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雲が形を変えながら流れていくのを眺めるだけの心の余裕を持ちたいものです。同じ場所で見る風景、定点観測的な鴨川での風景を眺めてみましょう。
ある日の夕刻見上げた空に飛行機雲です。これまで認識してきた飛行機雲は“スー”と引かれた白い線が時間の経過とともに薄くなり、そして消えていくという光景ですが、この日のそれは少し様子が違っていました。
<一直線に引かれた飛行機雲>
時間の経過とともに大きく広がり波の帯のようになっていました。居合わせたご婦人も「雲がきれいですね」とおっしゃっていました。
<帯状に広がっていきます>
<夕日からのろしが上がっているようにも見えます>
また別の日の夕刻、鴨川のベンチで眺める空に時間の経過を感じます。今度は太陽が描くスカイキャンバスです。“明るい空”から“暗い空”へ「陰陽」を連想させる数十分の時間は大きな変化を見せます。
<時間の経過とともに空の色は変化していきます>
<トビも“糺の森”へ帰る時間です>
薄い紅色を帯びた空は時間とともにその色合いを濃く赤い夕焼け空へと変化していきます。
真っ白にかすんでいた山際の空にも赤い光が照射されると、見えていなかった“白の濃淡”を“赤の濃淡”が浮き出させます。
<オレンジ色の夕焼けが紅く変化しました>
このような雲の変化は1日のうちに見せる変化ですが、1年の変化は四季の変化です。春の桜のピンクに始まり、新緑に色とりどりの花の咲く初夏、緑濃き夏、山々の紅葉をバックに鴨川も色づく秋、そして枯葉散り時に白く薄化粧する冬と変化していきます。このサイクルがはるか昔から繰り返されていきます。
<四季のうつろい>
春の桜と鴨川
新緑に萌える鴨川の初夏
夏の空と鴨川
真っ赤に染まる秋の鴨川
山の紅葉と高野川の紅葉
真っ白な雪に包まれた高野川
もっと長いスパンでの定点観測を見てみましょう。京都府では20年余り前まで、鴨川の川底を毎年ならしたり、中州などの堆積した土砂を除去していました。その後、環境や生態系への配慮といった観点から、一定の区間を除いて自然にできた“中州”や“寄州”をそのままにしてきました。
「中州」「寄州」の取り扱いには「残す」「取り除く」の両論がありますが、長年放置すると陸地化が進み、洪水を安全に流す上で支障となります。
このため京都府では中州管理として概ね10年のサイクルで全区間に手を入れることとし、21年度から試行的に堆積の多い区間を毎年選定して一部分は残のこしながら面的に8割程度の中州を除去しています。
二条大橋よりも下流は河川断面にあまり余裕が無いため、過度の堆積が確認されれば全面的に除去します。10年間で二条大橋よりも上流部分の様子を定期的に観測してチェックしながら10年間で全ての区間で実施します。
21年度に除去した区間について、まる3年経過した様子を見てみましょう。
撮影した日以前の天候などにより流水量が異なるため、実際の堆積量と印象が違うところもありますが、3年間での様子の変化が伺えます。
<賀茂大橋上流 高野川 河合橋を望む 2010年実施>
飛び石の下流の中州と高野川右岸のデルタ沿いに寄州が発達してきています。
2009年12月16日 ↑ 2010年6月17日 浚渫実施後 ↑
2011年3月16日 ↑ 2013年5月13日 ↑
<賀茂大橋上流 鴨川 出町橋を望む 2010年実施>
3年が経過してゴロ石の堆積が進んでいます。
2009年12月16日 ↑ 2010年6月17日 浚渫実施後 ↑
川底の堆積土が洗われて、「河原」という言葉から連想する「ゴロゴロ石」の河原が現れている区間も見られます。
2011年3月16日↑ 2013年5月13日 ↑
<鴨川 御薗橋下流 2010年浚渫>
中州の形状そのものはあまり変化はありません。
2009年12月16日 ↑ 2010年6月17日 浚渫実施後 ↑
2011年3月16日 ↑ 2013年5月13日 ↑
