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鴨川真発見記<121から126>

 

 

 

 

「かもがわ」は「鴨川」?「賀茂川」?「加茂川」?(第126号)

「かもがわ」の名前の由来、そして漢字は

 

 「“かもがわ”の名前の由来は?」「漢字で書くとどれが正しいの?」というお問い合わせもよくいただきます。これには諸説あるようなのですが、一般的にお答えしているのが下記の内容です。

 

鴨川の名前の由来

 鴨川の名前の由来にはいくつかの説がありますが、平安京造営の前から、そのほとりに住んでいた「賀茂氏」に由来しているという考え方が一般的です。賀茂氏の氏神をまつる上賀茂神社と出町付近の下鴨神社にちなんで高野川合流点より上流を「賀茂川」、下流を「鴨川」と書かれることが多いようです。

(京都府発行 小学生向け資料「わたしたちの鴨川」より)

<上賀茂神社前の石碑 「賀茂大社」>

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<上賀茂神社の案内板 ようこそ、世界文化遺産・上賀茂神社へ>

kamogawa2<正式には「賀茂別雷神社」>

「かもがわ」の漢字表記について

 「かもがわ」は明治29年施行の旧河川法制定以降(昭和39年の新河川法制定に伴い廃止)京都府が管理する一級河川の区間を定め、「鴨川」と表記しました。従いまして、一級河川として指定した区間全てを「鴨川」としています。

 しかしながら、「鴨川」として管理する以前から、沿川や地域の住民の間では「鴨川」「賀茂川」「加茂川」と主に三種類の漢字が使用されてきたようです。地域名に見る「上賀茂地区」「下鴨地区」「西賀茂地区」や「加茂川中学校」「加茂街道」そして以前北大路橋上流に架かっていた「中加茂橋」などそれぞれの漢字が登場します。

 そんな中、一通のお便りと論文によるご提案をいただきました。2020年東京オリンピック開催も決まり、京都にも海外からのお客様を多く迎え入れる事もあり、「かもがわ」の漢字表記を「鴨川」に統一してはどうかというご提案です。

 この提案を京都土木事務所のホームページにて紹介して頂けないかというお申し出でした。鴨川に関心をお持ち頂くことは大変ありがたい事ですので、ここにご紹介させていただきます。ただ、「鴨川」に漢字表記を統一するという検討はしておりませんので、下記内容にて御本人にはお返事をお書きしました。

 

以下お返事の内容(お返事には写真は添付しておりません)

 

 丁寧なお便りと論文ありがとうございます。

 御指摘のとおり鴨川の漢字表記は複数存在しております。お書きいただいておりますとおり河川法上は「どこから」「どこまで」を「鴨川」と鳥のかも一文字をあてております。

 

<桂川合流点からの距離を100m毎に示す標識柱>

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 しかしながら、古来より「鴨川」「賀茂川」「加茂川」と表音文字として概ね3つの漢字があてられていたようです。地元の方々に親しみを込めて呼ばれる「かもがわ」にはその川に対する思いも大きいとお聞きします。

<道路標示「加茂街道」>

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<広域避難場所 「賀茂川右岸河川敷」>

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 出町の高野川合流点より上流を「上賀茂神社」の「賀茂」、下流を「下鴨神社」の「鴨」を使って区別する場合や、「加茂」を使う場合と、そこに育った方々の慣れ親しんだ「漢字」の使い分けにつきましては、あえて間違いであるとか、漢字の使用について修正願うということはいたしておりません。

<賀茂川ウォークマップ>

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 鴨川の河川区域内にも「かもがわ」の看板も設置しておりますが、一級河川鴨川(賀茂川)と表記させていただいております。また、管内図などにも鴨川(賀茂川)の並記もするなど、親しみを感じていただいている方々にも配慮させていただいております。

<鴨川を眺める面には「鴨川(賀茂川)」と表記>

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<鴨川から眺める面には「かもがわ」と表記>

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 先輩職員が、昭和33年に手元の資料等をまとめた「鴨川の変遷」という冊子があります。その中の「“鴨川”と“賀茂川(加茂川)”」に触れた文章がありますので、参考にコピーを添付させていただきます。

※鴨川の変遷(PDF:1,453KB)

 

 なお、河川法では一つの名称で記されている河川名を区間によって名称そのものも別にするというケースもあります。例えば桂川上流域では「上桂川」、中・下流では「保津川」、「大堰川」そして「桂川」といった具合です。

 

 河川も河川法上の呼び名ではなく、通称を使った方がその雰囲気や風情を感じることもあると思います。呼称や漢字を統一するという方法もあると思いますが、外国の方にも日本人は川への愛着や風情を大切にしている事を知っていただき、日本文化に触れていただく方法もあるのではないでしょうか。

 

 ご提案のあった事は、ホームページで紹介させていただきたいと思いますが、現時点で一般の方が表記に使用される漢字を統一するという検討は予定しておりません事ご理解頂きますようお願い申し上げます。

 

<京都土木事務所傍の北山大橋>

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<北山大橋には「賀茂川」>

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<北山大橋から一つ上流の上賀茂橋>

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<上賀茂橋も「賀茂川」>

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 鴨川に大きな関心を持っていただいている事には大変感謝しております。またお気づきの点がございましたら御意見をお寄せ頂きますようお願いいたします。

今後ともよろしくお願いいたします。(京都土木事務所)

 

以上がお返事の内容です。

 

 今回はこの回答でご容赦いただきたいと思います。「かもがわ」の漢字表記に関しましては、私の周りの方の中にも「出身中学」「在住地」「勤務先」などから「“かもがわ”の漢字はこれでなくちゃ」というお言葉をちょくちょく耳にします。

 

 海外からお越しのお客様には、発音は同じなので「kamo」の表記で親しんで頂ければと思います。

 

  なお、京都府では一般的に橋の親柱には「河川名」「橋名」が表記するようルールを決めています。しかし、京都市内の橋梁は京都府の管理ではなく「三条大橋」「四条大橋」「五条大橋」には親柱がありません。その替わりに橋の名板が設置されているケースもあります。橋の管理者にどの様な意図があるかはお聞きしておりませんが、そこが鴨川であることは「鴨川納涼床」を代表とする様々な関わりから周知のことと思います。

