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鴨川真発見記

 

 

 

晩秋の鴨川 絵に描いた様な秋晴れ(第255号)

このチャンスを逃さず記録旅

 

 この日は朝から雲ひとつ無いさわやかな秋晴れとなりました。このチャンスを逃さないように晩秋の様子を記録するため鴨川へと足を運びました。

 

 北山大橋から上流に向かって進んでいくと、ニレ科の大樹が紅葉しています。前日までの強い風で多くの葉が吹き飛ばされました。それでも黄色、赤色と色づいています。

<雲ひとつ無い>                                           <北山大橋上流を望む>

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 真っ青な空には、今話題のスーパームーンが白くその姿を見せてくれています。朝に月が見える仕組みについての知識はありませんが、雲が邪魔をしない青空だからこそ見えるというのは事実です。

 

<西の空には>                                           <朝の月 スーパームーン>

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 葉を散らした樹木を眺めていると、青空をバックに白い野鳥を発見です。コサギがこちらも真っ白な体を青空に浮かび上がらせていました。

<紅葉の中に>                                           <真っ白なコサギ>

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 本来は渡り鳥として渡りをするカモの仲間“ヨシガモ”ですが、鴨川と植物園を行き来しながら年中京都に留まっている固体が1羽だけ見られます。この日の秋晴れの太陽に照らされて美しい輝きの姿を見せてくれました。

<ヨシガモ>                                              <輝く頭部>

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 葉の散った樹木を眺めながら進んでいくと、清掃の委託業者の方がほうきを持って園路に溜まった落ち葉を集めておられました。毎日舞い降りてくる落ち葉との“いたちごっこ”の様な作業が続きます。

<葉を散らす樹木>                    <落ち葉を集めて>                  <園路をあけます>

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 御薗橋では、昨年に引き続き橋の拡幅のための工事が始まりました。昨年やむなく伐採されたケヤキの木が立っていたところには工事用のクレーンがそびえ立っていました。

<大型土嚢が並べられ>                                   <工事が始まりました>

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 川の中に魚の姿は見えますが、アオサギが仁王立ちで園路から川の方を見据えていました。

<川の中に魚の姿>                                    <アオサギは仁王立ち>

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 御薗橋上流の左岸、開けた園路では、大きな樹木が2本行く手を阻む様に立っています。その傍らでは、老齢化により伐採された切り株が、再び芽吹かないように丹念に切り込みが入れられていました。

<北山が近づいて>                                              <北山を覆うように>

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<切り株から出た枝>                                       <完全に処理された切り株>

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※平成26年3月11日撮影     ※平成28年11月18日撮影

 

 中洲に自然に生えた樹木の葉も紅葉しています。まだ小さいながらも赤や黄に葉の色を変化させていました。

<中洲の中に黄色い葉>                                 <赤い葉>

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 西賀茂橋を眺める景色も、青空の下絵になります。飛び石、橋、橋越しに見える舟形の山。西賀茂の町並みも山の紅葉とあいまっています。

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 柊野の砂防堰堤も紅葉をバックに、白く水を落としてこれまた絵になります。

<柊野砂防堰堤>

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 ここでしばし休憩と腰を下ろすと、目の前の石の上にハチが集まってきました。

 

 ハチの生態はよく知りませんが、交尾をしようとしているのか?何が目的なのか?そのうちに4匹が集まってきました。

<2匹のハチ>                                            <交尾?>

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<4匹集まって>

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 休憩を終えて鴨川の右岸高水敷が始まる「賀茂川通学橋」まで下流へ進み、北を振り返り、南に目を向けるとまだまだ雲ひとつ無い青空です。

<賀茂川通学橋から北を望む>                             <賀茂川通学橋から南を望む>

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 お日様の光を浴びてゆらゆら揺れる水面からお尻を突き出しているのは“ヒドリガモ”です。

<“ヒドリガモ”逆立ち>                                          <頭の緋(あか)いヒドリガモ>

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 護岸の石積みから生えた植物の先も赤く色付いています。大きな大木の紅葉は目立ちますが、足元にも小さな紅葉を見ることができます。

<ここにも紅葉が 小さい秋みーつけた?>

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<半木の道のニレ科の大樹>                             <こちらは大きい秋?>

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 北大路橋下流の大文字山ビュースポットでも、大の字の裾を紅葉が黄色く彩っています。第254号でご紹介しました、枝を吊り上げたニレ科の大樹も通行の邪魔することなく安定しています。

<大文字山も秋の色を添えて>                               <自転車も安全に通過>

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 賀茂大橋の右岸では、橋の耐震工事が進められています。橋は川の構造物ではなく、道の構造物です。川で実施している工事で橋に関わる工事の多くは、道路管理者で橋の管理者でもある京都市さんの工事です。

<賀茂大橋右岸 耐震工事>                                <工事中は迂回路へ>

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 賀茂大橋を通過すると、柳と桜の並ぶ左岸に目をやり、荒神橋で左岸へ移動。白いススキの穂が秋の季節を感じさせてくれました。

<賀茂大橋下流右岸から左岸下流を望む>              <荒神橋下流左岸から右岸上流を望む>

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 川の中を見ると野鳥が佇んでいますが、傾きかけた太陽の逆光で正確に何のシルエットかわかりません。「ダイサギ?コサギ?アオサギ?」こちらは「何カモ?」

<青い空とは対照的に 何サギ?>                            <オナガガモ?>

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 再び右岸に移動し、二条大橋へここでも耐震工事が実施されています。

<シャッターを切る人の対岸に土嚢>                            <二条大橋耐震工事>

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 御池大橋まで来ると、西からの太陽は建物の陰となっていきます。三条大橋方面に目を向けると、白く薄い雲が出てきました。

<芝を保護する緑のカバー>                                <空に薄く白い雲>

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 川の水の流れが非常にゆったりとした穏やかなこの日、見頃を迎えた紅葉が水面を飾ります。

<水面に描いた絵の様に>                                  <人の姿も写します>

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 ユリカモメの数が増えてきたようです。三条~四条の間にも十数羽のユリカモメが浮かんでいました。

<鴨川冬の風物詩>                                       <ユリカモメ>

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 松原橋右岸上流から北を望むと、その空にもうっすらと白い雲が掛かってきました。濃い赤に染まったモミジを眺めながら2016年最高の秋晴れを満喫してこの日は締めくくりました。

<松原橋から上流を望む>                                <存在感満点の濃い赤のモミジ>

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 2016年秋の景色の鴨川紹介はこれが最後となります。これから冬に向かって移ろい行く鴨川にもご期待ください。

(京都土木事務所Y)

 

 

 

鴨川沿いのニレ科の大樹(第254号)

読者の声「ピンチの枝を救ってほしい」

 

 鴨川沿いに生えているニレ科の大樹がたち並ぶ姿には圧倒されます。特に葵橋から上流の右岸は大きく育った大樹の木陰で、読書をしたり食事をしたりされている方をよく見かけます。

 

 若干大きくなりすぎて鴨川沿いの加茂街道側は、車の走行の支障となるため、横に伸びた枝は剪定するしかありません。

 

 そんな中、鴨川真発見記をご覧頂いているある方からメールを頂戴しました。

ニレ科の大樹の枝が園路に下がってきているのをなんとかして欲しいという内容でした。そのメールがこちらです。

 

<頂いたメール>

いつも、楽しく拝読させていただいております。

今日は久しぶりの晴れ、

気持ちのよい秋風に、朝の鴨川散歩も距離を延ばしてみたくなりました。

 

東一条から、葵橋を超え、

お天気の良い日の休日にはよく朝食を持参で行くのが

枝ぶりの美しい木の下のベンチです。ちょうど犬の綱を結べて

本当にリラックスできるし、この大きな木のおかげで

日差しからも守っていただき、トンビからも朝食を狙われることなく、

鴨川の眺めもとてもよく、素晴らしい時間をいただいている場所です。

(写真添付)

 

久ぶりだったので、驚いたのですが、

道にせり出た大きな枝が、 今までより下がっているように感じるのです。

180センチの主人が走って下を通れば

タイミングが悪ければ、頭を打ちそうです。

自転車の方なら、夜とか暗ければ、当たるのでは?と感じました。

 

 

<葵橋上流>                                              <園路に張り出した枝>

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今日はとても良いお天気だったのですが、

とても風も強く。

その枝には葉も茂っているせいか、大きくゆれていました。

先日の台風や大雨で、ずいぶん痛めつけられたのではないでしょうか?

 

いとしい、いとしいこの木を

どうか助けてあげていただきたいです。

京都御苑の木のように支えをしていただけたら・・・

せめて枝の葉っぱを少し減らして、

揺れるのを少し減らせればと思います。


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絶対に、折れたり切ったりしないよう

保護していただきたいのです。

 

それはそれは美しい、私たちの鴨川にはなくてはならない葵橋北の西側のシンボル的な木です。

 

どうかよろしくお願いいたします。

 

何か良い策はないものでしょうか?