早くも堆積が進んでいる区間や、流れが速くなったことによる影響なのか、除去した時に残した中州が流れに削られて小さくなっているようにも見える区間があります。
<高野川馬橋下流 2010年浚渫>
2009年12月16日 ↑ 2010年6月17日 浚渫実施後 ↑
2011年3月16日 ↑ 2013年5月13日 ↑
さて、この後どんな変化を見せてくれるのでしょうか。私の定点観測は「高野橋」付近に住んでいた「錦鯉」たちです。鴨川新発見記第○○号 高野橋付近に住むのは で紹介した鯉たちです。
彼らはどうしているのかと思っていたところ、元気な姿を見せてくれました。工事中はどこかへ避難していたようで、「状況に応じて“キッチリ”自分の居場所を確保するものだ」と再確認することが出来ました。
<草の向こうにオレンジの鯉の姿が見えます>
<紅白の鯉も元気そうです>
<金色の鯉の姿も見えます もちろん黒い真鯉も>
しかしながら、究極の定点観測は毎日眺める鏡の中のあなた自身ではないでしょうか。
平成25年6月3日 (京都土木事務所Y)
梅雨入り前のまだ爽やかな初夏・新緑の鴨川を楽しむ人々の様子を御紹介したいと思います。
川面を見つめながら語り合う二人。という感じのお二人をよく目にします。
男女の性別に関わらず、二人の語らいです。「将来の夢」「恋の悩み」「人生相談」「昔の思い出」「孫のこと」などなど、鴨川はいろんな語らいを聞いてきたのでしょう。(どこかで聞いたフレーズですが・・・)
<“川の流れ”を眺めながら>
<川ではなくて“鴨川ギャラリー”を眺めながら>
そんな二人の後ろ姿を眺めさせていただきながら、どんな話をされているのだろう?と想像しながらコチラも二人で語り合い。
<将来はどんな仕事をしようかな>
若者からお年寄りまで、あらゆる世代の二人の語らいをあなたも想像してみてください。
<も~ 何言ってんの>
<どんなお話をしているのかな?>
<コチラにもお二人の語らいが>
<愛犬と散歩の途中>
<シャボン玉で遊ぶ女子大生>
<石コロが崩れるだけで笑う年頃?>
<ゆったりした時間が流れます>
<鴨川に流れる風は気持ちいいですね>
<恋を語るにはかっこうの場所>
また、綺麗に刈り取られた新緑の草の上では、心も弾むのでしょうか、ジャンプの瞬間の一瞬を記念写真に収める人も見かけます。
<ジャンプ! 揃わない>
<再ジャンプ! 今度はバッチリ揃いました>
<今度は鉄棒で久しぶりの回転>
飛び石付近では記念撮影する人も多く、通りかかった人にシャッターをお願いする人や飛び石を飛んでいる瞬間を狙う人もいます。
<飛び石でジャンプ>
<修学旅行生も思わずパチリ>
<飛び石で“愛犬”撮影 高水敷には空手の子供達>
<1 おじさん シャッター押してもらえますか?>
<2 はいポーズ バンザーイ>
<3 有難う御座いました>
と、楽しそうです。ところで、鴨川の初夏といえば、鴨川夏の風物詩「納涼床」の風景が見えはじめる季節です。お昼の鴨川を眺めながらのお食事もいいですが、夜の灯りを映し出す鴨川を眺めながらの一杯も格別です。
<三条大橋付近は待ち合わせの方が集合しています>
床の灯りのおこぼれを頂きながら、今春整備されたばかりの芝生の上で、気心しれた者同士過ごすのもいいものです。
そんな夕暮れ前の鴨川で、段ボール紙に「わらしべ長者」の文字を書いて、“ヒッチハイク”のような若者が近づいてきました。
<“ぶつぶつ”交換してください>
「“わらしべ長者”実施中です。何か同等品以上のものと交換してください。」
と声を掛けられました。聞けば、昔話の「わらしべ長者」よろしく、本当の麦わらから始めているようです。
<芝生が施され“更に”座りやすくなりました>
少々アルコールも手伝って“ノリ”のイイ人もいるようで、結構な確率で取引に応じてもらえているようです。私も交換に応じ、最終的な結果を聞いてみると。
<辺りは暗くなり「菊水ビル」「南座」の灯りが水面に揺れます>
<約30分後ボールペン2本がシャンプー&リンスに>
わら→ 絆創膏→ ライター→ ルービックキューブ →ボールペン→ サングラス→ ボールペン2本→ シャンプー&リンス →ドラえもんの手鏡 →MacBookの手鏡
