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鴨川真発見記

 

 

 

鴨川真発見記番外編

池田碩先生と行く花脊別所    自然災害がつくる山村形成のメカニズムを探る

 

 今回は鴨川真発見記番外編として、鴨川からは少し離れますが同じく淀川水系の桂川水系上流域からの情報をお届けします。

 

 そのナビゲーターは、奈良大学名誉教授の池田碩(ひろし)先生です。池田先生の紹介をすると少々長くなりますので、下記URLからご確認ください。

 自然災害調査に関してとても実績のある先生です。

 

※自然災害地研究 池田碩著 海生社(一部抜粋)webで検索

 

 

 でも少しだけ、池田先生と私の接点をお話しさせて頂きたいと思います。それは、当所が管理する高野川の支流音羽川に端を発します。

 

 昭和47年の土石流災害をくまなく調査された池田先生に当時の写真提供をお願いしたのがおよそ2年前の事でした。池田先生は大学を退官される際に多くの資料を処分されていて写真を提供頂く事は叶いませんでした。

 

 自然災害調査で全国を飛び回る多忙なスケジュールの合間を縫って会いに来てくださいました。それから“出会いは突然に”のおつきあいが始まりました。

 

 今回もキッカケは私が作ったのですが、ナビゲートして頂いた内容は池田先生の提案でした。約束の日、池田先生は音も無く私の目の前に立っておられました。

 

 この日同行する上司の技術次長に先生の到着を知らせ、会議室に案内しました。そこで、その日の主たる目的について解説がありました。そう、土砂災害についてです。

先生のお話をすべてご紹介すると長くなりますので、かいつまんで説明させて頂きます。

 

ポイント1

 神社や仏閣は、その地域(山村)の土砂災害や水害を免れる位置に建造されている。

 

ポイント2

 土砂災害(土石流)はマイナスの面のみならず!

 海底プレートや活断層の活動で発生する地震により、山は隆起する。そして大雨により山は崩れる。

 花崗岩は風化して真砂(細かい砂)となり流れ出す。耕しやすいこの土が耕作地を作り、人々が農作物を栽培する田畑ができる。

 

ポイント3

 そして大切なのはポイント2のような土石流は100年に数回は起こるであろう土石流とどう付き合うかである。山村を築いた人々にはその知識が備わっていたのである。土石流発生の気配を察知し、その時には一旦逃げる。自然災害が収まったら村を再建して、土石流がもたらした肥沃な土地を耕作してきたのである。

 

 全国各地で栄えた山村はこの3つのポイントを踏まえて生活が営まれてきた。

 

 そして今回向かったのは、その特徴が地形図から見てとれる旧別所村です。明治22年に別所の他、原地新田、八枡、大布施の四ヵ村が合併して花脊村となりました。

 

 花脊の地は花脊峠に見られるように険しい峠の山間部に位置し、平安京造営時の御用材を都に供給し、花脊の旧村々も薪炭を主な生業として生活が営まれてきました。

 

 それでは、別所村へ出発です。

 

 細い峠道の運転にいささか不安のある私に代わって上司にハンドルを握ってもらう事になりました。池田先生からは「上司自らドライバーとは立派な行動ですね」と少々耳の痛いお言葉を頂きました。

 京都土木事務所から別所へ向かうルートは、高野川沿いに国道367号を北上し大原で昼の食料を調達しました。その後一級河川高野川起点手前の小出石町から国道477号へ入り一路西へと向かいます。

 百井峠へ向かう国道(酷道)のジェットコースターを思わせる急な坂道、急カーブを霧煙る中進んでいくと、実に手入れの行き届いた杉林が現れました。霧に包まれ、整然と並ぶ杉木立のクネクネ道は神秘的にさえ感じます。

 

 百井峠を越えて、更に険しい花脊峠を越えると別所川が現れました。花脊別所町に到着です。一旦別所の集落を別所川沿いに北端まで北上し、Uターンして北から南下して高い場所を探してハンドルを切ると、花脊山の家に迷い込みました。

<花脊別所町への移動ルート図 C:京都府自治体情報化協議会>

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 高いところから別所の集落を眺めたいと申し出て、山の家の本館前まで通して頂きました。花脊山の家といえば京都市内の小学生が必ず一度は宿泊学習で訪れる場所です。私の息子もお世話になった施設は立派な施設でした。が、集落の様子は眺める事ができませんでした。

 

<花脊山の家 本館>

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 花脊山の家を後にして、一つ目の目的施設「お寺」を探します。車中で話題となったのが、「別所」という地名の由来は何だろうという事でした。

 

 「別所」ですから読んで字のごとく、どこか本拠地があってその別の場所だろうという事は想像できますが、では本拠地は何処なのだろうという訳です。

 これが一つ目の宿題となりました。後日、京都府立総合資料館の方に相談すると、旧別所村に設立された「別所小学校」の百周年記念誌の存在を教えて頂きました。別所村の歴史についてはこの記念誌の中に記されている「別所の史志」の中から抜粋してご紹介したいと思います。

 

 別所の名の由来の前に「別所の史志」より土地開発の伝承です。

土地開発の伝承 出典:別所校 百周年記念誌(昭和51年記念実行委員会)