 

<三条大橋 表示なし>

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<四条大橋 高欄改修時の碑のみ>

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<五条大橋 表示なし>

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 皆様の「愛着」や「こだわり」、これも「かもがわ」に関心が高い現れだと思います。この関心が無い状態「無関心」が「かもがわ」を美しく保つための大敵であると思います。

 今後とも「かもがわ」に関心をお持ち頂いて、みなさんで京都の顔「かもがわ」を守り育てていただきたいとお願い申し上げます。

 

 ちなみに、野鳥の「鴨」が多く飛来するから「鴨川」という説は、諸説の中には含まれておりませんので、そう思っておられた方には悪しからず。

 

 鴨といえば、昨年の暮れに「オナガガモ」を見ました。オスとメス、オスとオス2羽の組み合わせで“シンクロナイズドスイミング”のペア演技のように水中に頭を突っ込んで見せてくれる様子は何度かご紹介しましたが、今回は4羽でのシンクロです。

 

<さあ4羽で合わせましょう>

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<おっと乱れた>

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<一羽が息継ぎ>

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<お見事 揃いました>

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 いわばシンクロの団体競技です。でも、演技では無いので誰かが頭を上げてしまします。タイミングを見計らってその瞬間を撮らせていただきました。オス4羽の見事な競演でした。シンクロナイズドスイミングのヒントはこれだったのでは?と思ってしまいます。

                           平成26年1月6日 (京都土木事務所Y)

 

【鴨川真発見記を紹介していただきました】

 鴨川真発見記を御覧いただいて、メールやお便りも頂くようになりました。このコーナーの情報発信力も上がって来たようです。そんな中、更に広めていただく機会をいただきました。

 

 上京区のまちづくりアドバイザーの浅田さん(京都市職員)に、上京区のまちづくりサイト「カミング」の中で「鴨川真発見記」を紹介していただきました。鴨川を実際に歩きながら「鴨川真発見記」のあれこれをお話した内容を丁寧に記事にしていただきました。皆さんも「カミング」を御覧になってみてください※カミング(外部リンク)

  新春特別 明治・大正・昭和・平成の鴨川(第125号)

4つの年号を見つめた鴨川を振り返る(三条から五条まで)

 

 皆様、新年明けましておめでとうございます。

 平成26年第1号となる、鴨川真発見記第125号は、新春特別と題して現在と過去の鴨川周辺の様子をお届けします。

 

 鴨川真発見記では、昭和10年の大水害に関して「鴨川真発見記第91号」で市街地の上流域の様子を、「鴨川真発見記第113号」では昭和50年当時の様子をご紹介しています。

 今回は、京都府立総合資料館に残された古写真も交え、年号を遡ってその変遷をご紹介したいと思います。

 府立総合資料館に残された古写真には、正確な年や場所が明記されていませんが、撮影した写真家の生きた時代内での撮影とされています。中心となる写真は「黒川翠山」という写真家で明治15年から昭和19年までを京都に生きた方です。明治、大正、昭和という激動の時代を感じようではないですか。

 

 写真にキャプションはありませんので、私の想像と勝手な思い込みも含めて解説したいと思います。事実誤認があればお知らせ頂きますようお願いいたします。

三条大橋近辺

<三条大橋1(撮影:黒川翠山)>                       <平成25年 変わらぬ佇まい>

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<三条大橋2(撮影:黒川翠山)>                         <平成25年 洒落た街灯に>

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 この時代の写真を見ると、傘を差す人も目立ちます。しかしながら、その用途は多くの場合日よけのようです。今も変わらぬ三条大橋の擬宝珠が趣きのある姿です。橋の上に出来た影に太陽の日差しを感じます。木の高欄の温かみが少女の手に伝わっているのでしょうか。

<鴨川三条大橋3(撮影:黒川翠山)>              <平成25年 山並みは隠れました>

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 橋の真ん中を自転車が走っています。着物姿で日本髪の女性と木製の高欄はすごく調和しているようですが、橋の右側に建っている洋館は少し違和感覚えます。文明開化と同時に新しい文化を積極的に取り入れたのも京都文化なのでしょう。100年の時を経て“京都らしさ”が話題に登っているようですが・・・。

 

<鴨川 三条大橋4(撮影:黒川翠山)>            <平成25年 この木は同じ木?>

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 こちらの写真では、車が通っています。この頃には歩行者は端の方を歩いているようです。日本人に交通ルールが浸透したのは何時のことだったのでしょう。

 

<鴨川 三条大橋5(撮影:黒川翠山)>             <平成25年 弥次喜多前で待ち合わせ>

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 三条大橋の橋脚は、豊臣秀吉が造営した当時の石柱も残っているとも言われています。現在では、河床を深く堀下げたことから、石柱にコンクリートの下駄が履かせて継ぎ足してあります。

<鴨川 京阪三条駅ホーム(撮影:黒川翠山)>      <右 平成25年 広がった川幅>

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 当時、京阪電車の京都側の終点駅であった三条駅です。駅のホームに電車が止まっています。東山の山腹に寺社の屋根が見えています。

 

 それでは、昭和10年大水害時の三条大橋付近の様子を、京都土木事務所所蔵の記録写真でご紹介いたします。洪水が溢れている時の写真には表題に「出水当時」と、水が引いて災害の状況がわかる写真には「鴨川沿岸」とそれぞれ記載されています。

<出水当時 三条大橋>

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<平成25年台風18号の翌日 斜写真>   <同左 垂直写真>

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 三条大橋が鴨川の東詰めで寸断されています。この水害では多くの橋が流出し、その瓦礫や流木が橋脚を直撃し次々と橋を破壊していきました。

<出水当時 三条大橋西詰に於ける自然発火による瓦斯燃焼><右 平成25年>

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<出水当時 三条大橋(右岸下流より)>            <平成25年>

