敬書状(2通)、久邇宮朝彦親王書状(2通)、仁和寺宮源仁法親王書状、近衛忠房書状、徳大寺実則書状、三条実美書状、中山忠能書状(2通)、冷泉為村書状、岩倉具視書状(6通)、東久世通祥書状である。これらは、修理等の後世の手は加えられていない。このほかに、元治元(1864)年6月28日の年紀をもつ孝明天皇宸翰写、孝明天皇勅書写がある。

六方年行事関係資料(ろっぽうねんぎょうじかんけいしりょう) 館古572

京都の犯罪人の縄取り、牢屋敷詰めなどを担当する年行事および給銀等の経費を負担する町(年行事町)からの願書の一件。文久4年(1864)~慶応元(1865)年。6点。

六方年行事諸事留(ろっぽうねんぎょうじしょじとどめ) 館古573

京都の犯罪人の縄取り、牢屋敷詰めなどを担当する年行事および給銀等の経費を負担する町(年行事町)からの願書等を写してまとめたもの。慶応元(1865)年。1点。