 別所の地は、昔修行僧等が庵室や坊をつくって住み、寺々の写経等をして生活していて、この人達によって開発されたという伝承があって、これを否定する文献も証拠もなく一般的にそう信じられています。

 これ等の修行僧を知るために、どうしても延暦寺に触れねばなりません。

(以下要約)

 延暦寺は、伝教大師と呼ばれる最澄が創始した天台宗の本山で、平安時代の仏教の中でも文化的、政治的、経済的、社会的に支配する地位がありました。

 天台宗の教義は多数にわかれていて、様々な修行がありました。総数三千といわれた僧の中には比叡山以外の土地を巡る修行も行われ、自分で選んだ修行もやっていました。

 比叡山を中心として東に北につらなる地方を歩いても、そこには天台宗の世界があって、別所を中心としても北には保元元年(1156)に、平清盛と信西が寺院を建立した大悲山峰定寺があり、別所の地には阿弥陀寺があり、南方の鞍馬寺も平安末期に天台宗となっています。

 そしてこうした地方に僧が建てた庵や坊もあって、三千坊といわれるのはこれらを誇張した総数でありました。ですから別所にも福田寺の地に清盛が建てた観音堂があって、これも三千坊に含まれたのでした。

 延暦寺には公人(くにん)というのがあって、俗事や会計の仕事をし、時には領地の年貢収納にも出張する事がある者です。坊主頭に黒衣を着ても生活は俗人と変わる事がありません。これが山法師とも僧兵ともいわれる人達でありました。

 この人達が別所へ来て坊をつくって住むこともあって、写経等を収入の途としても数多く限りなくあるわけでなく、土民となって山に入ったり土地を耕すより他に方法がなく、土地に住みつけば村をつくる基礎ともなります。

 この人達が住みついたのは別所川の上流の地点で、現在上の町といわれる所で、ここは今も、「何々坊」「何坊」という字(あざ)が残され、これらは坊や庵があった跡だと思われます。

 

以上が土地開発の伝承の内容です。

 簡単に言ってしまうと、比叡山の山法師・僧兵が住みついて村の基礎ができ、集落が広がっていった村が別所村と伝承されているということです。

 

 別所という地名の由来は確たる説が伝わっておらず筆者の私考が記されています。その一部をご紹介します。

 

<別所の史志より抜粋>

地名の多くは、それぞれの理由があってつくられていますから、それを探ると土地の性格を知ることができます。別所の場合は的確につかむことが出来ず、あくまでも専断的なものとなりますが、一応考えてみると、別所という名は特別な所という意味で同じ地名が各地にもあります。

 別所の地が同じ延暦寺系の修行僧達によって開発されたことを思うと、当然土地の名をつけるにともなって、同じ天台圏内の地だけに、この人達は比叡山を中心として別所の名をつけたのではないでしょうか。

 

 それでは、旅の続きに戻ります。道路沿いにお寺を見つけました。その名は「福田寺」です。この報告書を作成するにあたり、「福田寺」「日吉神社」「採土場」の位置を航空写真と地形図を並べて整理しました。

<花脊別所町目的地付近 航空写真&地形図C:京都府自治体情報化協議会>

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 福田寺の歴史につきましては、先に紹介しました土地開発の伝承の中に出てきました。現在の様子を見てみましょう。

 

<お寺の山門>                                         <天王山福田寺(曹洞宗)>

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 お寺の門前には、大きな石に文字が彫り込まれています。そこには、「経塚 出現毘沙門天王」と読み取れましたが、当日は何のことだか解りませんでした。

 

 この経塚についても、別所校 百周年記念誌を読んでわかりました。

 

経塚というのは、平安時代に経文などを管に詰めて、塚に埋めたものです。何のためかなどの詳しいことは京都国立博物館のホームページにわかりやすく解説されていますので、そちらをご覧ください。

 

 ※京都国立博物館 博物館ディクショナリー 花脊経塚の遺物(外部リンク)

<経塚 出現毘沙門天王の碑>

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 経塚について百年記念誌での記述を引用させて頂きます。

<百周年記念誌より>

大正十年(1921年)の夏、別所の人達6名が阿弥陀寺跡に接する大平谷に植林をしていましたが、地盤が余りにも堅いので掘り起こすと唐櫃(からと)らしいものに当たって、遂に経塚を発見しました。

 

 内部から発見された品は、仏像、経文、経管、壺、刀身、古銭、皿や鉢等多数で、中でも右手を高く上に上げて身体を斜めにして立つ毘沙門天像は、渡金がはげていても薄板透かし彫りの火炎の光背を持って、約十四センチの金銅仏ながら優れたもので、重要文化財の指定を受けました。

 

 この記述から、福田寺=阿弥陀寺とするならば、福田寺が創建された当時は、大平谷にあったことになります。さて大平谷はどこなのでしょうか。もしかすると土砂災害で被災し、現在の地に再建されたのかもしれません。

 お寺の境内にお邪魔しますと、本堂が見えました。その背後の山の様子を見上げると、木々の隙間から空が見えています。なだらかな斜面だとわかりました。この地は安全のようです。