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<出水当時 鴨川左岸より三条大橋を望む>     <平成25年>

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 平成25年(去年)の9月の台風18号の増水時にも、濁流がうねりを見せながら下流へと激しく流れました。今回の水量は平成10年当時の水量よりも沢山の水が流れたそうです。河川改修の効果もあり、被害は最小限に抑えられました。

<出水当時 鴨川左岸三条通り下手より先斗町を望む> <平成25年9月台風18号による出水時>

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<鴨川沿岸 破壊せる三条大橋(左岸上流より)><平成25年 逆光ですが・・・

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 手前の樹木は激流に耐えたのでしょうか。おそらくここも激流にさらされた事と思いますが・・・。この時流出した橋脚かどうかはハッキリしませんが、三条大橋の橋脚とよく似た石柱が「三条大橋西詰め」「京都府庁旧館中庭」「三条四条間右岸の川端通り歩道の傍」に保管されています。

<出水当時 京阪電鉄三条駅付近>               <平成25年 今は川端通り>

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<鴨川沿岸 京阪電鉄三条駅付近>

(疏水左岸三条通り下手より)                          <平成25年>

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 疏水と鴨川の激流に挟まれた京阪三条駅も大変なダメージを受けました。

 

 

四条大橋近辺

 

 次に四条大橋の近辺の様子をみてみましょう。

 再び府立総合資料館所蔵の写真でご紹介します。

<四条の橋(旧1号書庫写真)明治7年>             <平成25年>

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 四条大橋の右岸側を左岸側から橋を挟んで上流向きに撮影されたと思われます。橋のたもとの広いスペースには、床几がズラリと並んでいるようです。上流側にも橋を渡すように床の様なものが続きます。

<鴨川 四条大橋1(撮影:黒川翠山)>             <平成25年 菊水ビルの背後にビル>

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 南座の西側には疏水が流れています。僅か30年程前までは現在の川端通りは疏水だったのです。もうすっかり忘れてしまっていませんか。そして地上を走る京阪電車。発車オーライの踏切には遮断機はありません。四条通りの東西に交通整理員が各一名配置され、その通行を制限しています。

  このアングルの写真を撮影するには、現在中華料理店である「東華菜館」ビルからしかありません。東華菜館様にご協力いただいて現在の様子を撮影させていただきました。併せて昭和10年の大水害のアングルも撮影させていただきました。ご協力ありがとうございました。

 

<鴨川 四条大橋2(撮影:黒川翠山)>                <平成25年 市電は市バスに>

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 京阪電車と京都市電の路面電車が交差しています。共に現在では見ることの出来ない光景となりました。七条大橋とお揃いのデザインの四条大橋も現在では姿を変えています。

 昭和10年の大水害で大きなダメージを受けたこの橋は、現在の橋に架け替えられました。一方、七条大橋は今も健在で、平成25年に架橋100周年を迎えました。

 

<鴨川 四条大橋3(撮影:黒川翠山)>                <平成25年 流れが穏やか>

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 懐かしのボンネットバスに自動車、自転車、歩行者などなど、当時から賑わっていました。それにしても、鴨川の水の流れが速そうです。

 

<鴨川 四条大橋4(撮影:黒川翠山)>               <平成25年 東華菜館ビル>

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 四条大橋を東から西方向を撮影した写真です。菊水のビルからの撮影でしょうか。四条大橋西詰め南側の東華菜館ビルはまだ建設されていません。その北向かいの小さな建物は、現在もそこに位置する交番でしょうか。お隣は飲食店のようで、傍の鴨川には舟が係留されているようです。

 このアングルも、現在「レストラン菊水」ビルの屋上からしか撮影出来ません。レストラン菊水様にもご協力をいただいて撮影させていただきました。ご協力ありがとうございました。

<鴨川五条~四条のあたり1(撮影:黒川翠山)>     <平成25年>

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<鴨川五条~四条のあたり2(撮影:黒川翠山)>    <平成25年>

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 当時、鴨川とみそそぎ川は同じ高さにありました。区切りのための板や工作物で区切り、みそそぎ川の水を確保したようです。昭和10年の大水害の後、鴨川の川底を深く掘り下げたため、現在のみそそぎ川の仕組みができました。その仕組みは、「鴨川真発見記38号 みそそぎ川の水はどこから」を参照ください。

 床の下になびく洗濯物が生活感をにじみ出させます。「東華菜館」「菊水」「南座」の鴨川四条の三大建築も肩を並べています。

 

<鴨川 四条~三条のあたり1(撮影:黒川翠山)><右平成25年>

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 これは、水量の少ない季節の写真でしょうか。まるで寄り州の上に床が乗っているようです。時代が違うのでしょうか、床の下に流れは見受けられません。

 

<鴨川沿岸 京阪電鉄四条駅「プラットホーム」の破壊><右 平成25年>

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 水害前の写真を見ると、木製の柱で幾重にも支えられているように見えた部分が、激流に洗われて崩壊してしまったようです。

 

<出水当時 四条大橋(東詰より)>                    <平成25年>

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四条大橋は頑丈なコンクリート製の橋で、流木も受け止めましたが、受け止めたが故に流木が堰となり、行き場を失った鴨川の水が繁華街へと流れ込みました。

<出水当時 四条小橋付近>                         <平成25年>

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 繁華街のど真ん中“四条通”にも舟が浮かびました。ロープ伝いに避難する人の姿が映しだされています。

<出水当時 四条大橋東詰上手>                     <平成25年>

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 家の戸口に立つ人の胸元まで水が来ています。四条大橋で市街地に方向転換した鴨川の一部の水が大きなプールの様に水が溜まってしまいました。

 

<出水当時 四条大橋下の激流(東詰より)><右 平成25年>

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 モノクロ写真なので、わかりにくいですが、平成25年台風18号時の写真のように、濃く茶色い激流がうねり、水しぶきを上げながら鴨川を駆け下りていったのでしょう。

<出水当時 四条大橋その1>                         <平成25年>

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 四条大橋に引っかかった流木が、橋の上に引き上げられていきます。人力での作業はさぞかし困難だったことでしょう。