<以上>

 

 

 そこで、鴨川公園を管理している当所の管理室の担当職員にこのメールを頂戴した事を伝えました。

 

 担当職員は、通行の妨げとなっているこの枝の処理について、検討しました。その案は次の3つの案です。

1 枝を切ってしまう。

2 木材を下からあてがって上へ持ち上げる。

3 幹の上の方からワイヤーで吊り上げる

 

 この3案で所内検討を行った結果、1はメールを頂戴した方からも「絶対に折れたり切ったりしないよう保護して頂きたいのです」とご要望を頂いておりましたので、切るのはやめておこうということになりました。

 

 2は、ベンチ廻りに構造物を設置する事となるので、ぶつかったりしてトラブルが発生する可能性があり、良くないと判断されました。

 

 造園業者の方にも相談して、3が可能であると判断して、幹の上の方から吊り上げる方法に決定しました。

 

 担当職員から、3の施工がその日実施されると連絡を受け現場へと足を運びました。現場へ到着すると、幹へロープが取り付けられた直後でした。

<現場へ到着 垂れ下がる枝>                               <幹から下がるオレンジのロープ>

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 京都土木事務所の職員と名乗って、施工の様子を見学させて頂きました。当初はワイヤーロープで吊り上げる案だったのですが、夏場の気温が高い時期はワイヤーだと熱で延びてしまい、締め直しをしないといけないので、「ケプラーロープ」を使用しますと説明を受けました。

 

 ケプラーロープは、ワイヤーロープと同様の強度があり、温度による伸び縮みが少ない特殊な繊維のロープです。

 

 ユニックで枝を持ち上げて、ケプラーロープを枝に巻き付けて支えます。試行錯誤を重ねて、枝を上げ下げしながら丁度いい具合の位置を決めていきます。

<高さを測りながら>                                     <どこまで吊り上げるか調整>

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<ロープを張ってみて>                                    <ロープの妨げの枝を剪定>

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<ロープまき付け箇所に>                                  <保護用のシートを巻いて>

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 作業中、行き交う地元住民の皆さんから、「伐ってしまえば?」とのお声かけもありましたが、「伐らないでなんとかしてほしい」とご要望を頂戴しましたのでと説明させて頂きました。

 

<人が当たるかもしれないので吊り上げています>

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 作業完了には少し時間がかかりそうだったので、途中で現場を後にしました。徒歩で事務所へ帰る途中も少し鴨川の様子を見ながら歩いていくと、草の上にコオロギの姿がありました。

 

<秋の鴨川>                                             <コオロギ>

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 地面にアカトンボが“ジッ”としています。死んでいるのかな?と“つん”とつつくと飛び立ちました。それにしても真っ赤な赤とんぼです。

<濃い赤色のアカトンボ>

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 川の中では、カイツブリが潜っては餌を捕まえています。どこに浮上するかわからないので見当をつけて撮影してみました。浮き上がった場所の光の加減で水面の色が変わりイメージが“ぐっ”と変わります。

<カイツブリが“潜って”“浮いて”>

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<場所によって水面の色が変化>

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 そして、後日完了した姿を確認しに行きました。だらりと下がっていた枝は少し上方に持ち上がっていました。

<園路が先の方まで見通せます>

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 幹からロープを張って、垂れ下がっていた枝の2箇所にロープでつり下げられています。まるで骨折した時の三角巾のようです。

<幹に巻き付くロープ>                                     <枝を支えて>

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 メールを頂戴した方へ施工の完了をお伝えしましたところ、大変喜んで頂きました。

 

 どんな要望に対してでもという訳にはいきませんが、地元の皆様のお声にもお応えしながら、鴨川公園の管理をさせて頂いているのが、京都府京都土木事務所であることも皆様に知って頂きたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

 

 

久々の小ネタ集(第253号)

秋の鴨川を歩いて出会ったあれやこれや

 

 空気がヒンヤリとして、木枯らしも吹いて冬の到来を肌で感じる今日この頃です。11月9日、あるテレビ局から「ユリカモメ」はもう飛来していますか?という問い合わせがありました。

 

 「チョット確認してみます」と電話を切って公益財団法人日本鳥類保護連盟京都の事務局に確認すると、「もう来てますよ。さっきメールでお知らせしました」とのお返事を頂きました。

 なんともタイムリーな情報です。

<メール内容>

皆さん

待ちに待ったユリカモメがようやく鴨川へ姿を見せてくれました。

11/7 荒神橋を5羽が通過

11/9 荒神橋界隈に8羽が着水

いよいよ京都に冬の到来です。

 

 さっそくテレビ局に情報提供しました。今年は例年より少し遅いようですが、冬の訪れを告げるユリカモメが姿を現しました。

 

 私も今年のユリカモメの姿を求めて鴨川を南下してみました。情報のあった荒神橋付近では見かけませんでしたが、更に南下すると三条大橋と四条大橋の間に2羽を確認しました。

<三条大橋・四条大橋間>                               <2羽のユリカモメ>

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 そして五条大橋の上流でも2羽を確認し、七条大橋上流で11羽を確認することが出来ました。まだまだ数は少ないものの「鴨川冬の風物詩」今年も健在です。

<五条大橋上流に2羽>                                <1羽は片足立ち>

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<七条大橋上流>                                       <11羽>

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 冬鳥のカモたちも少しずつ数が増えてきています。ヒドリガモ、コガモ、オナガガモと賑やかになってきました。

 

 もう冬の始まりですが、この秋鴨川・高野川を歩いて出会ったあれこれをご紹介したいと思います。10月中旬から11月中旬の様子をご覧ください。

 10月15日、高野川沿いを歩いていくと、足元にアサガオのような形をした小さなオレンジ色の花が沢山咲いていました。写真を撮って後で調べてみると「マルバルコウ」というヒルガオ科の植物でした。

<オレンジ色の小さな花>                                <マルバルコウ>

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※平成28年10月15日撮影

 

 川の中の中州では、ごろごろした礫の間から伸びたコスモスがピンク色の花を咲かせていました。日当たりと水はけが良ければ、やせた土地でも良く生育するそうで、「なるほど」他に草が生えていないのにコスモスだけ咲いていることに納得しました。

<川の中の荒地に咲くのは>                             <ピンク色のコスモス>

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※平成28年10月15日撮影

 

 その後も、シロ、キイロ、のコスモスが同じく中州で花を咲かせていて、ツマグロヒョウモン(チョウ)やハチの仲間が蜜を吸いにやってきていました。

 園路脇では沢山のコスモスが群れていました。

<シロ色のコスモス>

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<キ色のコスモス>                                      <ムラサキ色のコスモス>

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<コスモスの蜜を吸いに>                               <ハチとチョウ>

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<園路沿いに広がる>                                   <コスモス畑?>

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ミゾソバでしょうか?小さなシロとピンクの花も咲いていました。

<ヒドリガモの好物>                                       <ミゾソバ?>

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 この日はお天気も良く、川底まで太陽の光が充分に届いて小さな魚の姿もハッキリと見えます。魚の姿とアメンボの陰が並んで見えました。

<アメンボと小魚>                                       <大小の小魚>

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 コサギ、ダイサギも獲物を狙って動き回っています。さっきのような小さな魚は「サギシラズ」という昔の京都の名物佃煮だったとのこと。サギも知らない小さな魚ということですね。

<小魚を探す コサギ>                                  <ダイサギ>

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 今シーズン初お目見えは、ヒドリガモです。おいしそうに草を頬張っていました。でもまだ特徴の頭頂部のクリーム色が出ていません。冬の装いはもう少し後でしょう。

<ヒドリガモ>                                            <草をもぐもぐ>

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 ゆらゆらと揺れる水面に近い大きめの石の上に魚が並んでいました。石の垢をはんでいるようにも見えますが、まさか鮎ではないでしょう。出町あたりまで天然アユの遡上が確認されているようですが、私には解りませんが・・・。

<石の上>                                             <小魚がユラユラと>

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 この日も草刈り作業を目にしました。川の中に落ちた草が下流へ流れて行かない様に、川の中にネットを張ってくい止めて作業は続きます。

 

<草刈作業中>                                          <流れる草をネットで受け止めて>

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 色んな種類の魚が泳いでいるのがよく見えて、それを眺めているだけでも時間を忘れてしまいそうです。そんな中、写真を撮った時には気にとめていなかったのですが、どうやら「ブラックバス?」の群れが写っていました。特定外来種で駆除対象です。川の中を泳いでいるのを見るのは初めてです。

<小魚の群れ>                                       <ブラックバス?>

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 川の中州に降りて、落差工を滑り落ちる水の様子を撮影されている方もお見かけしました。そういえば落差工の水落ちをアップで撮った記憶がありません。一度挑戦してみたいと思います。

 

<落差工の下流で>                                  <流れ落ちる水を撮影>

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 10月22日は少しお天気が曇り気味、またまた高野川へと足は向きます。

たんぽぽの様なキク科の花が、川をバックにシロ、キイロの花を咲かせていました。

<白い花>                                             <黄色い花>

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 川の中では「イソシギ」がジッと佇んでいました

 

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 その翌日10月23日は、午前中「鴨川探検再発見!」の写真係としてスタッフ参加しました。その時撮った写真を二枚ご紹介します。大きな“ジョロウグモ”。カタツムリの親子でしょうか、この小さな幼生がこんなに大きく育つのですね。

<毒々しいお腹のジョロウグモ>                            <大小のカタツムリ>

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<鴨川の自然観察会>

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 11月に入って少し気温も下がってきました。11月3日は高野川をショートカットして出町からの鴨川散策に出かけました。

 

 早速姿を見せてくれたのは、コチラも今シーズン初めて出会った“オナガガモ”です。そして“コガモ”の姿もありました。冬鳥の役者が揃ってきました。

<オナガガモ>                                          <コガモ>

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 二条大橋上流の樹木には、果実が実っていました。香りを嗅いでみるとリンゴのような甘い香りがしました。

<実りの果実>                                       <甘い香り>

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 過ぎゆく秋と冬の気配を感じながら晩秋の鴨川、高野川をご紹介しました。

 京都市内では、神社仏閣の紅葉の名所を巡るのもいいですが、流れる川の傍で眺める紅葉もいいものです。来シーズンは少し川沿いを散策してみてはいかがでしょうか。

(京都土木事務所Y)

 

 

音羽川砂防堰堤耐震補強工事始まる(第252号)

今年も養徳小学校5年生出前講座で工事見学

 

 平成28年10月14日は、27年度に引き続き音羽川砂防堰堤耐震補強工事が再開されました。この現場の様子は、第236号音羽川でロッククライミング?でも紹介させて頂きました。

 