<本堂が見えました>                                     <写真中央屋根の上にかすかに空>

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 お寺を後にして、花脊別所町の集落を歩いてみました。茅葺き屋根であった民家の屋根は、様々な素材で覆われたり、瓦葺きになっている建物もありますが、その風景はいかにも山村といった雰囲気です。

 

 別所川に沿って民家が並びます。別所川の一級河川としての起点を示す黄色い標識が見えました。

<山村風景>                                              <一級河川別所川起点>

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 そして神社へ向かいます。木製の鳥居に迎えて頂きました。鳥居をくぐって振り返ると、別所川を挟んで両側からなだらかな谷が向かい合っているのがよくわかります。

<木製の鳥居>                                             <振り返ると>

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 また先程の航空写真を拡大してみると、日吉神社へと向かう参道の両側に段々の田畑(耕作地)が広がっているのも一目瞭然です。

 

 この日はじめに説明を受けた、ポイント3山から流れ出た肥沃な土砂が農作物を耕作出来る土地を生んだということでしょう。耕作面積の少ない花脊の地域において、貴重な耕作地だったのでしょう。

<神社に向かって段々の耕作地>

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 真っ直ぐにお社へと続く参道には、芝生が施されて雨の日にも“ぬかるみ”ません。お社近くの両側に広がる休耕田は人背丈を超える草木が茂っています。その中から心地よい野鳥のさえずりが聞こえていました。

<芝生を踏みしめながら参道を行く>                          <休耕田の間を抜ける>

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 いよいよ社に着きました。お社は大きな杉に守られる様に建っていました。

<杉の木立に守られる様に>

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 あ・うんの狛犬が両脇を固めています。大きな杉が何本もそそり立っていて、社に向かって右側のひときわ大きな杉には“しめ縄”が巻いてあり、ご神木のようです。

 

<手前の舞台の向こう側にお社>

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<見上げる杉の大木>                          <しめ縄が巻かれたご神木>

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 社に向かって左側にも不思議な大木がそそり立っていました。樹皮がらせん状にねじれています。自然の状態でこんな状態になるのでしょうか。葉をアップにしてみると、檜のようですが・・・。

<樹皮がらせん状>                                         <檜のような・・・>

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 これだけの大木が育つには相当な年月が必要です。ここにお社が出来て以来土砂災害とは無縁のようです。大昔に流れ出たであろう扇状地に今は休耕田となっている棚田を耕作されていたようです。

<広がる休耕田>

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 その田に引く水はどこから?と思っていたのですが、答えは目の前にありました。境内の横を谷からの水が流れています。大木の林と傍に水の流れ、梅雨の蒸し暑さも無く、すがすがしい空間に神秘的なものさえ感じました。

<お社の傍を流れる>                                      <用水路の開削必要なし>

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 この空間で昼食にさせて頂いて、マイナスイオンを体中に浴びました。そしてお社に参拝してお社を後にしました。帰り際、杉に混ざって朴の木の古木を見つけました。コチラも立派な古木です。地元の方の行き届いた手入れを感じました。

<お社を後にして>                                                                <朴の木の古木>

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 さて、ここまで何々神社ではなく「お社」とご紹介してきました。それには訳があります。池田先生が持参された地図には「日吉社」と表記されていました。そしてこの記事を書くにあたって住宅地図で位置を確認すると、そこには「三輪神社」と表記されていました。

 

 その謎を解いてくれたのが、またしても百周年記念誌でした。最初に「三輪神社」が氏神として祀られました。その後、別所地区内に同格の神社として「金峰社」「日吉社」の2社が祀られました。その後明治20年(1887)に三輪神社の境内に鎮座されることになりました。同境内に祀られた訳ですが、同格の神社として、祀られているのでどの名前でも間違いではないと思います。

 「金峰社」「日吉社」が以前は何処にあったのか、何故三輪神社に鎮座されたのかを調べると、地形との関係がまた深まるのかもしれません。

<「三輪神社」を中央に「金峰社」「日吉社」が並んでいるようです>

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 境内の入り口まで戻ると、見慣れない標識を見つけました。「普通母樹林」とあります。「これは何を意味するのか」これが2つめの宿題となりました。

 

 後日、広辞苑で「母樹」を調べると、「植物栽培のもととなる種子・継ぎ穂を産する樹」とあります。すなわち京都府がその母樹の林としてしている訳です。

 考え方によっては、植林の基となる樹木を守る神様といえるのではないでしょうか。

<普通母樹林 京都府>

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 西対面のなだらかな斜面の奥を眺めると、花崗岩が風化して真砂土となり削りとられた地肌が見えています。地図には採土場とあります。真砂土を採取しているようです。

 次はここに行くことになりました。池田先生の考えでは今立っている別所川を挟んで東のなだらかな斜面は土の斜面、西の斜面は奥の山が花崗岩の山で、その山の斜面の花崗岩が風化して真砂土となり、ポケットの様に流れ出た結果採土場となった。この斜面で過去に土砂災害があったのではないかとの推測でした。