<出水当時 四条大橋その2>                           <平成25年>

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 作業する人も、命がけだったことでしょう。上半身を欄干から乗り出して流木を回収しようとする人がいます。流れに飲み込まれたら“ひとたまり”も無いでしょう。

<出水当時 四条大橋下の激流>                           <右 平成25年>

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<出水当時 四条大橋西詰>                       <平成25年>

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 東華菜館の前にもあふれ出た水が激しく流れています。

 

 

<出水当時 四条通(四条大橋西)の氾濫>          <平成25年>

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 白い制服は警察官でしょうか、婦女子を気遣いながら水路と化した四条通を横断していきます。

 

<出水当時 四条通東北角>                       <平成25年>

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 今はドラッグストアとなりましたが、四条木屋町東北角のお店もどっぷりと浸水しています。

<出水当時 先斗町(四条通入口より北方を望む><右 平成25年>

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 先斗町の通りにも水がなみなみと流れています。両側にお店がひしめきあって、水の逃げ道が少ないようです。

<鴨川沿岸 四条大橋(上手より下流を望む)> <平成25年>

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 川沿いに設置された枕木線路も洗い出され、線路が浮き上がっています。現在は地下化され、この様な心配は無くなりました。

五条大橋付近

 最後に五条大橋付近を三条、四条と同様に振り返りましょう。

 

<五条板橋(撮影:鑑二)明治14年><右 平成25年>

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<五条の橋1(撮影:黒川翠山)>                       <平成25年 橋脚は減りました>

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 この頃の鴨川の浅かったことがよく解ります。周囲の家の高さから推測すると、平屋の高さくらいしか無かったようです。高い建物が無く東山が見渡せます。

 その下の写真が翠山の写真ですが、明治14年よりも後から撮影されたものです。何だか時代が遡った様な印象を受けますが、この方が「牛若丸と弁慶」の出会いの場としての雰囲気は出ていますね。(実際の出会いの橋は現在の松原橋との説もありますが・・・)

 

<五条の橋2(撮影:黒川翠山)>                        <平成25年 人力車、今はタクシーに>

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 三条大橋と勘違いしそうですが、辺りの風景が全く違います。人力車が写っています。現在では観光地で観光客専門となっていますが、当時は生活の足として活躍していた事がうかがえます。

 

 それでは、昭和10年の大水害の様子です。

<出水当時 五条大橋(左岸より)>         <平成25年>

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 五条大橋の被害は大変大きかったようで、両岸の一部しか残らなかったようです。橋脚も橋桁も跡形なく流されています。

 

<鴨川沿岸 流出せる五条大橋(右岸より)>   <平成25年 台風18号翌日>

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 水が引くと直ぐに仮橋が架けられたようです。やはり橋は生活に欠かせない重要な施設です。

 

 京都市内にも近年に無い程の多数の災害の爪痕を残した台風18号が記憶に新しい中、4つの年号をまたいだ鴨川の中心部を、昭和10年の大水害時の記録とともに振り返りました。

 台風18号被災の災害復旧工事も本格的に始まりました。そんな中、街の様相をも変えてしまう水害の恐ろしさを再確認いただいて、防災意識を高めていただきたいと思います。

                                            平成25年元旦 (京都土木事務所Y)

 

今年も鴨川にサンタクロースが大集合(第124号)

みんな笑顔でふれあいマラソン

 

 平成25年12月23日、第12回サンタマラソン大会にお邪魔しました。2、3日前から“しぐれ空”が続き当日の天気予報も晴れのち曇りで冷え込むとなっていましたが、受付開始時間には青空が広がってポカポカ陽気となりました。

 

 前日までの“しぐれ”も山の上では雪となっていたのでしょう。北山も比叡山も雪を頭に乗せてすっかり冬景色となっています。

<北山の奥の方には白いものが>

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<比叡山の山頂付近も白く雪を被っています>

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 受付前からスタッフのサンタクロース姿で早くもクリスマスムードで一杯のスタート地点です。その会場に参加者が集まってきます。サンタ姿の上にコートを羽織ったり、着替えを持った人それぞれのクリスマスコスプレが集合です。

 

 やはり非日常の姿です。鴨川でサンタの記念写真を納められています。とても楽しい思い出になりそうです。

 

 参加者総勢127名そして当日スタッフ約60名の中から約30名のサンタマラソンの始まりです。最初に参加者の記念写真の撮影です。2班に分かれての撮影、このとき大きなベンチが役立ちます。

<記念撮影>

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 選手宣誓が行われ開会式が始まりました。クリスマスには走るのが仕事のトナカイさんからサンタマラソンの大会要領が説明されました。

 そして、今大会遠方からご参加の方の紹介がありました。最初に紹介されたのは台湾から出場の王さん家族です。

 準備体操の前にコミュニケーションで体をほぐします。最初は知り合い同士で、そして知らない同士で数字の号令に合わせてハイタッチそしてハグです。(1:右手、2左手、3:両手、4:ハグ)

 きっちりアキレス腱や筋を伸ばすといよいよスタートの時間を迎えます。10からカウントダウンで「レッツスタート」皆さん笑顔で飛び出していきました。

<3,2,1 スタート 元気にダッシュ>

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 皆さんの楽しそうな様子を眺めながら歩いていると、同じくらいの背格好の幼い子供が歩いています。保護者の方同士のお話が耳に入ってきます。「何月生まれですか?」「3月です」「うちも3月ですので同学年ですね。」

 にこやかな少年が「じゃんけんして」と近寄ってきました。何度もアイコの末私の勝ちとなりました。(ごめんね)

 三条大橋を下流に越えた地点が折り返し地点です。大きなサンタバルーンが目印で、皆さんここでまた丸太町橋へと北上します。

 準備運動でも利用された、コミュニケーションツール「ハイタッチ」がすれ違うランナーの間で繰り返されます。「がんばって」と掛け声と共にハイタッチがふれあいを演出します。

 