 工事の再開に先立ち、施工業者さん主催の「安全祈願」が執り行われました。

 当所の現場担当職員も「安全に工事が進みますように」と神様にお祈りしようと同席することになりました。

<雨天の対策テントの下で>                              <神職さんの祝詞>

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 現場に設置された小さな祭壇に神職さんが祝詞を唱えられた後、昨年度に施工された舞台の様にせり出したコンクリート構造物の上で、現在の堰堤本体と工事現場四方にお祓いが施されました。

<大きなご神体のようです>                              <キリヌサを振りまいて>

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<鬼門の方角>                                           <左岸の山付けの方角>

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<四方でお祓い>                                        <オオヌサを左右に振って>

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 その様子を撮影しながら上を仰ぎ見るとその大きさを改めて実感しました。この位置から音羽川の堰堤を見るのは初めての事です。これから工事が進むとその最上端を超える高さになるそうです。最初で最後のこの眺めを記録しておきたいと思います。

<見上げる大きく高い壁>                                   <長年土砂を受けとめてくれました>

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 ロッククライミング工法で削られた山の法面もモルタル吹き付けが施工されて補強部分のコンクリートを受けとめる準備が完了していました。

<ここで重機がロッククライミングしていました>

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 神職さんが祭壇の前に戻って来られると、玉串の奉納です。二礼二拍手一礼と安全を祈願されました。

 

<玉串奉納>                                             <二礼>

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<二拍手>                                                <一礼>

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 参列者全員の祈願が終わると、神様への捧げ物「御神酒」「塩」「米」を現場の四方に蒔いて「安全祈願」は終了しました。

<御神酒、塩、米を>                                       <堰堤本体、現場四方に>

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 この捧げ物の上からコンクリートを流し込みますので、供物が堰堤を守ってくれることでしょう。

 そして、10月24日(月)は27年度に続いて養徳小学校で鴨川・高野川の昭和10年の大水害を契機とした大改修と昭和47年音羽川の土石流災害を契機とした砂防堰堤強化の出前講座を行いました。

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 昨年度の出前講座の内容は、鴨川真発見記第225号でご紹介しています。今年度は若干修正していますが、そちらをご参照ください。

 

 養徳小学校での出前講座の3日後、同じく5年生児童が昨年度同様に今年度も再開した音羽川砂防堰堤耐震補強工事の現場見学にお越し頂きました。昨年度の現場見学は鴨川真発見記第223号をご参照ください。

 

 午前9時20分養徳小学校を出発した児童65名は、白川通りから山側の細い道に入って音羽川をめざします。山際の急傾斜地を見ながら「土砂災害警戒区域」を目にします。

<白川通りから山手へ>                                  <坂道を登って行きます>

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 途中比叡山から流れ出た花崗岩の風化した砂の堆積した流路を見ながら進んで行きました。曼殊院の前を通過すると音羽川に到着です。工事用道路には昨年大雨で流れ出た砂を詰め込んだ大型土嚢で補強している様子を紹介しながら工事現場へと向かいます。

 

<ここに溜まっているのが>                                  <比叡山の花崗岩が風化した砂>

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<沈砂池に溜まった砂を利用して>                        <大型土嚢で工事用道路を補強>

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 昨年一晩で満杯になった沈砂池も今年は大きな雨も無く、水をたたえています。学習ゾーンで少し時間調整をして工事現場に向かいました。

<昨年この沈砂池は砂で満杯>                          <水をたたえた沈砂池と積み上げられた土嚢>

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<澄んだ冷たい水>                                       <しばし時間調整>

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 工事現場では、南丹土木事務所からお借りした子供用のヘルメットを着用して、堰堤増し打ちの為にコンクリートを運んでくるコンクリートミキサー車を待ちます。

 

<工事現場へ到着>                                           <まゆまろのシール入りヘルメット着用>

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  程なくコンクリートミキサー車が次々と到着し、バケットにコンクリートが流し入れられて行きます。そのバケットをクレーン車で吊り上げて堰堤へと運ばれます。

<コンクリートミキサー車>                                     <続々と現場に到着>

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<バケットに流し入れ>                                     <クレーンで吊り上げ>

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 クレーン車のオペレーターと、現場の責任者がタイミングを合わせて必要な箇所へバケットを運び込み、コンクリートを型枠の中に流し入れます。すかさずバイブレーターで均一にならします。

<堰堤へと運びます>                                       <オーライ、オーライ>

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<はい、そこです>                                           <コンクリート流し入れ>

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 この間、コンクリートミキサー車やクレーンの稼働する音が工事現場に響く中、少し高台の場所からその様子を見学しました。当所の担当職員が大きな声で目の前で展開する工事の内容を説明しました。

<見学場所で移動>                                       <木の合間から現場を覗く>

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<少し離れた高台で>                                  <大きな声で工事説明>

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 児童達は、工事の様子を飽きる事無く見つめていました。一通り工事の説明が終わると、学習ゾーンに戻って質問タイムです。

 「どの位の期間で完成しますか」「コンクリートはバケット何杯必要ですか」「工事にはいくらのお金が必要ですか」などなど熱心に質問してくれました

<静かな場所で質問タイム>                                <質問のある人!>

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 よいお天気に恵まれて、有意義な工事現場見学会となりました。この児童の中から将来の土木技師が生まれる事を期待しつつ現場を後にしました。

(京都土木事務所Y)

 

 

 

 

 

 

 

 

平成25年台風18号 下鳥羽災害記録(第251号)

水災害の教訓を後生に伝える活動を支える村瀬克子さん

 

 平成28年10月17日に下鳥羽自治会から山田知事に「平成25年台風18号下鳥羽災害の記録」という冊子が手渡されました。私の手元にもその冊子が届きました。

 今回は、この記録誌と共に、作成にあたって自ら陣頭指揮をとられた下鳥羽市政協力委員連絡協議会会長の村瀬克子さんのご紹介をしたいと思います。

 ※記事に使用している写真は主に記録誌から引用させて頂きました。

<冊子表紙>                       <知事へ手渡し 中央が村瀬克子さん>

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 平成25年台風18号による増水で鴨川から水が溢れて家屋や道路が浸水した下鳥羽での災害の記録が示されていました。読み進んでいくと、災害時の各関係機関などの対応の状況などが克明に記されています。

 

<旧千本水防倉庫前>

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 単なる事実の記録のみならず、下鳥羽で生活しておられる方々がかつて経験したことの無い水災害に戸惑い呆然としながらも災害を最小限に食い止めようと奔走した記録とともに、かつて経験しなかった水災害への対応への反省点が記されています。

<溢れ出す鴨川>                       <土嚢積み>

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 まさに「まさかの時」どのような行動をとるべきか!後生に伝える教科書となっています。誰もが被災していないと「他人事」となってしまいます。下鳥羽の方もニュースで水災害の報道を目にしても「お気の毒」とは思っていても、自分の身には関係の無い事と思っておられた様です。

 

  どこの地域でも起こりうる「水災害」について考え直してみる教材として活用できる素晴らしい冊子に仕上がっています。

 

 

 

 読み終わった後、村瀬さんの存在を知り、お話しを聞かせて頂く事としました。村瀬さんは、快くご自宅に招き入れてくださいました。

 

 さて、何からお話し頂こうかと思いつつお宅を訪問しましたが、具体的に項目を決めてはいませんでした。

 はじめに、「まさに水が溢れ出た時村瀬さんはどうしておられましたか」と尋ねると、深夜から降り続いた雨で、鴨川が溢れそうだという情報は入っていて、明るくなって家から出ようとしたところ、家の前の道路にひたひたに水が流れていて家の中に戻ったとの事でした。当時の水口伏見区長さんからも危ないから外に出ない様に連絡があったそうです。

<旧千本 下板橋通り>                 <下板橋通り>

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 市の広報車が巡回して、小学校に避難するようスピーカーから避難の呼びかけがありましたが、実はその小学校のグラウンドは水が流れ込んで避難出来る状況ではありませんでした。「小学校は水が入って避難出来ませんよ!」と声を掛けると、広報車の担当者には情報が入っておらず、きょとんとした様子だったそうです。

 情報伝達の役割を担う行政の情報共有という点で反省点となりました。

<下鳥羽小学校>                    <下鳥羽小学校校庭浸水(35cm)>

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 小学校が水災害時に避難場所として機能しない事も判明したので、直ちに村瀬さんは自治会館を開放して避難所として利用する様指示を出されました。おむすびを調達する様にとの指示も出されましたが、地元スーパーなどで調達出来たのは200個程度で、前日から災害対応をしている人には行き渡りません。

 

 そこで、日頃のおつきあいから「一升炊ける炊飯器」を持っているお宅の方の顔を思い浮かべて、一人一人に電話して「今すぐ一升のお米を炊いておむすびを作って」と指示を出しました。

 

 

 そのおむすびを教頭先生が家々を回り集めて、災害対応している水防団や消防団、浸水被害の後片付けなどをしている方々等へ届けました。おむすびを受け取った方々は一息つけた瞬間でした。

 

<災害宅の復旧作業>                 <被災家財などの運び出し>

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 川の水はあっという間に流れ出て、下鳥羽の地域をのみ込み、あっという間に水は引いていったそうです。昭和46年にこの地に移り住んで初めての経験だったそうです。移り住んだ頃は辺り一帯が田んぼだったそうで、そのままの状態であれば、今回のように水が溢れても田んぼにたまって家や道路までつかることはなかったかもしれません。

 

 村瀬さんは続けます。鴨川の流域に降った雨は、全部鴨川の最下流「下鳥羽」へ流れ出てくる。その最下流こそしっかりと治水工事をしなければならない。「下」があってこそ「上」がある。「上」ばかり手当してもよろしく無い。

 

 そして、今回さらに驚いたことは、下鳥羽に住んでいながら浸水しなかった地域の方は、この災害の事実すら認識していなかったことだそうです。

 

