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京都職人仕事百科 第29回

船頭(保津川下り) 談・豊田 知八

四百年続く“形(かた)”を受け継ぐ

豊田 知八さん

 保津川下りというと観光のイメージがあって、京都の人は乗ってはらへんのでは? 僕も船頭になるまで乗ったことがなかった(笑)。「川下り」いうから、急流を行くラフティングやカヌーのように船は勝手に下ると思ってたんです。ところが違った、甘かった。亀岡から嵐山までの約一時間半、ずうっと棹(さお)をさし続け、櫂(かい)をひき、舵(かじ)をとり、船頭三名の人力で川を下ります。僕は体力には自信があるほうですが、それでも慣れるまでは途中でえづくほどつらい。

 保津川は江戸初期、水運のために開削された川です。途中には岩や石堤が築かれ、所々に船を流す胴木(どうぎ)が沈めてあり、棹をさすポイントも決まっている。四百年前から、この川だけに伝わる「下船(げせん)(川下り)術」を船頭は身体で覚え込むのです。新人には二人の師匠がつき、二年間鍛える。船頭の教育システムも、昔から伝わるそのままです。まあ一回乗ってみてください。

川根性(かわこんじょう)を鍛える

 嵐山に着いたら、船だけトラックに積んで、船頭はJRで亀岡に戻ります。初めのうちはヘマばかりで、帰りの電車の中でも「あそこの棹がおかしかった」と指摘を受ける。僕らの頃は師匠が家に呼んでくれて、晩飯食べながらオチョコを岩に、箸を棹に見立てて、毎晩教えられました。川は優しくありません。増水すると、穏やかな晴れの日でも、ものすごいうねりが牙をむく。命を預かる仕事上、自分の頭で考えろ、なんて言うてられへんから、事細かに教える伝統があるのでしょう。

豊田 知八さん

 以前は農業との兼業船頭が多かったですが、今の若い世代は大半が専業です。僕ら、川で生きてるんです。四百年続いてきたいうことは、いろんなものがふるいにかけられた結果ですから、それは技術的な形(かた)だけでなく、精神の形でもあると思う。それを先輩から受け継いで後世にバトンを渡す、僕らはバトンランナーです。

下船(川下り)術

豊田 知八(とよた・ともや)

 昭和41年京都市生まれ。立命館大学文学部卒。日刊業界紙記者から28歳で転職し、船頭歴15年目。10歳下の弟も大学新卒で船頭に。保津川遊船企業組合第三支部長。「NPO法人プロジェクト保津川」副代表理事。亀岡市在住。

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