 4人家族で参加のご家族に少しお話を聞きました。参加は今回初めてだけど、何度か出ている知り合いに教えてもらったとの事です。

 

 大会前日にプロポーズ成功でハッピーオーラを発しているカップルです。東京からの3回目の参加で、恋人から婚約者へ変化した二人の関係、披露宴でもこのエピソード語られることでしょう。

<お幸せに!>

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 途中音楽隊がジングルベルを奏でながら応援しています。ランナーが足を止めて手拍子で盛り上がり、ここでもコミュニケーションです。

 サンタになっているのは、人間だけではないようです。いつも一緒に散歩されているのでしょうか。鴨川を今日はワンちゃんも仮装散歩です。ゆっくり歩くワンちゃんもいれば、ずっと走るワンちゃんもいます。無理の無いペースでがんばります。

 スタート地点に戻ると折り返しの印を押してもらって再び三条方面へと向かいます。「お父さん!」と少年が走ってきます。ポカポカ陽気で暑くなった少年のサンタ衣装は上着が脱ぎ去られてシャツ一枚となっています。沿道で貰ったチョコレートを食べてパワーをチャージして笑顔で一枚記念写真です。

<ぽかぽか陽気でシャツ一枚に>

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 この「雪だるま」の衣装は見覚えがあります。そう昨年の大会で“よちよち歩き”でシリモチをついていたお子様です。一年が経ってこんなに大きくなりました。

<はいピース>

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 ちょっと飽きたのか、それとも疲れたのか、いやいや、お気に入りの場所を見つけたのか、いかにも幼児が好きそうな“隙間”にはまっているちびっ子サンタがいます。上目使いに見る目は何を訴えているのでしょうか。

 クリスマスコスプレの中でも注目を集めていたのは、双子の天使と車椅子の幼児でしょう。天使の羽は太陽に光に透けながら揺れる後ろ姿は多くのアマチュアカメラマンが納めたことでしょう。

 と、黒いサンタクロースが追い抜いていきます。彼も開会式で紹介された遠方からの参加者です。どこから?「おそらく日本の中では沖縄に次いで遠方の「北海道は網走です」。

<ブラックサンタ 子供はレッドサンタ>

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 そして、100分が目前に迫ってきました。コース内の選手を一斉ゴールに向けて誘導します。ゴールの用意ができました。まだまだ元気一杯の子供たちを皮切りに続々とゴールして今年のマラソンは終了しました。

<最初のゴール選手が入ってきました>

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 今回お話を伺いました事務局の方は、京都での大学院時代にこのマラソンと出会い、第5回出場以降は6回から今回13回まで事務局員として裏方の仕事を請け負っています。そして、東京在住(品川)となった今でも、京都に通いながら「サンタマラソン」を支えているそうです。

 

 今回も、サンタの衣装の赤のような熱意が雲を退け、太陽を呼び込んだようです。ゴールの時間には、北山の雪も幾分か溶かしてしまったようです。

<山の雪も随分と溶けました>

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 きちんと通路確保に配慮しながらのイベント運営も回を重ねた証でしょう。「これは何の大会?」と興味を持つ人はありますが、サンタクロースに“苦情”を語る人はいないようです。これからもマナーを守って末永く継続していただくことを期待申し上げて今回の記事を終えます。来年もお会いしましょう。

 

 鴨川冬の風物詩「ユリカモメ」に負けない風物詩目指して頑張ってください。 

<ユリカモメに負けるな>

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 平成25年の「鴨川真発見記」はこれにて最終とさせていただきます。新年は1月1日午前0時に「新春特別 明治・大正・昭和・平成の鴨川 4つの年号を見つめた鴨川を振り返る(三条から五条まで)」と題して更新します。

 それでは、皆様良いお年をお迎えください。

                                      平成25年12月27日 (京都土木事務所Y)

 

鴨川へ注ぐ様々な流れ(第123号)

鴨川の支川や用水路を見てみよう

 

 今回は、鴨川に注ぐ支流についてご紹介したいと思います。鴨川の支流といっても沢山の河川があります。上流域に鴨川と合流する河川は聞いた事もないような小さな川もありますが、皆さんがよく御存知の市街地で合流する河川があります。

 その中でも有名なのが「白川」です。この河川は比叡山の中腹から流れだし、最終的には四条大橋の上流で鴨川に注いでいます。でも、皆さん御存知でしょうか、白川は、今出川通りで分岐しているのです。

<四条大橋上流付近の航空写真>

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<途中疏水と合流して鴨川へと注ぐ>

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<四条大橋右岸上流の白川放流口>

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 白川は御存知のとおり、祇園を流れて鴨川へと注ぐ小さな河川です。増水時には洪水を溢れずに流すだけの容量が少し足りませんでした。

 

 そこで、増水時には、今出川通り辺りで白川本川から分岐したトンネルの放水路に川の水を分流させる(別ルートで鴨川に水を流す)ことで、本川下流の街中の浸水を防いでいます。「今出川分水路」と呼ばれるこの分水路もれっきとした一級河川として扱われています。

 今年9月の台風18号の際にも、白川の多くの水がこのトンネル放水路を通って鴨川へと流れ込みました。分水路の役割を最大限発揮してくれたことと思います。

 

 

 この記事を書くキッカケとなったのも台風18号による増水です。白川放水路が流れ込む位置は当然把握していました(荒神橋左岸上流)が、何処から分岐して何処を通ってくるのかはわかっていませんでした。

 

 ある日の鴨川散歩の途中で、高水敷にあるマンホールを見つけました。上に乗った土を少しよけてみると、「白川分水路」の文字がかろうじて読めました。そこで、京都土木事務所で図面を調べてみると、ありました。

<白川分水路と書かれたマンホールの蓋>

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<今出川通り「賀茂大橋」左岸下流>

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<今出川通りを走るトンネル水路>

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 白川の今出川通りに架かる「西田橋」から今出川通りの下に埋設されたトンネル(函渠)の中を、今出川通りに沿って西へ流れ、賀茂大橋の下流で鴨川左岸の高水敷にタッチします。ここから、鴨川左岸の地下に埋設されたトンネル(暗渠)の中を鴨川に沿って下流へと向かい、次の下流側の橋である荒神橋の上流で鴨川へと注ぎます。