 そこで、この災害の記録を教訓として後生に残す事の必要性を感じたそうです。水防団・消防団の血気盛んな若者の背中を後押しして記録誌の作成を促しました。

 

 最初は文字を並べただけの記録誌で済ませる様な方向性で取り組んでいましたが、文字だけの並んだ文章では人の関心を引くことが出来ない。誰も読んでくれないんじゃ無い?と村瀬さんは助言されました。

 

 地域の方が撮影した写真集めが始まりました。よくぞこんな写真が撮れたものだと感心する様な写真が集まりました。特に臨場感ある写真が表紙を飾り、「こんな事になっていたのですか!知らなかった」と見る人の目を引きつけました。

 

 京都府、京都市の補助金を利用して立派な冊子に仕上げる事が出来ました。地元の小学生の教材としてはもちろんの事、市内の水災害と縁が無いと思っている大人や子どもに対する教材としても活用されていくと思います。

 

 長く市政協力委員や環境委員として活動されてきた村瀬さんの声かけだからこそ、行政や府・市の議会議員をはじめとする多くの関係者が迅速に対応したという背景もありました。

<空いている“パッカー車”は下鳥羽へ>

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 「自慢じゃないけど」と謙遜される村瀬さんに、私からは「おおいに自慢してください」と伝えました。若い水防団員や消防団の方々も「やらされている」のでは無く熱意を持って記録誌作成に協力してくれたからこそ「何処に出しても恥ずかしくない立派な記録誌ができあがった」と嬉しそうでした。

 

 村瀬さんの口からは「私は旗振り役としてみんなにイヤな事も言ってきた」「それは地元にしがらみの無いよそ者だからこそ出来た事」とこれまでの活動を振り返っておられました。

 

 そこには、3年前に他界されたご主人の理解があったと付け加えられました。

 地域のため、人のためにせっせと活動を続ける村瀬氏にご主人も最初は関心を示しておられなかった様ですが、「どうせやるなら楽しんでやれば良い」と理解を示され、退職後は秘書の様に活動を支えて来られたそうです。

 細々とした書類の整理や文章の校正など頼りになる秘書を失った村瀬さん、ご主人のことを生前は「あれや、これや」とうるさいと思った事もあるけれど、失ってそのありがたさをヒシヒシと感じると語られました。

 

 村瀬さんのこれまでの活動のお話しを聞いていると、人を説得する話術にたけた方だと感じます。何かをお願いする時、一方向の視点で説得するのでは無く、相手方が回り回って自分の為にもなるのだと納得する視点でお話しをされます。

 

 なるほど、それなら協力しなくてはと納得されるのです。実に機転の利いた話術で相手方から何かを引き出して行く頭の回転の速さを実感しました。口ではしんどい事ばかりといいながら「人の為になる活動は楽しい」ともおっしゃいます。

 

 また、こんなエピソードも聞かせて頂きました。地域の先人の方達より、下鳥羽はよく水が溢れる地域だったと聞かされていた村瀬さんは、平成16年の台風による増水後、鴨川を点検していると、今回の溢水箇所の堤防の石積みが崩れそうになっている事に気づきました。

 これはなんとかしなければということで、区役所に直談判して河川管理者である国、京都府、と話し合う場をつくってもらい、結果防水シートで補強する工事までしてもらうことができました。

 

 今水害を振り返ると、あの補強工事があったからこそ、今回破堤することなく溢水被害で留まったのではないかと思い、苦労したかいがあったなあと思うとのことでした。

 

 記録誌の中から京都土木事務所としても嬉しいエピソードをご紹介したいと思います。溢水後、またしても台風が接近するとの情報が入り、同じ溢水が起こるかもしれない状況になりました。

 

 京都府や関係機関と地元住民が集まって、今行政にして欲しいことなど要望がだされました。水が溢れない様に土嚢を積み上げて欲しいという要望でした。京都府としても同じ水害を繰り返す訳にはいきません。要望に応えて溢水した箇所に土嚢を積み上げました。

 

 台風は3日後くらいに到達する予測でしたので時間がありません。迅速な対応が求められます。突貫工事で土嚢を積み上げました。幸い台風の進路がそれて大きく増水する事はありませんでしたが、土嚢を積んだ箇所の近くの木に、荷札が掛けられました。

 

 近所にお住まいの木下徳治さんが書かれた文字は、「感謝です。土木事務所の一夜城 近所の住民」という内容でした。

<積み上げた土嚢>                              <荷札に書かれた文字>

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 このような形で頂いた感謝の気持ちは、京都府知事にも届けられました。出来る事を迅速に「公助」の形が目に見えるエピソードとなりました。

 

 その後、土嚢ではなくコンクリートのパラペットで水が溢れるのを防ぐ工事を施し、漂流物を堰きとめた龍門堰の管理橋を撤去して龍門堰本体も切り下げて一安心となりました。

<特殊堤防>

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<漂流物を堰き止めた龍門堰管理橋 現在は撤去済み>

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 28年度からは、桂川合流点上流の掘削工事による改修が始まります。鴨川流域のすべての水を集める最下流域の暮らしを守る工事にご期待ください。

 

<鴨川下流部 河川改修計画>

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(京都土木事務所Y)

 

鴨川源流域を流れる川の名は(第250号)

一級河川鴨川起点より上流の普通河川

 

 鴨川の一級河川としての起点から下流は桂川との合流点まで当然ながら「かもがわ」という発音で一般的に充てられる漢字は高野川との合流点までを「賀茂川」又は「加茂川」、高野川との合流点から下流を「鴨川」とする場合が多いです。

 

 河川法上管理している「かもがわ」は一級起点から桂川合流点まで一貫して「鴨川」に統一していますが、地元の方が親しみを込めて充てられる漢字を否定するものではありません。

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 それでは、その上流はどうでしょうか。鴨川の一級起点よりも上流は、京都市管理の普通河川です。地元にお住まいの方から「雲ヶ畑川」という河川名を耳にしました。正式に「雲ヶ畑川」という名称があるのかどうか気になっていました。

 その方のお話では、鴨川源流「桟敷が岳」から流れ出る「祖父谷川」、祖父谷川が鴨川信仰の源流岩屋山「志明院」から流れ出る「岩屋谷川」と合流して、その後鴨川一級起点までを「雲ヶ畑川」と地元の方は呼んでいるとの事でした。

 

 そこで、京都市統計ポータルサイトを覗いてみると、主要普通河川という項目にたどり着きました。

 

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  本表にいう「主要普通河川」とは、流路延長概ね3km以上で、下流端で一級河川(同一河川名は除く)に接続するものである。

 

 とあります。その表の一番上に「祖父谷川」の表記があります。

 

河川名 祖父谷川(そふたにかわ)

流路延長 8,200m

上流端 北区雲ヶ畑出谷町

下流端 一級河川鴨川合流点

 つまり、河川管理上は鴨川一級起点から上流の本流は祖父谷川で、雲ヶ畑川という河川名は出てきません。

 

 河川管理上の河川名と場所によって違う呼び方をする河川はというと、身近なところでは、「桂川」がそうです。京北を流れる上流域から「上桂川」「桂川」「大井川」「保津川」「大堰川」「桂川」と地域によって呼び名が変わります。すべて桂川ですが、当所の管内図でも通称を()書きで添えています。

 

 鴨川も昔から今の河川法上の一級河川全域を鴨川としていたわけではありません。それでも歴史的には平安時代から鴨川の名は語られています。

 

 それでは、河川法上はどういう経過で定められてきたのでしょうか。京都府公報を紐解いてみましょう。

 

明治29年9月30日

[告示第177号]内務大臣の許可を経河川法第4条により淀川の支流と認定する

鴨川 大阪街道紀伊郡上鳥羽村大字塔の森より、同郡下鳥羽村大字中島に跨る小字小枝橋下流桂川落合に至る

 

 最初に河川法で定められた鴨川は、小枝橋から下流のわずか2km余りの短い区間でした。

<小枝橋~桂川合流点 現在の様子>

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 そして大正6年には、河川法を準用する準用河川に認定されます。

 

大正5年3月20日

[京都府告示第130号]

 鴨川 河川法第5条により、河川法に規定している事項を準用すべき河川に認定し大正6年4月1日より施行する

 

 愛宕郡(おたぎぐん)上賀茂村大字上賀茂 鞍馬・中津川両川合流点以下紀伊郡上鳥羽小枝橋に至る

 

 現在の鞍馬川合流点まで一気に河川法が準用される鴨川となりました。この区間は従来から「かもがわ」と呼ばれていたと想定できます。江戸時代の鴨川修復の絵図「鴨川筋絵図」でも鞍馬川と岩屋川の合流点で河川名が変わっているので間違い無いでしょう。

 

 そして、昭和に入り準用河川区間は一級河川に認定されます。

昭和3年1月24日

[京都府告示第50号]

 明治29年京都府公告第177号を以て認定告示した淀川支流鴨川の区域を以下の通り追加認定する

自:愛宕郡上賀茂村中津川合流点

至:紀伊郡下鳥羽村大字中島 小枝橋

<鞍馬川・中津川合流点 現在の様子>                 <写真右から鞍馬川が合流>

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 ここで中津川との合流点までが一級河川として認定されました。先程紹介しました絵図では、鴨川の上流はイハヤ川(岩屋川)となっていましたので、この時期には中津川が本流として鴨川が合流する川の普通河川名に変化したようです。

 

 そして昭和40年3月24日の官報に鴨川の区域を現在の一級起点に定めています。

鴨川(中津川を含む)

自:京都市北区雲ヶ畑中畑町17番地地先

至:桂川への合流点

<鴨川一級起点 現在の様子>

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 こうして一級河川鴨川としてこの区間を京都府が管理しています。