ということで、「わら」が手鏡に変化したそうです。
昔話では、「わら」が長者へと導いてくれたようですが、現代ではそうは簡単にはいかないようです。
【彼等の自己PR】
株式会社Guild Japanという学生だけで運営している会社です。
学生に社会経験を積める環境を提供し、社会でも通用する基準を作ることを理念においています。
ゼロから1を作る泥臭い作業をし、初心を思い出すため靴磨き、わらしべ長者を行っておりました。
人間の取引の原点ともいえる「物々交換」。「いにしえ」の納涼床の季節にもこんな光景がみられたのでしょうか。
梅雨本番を前にしばしの爽やかさを感じ取りながら、楽しく鴨川をご利用ください。
平成25年6月5日 (京都土木事務所Y)
鴨川にまつわるお話の中でも少々格式の高いお話です。京都三大祭りといえば「葵祭」「祇園祭」「時代祭」ですが、その先陣を切って開催されるのが「葵祭」です。「双葉葵」と「桂の葉」をあしらった装束で新緑の京都を進みます。
京都御所を出発した行列は、三度鴨川を渡って「下鴨神社」「上賀茂神社」へと向かいます。最初に渡る橋は「出町橋」です。
この橋の下には「鴨川ギャラリー」として鴨川にまつわる展示物を設置しています。葵祭にまつわる豆知識を御紹介させていただいていますので、お近くにお立ち寄りの際には是非御覧いただきたいと思います。
<藤の花で飾られた牛車「御所車」がやってきました>
<見物人の日傘の中に一際大きな「傘」が・・・これも行列の一部です>
<葵祭の本列の結びとなる黄色い「風流傘」が渡ります>
「鴨川ギャラリー」の上を本物の葵祭の行列が渡って行きます。この光景を撮影したくて首を長くして待っていました。見物に来られた何人の方が”こちら”の展示物に気づかれたのかは解りませんが、ただの行列というだけでなく「葵祭」に関することを少しでも理解していただけたらと思います。
<ギャラリーを眺める人もおられます>
その一部を紹介させていただきたいと思います。、現在の「葵祭」の主役とされている「斎王代」のお話です。平安時代の「葵祭」には「斎王」と呼ばれる皇室の未婚女性が行列に加わっておられましたが、鎌倉時代に「斎王」の制度が廃止されたためその後はその姿は見られませんでした。
<女人列の「斎王代」が登場されました>
そして戦後の昭和35年、行列に華を添えようと「斎王」の代理である「斎王代」を毎年一般女性から選び「本列」の後ろに「女人列」として女性ばかりの行列を加えました。
葵祭を研究する方は、「主役は“神様”であることは間違いないが人間の側では「斎王代」ではなく天皇の使者である「勅使」である」とおっしゃいます。
ギャラリーとは別に「出町橋」にまつわる“豆知識”とでも申しましょうか、橋の移り変わりを御紹介しましょう。
「出町橋」は昭和初期には「葵橋」と呼ばれていました。「葵祭」の行列はまさしく「あおいの橋」を渡って「下鴨神社」へと入っていたのです。
<自転車を止めてギャラリーを見つめる人もおられます>
現在「葵橋」の名称は一本上流に架かる橋に譲り、現在の賀茂大橋の前の名称「出町橋」を引き継いでいます。
「出町橋」が「葵橋」を名乗っていた名残が京都市交通局の市バス停留所名に見て取れます。
「下鴨本通」と「河原町通」を繋いでいる「葵橋」の東西にバス停が設置されていますが、西は「葵橋西詰」東は「新葵橋」とあります。
<「葵橋西詰」バス停>
<「新葵橋」バス停>
現在の「市バス」が運行される前に京都市内を巡っていた「市電」の路線図からそのいきさつが見えてきます。
市電は「葵橋」と呼ばれていた現在の出町橋を渡って「下鴨本通」へと進んでいて、この橋の東西に「葵橋西詰」「葵橋東詰」次いで「糺の森」「下鴨神社前」となっています。
現在の「葵橋」は昭和35年に架けられた橋で、「葵橋西詰」の停留所はそのまま残し、「葵橋東詰」から移動した新しい停留所は「新葵橋」として新たに設置されたようです。
