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古文書解題 「う」から始まる文書

古文書解題 [総合資料館]

古文書一覧(あ行)

2011年3月4日 更新

上田家文書(うえだけもんじょ) 館古391

幕末に東紫竹大門村庄屋をつとめた上田家に伝来した文書、541点。同村は現在の北区大宮の西半分・紫竹のほぼ全域・紫野の東半分にあたる地域で、ほとんどが大徳寺領であり、明治22(1889)年の市町村制施行にあたり西賀茂村と合併して大宮村となった。大宮村字東紫竹大門の土地台帳(10冊)は明治25年写の奥書があり、小字宮ノ後(現在の紫野宮西・宮東町)から下柏野(同紫野下柏野町)に至る土地の、地目・面積・所有者・地価・地租が一筆ごとに書かれている。これに対応するものとして「東紫竹大門村改正反別縮図集」(8巻)は各小字を同じ順序で彩色絵図化している。第1巻巻頭には明治6年7月の地租改正条例(上諭・太政官布告)が写されている。同村庄屋文書としては他に、天保4(1833)年11月付京都代官小堀主税(正芳)黒印のある「免定」を始めとした禁裏領年貢に関するもの12通、以下「人別送状」「借家請状」など30通、明治2年「村庄屋心得条目」、同3年「村記録」、同4年「記録帳」、年不明「一ヶ村仕法」などがある。領内寺社に関するものには、明治8年「一筆限帳」16冊、同11年「宝物寄付物什物取調帳」39冊があり、当館所蔵の寺院・神社の「明細帳」を補完することができる。西賀茂村の文書は明治9年「実地丈量積揚帳」が32冊あり、下庄田(現在の西賀茂下庄田町)以下の小字の地番ごとの測量図が綴じられている。合併以後は大宮村(戸籍)役場文書となり、村内の戸籍・土地・租税・通信に関する書類が明治末年まで約60冊ある。領内に今宮神社があり、上野町が祭元となって鎮花祭(やすらい)が営まれるが、これに関する文書が天保13年「諸具御寄進帳」を始めとして25通ある。このほか大正年間の上田家当主の日記など、若干の私文書が含まれる。また、前述の縮図集(8巻)を含めて34点の絵図があり、うち「大宮村加茂台旧図」、明治9年「東紫竹大門村総絵図」は軸装。元禄16(1703)年「西賀茂村溜池相論絵図」は文書中最古のもので、成立の事情が裏面の文言で明らかになる。なおこの「溜池」は、「南北七拾五間、東西四拾五間」という規模などから、現在の尺八池と推定される。

上田艶家文書(うえだつやけもんじょ) 館古402 

的場通新町東入ル銭屋町に居住した上田家に伝わった文書、617点。ほとんどが明治期のもの。上田家は両替商、洋傘商を営んでおり、その商売に関するものや、冠婚葬祭に関するものなど、まとまりがある。商売に関する文書は両替商関係が中心。寛文6(1666)年から明治期に至る田地売渡や借用金などの証文類200点と、「店月給簿」「営業税及ビ其他届ケ覚帳」「商用・家財道具点数控帳」などの記録類13点がある。冠婚葬祭関係等家に関する文書は300。主なものは入営に関する「入営ニ付概要並御参考事項書」をはじめ上田家の家族の出産、死亡などに関する「祝儀到来物帳」「四柱推命星操運気撰書」「野帳」「死亡届」や葬式の参列者名刺などがある。このほか親類・知人などからの書状68点、日本画・和歌など36点も含まれている。

梅津村文書(うめづむらもんじょ) 館古261

葛野郡梅津村(現右京区)に伝わった文書、8点。天保5(1834)年の「田地譲り請ニ付替り一札」や嘉永6(1853)年の「往来人休足所支度ニ付願」のほか、村内の長福寺領に関する触書がある。

雲上分限帳(うんじょうぶげんちょう) 館古472

元禄8(1695)年の禁裏・公家・地下官人等の所領について家別に領地石高・村名が記されたもの。太政官の下級官吏であった虫鹿家の本を地下官人の渡辺供資が寛政7年に写したもの。1点。

運送問屋仲ヶ間名前帳(うんそうといやなかまなまえちょう) 館古570

高瀬川運送を中心とした運送問屋仲ヶ間の定書と名前帳である。文化9(1812)年から万延元(1860)年まで約50年間について訂正・追記されている。1点。