 この変遷を図で表すと次の様になります。

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 話を最初に戻しますと、「雲ヶ畑川」の話です。江戸時代鴨川の上流域は岩屋川と呼ばれ、そこから推定出来る事は、岩屋山から流れ出ている岩屋谷川が本流として支流の「祖父谷川」「中津川」と合流して流下し、「鞍馬川」と合流して鴨川となったという事です。

 

 その後、鴨川と合流する岩屋川は、先に合流する祖父谷川にその名を譲り、その下流で合流する中津川が本線となり鴨川へと合流する事になったのでしょう。

 

 そしてその中津川も下流から区域を追加された「鴨川」にその名を譲り、支線として現在の形態に落ち着きました。

 

 現在地元の方が「雲ヶ畑川」と呼んでおられる区間も「岩屋川」だった事でしょう。もしかすると、当時から地元では親しみを込めて雲ヶ畑川と呼んでおられたのではないでしょうか。

 と、ここまで書き進んだところで、確かな情報を得ました。普通河川を管理する京都市の職員さんからです。

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 京都市の河川管理台帳上も桟敷が岳の佐々里峠から流れ出た普通河川は、祖父谷川で鴨川一級起点まで、岩屋山から流れ出て祖父谷川に合流する普通河川は「雲ヶ畑岩屋川」となっているそうです。

 

 鴨川に合流する川が「岩屋川」だった頃、正式には「雲ヶ畑岩屋川」だったとすると、略して「雲ヶ畑川」だったのかもしれません。

 

 鴨川源流の本流「祖父谷川」をここが“源流”と伝わる場所に行ったことがあります。イメージしていた源流とは少し違いました。その様子は鴨川真発見記第239号 2016ゴールデンウィーク“その2”鴨川源流足谷の自然観察会の中でご紹介していますのでご参照ください。

<地図・航空写真・地形図に見る源流点と現地写真>

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 最近、雲ヶ畑村だった頃の村役場の行政文書が長年の歳月を経て日の目を見ました。明治初期からの村の暮らしを示す行政文書です。川の災害復旧などの文書も沢山含まれていますので、鴨川上流域の河川名についての詳細も解き明かされる日も近いのではないでしょうか。

 

(京都土木事務所Y)

 

 

雲ヶ畑 秋の足谷おむすび紀行(第249号)

知らなかった!「山椒」を真発見

 

 平成28年10月8日(土)は、雲ヶ畑足谷へ「鴨川おむすび紀行VOL4」と題して自然観察ツワーを開催しました。私の所属するNPO法人京都景観フォーラムの活動の一部です。

※京都景観フォーラムのホームページにリンク(外部リンク)

 

 降水確率80%と高い確率で降雨が心配され、雨が降るのならとキャンセルされる方もおられたようですが、結果的には降雨にみまわれる事無く無事に自然観察をする事が出来ました。

 

 雲ヶ畑バスもくもく号で終点の岩屋橋へと到着すると、雨が降る前に目的地まで到着しようと足早に足谷の入り口へと向かいました。

 

 それでも道中には魅力的な植物が出迎えてくれます。最初に紹介されたのは、ハナワラビの仲間です。ハナワラビの仲間は、栄養を得るための大きく広げた「栄養葉」の他に子孫を残す為の「胞子葉」を立ち上げるそうです。この胞子から来年新たな子孫が芽吹く事でしょう。

<ハナワラビの仲間>                                                    <高く立ち上がる“胞子葉”>

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 横に流れるのは、一級河川鴨川に合流する祖父谷川です。この流れをたどってくと、第239号でご紹介しました、鴨川の真の源流へと繋がって行きます。

<祖父谷川の澄んだ流れ>

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 川沿いの木にアケビの蔓が巻き付いて、サツマイモの様な色合いのアケビがぱっくり口を開けて種を運んでちょうだいと言わんばかりです。手にとってみてみると既に鳥がその役割をかって出たようです。

<サツマイモの様な色>                                    <中の果実は少し残してかじられて>

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 まだ実が手つかずかと思いきや、アリがその身の中に入り込み、甘い果実を物色していました。

<食べてみようか>                                        <アリがいる>

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 その先に咲いている白い花が紹介されました。ただ単に白い花かと思いきや、ズームアップすると、なんとも芸術的な黒い斑点と黄色い水玉模様が見えてきました。

<白い花>                                                   <細かな模様>

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 珍しい植物が紹介されると、参加者の皆さんもスマホやカメラを構えて画像のお持ち帰りです。

 

<もっと近くで観察>                                      <画像のお持ち帰り>

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 足谷に足を踏み入れると、林道脇の樹木に素敵な札が架かっていました。雲ヶ畑にお越しになった方はこの気持ちを共有出来るのではないでしょうか。

 

 私はこの山がすき

 雲ヶ畑がすき

 雑木林が大好き

 空の色がいい

 澄んだ流れがいい

 出会う人がいい

 いっぱいあるけど

 皆んな大好きだ

 

 自然がいい、人がいい。この2年余り雲ヶ畑の自然と人に触れて思った事がこの一枚の札に溢れていました。

<雲ヶ畑の魅力が一枚に>

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 マツブサの実、春に来た時には緑色の房状に実っていた実は、秋を迎えて黒く熟していました。その実を味わってみると甘酸っぱい実りを感じました。

 

<黒く熟れた果実>                                  <マツブサの実>

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<食べてみてください>                                  <甘酸っぱい>

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 今回ただ一人の小学生の参加者、小林初菜ちゃんが足元をじっくり見ながら歩いていると、団栗や栗を見つけては報告してくれました。

 

<ドングリ見つけた>                                           <クリ見つけた>

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 行く先々で、紫色に熟したアケビがぶら下がっています。10日程前に下見に来たときには、たった1つだけ熟したアケビがありましたが、その間に次々と熟したようです。

<行く先々でアケビ>                                         <下見の際に1つだけ立派なアケビ>

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 初菜ちゃんが見つけたのは、実りだけではありませんでした。山のやっかい者、「ヤマビル」です。知らぬ間に皮膚に吸い付き、その小さな体をぱんぱんになるまで血を吸うやっかい者です。この日も「ヒル下がりのジョニー」という撃退用のスプレーを準備しましたが、数名の犠牲者が出ました。

<写真中央にヤマビル>

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 毒があるわけでは無いので、「かゆい」「血が止まりにくい」以外は害は無いのですが、血を吸ってぱんぱんに膨れあがった姿には恐怖を感じる方も少なくないようです。

 

 

 春の山菜天ぷらの定番「タラの芽」も秋を迎えて「タラの実」へと姿を変えています。茶色く実ったタラの実を見て、「酒の肴タラの芽の天ぷら」にしか縁が無かったとおっしゃる参加者もおられました。

 

<タラの木>                                              <タラの実>

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 ぷっくり膨れたキノコの仲間を、枝でつつくと真ん中の穴から胞子が飛び出しました。つんつくつん。

 

<身を寄せ合うように>                                       <つんつくつん>

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 他にも色んなキノコが傘を開いていましたが、キノコの知識はありません。触らぬ神にたたり無しです。

 

<キノコ>                                                       <キノコ>

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 またまた初菜ちゃん何かを見つけてくれました。「バッタ」です。昆虫好きの参加者が一目見て「フキバッタ」と教えてくださいました。

 足谷の山は、希少種の宝庫です。その希少種を保護する活動をされているのが、今回ご案内頂いた「雲ヶ畑足谷人と自然の会」です。それを告知する看板も立てられています。盗掘等なさらないでください。

<フキバッタ>                                            <保護活動の告知>

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 そして、今回の山案内の目玉「山椒」の観察です。皆さんは、山椒というと何色のイメージがありますか。多くの方は実山椒の緑色のイメージが強いのではないでしょうか。実は秋のこの時期の山椒は熟して「真っ赤」に染まります。

<赤く熟した山椒の実>                                    <熟して弾ける皮 中には黒い実>

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 私も下見の際に初めて知ったのですが、真っ赤に熟すのです。その事を教えてもらった際に、「知らなかった。知ってる人は少ないのでは?」と話すと、「誰でも知っているでしょう」との返事がありました。

 

 その後10人くらいに尋ねてみましたが、赤くなるのを知っていたのはたっったの一人でした。この日の参加者もその事を知っておられた方は少なく「へ~」という反応が起こりました。

 更に山椒はミカン科で、よく見るとミカンの皮同様のぶつぶつがあります。その皮の部分が熟するとはじけます。その皮の部分を乾燥させて粉にした物がウナギの蒲焼きにかける山椒の粉なのです。

<ミカン科の山椒 表面にミカンの様なつぶつぶも 山椒の香立つ>

 

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 ここで、山主さんの「笑えるエピソード」を聞かせて頂きました。赤く熟した山椒の実をとげをかき分けて収穫し、どっさり持ち帰り、山椒の粉を作ろうと一生懸命皮と中の実をより分けたそうです。

 

 

 真ん中の黒い実が山椒の粉になると信じて、皮を吹き飛ばしながら黒い実が準備されました。さて、どうしたものかと詳しい方に電話で問い合わせたところ、「山椒の粉は皮の部分。なんとバカな事をして・・・」と笑われてしまったというのです。

 

 この詳しい方が今回ご案内頂いた西野氏です。山椒は「花山椒」「芽山椒」「実山椒」「山椒の粉」とその季節に応じて4つの変化で楽しめる万能な樹木です。山主の島岡氏も自分の山に山椒を沢山植樹して山椒畑を作りたいと夢を語られました。

 

 相変わらず足元を見つめながら進む初菜ちゃんが、指さして「メロンの柄に似ている」と教えてくれました。人それぞれ発想が豊かだと感じた瞬間でした。

<メロンの皮の様に>

 

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 ベニバナヤマシャクヤクの実が赤と黒の果実を付けています。下見の際はぱっくり割れた実から原色の果実を覗かせていた実は、その姿をあらわにして猛烈にアピールしている様でした。