<むき出した山肌>

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 採土場の傍まで行くと、池田先生の解説どおりポケットの様に採土場がぽっかりと口を開けていました。足元の通路もバラスが敷かれた下は花崗岩が風化した真砂土です。

<採土場>                                                <足元の通路も真砂土>

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 そして、池田先生から自然に小さく崩落した花崗岩の真砂土斜面に立って解説がありました。崩落した斜面の中程に横に線を引いた様な跡があります。よく見ると、そこには礫(小石)が並んでいます。

 

 これが、現在その下に流れている小川の川底だった位置となるそうです。こうして、山肌が崩落することで昔の川底のラインが見えてくるのです。更に注目すべきはそこに埋まっている木片です。それが昔の崩落時に埋まったものであれば、専用の測定器で測定すれば何年前に崩落が起こったのかがわかるそうです。

<何か気がつきましたか?>     <中段部のラインです>

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<礫が埋まっていた跡>       

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<埋もれていた木片>

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 その後、茅葺き屋根の残された建物を遠くから眺めて、茅葺き屋根が並んでいた時代の山村の様子を思い浮かべながら花脊別所町を後にしました。

 茅葺き屋根には「水」の文字が掲げられています。火災予防のおまじないのためです。

<茅葺きの建物>                                   <水の文字が見えます>

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 この茅葺き屋根の建物の正面に回ってみると、おそらく後から設置された2階部分の窓が見えていました。納屋を居住空間にリフォームされているのでしょうか。

<茅葺き屋根に設置された窓>

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 ここまでが今回ご紹介しました山里の栄えるメカニズムにまつわる旅のお話しでした。

 

 花脊別所町に昔土砂災害があったのかというところまでは迫れませんでしたが、百年記念誌から水災害の体験談がありましたのでご紹介したいと思います。

 

百周年記念誌 卒業生寄稿より

昭和9年、10年の台風水害の恐ろしさは忘れることができない。旧校舎の窓が木の葉のように飛び散ったことや、川の水が道まで溢れアッチコッチの道路が通れない程流された想い出など。

 

 京都に大水害をもたらした出水は桂川最上流の別所の地にも猛威を振るったことがうかがえます。

 

 今回は、「土砂災害」という言葉で認識されている自然現象が、生命・財産を脅かすだけで無く、人の営みに恩恵をもたらす一面を持っている事や、その自然現象と上手に付き合っていくことで山村の生活が栄えたという池田先生の視点で桂川支流別所川沿いの花脊別所町をご紹介しました。

 

 現在、京都府でも土砂災害警戒区域等の指定を進めています。この指定の意味を正しく認識して頂きたいと思います。あらかじめ市町村が計画した避難経路避難場所を確認し危険な状態になったら避難するという行動を心がけて頂きたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

1935年(昭和10年)鴨川大洪水DVD完成(第247号)

企画展示「鴨川から見る、京都の近代から現代」

 

 1935年(昭和10年)に京都市内を襲った大雨により、鴨川も大洪水にみまわれました。その時の映像がみつかり、当所所蔵の画像や記録資料を盛り込んで編集されたDVDが完成し、鴨川納涼でお披露目された事は、第245号でお知らせしました。

<鴨川納涼2016>

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 タイトル:「昭和10年鴨川大水害の記録」

資料提供:京都府京都土木事務所

 協  力:京都府立総合資料館

 制作著作:NPO京都の文化を映像で記録する会

 

 京都新聞でも大きく報道され、8月6日、7日の上映にも多くの方がこの映像を目当てに新聞切り抜きを手に上映ブースに足を運んで頂きました。

※京都新聞電子版にリンク(外部リンク)

 今から81年前の出来事で、リアルタイムに体験されて記憶されている方は少ないものの、父母・祖父母から聞いた事のある大洪水の様子に食い入る様にご覧になられる方もおられました。

<明るいうちはモニター上映>

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 中には先斗町のお店の方もおられて、映像を指して「ここうちの店」といいながら、鴨川条例啓発フースの正面のスペースを振り返り、「ここに橋が架かってたんや、写真もあるで」と言って写真を持ってきて頂きました。

 

<ここがうちの店>                     <正面の隙間に竹村家橋の跡>

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 私もここに橋が架かっていた事についての知識はありましたが、実際に架かっている写真を見るのは初めてです。このDVDが貴重な写真へとつなげてくれました。

<架かっていた頃の“竹村家橋” 個人蔵>     <挿絵 個人蔵>

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 当日は、京都土木事務所の職員が映し出された映像の横に立ち、ブースにお越しになった来場者に解説しました。映像にはBGMは入っているもののナレーションは無く、解説が無いと少しわかりづらい場面もありますので、今後ナレーションの導入も検討されています。

<多くの方に足を止めて頂きました>         <京都土木事務所職員による解説>

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 多くの方にご覧頂いて、水災害への関心を高めて頂くと共に、記憶から忘れ去られそうになっている貴重な記録写真の掘り起こしが出来ればと思います。

 

 鴨川納涼2016は終了しましたが、この貴重な映像をご覧頂ける企画展示が開催されています。

 

 「鴨川から見る、京都の近代から現代」です。

展示内容は

【地図】鴨川の航空写真(1972年(昭和47年))

