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古文書解題 「つ」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(た行)

2011年3月4日 更新

塚田家文書(つかだけもんじょ) 館古039

桂宮家の近習であった塚田家に伝えられた文書、26点。大部分は日記類である。第1冊は、表紙に「享保九甲辰年 御日次 十月十九日より」とあって、同日より12月30日までの記事を含んでいる。内容から桂宮家表詰所の日記と判断される。第2冊目は表題に「宝暦六丙子歳春夏私記於別殿塚田主水(六代嫡孫)」とある。年頭の記事によって、塚田主水盛英は、当時24才で桂宮近習として別殿御手法方の職にあったことがわかる。したがって内容は桂にあった別御殿のものであるが、別御殿の公的な日記ではなく、塚田盛英が個人として書き留めたもの。第3冊目は宝暦8(1758)年のもので、表紙に「私記 経房」とあり、年頭の記事により塚田主水源経房は、当時26才であり別殿主法所の役にいたことがわかり、盛英が経房と改名したものと推定される。つぎに、天保3(1832)年から嘉永3(1850)年まで、途中多くの欠落があるが、塚田季慶の34才から52才までの日記9冊がある。その子塚田季篤の22才から27才にかけての日記が嘉永4年から安政3(1856)年にかけて4冊。塚田季泰の日記が、元治2(1865)年、明治2(1869)年、同8年の3冊がある。これら16冊の日記はまったく私的なものである。このほか「文久元辛酉 和宮様供奉日記 従十月二十日 塚田家」は、12月15日の江戸出立までの日記である。さらに「御縁組雑事覚」1冊は、若君の縁組の準備の様子を記したものであるが、時期は明らかでない。「御用向私記」と題する日記で、文政10(1827)年から同13年にかけての3冊を1冊に合綴したものがあるが、義苗と記されているところから塚田家に仕えた中村義苗の日記と判断される。

辻正俊氏旧蔵資料(つじまさとししきゅうぞうしりょう) 館古558

新清和門院、勧修寺経逸等が使用していた御輿などを描いた絵図。天保年間。4点。

土山家文書(つちやまけもんじょ) 館古478

天明5(1785)年に禁裏御所で開催された御能関係資料、土山家の由緒書他。14点。土山家は近衛府に勤める地下官人。

坪井家文書(つぼいけもんじょ) 館古404

蘭方医坪井為春(大木忠益 文政7(1824)~明治19(1886))に関する文書で、天保14(1843)年「家督祝帳」、弘化4(1847)年「日記」、嘉永7(1854)年「御屋敷勤書」、為春の略歴・年譜等12点、為春の写真3枚がある。他に、為春の子孫が収集したと思われる日露戦争に関わる絵はがき、京都帝国大学創立25周年記念絵はがき等、明治から大正にかけての絵はがき47枚がある。