 

 

 黒い実が「本果」といって本物の種のある果実。赤い実が「偽果」といって種の無い偽物の果実だそうです。赤い果実「偽果」で誘って本物の果実を食べてもらう作戦のようです。

<下見の際のベニバナヤマシャクヤクの実>            <ツワー当日の様子>

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 こうして雨に降られる事無く、下山する事が出来ました。下山後は久保常次、清美夫妻の農家民宿「ぜーもん」でツワーのコンセプトでもある「おむすび」を参加頂いた皆さんで握ってお昼ご飯を食べました。

 

 その後、足谷ツワーの感想を参加者全員が語り合って、雲ヶ畑の自然と人の素晴らしさを実感する有意義な時間を過ごす事が出来ました。

<参加者が自ら握るおむすび紀行>

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<配膳も参加者で>                                           <感想を語り合って無事終了>

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 参加頂いた皆さん、そして鴨川真発見記をご覧の皆さん、また鴨川源流雲ヶ畑にお越しください。そんな機会を用意してお待ち申し上げております。

(京都土木事務所Y)

 

初秋の川沿いを歩いて振り返る(第248号)

夏の終わりのエトセトラ

 

 朝晩の気温も低くなり秋を感じる今日この頃、9月24日(土)は早朝からふらりと高野川・鴨川の様子を楽しみにお出かけしてみました。

 

 高野川を松ヶ崎橋から南に下がっていくと、川の中に花が咲いています。ピンクのフヨウ白のフヨウがこんもりと茂って花を咲かせていました。

<川の中に“こんもり”と>                                   <ピンクのフヨウ>

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<こちらは白いフヨウ>

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 キレイに刈り取られた高水護岸には、今年もヒガンバナが赤く並んで咲いています。そのヒガンバナを眺めながら一人散策するご婦人の姿がありました。

 

 更に進むと、今度は白いヒガンバナが迎えてくれました。

<今年も赤いヒガンバナが整列>                          <ヒガンバナの傍を散策>

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<こちらは白いヒガンバナ>                               <赤よりも少し開くのが遅い?>

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低水護岸の石積みの間からは野草が根を張り花を咲かせ、ハチの仲間が蜜を吸っています。

<石積みの間を割って>                                 <薄紫色の花にハチの仲間>

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<花開く前のほうがキレイ?かな>

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 川の中で花を咲かせているヒガンバナを上から覗くと、真っ赤ではなく白いラインも混ざって、紅白の水引の様にも見えます。

<少し色合いの違うヒガンバナ>                              <赤白の水引のような>

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 高水敷のフヨウは、一つの株にピンクと白の花が混ざって咲いています。

<一株にピンクと白のフヨウ>    <ピンクの方が遅咲きのようです>

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 ここまで歩いてきて、草刈り機の音が聞こえてきました。キレイに草刈りされた中を歩いてきたのですが、その草刈りは上流から下流へと続けられています。ここまでに目にした花は草刈りの際に丁寧に残されたようです。

<草刈りの境目>                                          <作業が続いていきます>

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 人の背丈を超えて「うっそう」と生い茂る寄り州の草木を草刈り機で少し残しながら刈り取って頂いて、気持ちよく散策できます。(自然への配慮)

 

<暑い中有り難うごいざいます>                            <50cm程残して刈り取り>

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 ここで振り返りです。7月の鴨川歩き企画の際に、鴨川の河床から生えた一本の木を知人に紹介してもらいました。その方は、園路から手を伸ばして、その木に実った果実をもぎ取り、果肉をはぎ取って中の種を見せてくれました。

 

<写真中央に丸い実>                                   <こんなところに何の木>

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 その木の正体は「オニグルミ」です。川の中に管理者が木を植える事はありませんので、自然に生えたクルミの木でしょう。

 

<堅い果実をはぎ取ると>                               <中から種が出てきます>

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 7月の時点では、果実はまだ堅く青いものでしたが、9月の終わり熟した実が寄り州に落ちていました。護岸にしがみつきながら川の中の寄り州に降りて黒く変色した実を拾い上げて、園路の水道で洗ってみました。

<2ヶ月後再び>                                                 <川に落ちた実を拾いにやってきました>

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 しわしわのクルミが姿を現しました。スーパーで売っているクルミは輸入のもので、「オニグルミ」は在来種のクルミだそうです。天日干しして炒って割ればあのクルミのナッツを食べる事ができます。

 

<黒く変色したオニグルミの実>                              <中からしわしわのクルミ>

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 木にはまだ実がついていますので、鴨川・高野川の源流域から流れ着いて芽を出し根を張ったのかもしれないクルミの木を探してみませんか。

<まだ実がついていました>

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 この日最後に目にしたのは、再度ヒガンバナのようです。一輪の黄色いヒガンバナらしき花が、園路にぽつんと横たえてありました。黄色いヒガンバナは初めて目にしました。

<黄色いヒガンバナが落ちていました>

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 赤白黄色のヒガンバナ、鴨川の中に「オニグルミ」又知らなかった事を知りました。これが「鴨川真発見記」の「真」発見の原点です。

(京都土木事務所Y)

 

鴨川真発見記番外編

池田碩先生と行く花脊別所    自然災害がつくる山村形成のメカニズムを探る

 

 今回は鴨川真発見記番外編として、鴨川からは少し離れますが同じく淀川水系の桂川水系上流域からの情報をお届けします。

 

 そのナビゲーターは、奈良大学名誉教授の池田碩(ひろし)先生です。池田先生の紹介をすると少々長くなりますので、下記URLからご確認ください。

 自然災害調査に関してとても実績のある先生です。

 

※自然災害地研究 池田碩著 海生社(一部抜粋)webで検索

 

 

 でも少しだけ、池田先生と私の接点をお話しさせて頂きたいと思います。それは、当所が管理する高野川の支流音羽川に端を発します。

 

 昭和47年の土石流災害をくまなく調査された池田先生に当時の写真提供をお願いしたのがおよそ2年前の事でした。池田先生は大学を退官される際に多くの資料を処分されていて写真を提供頂く事は叶いませんでした。

 

 自然災害調査で全国を飛び回る多忙なスケジュールの合間を縫って会いに来てくださいました。それから“出会いは突然に”のおつきあいが始まりました。

 

 今回もキッカケは私が作ったのですが、ナビゲートして頂いた内容は池田先生の提案でした。約束の日、池田先生は音も無く私の目の前に立っておられました。

 

 この日同行する上司の技術次長に先生の到着を知らせ、会議室に案内しました。そこで、その日の主たる目的について解説がありました。そう、土砂災害についてです。

先生のお話をすべてご紹介すると長くなりますので、かいつまんで説明させて頂きます。

 

ポイント1

 神社や仏閣は、その地域(山村)の土砂災害や水害を免れる位置に建造されている。

 

ポイント2

 土砂災害(土石流)はマイナスの面のみならず!

 海底プレートや活断層の活動で発生する地震により、山は隆起する。そして大雨により山は崩れる。

 花崗岩は風化して真砂(細かい砂)となり流れ出す。耕しやすいこの土が耕作地を作り、人々が農作物を栽培する田畑ができる。

 

ポイント3

 そして大切なのはポイント2のような土石流は100年に数回は起こるであろう土石流とどう付き合うかである。山村を築いた人々にはその知識が備わっていたのである。土石流発生の気配を察知し、その時には一旦逃げる。自然災害が収まったら村を再建して、土石流がもたらした肥沃な土地を耕作してきたのである。

 

 全国各地で栄えた山村はこの3つのポイントを踏まえて生活が営まれてきた。

 

 そして今回向かったのは、その特徴が地形図から見てとれる旧別所村です。明治22年に別所の他、原地新田、八枡、大布施の四ヵ村が合併して花脊村となりました。

 

 花脊の地は花脊峠に見られるように険しい峠の山間部に位置し、平安京造営時の御用材を都に供給し、花脊の旧村々も薪炭を主な生業として生活が営まれてきました。

 

 それでは、別所村へ出発です。

 

 細い峠道の運転にいささか不安のある私に代わって上司にハンドルを握ってもらう事になりました。池田先生からは「上司自らドライバーとは立派な行動ですね」と少々耳の痛いお言葉を頂きました。

 京都土木事務所から別所へ向かうルートは、高野川沿いに国道367号を北上し大原で昼の食料を調達しました。その後一級河川高野川起点手前の小出石町から国道477号へ入り一路西へと向かいます。

 百井峠へ向かう国道(酷道)のジェットコースターを思わせる急な坂道、急カーブを霧煙る中進んでいくと、実に手入れの行き届いた杉林が現れました。霧に包まれ、整然と並ぶ杉木立のクネクネ道は神秘的にさえ感じます。

 

 百井峠を越えて、更に険しい花脊峠を越えると別所川が現れました。花脊別所町に到着です。一旦別所の集落を別所川沿いに北端まで北上し、Uターンして北から南下して高い場所を探してハンドルを切ると、花脊山の家に迷い込みました。

<花脊別所町への移動ルート図 C:京都府自治体情報化協議会>

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 高いところから別所の集落を眺めたいと申し出て、山の家の本館前まで通して頂きました。花脊山の家といえば京都市内の小学生が必ず一度は宿泊学習で訪れる場所です。私の息子もお世話になった施設は立派な施設でした。が、集落の様子は眺める事ができませんでした。

 

<花脊山の家 本館>

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 花脊山の家を後にして、一つ目の目的施設「お寺」を探します。車中で話題となったのが、「別所」という地名の由来は何だろうという事でした。

 

 「別所」ですから読んで字のごとく、どこか本拠地があってその別の場所だろうという事は想像できますが、では本拠地は何処なのだろうという訳です。

 これが一つ目の宿題となりました。後日、京都府立総合資料館の方に相談すると、旧別所村に設立された「別所小学校」の百周年記念誌の存在を教えて頂きました。別所村の歴史についてはこの記念誌の中に記されている「別所の史志」の中から抜粋してご紹介したいと思います。

