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古文書解題 「し」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(さ行)

2011年3月4日 更新

塩見氏旧蔵元北小路町木札(しおみしきゅうぞうもときたこうじちょうもくさつ) 館古564

京都市上京区今出川通大宮西入ルの元北小路町の戸長だった塩見清右衛門宅に保管されていた木札。布告のために町に掲示されていたと思われる。内容は明治5年11月28日付け司法省第46号「各人民ヨリ戸長又ハ地方官オヨビ地方裁判官ノ非理ヲ訴フルヲ許スコト」を京都府が明治6年1月に布令したもの。1点。

塩屋町文書(しおやちょうもんじょ) 館古407

河原町通蛸薬師下ル塩屋町に伝来した町文書、330点。冊子112点、状もの218点。冊子状のものは、「御触留」49冊、「下宿帳」36冊、「宗門人別改帳」14冊がまとまりを見せるほかは、多岐にわたる。「御触留」は寛文9(1669)年から天保4(1833)年まで断続して残っているが、このうち寛文9年の1冊は町の触留としてはもっとも早い時期のものである。「下宿帳」は朝廷や幕府での儀式にあたり、将軍の上使として京都に大名が派遣された際に、足軽などの家臣を民家に分宿させたことに関して作成されたものである。享保13(1728)年から嘉永2(1849)年までのものが残っている。「宗門人別改帳」は、もっとも古いものが明和4(1767)年で、その後寛政6(1794)年・文化14(1817)年・天保15(1844)年のほかは幕末期に集中している。「町中諸事控」と表題された、明暦2(1656)年から宝永元(1704)年4月までの町記録は町式目(法度・掟)や年寄廻り持ちの次第、口上書控や他町との契約を記したものである。状ものの多くは町内へ転入するにあたって借屋人が町へ提出した証文で、嘉永~明治に至る幕末期に集中して残っている。借屋請状69点、人別送状19点、宗旨請状26点、身元引取一札22点などである。ほかに死後譲状が36点ある。塩屋町文書については昭和60(1985)年、『資料館紀要』第13号「<史料紹介>塩屋町文書」に概要と経過について解説を加え、町中諸事控など、一部の翻刻を行なった。また、御触留所収の触のうち、他と重複しないものは京都町触研究会編『京都町触集成別巻二』の元禄4(1691)年以前・補遺に翻刻が掲載され、巻末に文書の解題が付されている。

志賀家文書(しがけもんじょ) 館古080

加佐郡南山村(現福知山市)の庄屋であった志賀家に伝わったもの。文化10(1813)年から明治30(1897)年に至る98点。近くに真言宗観音寺があり、世話人として活動したので同寺関係文書が多い。嘉永2(1849)年の本尊修復関係12点、百番観音建立関係3点、道具無尽帳など道具関係3点、その他、寺関係の勘定帳13点、六百人講など講関係13点、銀札出入勘定帳など9点。あとは「万覚帳」など7点、「酒之通」など通13点、「漁網料金覚」2点のほか、諸事控、覚の類が20点、書状3点である。

四条町文書(しじょうちょうもんじょ) 寄古010

四条町凱旋船鉾連合会が所蔵する文書。358点。寛政8(1796)~昭和6(1931)年。四条町(京都市下京区新町通四条下ル)の幕末から明治初期の町運営に関係する文書が中心である。主なものに、御触・布令書59点、宗門改帳・帯刀人改帳19点、死後譲状115点、人別送り状56点、寺請状32点、借屋請状33点、地屋敷売買一札12点がある。ほかに町絵図、祇園会・鉾修理・地之口米、小学校建設に関係する資料がある。江戸時代の四条町は「南四条町」と「北四条町」に分かれ、それぞれ下古京仲拾町組に属していた。祇園会では大船鉾(凱旋船鉾)を巡行していたが、鉾が元治元年に焼失し、現在は焼山の居祭りとして祭に参加している。

士族授産会社株券(しぞくじゅさんがいしゃかぶけん) 館古489

日本における初期の株券。明治10年。1点。

士竪家文書(したてけもんじょ) 館古071

中世には山城国愛宕郡久多庄の名主であり、江戸時代には久多上村(現左京区)の庄屋を勤めた士竪(したて)家に伝えられた文書、79点。うち9点が中世文書であるが、すべて売券である。近世文書も大部分が証文類であるが、ほかには元禄13(1700)年の「久多五ヶ村家数改ニ付指出控」や享保13(1728)年の「久多侍中定書」などがある。なお、これとは別に近世・近代文書284点が同家から寄託されている。