 

 平成19年に完成した今出川分水路ですが、今回のような大増水を経験するのは初めての事だと思います。白川といえば、神社の庭に欠かせない白川砂が採石される川です。その砂が大増水と共に分水路を通って鴨川にも達したようです。

<荒神橋左岸上流の放水口 この高水敷の下にトンネルが>

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<鴨川への放流口>

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 大増水後、この放水路から細かな泥水が長期間に渡り流れ出ていました。その水も今では澄んだ水となりました。そして、放水口付近には、少し大きめの砂が堆積しました。この砂はおそらく白川砂なのでしょうか。

<長期間流れ出した濁り水 平成25年9月27日 増水から11日後>

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<放水口に堆積した“砂”>

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 分(放)水路による治水対策は、河川の幅を広げることが事実上不可能な場合に、いってみればバイパスを通して混雑緩和をするようなものです。道路も車の交通量が許容範囲を超える場合はバイパスを通して混雑緩和をしています。河川も道路も原理は同じなのですね。

 

 白川にも野鳥が住み、植物も育んでいます。以前白川沿いを歩いた時の写真もご紹介しておきます。鴨川と同様に「マガモ」「カルガモ」が飛来して来ます。

 そして、最近見なくなった「ツクシ」が生えていました。堆積した土砂の上で人に触られる事無く群生していました。

<白川の「マガモ」>

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<白川の「カルガモ」>

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<白川に出来た寄州>

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<その上に群生する「ツクシ」>

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 支川という定義が曖昧ですが、高野川の山端橋下流右岸から取水され、松ヶ崎から下鴨を通り下鴨神社へと入り、糺の森を抜けて高野川へ戻る農業用水としての水路があります。

 「泉川」という名称が付くこの川は、高野川だけに注いでいるのではなく、鴨川にも注いでいます。糺の森と隣接する鴨川公園の入口で二手に分岐して両方の河川へと進みます。

 

<泉川分岐点 鴨川公園「旧葵公園」>

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<公園内の周りを通り>

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<高野川へと流れ落ちます>

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 高野川側の合流部では、滑り台の様なスロープを勢いよく駆け下りる水が、深い水溜まりを作っています。ここには小魚が集まっています。

<高野川との合流 河合橋上流右岸>

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<水がストレートに流れ落ちます>

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<水の落ちた先には落ち葉>

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 反対に鴨川側の合流部は、ゆっくりと水が流れていきます。この設えは誰が考えたのでしょう。沈砂地の様な囲いがあって、そこからあふれ出す様に水が流れています。どこかのお庭の様な佇まいです。

<鴨川へと流れ込む泉川>

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<穏やかに流れ込む泉川>

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 「そういえば」と思い出したのが、今年の夏にNHKBSプレミアの番組「日本新風土記 京都鴨川」での1シーンです。雲ヶ畑に住む人々の鴨川を汚さないための知恵と工夫です。

 住まいから出る生活排水を鴨川へと流す時、一度「水門壺」という小さな沈砂地で汚れを沈殿させて、上澄みだけを鴨川へ返すという細やかな営みです。この水門壺は現在も現役で活躍しているそうです。

 同じ下鴨神社からの合流部でも、“水を流す事重視”の「高野川側」と、風情ある「鴨川側」とその役割を分担しているようです。

 

 「泉川」もそうですが、上賀茂神社を経由する「明神川」も農業用水としても活用されています。こちらの合流部は上賀茂神社からは遠い下流の北山橋の上流で合流します。

<明神川が鴨川へ流れ込むところ>

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 禊ぎの川として、また京野菜などを育む鴨川、高野川の水は綺麗に保っていく必要があります。水質だけでなく、ごみが流れたり沈んでいたりする姿をみるのは辛いです。

 鴨川にはごみを投げ入れる様な事はしていないとおっしゃる方々、近所を流れる水路に“つい”ぽいっと流すと、鴨川へと流れ着きます。鴨川を美しくする行為は身近な水路から考えていかなければならない事柄です。

 

 鴨川の支川にも、多くの美化団体の方が川を美しくする活動をされています。

 鴨川を美しく保つことそれは、支川も同時に美しく保つ事に他なりません。

 

 小学校に出前講座に出向いた際には、鴨川のごみの事に関する質問も多く頂きます。鴨川での行為以外にも鴨川を取り巻く支川や用水路に関する視点も伝えていきたいと思います。

                                   平成25年12月2日 (京都土木事務所Y)

 

 

小春日和の鴨川で群れる食べる(第122号)

人も野鳥も鴨川で過ごす

 

 朝晩メッキリ冷え込んで、口から漏れる息も白くなってまいりました。鴨川や高野川でも冬の風物詩「ユリカモメ」が群れています。ユリカモメは雑食で何でも食べるそうですが、浅瀬で「コサギ」と共に群れを作って小魚を狙っています。

 一斉に飛び立って、辺りを一周してからまた元の場所へと帰ってきます。着水した「ユリカモメ」の口元には小魚が跳ねているものもいるようです。しばらくすると、また一斉に飛び立ち同じ事を繰り返しています。

 ひとしきりこの繰り返しの後、日の当たる場所に移動して体を温めていました。

<群れを作る「コサギ」と「ユリカモメ」>

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<一斉に飛び立つ「ユリカモメ」>

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<「コサギ」も続きます>

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<また元の場所へ戻ります>

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<口元に小魚を咥えるものも>

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<日の当たる場所を選んで“日向ぼっこ”>

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 色づいた葉も木から離れ、風が川の中へと運びます。水中の藻を食べている「カルガモ」のペアの傍では、普段は気が付きにくい小さな中州を黄色い葉が縁取ってハートのマークを浮き出しています。

<仲の良さを示すのか“ハート”>

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<色んな形を縁取っています>

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 落ち葉と一緒に運ばれた何かを「ヒドリガモ」がすくい取る様についばんでいます。落ち葉も野鳥を育む手助けをしているようです。