 

 別所の名の由来の前に「別所の史志」より土地開発の伝承です。

土地開発の伝承 出典:別所校 百周年記念誌(昭和51年記念実行委員会)

 別所の地は、昔修行僧等が庵室や坊をつくって住み、寺々の写経等をして生活していて、この人達によって開発されたという伝承があって、これを否定する文献も証拠もなく一般的にそう信じられています。

 これ等の修行僧を知るために、どうしても延暦寺に触れねばなりません。

(以下要約)

 延暦寺は、伝教大師と呼ばれる最澄が創始した天台宗の本山で、平安時代の仏教の中でも文化的、政治的、経済的、社会的に支配する地位がありました。

 天台宗の教義は多数にわかれていて、様々な修行がありました。総数三千といわれた僧の中には比叡山以外の土地を巡る修行も行われ、自分で選んだ修行もやっていました。

 比叡山を中心として東に北につらなる地方を歩いても、そこには天台宗の世界があって、別所を中心としても北には保元元年(1156)に、平清盛と信西が寺院を建立した大悲山峰定寺があり、別所の地には阿弥陀寺があり、南方の鞍馬寺も平安末期に天台宗となっています。

 そしてこうした地方に僧が建てた庵や坊もあって、三千坊といわれるのはこれらを誇張した総数でありました。ですから別所にも福田寺の地に清盛が建てた観音堂があって、これも三千坊に含まれたのでした。

 延暦寺には公人(くにん)というのがあって、俗事や会計の仕事をし、時には領地の年貢収納にも出張する事がある者です。坊主頭に黒衣を着ても生活は俗人と変わる事がありません。これが山法師とも僧兵ともいわれる人達でありました。

 この人達が別所へ来て坊をつくって住むこともあって、写経等を収入の途としても数多く限りなくあるわけでなく、土民となって山に入ったり土地を耕すより他に方法がなく、土地に住みつけば村をつくる基礎ともなります。

 この人達が住みついたのは別所川の上流の地点で、現在上の町といわれる所で、ここは今も、「何々坊」「何坊」という字(あざ)が残され、これらは坊や庵があった跡だと思われます。

 

以上が土地開発の伝承の内容です。

 簡単に言ってしまうと、比叡山の山法師・僧兵が住みついて村の基礎ができ、集落が広がっていった村が別所村と伝承されているということです。

 

 別所という地名の由来は確たる説が伝わっておらず筆者の私考が記されています。その一部をご紹介します。

 

<別所の史志より抜粋>

地名の多くは、それぞれの理由があってつくられていますから、それを探ると土地の性格を知ることができます。別所の場合は的確につかむことが出来ず、あくまでも専断的なものとなりますが、一応考えてみると、別所という名は特別な所という意味で同じ地名が各地にもあります。

 別所の地が同じ延暦寺系の修行僧達によって開発されたことを思うと、当然土地の名をつけるにともなって、同じ天台圏内の地だけに、この人達は比叡山を中心として別所の名をつけたのではないでしょうか。

 

 それでは、旅の続きに戻ります。道路沿いにお寺を見つけました。その名は「福田寺」です。この報告書を作成するにあたり、「福田寺」「日吉神社」「採土場」の位置を航空写真と地形図を並べて整理しました。

<花脊別所町目的地付近 航空写真&地形図C:京都府自治体情報化協議会>

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 福田寺の歴史につきましては、先に紹介しました土地開発の伝承の中に出てきました。現在の様子を見てみましょう。

 

<お寺の山門>                                         <天王山福田寺(曹洞宗)>

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 お寺の門前には、大きな石に文字が彫り込まれています。そこには、「経塚 出現毘沙門天王」と読み取れましたが、当日は何のことだか解りませんでした。

 

 この経塚についても、別所校 百周年記念誌を読んでわかりました。

 

経塚というのは、平安時代に経文などを管に詰めて、塚に埋めたものです。何のためかなどの詳しいことは京都国立博物館のホームページにわかりやすく解説されていますので、そちらをご覧ください。

 

 ※京都国立博物館 博物館ディクショナリー 花脊経塚の遺物(外部リンク)

<経塚 出現毘沙門天王の碑>

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 経塚について百年記念誌での記述を引用させて頂きます。

<百周年記念誌より>

大正十年(1921年)の夏、別所の人達6名が阿弥陀寺跡に接する大平谷に植林をしていましたが、地盤が余りにも堅いので掘り起こすと唐櫃(からと)らしいものに当たって、遂に経塚を発見しました。

 

 内部から発見された品は、仏像、経文、経管、壺、刀身、古銭、皿や鉢等多数で、中でも右手を高く上に上げて身体を斜めにして立つ毘沙門天像は、渡金がはげていても薄板透かし彫りの火炎の光背を持って、約十四センチの金銅仏ながら優れたもので、重要文化財の指定を受けました。

 

 この記述から、福田寺=阿弥陀寺とするならば、福田寺が創建された当時は、大平谷にあったことになります。さて大平谷はどこなのでしょうか。もしかすると土砂災害で被災し、現在の地に再建されたのかもしれません。

 お寺の境内にお邪魔しますと、本堂が見えました。その背後の山の様子を見上げると、木々の隙間から空が見えています。なだらかな斜面だとわかりました。この地は安全のようです。

<本堂が見えました>                                     <写真中央屋根の上にかすかに空>

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 お寺を後にして、花脊別所町の集落を歩いてみました。茅葺き屋根であった民家の屋根は、様々な素材で覆われたり、瓦葺きになっている建物もありますが、その風景はいかにも山村といった雰囲気です。

 

 別所川に沿って民家が並びます。別所川の一級河川としての起点を示す黄色い標識が見えました。

<山村風景>                                              <一級河川別所川起点>

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 そして神社へ向かいます。木製の鳥居に迎えて頂きました。鳥居をくぐって振り返ると、別所川を挟んで両側からなだらかな谷が向かい合っているのがよくわかります。

<木製の鳥居>                                             <振り返ると>

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 また先程の航空写真を拡大してみると、日吉神社へと向かう参道の両側に段々の田畑(耕作地)が広がっているのも一目瞭然です。

 

 この日はじめに説明を受けた、ポイント3山から流れ出た肥沃な土砂が農作物を耕作出来る土地を生んだということでしょう。耕作面積の少ない花脊の地域において、貴重な耕作地だったのでしょう。

<神社に向かって段々の耕作地>

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 真っ直ぐにお社へと続く参道には、芝生が施されて雨の日にも“ぬかるみ”ません。お社近くの両側に広がる休耕田は人背丈を超える草木が茂っています。その中から心地よい野鳥のさえずりが聞こえていました。

<芝生を踏みしめながら参道を行く>                          <休耕田の間を抜ける>

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 いよいよ社に着きました。お社は大きな杉に守られる様に建っていました。

<杉の木立に守られる様に>

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 あ・うんの狛犬が両脇を固めています。大きな杉が何本もそそり立っていて、社に向かって右側のひときわ大きな杉には“しめ縄”が巻いてあり、ご神木のようです。

 

<手前の舞台の向こう側にお社>

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<見上げる杉の大木>                          <しめ縄が巻かれたご神木>

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 社に向かって左側にも不思議な大木がそそり立っていました。樹皮がらせん状にねじれています。自然の状態でこんな状態になるのでしょうか。葉をアップにしてみると、檜のようですが・・・。

 

<樹皮がらせん状>                                         <檜のような・・・>

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 これだけの大木が育つには相当な年月が必要です。ここにお社が出来て以来土砂災害とは無縁のようです。大昔に流れ出たであろう扇状地に今は休耕田となっている棚田を耕作されていたようです。

 

<広がる休耕田>

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 その田に引く水はどこから?と思っていたのですが、答えは目の前にありました。境内の横を谷からの水が流れています。大木の林と傍に水の流れ、梅雨の蒸し暑さも無く、すがすがしい空間に神秘的なものさえ感じました。

 

<お社の傍を流れる>                                      <用水路の開削必要なし>

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 この空間で昼食にさせて頂いて、マイナスイオンを体中に浴びました。そしてお社に参拝してお社を後にしました。帰り際、杉に混ざって朴の木の古木を見つけました。コチラも立派な古木です。地元の方の行き届いた手入れを感じました。

<お社を後にして>                                                                <朴の木の古木>

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 さて、ここまで何々神社ではなく「お社」とご紹介してきました。それには訳があります。池田先生が持参された地図には「日吉社」と表記されていました。そしてこの記事を書くにあたって住宅地図で位置を確認すると、そこには「三輪神社」と表記されていました。

 

 その謎を解いてくれたのが、またしても百周年記念誌でした。最初に「三輪神社」が氏神として祀られました。その後、別所地区内に同格の神社として「金峰社」「日吉社」の2社が祀られました。その後明治20年(1887)に三輪神社の境内に鎮座されることになりました。同境内に祀られた訳ですが、同格の神社として、祀られているのでどの名前でも間違いではないと思います。

 「金峰社」「日吉社」が以前は何処にあったのか、何故三輪神社に鎮座されたのかを調べると、地形との関係がまた深まるのかもしれません。

<「三輪神社」を中央に「金峰社」「日吉社」が並んでいるようです>

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 境内の入り口まで戻ると、見慣れない標識を見つけました。「普通母樹林」とあります。「これは何を意味するのか」これが2つめの宿題となりました。

 

 後日、広辞苑で「母樹」を調べると、「植物栽培のもととなる種子・継ぎ穂を産する樹」とあります。すなわち京都府がその母樹の林としてしている訳です。

 考え方によっては、植林の基となる樹木を守る神様といえるのではないでしょうか。

<普通母樹林 京都府>

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 西対面のなだらかな斜面の奥を眺めると、花崗岩が風化して真砂土となり削りとられた地肌が見えています。地図には採土場とあります。真砂土を採取しているようです。