    (京都府立総合資料館所蔵 京都府京都土木工営所複製)

下流は“勧進橋”から上流は“高野川合流点”まで

    幅70cm、長さ7mの航空写真を展示しています。

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 鴨川に架かる橋はもちろんのこと、一軒・一軒の家屋やビルの町並みや、今は無き京都市電の姿もハッキリ見る事ができます。もしかしたらあなたのお家を確認出来るかもしれません。

 懐かしい町並みを見上げながら、想い出話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。

 

 

【地図】禁裏御用水図(1793年(寛政5年))

 

    (上賀茂社家「梅辻家所蔵」 立命館大学スキャニングによる複製)

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 梅辻家所蔵「禁裏御用水図」のスキャニング作業について

 このデータは、2016年3月23日に梅辻様立会いのもと、立命館大学文学部地理学教室の製図室において、スキャニング作業をしたものです。

部分的にスキャンした画像は、画像編集ソフトウェアのPhotoshopを使用し、パソコン上でつなぎ合わせました。

                                                                     以上

2016年3月24日

 

    作業者:飯塚隆藤(立命館大学大学院文学研究科)

    連絡先:takafusaiizuka@gmail.com

 

 という訳で、梅辻家当主立ち会いのもと、当時立命館大学大学院文学研究科の飯塚氏がデータ化し複製を印刷したものです。江戸時代に上賀茂神社が御所へと引き込まれる取水口までの農業用水の支配を受け持っていた証拠となる文書です。色鮮やかな着色で鴨川沿いの木々まで丁寧に描かれています。

 

【図面】七条大橋橋梁図(京都市三大事業誌)(京都府立総合資料館蔵)

七条大橋の手書きの図面が2枚飾ってあります。

 

【写真】七条大橋の変遷

 七条大橋の変遷は、当所の所蔵している京阪電車が地上を走っていた頃の様子の写真と、現在では鋼製となっている高欄の格子が木製だった頃の様子をご覧いただけます。

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 そして、「昭和10年鴨川大水害の記録」のDVDも随時上映しています。

 

 以前鴨川真発見記でもご紹介しました、上賀茂小学校の「昭和10年京都大水害」の当日の様子を記録した記念誌「水禍」を元に作成された紙芝居を当日の映像と合わせて語りを入れたDVDも流しています。

 

 この企画展は、

【主催】NPO法人京都景観フォーラム・七条大橋をキレイにする会

    京都市立伏見工業高等学校夜間定時制

【後援】土木学会関西支部

【資料提供】京都市・京都府京都土木事務所・梅辻家(上賀茂社家)

      NPO法人京都の文化を映像で記録する会

【展示会場】七条大橋東詰東入る 集酉楽サカタニ

【開催期間】平成28年8月3日~8月31日

で開催されてます。

※案内チラシにリンクPDF(PDF:139KB)

 

七条大橋清掃活動&ミニ講座

 

 開催期間の第一日曜日8月7日は、企画展示主催の「七条大橋をキレイにする会」が毎月7日に実施されている七条大橋周辺の清掃活動の日でした。

<炎天下のもと>                        <汗をふきふき>

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<そろそろ終了>                       <七を示して、はいポーズ>

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 清掃後1時間ほどミーティングの後、私も出前講座でお呼び頂きました。展示物も充実した会場で展示物など、鴨川に関するお話しをさせて頂きました。

 

 開催開始後も展示物を追加して内容も大幅に充実しました。平成16年撮影の巨大な航空写真や、昭和10年鴨川大水害時の画像、鴨川真発見記冊子版などお楽しみ頂ければ幸いです。

<展示物も充実>

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<平成16年撮影の大きな航空写真も>

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 この企画展示も8月10日朝日新聞朝刊京都版で紹介されました。七条大橋をはじめ、鴨川に関する事にご興味のある方、近くにお住まいの方、是非この期間に「昭和10年鴨川大水害の記録」の映像をご覧ください。

 

(京都土木事務所Y)

 

 

北区で初の農家民宿営業始まる「善右衛門(ぜーもん)」(第246号)

鴨川源流雲ヶ畑“京都で一番青空に近い村で”

 

 構想から1年近く準備に時間を費やして、消防関係・衛生関係などの施設面での条件もクリアして農家民泊の営業が始まりました。

 

 7月30日のプレオープンを経て8月から本格稼働です。その名も「善右衛門(ぜーもん)」。この施設名は、営業を開始された久保さん宅の昔からの家号です。

<農家民泊営業開始を告げるように看板が掲げられました>

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<客室>                                                 <障子のガラスを一部網戸に変えて風通し>

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 8月8日(月)は、第一号のお客様をお迎えする事になりました。私も鴨川源流の農家民泊の様子を拝見に少し立ち寄ってみました。

 

 初めてのお客様をお迎えするとあって、奥様の清美さんは汗だくで準備に追われておられました。お風呂やトイレの掃除の仕上げに、流しソーメンの会場準備にと、宿泊されるお客様を迎えるのはいつもに増して大変です。

 

 猫の手も借りたい忙しさに、立ち寄った私達3人も河原の会場準備のお手伝いをさせて頂きました。

 

