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離湖 はなれこ
概要図

+ 基礎データ +

項目の解説.....
分類 海岸地形
細分 潟湖
地域 竹野郡網野町字小浜・字島津



+ カテゴリー +

(各カテゴリーをクリックすると解説を表示します)
京都府カテゴリー 要注意


+ 詳細 +

項目の解説.....
選定理由 教育上、地形研究上注目すべき地形。地域において生活と密着した存在であるものやランドマークとして親しまれている地形。
概要 網野町市街地東方にある府下最大の淡水湖。かつては日本海とつながっていた湾入の一部と考えられる。八丁浜の砂州の発達及び砂丘の成長により、日本海とは隔絶され潟湖になったものと考えられる。面積は388.7平方メートル、最大水深は7mで待谷川と大谷川が流入する。排水が悪く、古くから水位の上昇で周囲の田畑に浸水を繰り返された。延宝2(1674)年、3年がかりの難工事を経て、万畳山南部を海に通じる暗渠が開削され、樋越川と名付けられている。しかし、漂砂により、海への出口が閉ざされることも多く、昭和27(1952)年、新たに離湖の西端から海へ通じる水路(新樋越川)が開削され、水位が上昇していた時期には離湖中に離れ島となっていた離山も水位の安定的低下により、陸続きとなった。この工事の際に縄文時代早期の遺物が発見された。西岸には古墳群が位置している。今後も干拓や埋め立てによる地形改変の可能性がある。現在、湖水は網野町の貴重な上水道源となっている。西部の福田川の河口付近には、八丁浜の砂州により閉塞された浅茂川湖が存在していた。これは江戸末期より干拓が進められ、昭和40年代の土地改良事業により消滅した。


執筆者:山脇 正資
写真
2.5万分の1 網野
写真
網野町小浜付近の離湖
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