下鴨神社で行われる「神事」を終えると、お昼休みを経て「行列」は上賀茂神社へと向かいます。「下鴨本通」を北大路まで北上して「北大路通」を西へと進み鴨川に架かる「北大路橋」を渡ります。
<行列が「北大路橋」を渡るタイミングを見計らっての信号操作>
<これで加茂街道は行列のみ通行出来ます>
昭和8年に架けられた「北大路橋」は昭和10年の大水害にも耐えて、平成○○年に一部手が加えられました。この橋の特徴は「眺望バルコニー」と呼ばれる見晴らしスペースが橋の中央部南北に造られ、鴨川の「山紫水明」の眺望を楽しむことができます。丸太町橋にも同じスペースが設置されています。
<先導する平安騎馬隊が到着しました テレビカメラ目線で>
平安時代の高級な交通手段であった「牛車」と現代の公共交通機関である「バス」が北大路橋上ですれ違います。1200年の時を経て時代がすれ違っているようにも見えます。
<市バスとすれ違う「御所車」 北大路橋中央の“でっぱり”が眺望バルコニー>
鳴り物もなくただおごそかに進む「行列」ですが、普段車と接する事の少ない馬たちの「いななき」が行列の接近を知らせてくれます。
<「競べ馬」を競った 「左方」「右方」の馬と騎手が行列の先導>
ここで一言捕捉しますと、鴨川に架かる橋は道路管理者である「京都市」と「国」が管轄されております。河川管理者である京都府は河川空間をお貸ししている(河川法に基づき河川占用橋の設置を許可する)立場にあります。
<新緑の陰から「行列」を覗きます>
<加茂街道へと行列はカーブを切ります>
北大路橋を渡った「行列」は「加茂街道」を北上し鴨川を眺めながら御薗橋へと進みます。鴨川の新緑に包まれた加茂街道を華やかな色遣いの衣装が見え隠れする様は「タイムスリップ」した様な錯覚を覚えます。
<葵祭の主役「勅使」と専用の「馬面」を付けた白馬>
<加茂街道は新緑のトンネルで行列にしばしの「涼」を与えてくれます>
<鴨川で憩う人々も「葵祭」の行列を見上げます>
鴨川で憩う皆さんもしばし行列に目をやっておられました。
そしていよいよ三つ目の橋「御薗橋」です。最終目的地である「上賀茂神社」の参道の一部を構成する「御薗橋」を渡るころには、初夏ながら真夏を思わせる晴天の中を歩いて来た行列もお疲れ気味です。双葉葵もしおれ気味です。
<御薗橋を渡る行列 あと一息です>
<女人列の「命婦」が華やかな傘をかざして到着です「斎王代」がこの後に続きます>
<「十二一重」の重い着物を着ての行列参加は暑さ「ひとしお」でしょう>
<上賀茂神社はもう目の前です お疲れ様でした>
「斎王代」が御薗橋を渡ると”あちら””こちら”で「やっぱり斎王代が主役だね」との言葉が聞こえてきます。話題性では「勅使」よりも「斎王代」が一枚上のようです。
平成25年5月20日 (京都土木事務所Y)
ゴールデンウイーク後半を控えた5月2日は、お日様が出ているのに雨が降ったり止んだり、風もあって少し肌寒い気温でした。そんな中、仕事帰りに高野川の高野橋まで来ると、比叡山方面から南に向けて大きな「虹」が架かっています。光の加減で見えていなかった南の端までハッキリ見えて、思わず写真に撮ってしまいました。
<比叡山の麓から虹の橋が浮かび上がります>
<上空をまたいで>
<大きな虹の架け橋となりました>
そばに居合わせた御婦人も、「凄く大きくて綺麗な虹ですね」と同様に写真を撮影されていました。
今回は、そんなカメラを向ける人も含めて、ゴールデンウイークの鴨川で見た光景を御紹介したいと思います。
ゴールデンウイーク後半は、前日の肌寒さも無くその名のとおり太陽輝く連休となりました。足は鴨川へと向かいます。
はじめにカメラを向けておられるのは、セイヨウカラシナの花です。寄州の中に降りてアップで撮影されています。
<花に吸い寄せられるように>
川に向けて大きなカメラを向けて何かを待っておられる方もあります。ここにも「セイヨウカラシナ」の花が咲いています。
<天体望遠鏡のようなカメラでした>
黄色い花を細長い実に変えていきます。この実に包まれた種を絞ると菜種油となりますが、この実をエサにしている野鳥もいるようです。