 流しソーメンの昼食会場は、久保さん宅の裏を流れる鴨川源流域の河原です。会場準備も整ってお客様一行を無事迎える事が出来ました。

<会場は久保さん宅の裏を流れる>                        <鴨川源流域>

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<ブルーシートの上に>      <ゴザを敷いて出来上がり>

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 第一号のお客様は、伏見区醍醐からお越しになったご夫妻とそのお孫さん3人の計5名です。夏休み期間、離れて暮らすお孫さんを預かっておられます。

 お客さんの最初の体験は、流しソーメンを食べる箸と器つくりです。宿のご主人の久保常次さんが青竹のふしを残して器、竹をナタで細く割ってお箸を削り出していきます。

<久保常治さん手作りの器と箸>  <それぞれに名前を書いて>

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 それぞれ器に名前を書いて、お箸には自分の印をつけて準備が整いました。器と箸を持って河原の昼食会場に移動です。

<子ども達3人分完成>                                   <おじいさんはビデオ撮影>

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 会場準備の時は、少し日差しが当たるかなと思っていた会場も大きな木が木陰を作ってくれて、良い感じの具合です。さらに川を吹き抜ける風が心地よく、自然に「良い風、涼しい」の言葉が漏れます。

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 流しソーメンが始まりました。流してくれるのは、お母さんと一緒に応援に駆けつけてくれた久保夫妻のお孫さんです。

<ソーメン流します>                                        <ハーイ!お願いします>

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<ソーメン流れてきた>                                   <おばあさんもナイスキャッチ>

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 今回の流しソーメンは、久保さん宅のお庭で栽培されている「ミニトマト」がソーメンと共にコロコロと流れてきます。「わー!トマト流れてきた」と子ども達も大喜びでした。

<トマト流れてきた>                                        <ソーメンをすすりながらゲット>

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<今度はトマトに逃げられた>                              <おじいさんも悪戦苦闘>

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 勢い余ってレーンから飛び出す「ミニトマト」もありましたが、それがまた盛り上がります。転がるミニトマトを竹の箸でつかみ取るのは大人でも難しかったようです。

 

 竹の器一杯にソーメンをすくって、口に頬張ると「味が無い!」底に沈んだ「ソーメンつゆとよく混ぜて食べなさい」とおじいさん。

<ソーメンが多すぎて>                                  <味がしない>

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 お腹がいっぱいになると子ども達3人は、川に入って水遊びの始まりです。持参した水鉄砲で水の掛け合いと楽しそうに遊んでいました。

 

  「おじーさーん」「おばーさーん」と子ども達が呼ぶ声が山間に響きます。水深も浅く安全に遊べます。「初めて来た雲ヶ畑。退屈するかなとも思っていたけれど、子ども達を遊ばせて見守る最高の場所」とおじいさんも目を細めて孫達を見つめておられました。

 

<おばあさんも参戦>                                        <やめてー>

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 おじいさんは、こんなに素晴らしい農家民泊の存在を若い子育て世代に知ってもらって、子ども達に川遊びを経験させてやりたいとお話しされていました。

<いとこのお姉さん、お兄さんと楽しそう>

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 しばらくご一緒して、鴨川源流雲ヶ畑の素晴らしさを語り合い、雲ヶ畑を後にしました。冷たい川の水には、お茶とスイカが冷やされていましたので、この後スイカ割りの歓声が響いた事でしょう。

 

<川で冷やしたスイカでスイカ割りも楽しかった想い出に>

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 今回は、京都市北区雲ヶ畑で新たな試みに挑戦される久保さんご夫婦の農家民泊の第一号のお客さんの楽しそうな様子をご紹介しました。

 翌日、久保さんに連絡すると大変喜んで帰っていかれましたとのこと。無事初のお客様を迎えて、送り出す「やりがい」を感じられた事でしょう。

 

 「善右衛門(ぜーもん)」は今のところ不定期営業で、一日一組5名まで。ご利用希望と久保さんの都合が合えばご利用頂けるようです。久保さんと面識の無い方は一度日帰りで久保さんのお宅をお尋ねください。

 

 広報やご利用については、当面「ぜーもんファンクラブ」を運営する「くもくらぶ」がサポートします。詳しくはそちらへメールでお尋ねください。

 

※「ぜーもんファンクラブ」案内チラシPDFにリンク

 あなたも、雲ヶ畑の農家民泊で鴨川源流の“せせらぎ”を聞きながら眠りについてみませんか。

(京都土木事務所Y)

 

旧春日学区の子ども達が鴨川観察会(第245号)

自然観察指導員京都連絡会がお手伝い

 

 平成28年7月31日(日)は、現在御所南小学校に通う旧春日小学校区主催の鴨川観察会が開催されました。私も自然観察指導員京都連絡会の一員として、そのお手伝いに鴨川丸太町橋へと向かいました。

<お天気に恵まれた鴨川観察会>

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 旧春日小学校区のスタッフに加えて、立命館大学産業社会学部乾ゼミの3・4回生8名もお手伝いに駆けつけてくれました。

 