<落ち葉の中に“何か”を見つけて>

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 その傍では、以前ご紹介しました鴨川の“柿”でしょうか、おそらく渋柿だと思いますが、熟した“柿”の実を丸かじりしているのは「カラス」です。

<脚で押さえて実をほぐし>

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<美味しい所を“がぶり”>

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 個人的には“珍しい”光景に出会いました。鴨川には「セキレイ」が生息しています。「セグロセキレイ」「ハクセキレイ」そして「キセキレイ」ですが、先の2種類のセキレイが対になって飛んでいる光景は頻繁に見かけます。

 「キセキレイ」が対になっているのを初めて見ました。チョットしたお宝画像です。

<対になって飛ぶ「キセキレイ」>

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 次もまた「ユリカモメ」と「コサギ」の群れなのですが、先にご紹介した群とは少し違っています。ここでは「カワウ」も混じっています。水中で「カワウ」が飛び石近くの浅瀬へ追い込んだ小魚を争うように狩っています。異種の野鳥の協働作業に行き交う人もしばし足を止めて見入っておられました。

 “魚”関係者からとかく悪者扱いされる事の多い「カワウ」も「ユリカモメ」や「サギ」にとっては“ヒーロー”なのかもしれません。

<続々と他の場所からも集合>

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<カワウの後を追う「サギ」「ユリカモメ」>

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 色づく樹木といえば、紅葉、エノキ、アキニレ、サクラなどなど高木のイメージが強いですが、低木だって負けていないようです。サクラの咲く季節には、真っ白な小さな花を全身にまとう「ユキヤナギ」も緑の葉を赤く染め上げていきます。

<赤く染まり始めた「ユキヤナギ」>

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 秋の鴨川では、野鳥だけではなく人々も“群れ”を作ります。小春日和という言葉がぴったりの穏やかな川べりを気持ち良く散策です。三条から四条のまだ人の少ない時間帯に、目一杯広がりながら、こちらへ向かってこられるのは尼崎の町内会の御一行のようです。

 

 川の中の野鳥や紅葉を指さしながら“のんびり”とした散策で、町内会の親睦を深めておられました。

<尼崎○○町の旗を掲げた御一行>

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<紅葉も紅く色づく中 鴨川ウォーキングツアー>

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 以前「オオサンショウウオ」を目撃した二条大橋上流の「冷泉橋」から鴨川を覗くと、小魚が群れています。野鳥達に食べられる小魚も群を作っているようです。その姿が「ジュンサイ」に見えてしまうのは私だけでしょうか。

<動きも少なく漂う「小魚」>

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 出雲路橋から葵橋の間では、小学生の駅伝が開催されていました。大文字駅伝の関係かと尋ねてみると、「鴨川駅伝」という別物で、京都市内の小学6年生が一同に会しての記録会だそうです。選手達の保護者のみなさんや同級生達の「頑張って!」の声援を受けながら各校名のゼッケンを背負い激走です。

 

<各校の思いの詰まった“たすき”を繋ぎます>

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<大会役員は先生達>

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<出番を待つ児童達>

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<アンカーの選手が帰ってきました>

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 あんなにも群れていた「ユリカモメ」ですが、単独で“ポツン”と佇んでいます。一昔いや二昔くらい前までは、必ずと言っていいほどに“集団行動”だった「ユリカモメ」も最近では単独行動する個体が目立つようです。

<エサやりを待つのか「ユリカモメ」>

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 何か居ないかなと川の中を眺めていると、何やら“野鳥”らしき小さな影が見えました。肉眼では何かハッキリしないので、カメラのズームを最大限にアップして覗いてみると「カワセミ」でした。

 何枚か写真を撮って満足し、カメラの電源をオフにしたその瞬間、「カワセミ」が石の上を離れたかと思うと、瞬時に水面に移動しまた戻ってきました。その時間コンマ数秒、カメラの電源がオンでもシャッターは切れなかったでしょう。

 慌てて電源をオンにして再び覗いてみると、小魚がくちばしに挟まれています。「カワセミ」の狩りの瞬間を拝見させていただきました。その後カワセミは団栗橋の橋桁の下へと姿を消しました。

<写真中央付近 川の中の石の上に“鳥影”が>

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<太陽に照らし出されたのは「カワセミ」>

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 小魚を捕獲した時のカワセミの動きが、直線的に“行って帰って”にはビックリです。ホバーリングしている姿を見たことがありますが、空中をまさしく自由自在に移動できるようです。

<こんな感じで並行移動>

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<以前の写真 ホバーリングで空中静止する「カワセミ」>

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<カワセミのくちばしで跳ねる小魚>

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 次に現れたのはカワセミとは正反対に大きく目立つ「トビ」です。こちらに向かって飛んできたかと思うと、頭上の紅葉の枝にとまりました。大きな脚で押さえ付けた獲物を食していました。

 この獲物は、人の食べ物をかすめ取ったものではなく、自然界のもののようです。食べ終えると次の獲物を探しに飛び去りました。

 しばらく歩くと今度は川の中で「トビ」が食事しています。こちらは川の水でノドを潤しながらのお食事風景です。ぱさぱさのパンなどは水が無いと飲み込み辛いですね。

<真っ赤な紅葉に囲まれて食事する「トビ」>

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<次の獲物はどこだ>

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<水を飲みながら食事する「トビ」>

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 ベンチに腰を下ろして昼食を取っていると、目の前の芝の上で動くものがあります。“よーく”見てみると「トノサマバッタ」がこちらを見ています。枯れた芝の“枯葉色”と少し残った“緑”がその体のカラーリングと同様で、動かなければわかりません。野鳥達から身を守る自然界の駆け引きを感じます。

 

<パット見は何もいない様に見えます>

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<ここに「トノサマバッタ」が>

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 お隣のベンチに目をやると、本格的な茶道具を持ち込んで、行き交う人にお茶を振る舞う人発見。

