京都職人仕事百科 第49回
有職(ゆうそく)造花師 談・村岡 登志一(82歳)
秘められた伝統、和造花を継ぐ

独特のコテ当て作業
ひな人形を作る人形師は頭師(かしらし)、髪付師(かみつけし)、手足師(てあしし)、着付師、道具部門では小道具師、ひな屏風(びょうぶ)師、ぼんぼり師、そして造花師と、これだけ多くの職人が関わるのが京人形の世界です。
造花師の仕事は現在ではひな人形や五月人形が中心ですが、私の家はもと御所出入りの職人として、宮中の儀式花や飾り花の技法を伝えてきました。ですから、おひなさんに飾る桜橘も昔ながらの技で、ともかく何から何まで全部手作り。1年をかけての製作ですが、それでも12月から2月までは夜なべ仕事が続いたものです。
有職造花の技法による桜橘は、御所の左近の桜・右近の橘をモデルにするのが基本です。材料は白絹地、和紙、絹糸、針金、自然木。絹をそれぞれの色に染め分け、和紙で裏打ちして裁つ。それにコテを当てて、花びらや葉の一枚一枚に立体感をつける。夏から秋までは気が遠くなるような下ごしらえばかり。今どきこんなに手間をかけんでも、と言われそうですが、でも花や葉の一枚一枚にコテで熱を当てると、一つ一つが皆違う表情を持って、それが全体として気品ある姿を作るのです。
和の造り花という文化

日本では平安朝の頃から造り花、つまりアートフラワーがあったわけです。雲上流(うんじょうりゅう)という有職の技法を継いで私で13代。蛤御門(はまぐりごもん)の変で古い記録を焼失したのが悔やまれますが、洋の造花に比べると、和の造り花は図案化され抽象的なのが特徴。そこには日本人独特の美学や自然観があるように思います。
見掛けはきれいで繊細な手仕事ですが、包丁、コテ、枝巻きと実は相当な力仕事。有職造花を継ぐ者は、京都では私以外にもうおりません。職人は仕事を続けている限り、日々先に進んでいます。年とって仕事が落ちたとは言われたくないので、今は数を減らして一生懸命作ってます。そやから今が一番ええ出来なんと違うかな。
- なぜ、この道に?
たとえ息子でも性に合わんと職人はできない。なので親父は言わなかったが、戦後に注文が戻りだした頃、自分で決心した。 - 有職造花にはどんなものが?
端午の節句の前飾り、宮中伝来の五節句の飾り、くす玉、飾り羽子板、ほか別注品の製作。以前は社寺でも儀式花を用いました。 - 先代の教えは
手間を抜くことが一番怒られることでした。「職人が金のことを考えたらあかん」と言われたのも、金銭を考えると手間を惜しむことになるから。 - 後継者は?
いません。時代が変わり、私の代で終わるのも自然の流れかと。私は元気な限り続けたい。

むらおか・としかず
昭和4年京都市生まれ。昭和27年、父を師に有職雲上流造花師13世としてこの道へ。以来まもなく60年。雲上流を継いだ父の弟子、実弟は故人となり、唯一有職雲上流造花師の技を継承する。平成10年労働大臣表彰「現代の名工」。