 天気予報では午前中は快晴、午後から不安定な空模様、観察会は午前中で終了しますので安心して鴨川の生き物を調べることができました。

 

 午前10時、春日デイケアセンターで受け付けを済ませた子ども達と保護者の皆さんが会場である丸太町橋の西詰下、階段護岸に集合しました。

 

<会場に到着した参加者>                                   <立命館大学産業社会学部乾ゼミの皆さん>

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 旧春日学区の方の司会で始まった観察会、鴨川に入る前に伴先生から鴨川の生き物についてのお話しがありました。

 室内でお話しされる時はパワーポイントの画像を使用されますが、今回は屋外ということで、画像を紙芝居形式でお話しされました。

<伴先生のお話し>                                       <はい、あなた>

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 今回も、朝でも昼でも伴(晩・ばん)浩治という伴先生のアイスブレイクが出ましたが、子ども達は“きょとん”としていました。

 

 それでも子ども達は伴先生のお話に引き込まれていきます。クイズも出題されましたが、その場では答えは発表されず、「少年補導の方に手渡した解答を後で教えてもらいましょう」とこれから実際に観察して答えを探すように導かれました。

<今日のメニュー>                                       <この生き物、何だかわかる人>

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 伴先生のお話しも終わり、待望の鴨川へと入って行きます。上級生、下級生の2班に分かれてザブザブと川の中を進みます。今回のフィールドは丸太町橋上流です。自然観察指導員京都連絡会としても、このフィールドでの観察会は初めての経験です。

<お話しが終わり>                                          <鴨川へとザブザブ>

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 いつもは、「鴨川探検再発見!」で北山大橋下流をフィールドにしているので、どんな違いがあるのか指導員も興味津々です。

<指導員さんも、どれどれ!>                               <石の裏を探ります>

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 鴨川探検再発見の様子は、ご紹介する時期が前後しますが、後日ご紹介したいと思います。

 

 このところ雨が少なく、水深は浅いですが、茶色の藻が多く足元が滑ります。浅瀬の石をひっくり返して小石のかたまりを取り除くと、中からトビケラの幼虫がクネクネと姿を現します。

<ほら何か動いているよ>                                <入った、入った>

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 「イヤや~、気持ち悪い」「この中へ入れて」と水槽を差し出す女の子、男の子。平気でつまむ小さな女の子、元気な男の子と反応は様々です。

<水槽に入れて>                                      <自分で触ってごらん>

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 中州に茂ったヨシの下を網で“がさごそ”探ると、エビも網に入ります。そして小さな小さなオイカワの生まれたても入ります。

 

 ヨシの上流から、バシャバシャと走って下流で網を構えた子ども達が生き物を捕獲していきます。

<水際をバシャバシャと追い込みます>                    <エビが入りました>

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 長いズボンの裾をまくって川の中に入った子ども達も大学生も夢中になって生き物を探す間にズボンは濡れてしまいましたが平気でした。

<ズボンが濡れても平気です>                           <大学生のズボンも濡れました>

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 生き物を捕獲する子ども達の傍では、まだ幼いアオサギが獲物を探して歩き回っていました。残念ながら獲物を捕らえる姿を見る事は出来ませんでした。

<まだ幼いアオサギ>                                     <獲物を探して歩き回る>

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<人間は着々と獲物をゲット>                                   <ほら触ってごらん>

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 約40分間の生き物捕獲タイムが終わって、捕まえた生き物を観察します。小さな水槽を覗くと、魚が泳いでいました。「これは何という魚ですか?」捕まえた小さな女の子のお父さんが伴先生に尋ねると、「それは“ギギ”ナマズの仲間です」との回答と共に「今日の生き物の目玉ですね」と付け加えると、小さな女の子も満足した顔を見せてくれました。

 

<伴先生も記録写真>                                   <レンズの先には“ギギ”>

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<“ギギ”を捕まえた幼い少女>                          <アオサギよりもお上手です>

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 続いて、コイの幼魚が捕獲されてきました。今年生まれた1年生の鯉です。この鯉は昔から自然にいた鯉ではなく、食用に品種改良された鯉ですと説明を聞いて一同から「へー」の声が漏れました。

<“コイ”と“コオニヤンマのヤゴ”>

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 続いて、オオクチバスも捕獲されました。伴先生からは、「これは捕まえたら処分するように法律で決まっていますので、他の生き物と違って川には返しません」と説明がありました。

 

<記録写真>                                               <右からコイ、オオクチバス、ギギ>

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 そして、本日の獲物となった生き物の紹介です。「コオニヤンマのヤゴ」「ヒゲナガカワトビケラの幼虫」「オイカワ」「コイ」「ギギ」などなど、発表される生き物の名前を子ども達はプリント用紙に書き込んでいきました。一方で小さい子ども達はメモよりも生き物選別に夢中でした。

<生き物の名前をメモして>                                <夏休みの宿題一つクリア?>

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<ピンセットでつまんで>                                  <製氷皿に並べます>

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 保護者の皆さんも知らなかった生き物に興味津々で説明を聞いておられました。生き物観察はここで終了です。

 