七条校建築入札見積書(しちじょうこうけんちくにゅうさつみつもりしょ) 館古520

西七条村(京都市下京区)の七条小学校の建築に関わる資料。明治18年。1点。

質屋廿組文書(しちやにじゅうくみもんじょ) 館古494

質屋組合の活動の記録や年番月行事の取り決めをまとめたもの 文化9年~14年、慶応3年。3点。

清水家文書(しみずけもんじょ) 館古384

京都在住の清水家に残った、明治から昭和前期にかけての文書、42点。同家初代清水定勝は小浜藩出身で維新後弾正台に出仕した。その関係の文書に任官状、履歴書、復申書等7点がある。その中の「山陰道他巡国巡察御用復申写」は明治3(1870)年6月に巡国視察を命じられたときのもので、丹波・丹後の諸藩のほか山陰諸藩の世情が報告されている。二代清水政太郎は明治後期から大正にかけて、京都帝国大学本部庶務課、ついで日本赤十字社京都支部に勤務した。その関係の文書は主に書状で28点。差出者に京都帝国大学関係者として中川小十郎、新渡戸稲造、織田萬、岡村参太郎、狩野直喜(以上は立命館にも関係)、木下広次、沢柳政太郎、久原躬弦、井上匡四郎など、立命館関係者として末広威麿、日本赤十字社関係として石黒忠悳、などの書状がある。その他第2次世界大戦の戦意高揚策の戦陣訓扇子、愛国百人一首(色刷色紙)など7点がある。

下京第三一学区資料(しもぎょうだいさんじゅういちがっくしりょう) 館古244

下京第31(一橋)学区に関する書類綴1冊。内容は明治22(1889)年から同33年にかけての教育費および会議費の予算・決算案や議案書である。

下古京上艮組町々連判状(しもこきょうかみうしとらくみまちまちれんぱんじょう) 館古312

宝暦8(1758)年に下京川西16町組の内の樋口町が破町になるという事件が起きたのを契機に、上艮組の13町が組町の結束を固めることや費用の分配などについて確認した文書1点である。

下佐濃村文書(しもさのむらもんじょ) 館古232

熊野郡下佐濃村(現京丹後市)に伝えられた文書、5点。同村は、明治22(1889)年の町村制施行により、円頓寺村・長野村・坂谷村・竹藤村・女布村・丸山村・永留村・郷村が合併してできた。この文書は、その合併後に一括されたものと推定される。明治8年6月「女布村地券反別惣計書上帳」と年未詳の「郷村現地反別地価一筆限細取調帳」(上下)・「長野村田畑宅地書上帳」「竹藤村田畑宅地書上帳」の5点である。

下橋家資料(しもはしけしりょう) 館古458

公家の一条家の侍・諸大夫(主家の家務を司った人)を勤めた地下官人家の下橋家に伝来した近世から近代に書けての資料、1647点。主家一条家宛の「豊臣秀吉判物」、大名の書状、地下官人の家伝の集成である「地下官人家伝」、天皇と公家の名鑑である「雲上名覧」、有職・和歌・歴史等に関する書籍、和歌懐紙、下橋家の日記などがある。

下橋家資料(下橋氏蔵)(しもはしけしりょう) 集古M133

公家の一条家の侍・諸大夫(主家の家務を司った人)を勤めた地下官人家の下橋家に伝来した近世から近代にかけての和歌短冊、和歌懐紙等の資料。2828点。

下町村文書(しもまちむらもんじょ) 館古199

綴喜郡宇治田原郷の下町村(現宇治田原町)の庄屋文書と考えられる3点。文化2(1805)年2月「田畑名寄反別下写帳」、同年2月「新開見取并小物成名寄反別帳」、安政2(1855)年6月「土砂留手入場書上帳」である。

下妙覚寺町文書(しもみょうかくじちょうもんじょ) 館古162

慶長9(1604)年8月1日付のものから明和9(1772)年7月12日付までの同町(衣棚通押小路下ル)内の家屋敷の売買証文17通を貼り継いで成巻したもの、1点。これらの家屋敷は、それぞれ異なったものであり、町が保管していたものと判断される。

下村家文書(しもむらけもんじょ) 館古236

江戸時代中期以降京都を中心に発展した呉服商大丸屋の下村家に伝えられた史料11点。すべて冊子。文化9(1812)年~文政6(1823)年「若州用談留 参」、文政5年閏1月「御貸下ヶ金名前帳」、文政6年7月「御下ヶ金仕様帳」、天保3(1832)年7月「御除料金附券状差上ヶ写」、同年11月「東御役所当座貸附扣」、同12年12月「禁裏御所御下金控」、同13年12月下村正太郎「由緒書」、嘉永7(1854)年「江州布直書一件写」、「御除料由来書」(文久3(1863)年12月)、「諸方金銀融通出入高控」(文久2年ごろ)、年未詳「仕法帳」がある。ことに、「若州用談留」は小浜藩主酒井忠進が所司代として在洛中のものであり、同藩との交渉が具体的に記されている。