しばらく眺めていると、「カワラヒワ」がやってきて、盛んにこの実を頬張ります。揺れる茎に掴まりながら次々と「ぱくついて」いきます。
<首を伸ばしてかぶりつきの「カワラヒワ」>
「カワラヒワ」の体は緑色で少し黄色い部分が混ざっています。まるで「セイヨウカラシナ」の実を食べるための「保護色」のようにも見えます。
<動きがないと見落としてしまいます>
今度は女性がカメラを構えます。その先には飛び石があります。ご家族の様子を撮影されているようです。どこの飛び石も記念撮影スポットとなっています。
<レンズのその向こうには>
<お子さんの手を引くお父さんでしょうか>
和歌山県の白浜では5月3日に「海開き」も行われ、水温む季節となりました。各区域に配置されている飛び石の周辺でも、水遊びに興じる子供達の声が響いています。
<靴を脱いで水に足を浸ける人も少なくありません>
<とても気持ち良さそうです>
<「水でっぽう」も楽しいでしょう>
二条大橋の下では、鴨川ギャラリーを写真に収める人もおられます。このギャラリーは、「日陰の少ない区域で日をよけて少し休憩するスポットを橋の下」にとの声も受けての整備です。
<二条大橋下の洛中洛外図>
その季節を迎えたようで、腰をおろして少し休憩をされている方を目にすると、「その姿が見たかった」とつぶやいてしまいます。
<日陰で腰を下ろしてひとやすみ>
<大きなプードルもひとやすみ>
「三条大橋」や「四条大橋」の上からは、多くの観光客が鴨川を撮影されています。綺麗に再整備された右岸の高水敷や、「鴨川夏の風物詩 納涼床」を写真に収めておられます。
<思わずカメラを構えさせる風景です>
<出来るだけ低い位置からでしょうか>
橋を渡りながらの親子連れの会話では、
子供:「ここで遊んで行きたい!」
保護者:「えっ、川で遊びたいんかいな」
と子供には、公園として整備された「御池大橋~四条大橋」の右岸の姿は、“その空間で遊びたい”と思わせる魅力を放っているようです。
<三条大橋上流右岸>
<三条大橋から四条大橋を望む>
<四条大橋から三条大橋を望む>
<四条大橋上流右岸の水制工でも親子連れが>
中洲の草陰に見え隠れしているのは、カモの親子です。先日の夕刻に出会った光景はサラリーマン風の男性がマガモの親子の間近でカメラを構える様子です。革靴で寄州に降り、傍でしゃがんでの撮影でした。
<保護色で見づらいですがヒナがいます>
<少し離れて「オス」は父親でしょうか>
昼間は草陰に見え隠れですが、夕刻は広い所へ出てくるのでしょうか。それにしても人が近づいても親は平気のようです。通りかかっただけで攻撃してくるカラスとは大違です。
川の中で石が光っていると思って、良く見てみるとカメの甲羅でした。カメの甲羅干しです。何の意味があるのかとネットで調べてみると、「体温調節」「寄生虫などの除去」「皮膚病の予防」「甲羅病気防止」「藻類が生じないように」「栄養素の吸収」といろいろな意味があるようです。ただの「ひなたぼっこ」とは違って「生きる」ためなのですね。
<日差しを反射する甲羅はぴかぴかです>
人間も「日光」を浴びることは大切ですが、食事(栄養補給)の時は日をよけたいもので、タープテントのように影をつくる「トベラ」の下でお食事を楽しんでおられました。ここなら「トンビ」に食べ物を狙われない「安全地帯」です。
<自然のビーチパラソルといったところでしょうか>
低木もこんな利用法があるのですね。
平成25年5月8日(京都土木事務所Y)
この春に竣工した鴨川の高水敷整備工事(三条~四条間)に際して、工事用の仮囲いに展示しました絵画の一部を提供いただいた「鴨川スケッチ教室」を再度訪問しました。(鴨川真発見記第61号 参照)
縁あって、昨年の秋に開催された「同教室」に参加された方々に御協力いただきました。
A1サイズに写真を引き伸ばして展示させていただきましたが、春の竣工式の際にも、同絵画をA3サイズでラミネート加工し、裏面に感謝の意を表す言葉を印刷して展示させていただきました。
その展示した現物を今回も参加されている方にお渡ししてお礼を伝えに伺いました。
