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古文書解題 「す」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(さ行)

2007年11月30日 更新

随心院記録(ずいしんいんきろく) 中寄古002

京都市山科区小野随心院に伝来した記録を中心とした文書。149点。
随心院は真言宗善通寺派の大本山。鎌倉時代、紀伊国井上本荘など多くの寺領を有して繁栄した。応仁の乱で兵火にかかって以後は荒廃していたが、慶長4(1599)年、再興した。昭和6年、善通寺派と称し、大本山となった。
院主は小野門跡とも呼ばれ、九条家など摂関家出身者が務めたため、近代に至るまで九条家との関係が深い。
文書の内容は、127点が江戸時代から明治初年までの記録である。「小野鑑」「御番所日次記」「御番所日記」「御里坊日記」等の表題を持ち、ほとんどが100紙を越える大冊である。寛文4~7、9年、寛延4~宝暦2年、宝暦3・4、7~14年、明和3、8、9年、安永2、4、6、8、10年、天明4~8年、寛政2、3、10年、享和4年、文化4、6、9~11、15年、文政2~6、8~13年、天保2~4、8~10、12、14年、嘉永3~7年、安政2~7年、万延元、2年、文久元~4年、元治元、2年、慶応2~4年、明治2~4、6年のものがあり、所々の間に断簡がある。ほかは大正年間の他寺事務所との往復書簡などである。
これらの文書は当館に寄託され公開しているが、原本保存のためマイクロフィルム(資料番号 中複製M004)を作成し、リーダープリンタで閲覧に供している。

随心院文書(ずいしんいんもんじょ) 中寄古001
隨心院文書(京博分)(ずいしんいんもんじょ) 中集古S299

京都市山科区小野随心院に伝来した文書。428点。
随心院は真言宗善通寺派の大本山。鎌倉時代、紀伊国井上本荘など多くの寺領を有して繁栄した。応仁の乱で兵火にかかって以後は荒廃していたが、慶長4(1599)年、再興した。昭和6年、善通寺派と称し、大本山となった。
院主は小野門跡とも呼ばれ、九条家など摂関家出身者が務めたため、近代に至るまで九条家との関係が深い。山城国弘誓院・宝幢院・讃岐国善通寺などを管領し、また東寺長者・東大寺東南院院主職をしばしば兼帯したので、随心院文書には固有の本来文書に加え、これら諸寺院に関わる文書が伝えられることとなった。
主なものには建武4(1337)年の光厳上皇院宣、応永20(1413)年の後小松上皇院宣、享徳3(1454)年の室町幕府禁制や、鎌倉時代前期の六波羅探題北条時頼・北条重時連署書状など、公武の政権からの文書がある。また九条経教・九条政基・九条尚経・一条経通・一条冬良など摂関家の御教書・書状も多い。紀伊国井上本荘絵図は、正慶2(1333)年九条家の寄進により随心院領となった同荘の絵図である。河川・井手・溜池・人家・社寺など豊富な記載内容と彩色で、地図としての精度も高く、中世後期荘園村落の様相が読みとれるものとして著名である。
これらの文書は当館が寄託を受け公開しているが、原本保存のため写真帳16冊(資料番号 中複製S005)を作成し、閲覧に供している。
随心院には、このほか天平勝宝8(756)年孝謙天皇勅書案并左京職勘施入所絵図案に始まる古代・中世文書38点があり、重要文化財に指定されている。これらは京都国立博物館に寄託されているが、これも写真帳1冊(資料番号 中集古S299)により公開している。

杉浦家文書(すぎうらけもんじょ) 館古547

呉服商「大黒屋」杉浦家に関する文書。寛政5(1793)~大正11年。7点。江戸店の火事後の処理・倹約等、商売のための覚2冊。旅日記(伊勢方面、大坂・兵庫・宮津方面)2冊ほか。

杉浦利貞文書(すぎうらとしさだもんじょ) 館古240

もと上京区長杉浦利貞のもとに残った文書、9点。杉浦利貞は京都の呉服商杉浦家(大黒屋)に生まれ、最初は歴代当主の三郎兵衛を襲名したが、のち利貞と改名。明治2(1869)年会計官通商司商社頭取並、同3年物産引立用掛となり、同8年9月上京総区長に任ぜられるとともに明治8年11月博覧会権頭取、同9年学区総取締を兼職。明治12年に郡区町村編成法による上京区長に就任。同22年4月に職を退く。文書9点のうち6点は辞令類で、3点は明治22年の上京区長退職に伴なう事務引継関係の書類である。

鈴木家文書・甲(すずきけもんじょ) 館古388

愛宕郡下鴨村(現左京区)に居住し、米穀商を営んでいた鈴木家に伝わった文書、2193点。鈴木家は御用米会所の取次をしており、個人や村などが会所にあてた借用証文が文政9(1826)年から幕末まで残っている。また、下鴨一社役人中にあてた借用証文が天保13(1842)年から見られるので、これの取次をしていたことも分かる。このほか、当主八左衛門にあてた「銀子預り証文」「収納米代銀先借証文」などの証文が幕末期に集中して残っている。明治に入ると、鈴木元徳が愛宕郡第3区々長・同郡第3組戸長・下鴨村々長などを歴任した。そのため地域の行政に関わる文書が同家に伝えられている。地域的には下鴨村のほか、西紫竹大門・蓮台野・東紫竹大門・千本廻り・西賀茂・松ヶ崎・鞍馬口・小山・上賀茂の10ヶ村に及んでいる。種類は、布令・予算決算書・諸名簿・職分総計・戸籍総計・諸税の上納書など、多様なものが含まれている。

須藤家文書(すどうけもんじょ) 館古217

天田郡上天津村の須藤家に伝えられた文書、11点。上天津村は明治22(1889)年に合併して下川口村(現福知山市)となる。安永3(1774)年「上天津村五人組帳」、文化8(1811)年「福知山藩分限取締定書」、天保13(1842)年「上天津村倹約書」、年未詳「諸国制法捌方」、同「上天津村書付控」、慶応4(1868)年「御祓諸神御札下り」、明治3年「福知山藩農民制法」のほか、「福知山町人在人友打喧嘩」など4冊がある。

炭本家文書(すみもとけもんじょ) 館古160 館古161

相楽郡口畑村(現加茂町)の庄屋炭本家に伝えられた文書、266点。当館へは二度に分かれて入ったため甲・乙2群に分けて運用している。甲群は天和2(1682)年から大正11(1922)年にいたる220点。銀・金子の借用証文が49通、田・畑・山林・薮などの売買証文が70通、その他の証文18通など証文類が多い。しかし、「瓶原村会書類綴」(明治31年)、「南山木材合資会社書類綴」(明治31年)、「相楽銀行・京都府農工銀行関係書類」(明治28年)、「瓶原村会関係書類綴」(大正8年)、「笠置水電株式会社営業案内」など、南山城全体の状況を伝えるものも多い。また、明治39(1906)年から大正11年にいたる「炭本家日記」17冊がある。乙群は総数46点で、すべて明治期のもの。内容は明治16年から同18年にかけての海住山寺再建に関するものが、ほとんどである。