社寺農商制法(しゃじのうしょうせいほう) 館古272

明治新政府から出された諸法令の木版刷のもの、12点。明治元(1868)年士籍法・社寺籍法、同2年の寺院制法・社家制法・市中制法・郡中制法・町役心得条目・村庄屋心得条目・町方戸籍雛形・村方戸籍雛形、同6年の暦詔書および年未詳の他処人来住奉公人雇入仕法書である。

聚楽村文書(じゅらくむらもんじょ) 館古519

嘉永3(1850)年聚楽村(京都市中京区)の若者の喧嘩の一件、安政2(1855)年巡幸の一件。2点。

娼妓契約書(しょうぎけいやくしょ) 館古167

祇園町の娼妓に関するもの、3点。明治36(1903)年10月1日付契約書、同日付委任状、明治37年8月15日付立金受取証である。

商店引札(しょうてんひきふだ) 館古401

商店が得意先に配る暦などに刷り込んだ宣伝用チラシ4点。明治・大正・昭和の京都市中のものと滋賀県日野町の商店のものがある。

諸商売仲間掟書(しょしょうばいなかまおきてがき) 館古229

当館に入る以前の伝来については不明であるが、蒐集家の手によって集められたものと考えられる、12点。正徳2(1712)年2月10日祈祷講掟書、宝暦10(1760)年9月青苧仲ヶ間申合書、安永3(1774)年11月魚中買仲ヶ間掟書、同年12月京都扇子屋仲ヶ間掟書、享和2(1802)年3月洛中12組寄宿仲間掟書、享和2年同上、文政6(1823)年7月荷主方下シ銀ニ付一札、天保7(1836)年7月蒲鉾摺身屋仲ヶ間掟書、嘉永5(1852)年12月法華寺御所御貸付并御講掟書、丑1月27日青苧売買手続覚、明治5(1872)年8月貸物会社規則(木版刷)、明治初年現金絹布太物直売買仲ヶ間掟書である。

城郭図(じょうかくず) 館古062

明治維新後の旧藩の城郭、藩庁の絵図、19点。亀山藩7点、園部藩4点、山家藩2点、綾部藩5点。明治5年8月付の何鹿郡綾部町坪内村・新宮村合絵図1点である。

正平古文書(しょうへいこもんじょ) 中集古S324

正平6(1351)年12月10日「足利義詮御判御教書」、正平10(1355)年正月26日「細川氏清書下」 。2点。宮内庁書陵部所蔵

上洛旅宿関係資料(じょうらくりょしゅくかんけいしりょう) 館古515

文久3(1862)年に第14代将軍徳川家茂が上洛した際の御供の役人等の旅宿先や経費に関わる資料。2点。

白川村地籍図(しらかわむらちせきず) 館古365

愛宕郡白川村の「現今地形一村限山林耕地全図」と「積揚帳」の2点からなる。全図は明治19(1886)年3月に作成されたもので、山林・耕地・宅地等、地類別に色分けされ、その一筆ごとの土地に地番と面積が記されている。積揚帳は全図と対応するもので、地番・持主・面積・丈量図が記され、字別に編集された帳簿である。

信義団真実会諸控(しんぎだんしんじつかいしょひかえ) 館古505

信義団の委員選出・活動状況等の記録。信義団とは西本願寺旧臣が復禄請願を主な目的として明治28年に組織したもの。1点。

神社関係図(じんじゃかんけいず) 館古057

北野天満宮、上賀茂神社、下鴨神社の境内の彩色絵図、5点。明治以降のものと思われるが年代未詳。作成目的、伝来等も不明である。

真町文書(しんちょうもんじょ) 館古420 館古423 

河原町通り四条東入ル真町(京都市下京区)の文書。甲・乙2群に分かれている。
甲群は2177点。宝暦8(1758)年~大正期。その内、町文書は2003点。文政5(1822)~大正14年までの「町日記」61点、天明6(1786)~明治4年「御触書」6点、明治4~14年「布令書」155点、安政6(1859)~慶応3(1867)年宗門人別改帳108点。また、「家屋敷買請一札」「死後譲状」「人別送り一札」「寺請状」など近世の町文書、出産届・死亡届など近代の各種届書、役場からの通達・廻章類、府会・区部会・郡部会等の会議録など各種多様な町文書がある。特に、町内の浜地(高瀬川沿の土地)の利用等に関する書類、元治元年の池田屋事件のきっかけとなった枡屋喜右衛門家屋敷改絵図・諸道具改帳など取調に関係する文書等、この町内独自の資料が含まれる。他に、真町文書を一時保管していた藤田(亀屋)七兵衛家の「金銀出入帳」「書状」等の家文書174点がある。
乙群は10点。宝暦13(1763)年、明和4(1767)年の「町日記」、明治14年の「府会議員選挙人名簿」、明治15年の府会・区部会・郡部会の会議録等がある。

人民告諭大意(じんみんこくゆたいい) 館古536

明治元年に京都府が時代の変化に人々が不安を抱かないように、新政府の方針などを示したもの。1点。