京都職人仕事百科 第42回
カヌー製造 談・藤田 清(79歳)
日本のカヌーの原点は京都にあった

昭和11年、京大ボート部のコーチであった高木公三郎(きみさぶろう)博士はベルリンオリンピックに役員派遣され、日本でまだ誰もやっていなかったカヌー競技を視察しました。滞在中ベルリン郊外の湖で出会ったのが、おばあさんが孫と一緒にカヌーに乗り、魔法瓶とサンドイッチを持って水辺遊びをしている光景。当時、日本ではスポーツは競技であり、遊びになるとは考えられていなかったのです。
「われわれ日本人は遊ぶことが下手。カヌー遊びを普及させて日本に遊ぶ習慣を」と敗戦直後から高木先生はカヌーを自作し、川遊びを始めます。そのころ、モーターボートで遊んでいた私は先生のカヌーに出会い、「フネの造りがお粗末や」と言ってしまった。その一言がきっかけで、10年以上をかけて先生を納得させるカヌーを完成させました。その時期、大企業から先生にカヌー量産化の申し入れがあり、私が開発に加わることに。結局、企業での量産化は実現せず、自分で会社をつくった。オイルショック後のことです。笠置に土地を提供してくれたのは、戦後ずっとカヌー遊びを見守ってくれていた元笠置町長さん。「笠置でやれ。その代わり世界中どこへ出しても恥ずかしゅうないものを作れよ」と。おかげで今があるのです。
日本初のカヌー製造所

カヌーの注文生産を始めて35年。日本にもやっとアウトドアの遊びが普及し、有名なカヌーイスト野田知佑(ともすけ)氏が最初に乗ったのもフジタカヌー。今ではスクールから巣立った愛好者たちが全国各地でカヌー遊びを広めてくれています。
私のカヌー作りは、日本の気候と風土に合ったカヌーを、という高木先生の教えが原点です。思えば少年時代から、遊ぶためのものづくりにはとことんこだわった。日本のカヌーの祖・高木先生が私を認めてくれはったのは、遊びを追求する資質だったのかもしれません。
- なぜ、この道に
家業の化粧品屋を継ぐはずが、ヨットやモーターボートの遊びが縁で師と出会い、遊びが高じてカヌー開発のため大手企業を遍歴。 - ものづくりの資質は?
若いころからジープのエンジンでモーターボートを作ったり、飛行機の発電用エンジンでバイクを作ったりしていた。 - カヌーの魅力とは
小さなカヌーは身につけて遊ぶスポーツ用具のよう。思い通りに動かせると、その先に楽しさが無限に広がる。 - 現在、社員は?
社長である息子を筆頭に社員6名。設計、製造から修理メンテナンス、スクール運営までこなします。

ふじた・きよし
昭和5年京都市生まれ。府立一中から新制高校一期卒。大手企業5社でカヌー開発を研究後、昭和50年笠置にフジタカヌー研究所(現・有限会社フジタカヌー)創業。手掛けたカヌーは5万艇以上、日本カヌー界の生き字引といわれる。