<丸山代表から感謝の意の読み上げ>
<ご自分の絵をともに記念撮影>
<にこやかにお受け取りいただきました>
<愛犬も一緒に記念撮影>
<昨年の秋と同じ場所からのスケッチ 手元の絵には秋の彩りが>
<同じ場所の春と秋 定点観測みたいでいいですね>
春のスケッチ教室は、ゴールデンウイークをはさんで合計7回予定されています。また別の日にも参加者の皆さんの絵を見せてもらいにお邪魔してみました。
<薄く色を付けてから濃い輪郭を入れていくのもいいですよ>
<ご家族で参加のみなさん。少し手を休めてランチタイム>
<美味しいね>
春の日差しの中で、いろんな色彩がスケッチブックを染めていきます。前号では春の彩りを写真で紹介しましたが、今回は感性豊かに描かれた鴨川の様子も併せて御紹介します。
思い思いの場所で、折りたたみイスに腰掛けて新緑の鴨川が写し取られてゆきます。主催者の「ロケット探偵団」の「丸山さん」「吉井さん」ご夫婦がスケッチしている方お一人お一人の所へ周りながら、描いている人の目線に合わせながら丁寧なアドバイスをされます。
<新緑の土手に腰掛けて描く風景は>
<高野川をバックに芽吹いた葉と「アカツメクサ」>
<青い空に一輪残った「ヤエザクラ」が綺麗です>
<一枚一枚着色された紙片で貼り絵です。「裸の大将」画伯みたいですね>
<木の幹から力強い新緑が出ています 生命を感じますね>
<親子で並んでスケッチです>
そして最後はいつものとおり、お一人お一人の絵の見どころを丁寧に解説しながらお披露目です。
<鴨川を描きました イイですね>
<いろんな色遣いで楽しいですね>
<こういう所の色の入れ方がいいですね>
<出町橋 この橋の下に鴨川ギャラリーがあります>
青空と新緑に下で、それぞれの絵の個性を解説されると、聞いているだけで楽しくなってきます。
<新緑と透き通る青い空>
<新緑の“なびいた”感じを手で表現しながらの解説です>
参加者には、「ロケット探偵団」手作りの「クッキー」が配られました。名付けて「カモクッキー」。マガモの緑の頭が抹茶で表現されています。さすがは芸術家、クッキーの型も手作りだそうです。美味しいクッキーをいただきながら、「目」も「舌」も楽しませていただきました。
平成25年4月24日(京都土木事務所Y)
<「カモクッキー」上品なお味でした>
鴨川に興味を寄せて「鴨川真発見記」を開始して2順目の春を迎えました。少し鴨川の植物に関する目線も変わったようで、昨年はあまり気にとめなかった彩り豊かな草花に目がとまります。
秋の紅葉が散り、全体的にグレーや茶色の鴨川が桜色に染まり、桜が散った後は鴨川全体が新緑につつまれました。春の鮮やかな色合いに期待を持って見ているせいなのでしょうか、いろんな色を見つけては写真に収めてしまいます。
<鴨川も緑に包まれました>
そんなわけで、今回は鴨川の春の彩りを詰め合わせて御紹介したいと思います。
「野草」はおろか「街路樹」の名前さえ「ままならない」素人ですので、今回も京都府立植物園のNさんに“助け船”をお願いしました。
最初に御紹介しますのは、鴨川の脇を彩った「サクラ」に対して、川の中“中州”や“寄州”で背を伸ばして存在感を見せているのは「菜の花」です。ここは菜の花畑?と思うほどに川の中を黄色に染めています。正確には「セイヨウカラシナ」という種類で食用に輸入されたものが野化したそうです。
<小さな花を川面に揺らして 菜の花>
<中洲を埋め尽くす勢いの 菜の花>
「ソメイヨシノ」の散った後には、「イモカタバミ」がサクラに負けない濃いピンクで花を開いています。この野草は、昨年に名前を教えてもらい、通りかかる度に見ていました。長い期間花が咲くと思っていましたところ、早朝に通りかかると“花を閉じて”いて、昼間に見ると元気に“花開いて”いました。「アサガオ」みたいな感じでしょうか。
<中心の濃いピンクが際だつ イモカタバミ>
<夜間はこんな感じで花を閉じています>
<黄色い花の「カタバミ」 日本古来種のカタバミも石積みの間に根を張っています>
