ページの先頭です

本文へ | このサイトのメニューへ

文字の大きさ : 大きくする | 元に戻す  背景色を選ぶ : | |   ふりがなをつける  ふりがなをはずす | ご利用案内

文字の大きさ、背景色を変更する機能は、スタイルシートが無効なため使用できません。

古文書解題 「さ」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(さ行)

2007年11月30日 更新

最勝光院寺領年貢注進状(さいしょうこういんじりょうねんぐちゅうしんじょう) 中集古S336

正中2(1325)年3月日。宮内庁書陵部所蔵。

財満家文書(ざいまんけもんじょ) 館古239

財満家は上長者町通油小路西入ル紹巴町に住んで商業を営んでいたようであるが、その種類はわかっていない。寛政4(1792)年に「毛利讃岐守用達財満左四郎」の名が見え、文化14(1817)年には「毛利甲斐守彦次郎」の存在するところから、長州藩毛利家に出入する商人であったことがわかる。文書数は6点、すべて冊子形態のものである。第1冊目は、延享4(1747)年「御即位御用」は桃園天皇の即位にあたっての諸大名からの祝儀献上に関する1件を書き留めたものである。第2冊目は「道具之覚」と題されており、天明2(1782)年7月付で交替を伴なう御屋敷の道具を書き上げたものである。第3冊目は天明7年7月24日から同年11月29日までの日記である。筆者は不明であるが財満家の当主のものと推測される。なお、この日記が11月29日で終わっているのは、筆者が長州へ出発するためであるが、末尾に筆者の留守中に起きた天明大火の様子を記している。第4冊目の「長門屋ひさ願書并御答」は寛政4年に、長門屋ひさが長門候春光院の許に奉公している娘ゆさの宿下りを願い出た一件を書き留めたものである。この文書が財満家にあるのは同左四郎が請人となっていたためである。第5冊目は文化14年の「御即位御進献一件下調」、第6冊目は同年「御即位ニ付勤方次第書」である。内容は第1冊と類似したものである。

材木仲間文書(ざいもくなかまもんじょ) 館古333

材木商の同業者団体である材木仲間の文書、1点。寛政12(1800)年閏4月の「仲間加入ニ付一札」が2通綴られている。

佐伯村文書(さえきむらもんじょ) 館古156

桑田郡佐伯村(現亀岡市)に伝わった元禄5(1692)年から万延元(1860)年に至る8冊。「村内諸證文記簿」など、多量の文書を写留めたものが多い。

左官仲ケ間関係文書(さかんなかまかんけいもんじょ) 館古493

左官職人の仲間文書。定書、触書、口上書など。文化3~安政5年。7点

笹屋町三丁目文書(ささやちょうさんちょうめもんじょ) 館古152

笹屋町通智恵光院西入ルの西側町である笹屋町3丁目に伝えられた町文書、60点。内容は家屋敷の譲状および死後譲状で文政10(1827)年から明治期に至るものである。

篠山藩桑田代官所文書(ささやまはんくわただいかんしょもんじょ) 館古276

総点数10点。内7点までが安政2(1855)年12月付で、桑田郡内の各寺院の梵鐘・釣鐘の寸法改の書上げで、他に安政7年の御救米捌方の書上げがある。

佐藤美与士氏蒐集文書(さとうみよじしもんじょ) 中館古008

佐藤氏の蒐集文書、3点。建武3(1336)年6月日付足利直義願文案1巻と、貞観13(871)年安倍小水麿願経切1巻、年代不明の起世経切1巻。足利直義願文案は、建武3年6月、足利尊氏の入京とともに後醍醐天皇が比叡山に逃れた時期、直義は新田義貞を討つため、日吉山王七社に17ヵ条の祈願をした願文の、原文書作成時期に近い案文である。安倍小水麿願経切は、平安時代の写経切で、安倍小水麿が願主となって写経した「小水麿願経」の一部である。当該経切の章句は、大般若経第249巻の一部であり、黄紙・墨罫の料紙に書写されている。起世経切は、小乗経典阿含部の起世経で、世界の成立と破壊の時期を説く経典である。当該経切の章句は、同経第7巻の一部であり、紺紙、銀罫の料紙に、金泥で書写されている。

佐山重致旧蔵資料(さやまじゅうちきゅうぞうしりょう) 館古252

「元禄八年補略」「諸事ひかえ(虎屋町)」、文政10(1827)年「御上京日記 其壱」「諸事留」、安政7(1860)年「無上覚院様今般紫衣御鈍色勅許ニ付御参内御列御装束都而之記并即録」の5点。このうち文政10年の上京日記というのは、文政10年10月から翌年3月までの姫路藩主酒井忠実上京に関するものである。

沢屋吉兵衛家文書(さわやきちべえけもんじょ) 館古277

大仏北門前で瀬戸物商を営んでいた沢屋吉兵衛家に伝えられた文書、13点。弘化4(1847)年の画師治兵衛の「画物之通」や錦華山宗兵衛・ゑひやの「焼物之通」、嘉永3(1850)年の錦華山宗兵衛・ゑひやの「焼物之通」、明治2(1869)年・3年の帯山の「焼物之通」のほか、嘉永7年の「店卸惣勘定帳」がある。

三光院内府清談(さんこういんないふせいだん) 館古506

三条西実枝著の有職故実書の写本。内容は中世末の綸旨、勅書、公卿の人員数など。天保8(1837)年、山科言成の写。1点。

三条白川 西町文書(さんじょうしらかわ にしまちもんじょ) 館古344

西町(現東山区三条通白川橋東入2丁目)に伝わった、安政5(1858)年「式目諸用并仕方書」と明治3(1870)年「式目仕方控」の2冊。