 お茶と言えば、つい最近、この場所のすぐ傍に日本に煎茶を広めたとされる「売茶翁高遊外(ばいさおうこうゆうがい)」の碑が建立されました。これを“知って”か“知らず”か風流な光景です。

<ベンチに“ゴザ”を敷いて正座でお茶を>

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<売茶翁高遊外の記念碑>

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 去りゆく鴨川の秋を歩くツアーにも良く出会います。資料を片手に鴨川をガイド付きで歩くのも良いものです。機会があれば“京都土木事務所Y”と巡る「鴨川真発見記ツアー」なんていう企画も開催したいなと思いながら一行を見送りました。

 

                                                            

<資料片手に鴨川を行くツアー>

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                                      平成25年12月2日 (京都土木事務所Y)

 

 

 

鴨川の紅葉もピークを迎えました その3 (第121号)

飛び石定点観測とともに

 

 今回は北山大橋から上流と高野川の様子をお届けします。北山より上流は京都市の市街地の最上流にあたります。北山が眼前に迫り、その紅葉と鴨川の色づきが相まって自然のパワーを感じます。

 

 まずは、これ綺麗と感じた秋の風景を続けて御覧いただきたいと思います

<北山大橋上から上流方向>

kppp1(平成25年11月14日撮影)

<上賀茂橋上流左岸から上流方向>

kppp2(平成25年11月23日撮影)

<御薗橋から上賀茂橋間 左岸>

kppp3(平成25年11月23日撮影)

<上賀茂橋上流右岸から下流方向>

kppp4(平成25年11月23日撮影)

<御薗橋上右岸から上流方向>

kppp5(平成25年11月8日撮影)

<御薗橋左岸上流から上流方向>

kppp6(平成25年11月23日撮影)

<西賀茂橋下左岸から上流方向>

kppp7(平成25年11月8日撮影)

<西賀茂橋左岸から上流方向>

kppp8(平成25年11月8日撮影)

<西賀茂橋右岸上流から左岸下流方向>

kppp9(平成23年11月23日撮影)

<西賀茂橋左岸上流から上流方向>

kppp10(平成25年11月23日撮影)

<賀茂川通学橋左岸下流から上流方向>

kppp11(平成25年11月23日撮影)

 

 続いては高野川です。高野川の植栽は圧倒的にサクラが多く、春には淡いピンクに覆われ、そして新緑へと変化します。酷暑と言われた夏を耐えたサクラの葉は秋になり、燃えるような赤で一年を締めくくります。

 葉が散ると一面真っ赤な絨毯の様にふかふかの感触です。そんなレッドカーペットを歩いて高野橋下流の飛び石へとやってきました。

 

<高野橋上から上流方向>

kppp12(平成25年11月8日撮影)

<秋の高野川を満喫>

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 飛び石の右岸入口に設けられたベンチに腰を下ろして、遅めの昼食を取ろうということで、お総菜を広げました。ゆったりと流れる川と時間を満喫しつつ、飛び石を行き交う人々を定点観測です。

 

休日でもあり、家族連れが親子で渡る姿が目立ちます。小さなお子様は手を引いて落ちない様にケアされています。

<幼子の手を引いて>

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 2人組の女子学生でしょうか、砂州に腰を下ろして、川のせせらぎを傍に聞きながら“おやつタイム”を楽しんでおられます。

<流れる水の音を聞きながら>

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 続いて渡るのは、お父さん、お兄ちゃん、弟くんの三人連れです。お兄ちゃんは軽快に飛び石を飛んで行ったり来たりと楽しそう。

<さあ遊ぶぞ!>

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<ホイ、ホイ、ホイと>

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<早く!早く!>

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 弟くんは一人では飛び移れない様で、お父さんに渡してもらっていましたが、川にはまってしまいました。一度はまればもう同じとばかりに自分から川に入っていくのでした。これにはお父さんも苦笑いです。

<あー!はまった>

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 そこへ散歩のワンちゃんも続きます。飛び石が大好きなワンちゃんもいれば、大の苦手のワンちゃんもいるようです。たまに飛び石の上で腰が引けて立ち往生している様子を見かけます。そこで一度落ちると、ますます腰が引けてどうしようも無くなります。スキー初心者の頃を思い出します。

<ワンちゃんも散歩 毎日通る道だもの>

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 園路を歩いて行く人も、飛び石での楽しげな光景を横目で見ながら通りすぎて行きます。

<あら楽しそう>

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 遊ぶ人、散歩の人と様々な御利用がありますが、高野川の飛び石は他の設置場所とは少し違った利用のされ方も多い様です。

 それは、生活のための御利用です。日々のお買い物経路として機能しているのです。その理由は、左岸側に比較的大きなショッピングスポットが存在し、右岸側には下鴨の住宅街があるからです。

 トイレットペーパーやエコバックをぶら下げて、“ひょい”“ひょい”と楽しみながらの御帰宅です。

<生活必需品を買い込んで>

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 前号でご紹介しました、犬の散歩で立ち寄られていた“飛び石”上流に広がる砂州にも人が吸い寄せられていきます。砂州に足を踏み入れると、とりあえず上流端まで行ってみたくなるのでしょう。砂利の感触を確かめながらの散歩です。

<家族で砂州へ渡りましょう>

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<砂州へ到着>

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<とりあえず上流端まで>

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 こちらの親子連れもお買い物に向かわれるのでしょうか。親子で買い物、楽しいでしょうね。

<何か買いに行くのかな?>

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 次にやって来たのは幼い姉妹です。足元が少し不安そうな妹は大丈夫でしょうか。すると誰かを呼んで手を振っているようです。やって来たのはお父さんでしょうか。安全に渡してくれる“助っ人”登場で無事砂州までたどり着きました。

<階段も“おっかなビックリ”>

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<おーい、おーい>

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<こっち!こっち!>

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<助っ人参上 いくよ~>

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<目的地到着>

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 約一時間の定点観測でしたが、生活に親水にと飛び石の利用価値は地域にお住まいの皆様に高めて頂いていることを実感した時間となりました。

                                      平成25年11月28日  (京都土木事務所Y)

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