 

 次はここに行くことになりました。池田先生の考えでは今立っている別所川を挟んで東のなだらかな斜面は土の斜面、西の斜面は奥の山が花崗岩の山で、その山の斜面の花崗岩が風化して真砂土となり、ポケットの様に流れ出た結果採土場となった。この斜面で過去に土砂災害があったのではないかとの推測でした。

<むき出した山肌>

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 採土場の傍まで行くと、池田先生の解説どおりポケットの様に採土場がぽっかりと口を開けていました。足元の通路もバラスが敷かれた下は花崗岩が風化した真砂土です。

<採土場>                                                <足元の通路も真砂土>

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 そして、池田先生から自然に小さく崩落した花崗岩の真砂土斜面に立って解説がありました。崩落した斜面の中程に横に線を引いた様な跡があります。よく見ると、そこには礫(小石)が並んでいます。

 

 これが、現在その下に流れている小川の川底だった位置となるそうです。こうして、山肌が崩落することで昔の川底のラインが見えてくるのです。更に注目すべきはそこに埋まっている木片です。それが昔の崩落時に埋まったものであれば、専用の測定器で測定すれば何年前に崩落が起こったのかがわかるそうです。

<何か気がつきましたか?>     <中段部のラインです>

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<礫が埋まっていた跡>       

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<埋もれていた木片>

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 その後、茅葺き屋根の残された建物を遠くから眺めて、茅葺き屋根が並んでいた時代の山村の様子を思い浮かべながら花脊別所町を後にしました。

 

 茅葺き屋根には「水」の文字が掲げられています。火災予防のおまじないのためです。

<茅葺きの建物>                                   <水の文字が見えます>

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 この茅葺き屋根の建物の正面に回ってみると、おそらく後から設置された2階部分の窓が見えていました。納屋を居住空間にリフォームされているのでしょうか。

 

<茅葺き屋根に設置された窓>

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 ここまでが今回ご紹介しました山里の栄えるメカニズムにまつわる旅のお話しでした。

 

 花脊別所町に昔土砂災害があったのかというところまでは迫れませんでしたが、百年記念誌から水災害の体験談がありましたのでご紹介したいと思います。

 

百周年記念誌 卒業生寄稿より

昭和9年、10年の台風水害の恐ろしさは忘れることができない。旧校舎の窓が木の葉のように飛び散ったことや、川の水が道まで溢れアッチコッチの道路が通れない程流された想い出など。

 

 京都に大水害をもたらした出水は桂川最上流の別所の地にも猛威を振るったことがうかがえます。

 

 今回は、「土砂災害」という言葉で認識されている自然現象が、生命・財産を脅かすだけで無く、人の営みに恩恵をもたらす一面を持っている事や、その自然現象と上手に付き合っていくことで山村の生活が栄えたという池田先生の視点で桂川支流別所川沿いの花脊別所町をご紹介しました。

 

 現在、京都府でも土砂災害警戒区域等の指定を進めています。この指定の意味を正しく認識して頂きたいと思います。あらかじめ市町村が計画した避難経路避難場所を確認し危険な状態になったら避難するという行動を心がけて頂きたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

1935年(昭和10年)鴨川大洪水DVD完成(第247号)

企画展示「鴨川から見る、京都の近代から現代」

 

 1935年(昭和10年)に京都市内を襲った大雨により、鴨川も大洪水にみまわれました。その時の映像がみつかり、当所所蔵の画像や記録資料を盛り込んで編集されたDVDが完成し、鴨川納涼でお披露目された事は、第245号でお知らせしました。

<鴨川納涼2016>

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 タイトル:「昭和10年鴨川大水害の記録」

資料提供:京都府京都土木事務所

 協  力:京都府立総合資料館

 制作著作:NPO京都の文化を映像で記録する会

 

 京都新聞でも大きく報道され、8月6日、7日の上映にも多くの方がこの映像を目当てに新聞切り抜きを手に上映ブースに足を運んで頂きました。

※京都新聞電子版にリンク(外部リンク)

 今から81年前の出来事で、リアルタイムに体験されて記憶されている方は少ないものの、父母・祖父母から聞いた事のある大洪水の様子に食い入る様にご覧になられる方もおられました。

<明るいうちはモニター上映>

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 中には先斗町のお店の方もおられて、映像を指して「ここうちの店」といいながら、鴨川条例啓発フースの正面のスペースを振り返り、「ここに橋が架かってたんや、写真もあるで」と言って写真を持ってきて頂きました。

 

<ここがうちの店>                     <正面の隙間に竹村家橋の跡>

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 私もここに橋が架かっていた事についての知識はありましたが、実際に架かっている写真を見るのは初めてです。このDVDが貴重な写真へとつなげてくれました。

<架かっていた頃の“竹村家橋” 個人蔵>     <挿絵 個人蔵>

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 当日は、京都土木事務所の職員が映し出された映像の横に立ち、ブースにお越しになった来場者に解説しました。映像にはBGMは入っているもののナレーションは無く、解説が無いと少しわかりづらい場面もありますので、今後ナレーションの導入も検討されています。

<多くの方に足を止めて頂きました>         <京都土木事務所職員による解説>

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 多くの方にご覧頂いて、水災害への関心を高めて頂くと共に、記憶から忘れ去られそうになっている貴重な記録写真の掘り起こしが出来ればと思います。

 

 鴨川納涼2016は終了しましたが、この貴重な映像をご覧頂ける企画展示が開催されています。

 

 「鴨川から見る、京都の近代から現代」です。

展示内容は

【地図】鴨川の航空写真(1972年(昭和47年))

    (京都府立総合資料館所蔵 京都府京都土木工営所複製)

下流は“勧進橋”から上流は“高野川合流点”まで

    幅70cm、長さ7mの航空写真を展示しています。

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 鴨川に架かる橋はもちろんのこと、一軒・一軒の家屋やビルの町並みや、今は無き京都市電の姿もハッキリ見る事ができます。もしかしたらあなたのお家を確認出来るかもしれません。

 懐かしい町並みを見上げながら、想い出話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。

 

 

【地図】禁裏御用水図(1793年(寛政5年))

 

    (上賀茂社家「梅辻家所蔵」 立命館大学スキャニングによる複製)

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 梅辻家所蔵「禁裏御用水図」のスキャニング作業について

 このデータは、2016年3月23日に梅辻様立会いのもと、立命館大学文学部地理学教室の製図室において、スキャニング作業をしたものです。

部分的にスキャンした画像は、画像編集ソフトウェアのPhotoshopを使用し、パソコン上でつなぎ合わせました。

                                                                     以上

2016年3月24日

 

    作業者:飯塚隆藤(立命館大学大学院文学研究科)

    連絡先:takafusaiizuka@gmail.com

 

 という訳で、梅辻家当主立ち会いのもと、当時立命館大学大学院文学研究科の飯塚氏がデータ化し複製を印刷したものです。江戸時代に上賀茂神社が御所へと引き込まれる取水口までの農業用水の支配を受け持っていた証拠となる文書です。色鮮やかな着色で鴨川沿いの木々まで丁寧に描かれています。

 

【図面】七条大橋橋梁図(京都市三大事業誌)(京都府立総合資料館蔵)

七条大橋の手書きの図面が2枚飾ってあります。

 

【写真】七条大橋の変遷

 七条大橋の変遷は、当所の所蔵している京阪電車が地上を走っていた頃の様子の写真と、現在では鋼製となっている高欄の格子が木製だった頃の様子をご覧いただけます。

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 そして、「昭和10年鴨川大水害の記録」のDVDも随時上映しています。

 

 以前鴨川真発見記でもご紹介しました、上賀茂小学校の「昭和10年京都大水害」の当日の様子を記録した記念誌「水禍」を元に作成された紙芝居を当日の映像と合わせて語りを入れたDVDも流しています。

 

 この企画展は、

【主催】NPO法人京都景観フォーラム・七条大橋をキレイにする会

    京都市立伏見工業高等学校夜間定時制

【後援】土木学会関西支部

【資料提供】京都市・京都府京都土木事務所・梅辻家(上賀茂社家)

      NPO法人京都の文化を映像で記録する会

【展示会場】七条大橋東詰東入る 集酉楽サカタニ

【開催期間】平成28年8月3日~8月31日

で開催されてます。

※案内チラシにリンクPDF(PDF:139KB)

 

七条大橋清掃活動&ミニ講座

 

 開催期間の第一日曜日8月7日は、企画展示主催の「七条大橋をキレイにする会」が毎月7日に実施されている七条大橋周辺の清掃活動の日でした。

<炎天下のもと>                        <汗をふきふき>

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<そろそろ終了>                       <七を示して、はいポーズ>

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 清掃後1時間ほどミーティングの後、私も出前講座でお呼び頂きました。展示物も充実した会場で展示物など、鴨川に関するお話しをさせて頂きました。

 

 開催開始後も展示物を追加して内容も大幅に充実しました。平成16年撮影の巨大な航空写真や、昭和10年鴨川大水害時の画像、鴨川真発見記冊子版などお楽しみ頂ければ幸いです。

<展示物も充実>

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<平成16年撮影の大きな航空写真も>

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 この企画展示も8月10日朝日新聞朝刊京都版で紹介されました。七条大橋をはじめ、鴨川に関する事にご興味のある方、近くにお住まいの方、是非この期間に「昭和10年鴨川大水害の記録」の映像をご覧ください。

 

(京都土木事務所Y)

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お問い合わせ

建設交通部京都土木事務所

京都市左京区賀茂今井町10-4

電話番号:075-701-0101

ファックス:075-701-0104

kyodo-shomu@pref.kyoto.lg.jp

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