こちらは河川敷の低木たちです。「ヤマブキ」が鮮やかに“ヤマブキ色”を見せています。少し色の濃い、薄いがあるなと思ってよく見てみると、花びらが多く付いている「ヤエ」のヤマブキもあるようで、一層濃い“ヤマブキ色”が光っていました。
<ヤマブキ>
<より色濃い ヤエヤマブキ>
大ぶりな花をブーケの様に「ツツジ」が咲き始めました。“ムラサキ”“ピンク”“シロ”と見ごたえ有る咲ぶりです。そういえば、「さくらまつり」と同様に「ツツジまつり」というのも各地で開催されています。花見にはポピュラーな花のようです。
<朝日を浴びる ツツジ>
<抱えきれない花束のようです>
<まだまだこれから花開きます>
葉はまだ芽を出さず、濃いピンクの花を咲かせているのは「ハナズオウ」です。花には花柄が無く、直接枝から花が開いていて「ウミブドウ」のムラサキ版みたいな印象です。
<高水敷の広場のそばを飾ります ハナズオウ>
秋の紅葉のような「花」を咲かせている木もあります。「ハナミズキ」です。「ハナミズキ」は“シロ”という思い込みを持っていましたので、教えてもらって「そうだったのか」の真発見でした。
<ピンクの「ハナミズキ」>
絡まる新緑の「ツタ」に誘われて「ケヤキ」の根元に近づいてみると、コチラは花ではなく、少々毒々しい「赤」と「黒」の昆虫でした。これも自然の彩りなのですが・・・。ネットで調べてみると、「ヨコズナサシガメ」という外来で「カメムシ」の仲間です。
触らなければ害はないそうですが、その名にある「サシ」のとおり、刺されるとハチより痛いとありました。皆さん触らないようお気を付け下さい。
なお、写真上部に並ぶ黒い「幼虫」が脱皮したばかりなのが、下の赤い「成虫」です。脱皮後少しの部分に赤色を残して黒くなるようです。
<カメムシにも色んな種類がありますね>
散りゆくサクラも風情があります。花の少し残ったベニシダレサクラの上で“サエズル”のは「シジュウガラ」です。「セグロセキレイ」を下から見るとこんな感じなのかなと思って、日本野鳥の会京都支部の方に確認しましたところ名前を教えていただきました。
<サクラの上で シジュウガラ>
そのまま視線を上へ向けると飛行機雲の引かれた上空を「トビ」が旋回しています。ちょうど飛行機雲と重なる瞬間をキャッチしました。トビも雲を掴むのは無理のようです。
<トンビのゆったり旋回する姿を遠目に見るのはいいのですが・・・>
<もう少し寄ってみましょう>
再び視線を戻すと「ベニバナトキワマンサク」の花です。遠目にはよく解りませんが、細い花びらが幾重にも重なって木全体を覆うように咲いています。
<緑をはさんで色合いもイイですね>
<近くで見ると花火が噴き出しているようです>
<ヤマブキとのコラボレーションも>
今度は「オレンジ色」ぽい植物の葉です。この葉も夏に向けて色を変えていくのでしょうか。コチラの名前は「オオベニガシワ」だそうです。
<ピンク色の葉が“やさしげ”な「オオベニガシワ」>
オレンジ色の「ナガミヒナゲシ」。細い茎に透き通るような薄い花びらを揺らしながら咲き始めました。少々弱々しいですが、可憐と表現が適当のようです。
<「♪丘の上ひなげしの原で花で~ 占うの・・」 ピンと来る人は同世代>
まだまだ沢山の草花が鴨川を彩っていると思いますが、又の機会に御紹介することとさせていだきます。
平成25年4月24日(京都土木事務所Y)
【おまけ】
いつも4羽一緒に事務所付近で過ごしている「カモ」。交配種(マガモとカルガモ)です。人が近づいても、散歩の犬が近づいても全く「知らん顔です」。以前には、散歩の犬が興味津々で「4羽」に釘付け」になり、飼い主さんがリードを引いてもその場を離れようとしないという光景にも出くわしました。この日も、そばを多くの人が行き交っても「知らん顔」で気持ち良さそうに「木陰の木漏れ日」を受けながら「ひとやすみ」していました。
<左端:マガモの模様のメス 手前:カルガモの模様のメス オスはマガモの模様が強いですがまだらです>
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