 北山大橋の下流での開催した「鴨川探検再発見!」の時に捕獲した生き物の中で、今回の丸太町橋上流では捕獲出来なかった生き物それは「ヘビトンボ」と発表されると、一人の児童が「ヘビトンボ捕まえたで。あのバケツに入ってる」とバケツに駆け寄りました。

 

 他の児童もその後を追います。伴先生が確認に向かわれましたが、残念ながら「ヘビトンボ」は見当たりませんでした。

<“ヘビトンボ”いるかな?>                                  <残念ながらいませんでした>

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昭和10年鴨川大水害のお話し

 生き物の観察が終わった後で少し時間を頂いて、私から鴨川の話を少しさせて頂きました。

 昭和10年に鴨川で起こった大水害とそれをキッカケとした大改修のお話しです。その大改修で鴨川の今の姿がほぼ形作られたことをお話ししました。

川底を約2m掘り下げた事により、昭和10年以降鴨川が溢れる事はありませんでした。

<葵橋の流失>                                     <五条大橋の流失>

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 でも、このところの豪雨や台風による増水の様子を見ていると、絶対安全という事はいえません。日頃から鴨川は溢れるかもしれないという意識を持って家族で話し合っておいてもらう様お願いして観察会を締めくくりました。

 

 みなさん鴨川に近いところにお住まいになっておられます。終了後、去年の台風の時の増水はどの辺まで水位が上がったのですか?と声をかけて頂いた保護者の方もおられました。少しは水災害について関心を持って頂けたようです。

 

<平成26年8月増水時の丸太町橋>                      <丸太町橋から上流を望む>

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<平成27年6月の増水は荒神橋で2,4m テレメータ観測史上最高水位>

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 これからも、あらゆる機会を通じて水災害に関するお話しをさせて頂きたいと思います。

 

 ここで、昭和10年の大水害に関するお知らせです。NPO法人京都の文化を映像で記録する会のスタジオで見つかった昭和10年6月29日の鴨川の様子を記録したフィルムがあります。

 

 

 オリジナル映像はデジタル化されてNHKでこれまで2度紹介されました。その後映像に記録されている橋や場所を特定して、静止画像や当時の平常時の様子を盛り込んだDVDが編集されました。

<昭和10年鴨川大洪水の記録>                           <納涼床が流れていく>

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 京都土木事務所としても、橋の特定や静止画像などの資料提供をさせて頂いています。

 

 このDVDが、毎年恒例となっている8月6日、7日に開催される「鴨川納涼」の「鴨川条例啓発ブース」でお披露目される事となりました。洪水時の迫力ある映像とともに、昭和の始めの祇園祭の御輿の様子や、鴨川納涼床の様子をご覧ください。

 

 このDVDは防災教育の貴重な資料として、多くの方にご覧頂きたいと思います。京都土木事務所でも貸出しを検討していますので、必要な方は当所までご連絡ください。

 

追伸】このDVDは本日平成28年8月5日の京都新聞朝刊で紹介されました。

平成28年8月3日(京都土木事務所Y)

 

 

みそそぎ川と分岐して高瀬川へ(第244号)

高瀬川の起点を拝見

 

 みそそぎ川の取水口が賀茂大橋下流右岸に設置されている事は、鴨川真発見記第38号でご紹介しました。あれから約4年の時が経過しましたが、一の舟入の様子は目にするものの、高瀬川へと入り込んだ先のお庭の様子は目にする事はありませんでした。

 

 そんな中、絶好のチャンスが巡ってきました。身内のお祝いの会でそのチャンスが到来です。その建物は、「山縣有朋第二無鄰庵跡」で現在は飲食店として営業されています。

 

 「山縣有朋第二無鄰庵」となる前は、高瀬川を開削された角倉了以の屋敷だったそうです。鴨川真発見記第224号江戸時代の鴨川の様子を伺う“その1”でご紹介しました、「賀茂川筋絵図」(三条通りから二条通り)を確認しますと、「角倉与一ヤシキ」と表記されています。

 

 角倉与一は了以の息子ですので、この頃は与一が跡継ぎとして活躍していたことがうかがえます

<鴨川真発見記第224号より 三条通りから二条通り>

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出展:大塚コレクション№0406「賀茂川筋絵図」(京都市歴史資料館所蔵)

 

 

 それでは、鴨川から取水された水が「みそそぎ川」から「高瀬川」へ分かれて吸い込まれて行く様子からご紹介したいと思います。賀茂大橋下流から流れてきた水はこの建物(がんこ高瀬川二条苑)へと流れ込み、鴨川へ返される水とみそそぎ川へと流れ落ちていきます。

 

<ここから建物内のお庭に流れ込んでいきます>

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<余分な水は鴨川へ戻ります>                              <階段状に落差を下りみそそぎ川の流れ>

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 そして建物の中を流れた水は、木屋町通りの下をくぐって高瀬川一の舟入へと流れ、現在では松の木樋門(陶化橋上流)で鴨川に合流します。

<高瀬川が姿を現す>                      <一之舟入>                      <同左>

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<一之舟入 下流から望む>                              <御池通りから上流を望む>

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 それでは、お庭を拝見させて頂きましょう。店長さんに事情をお話しして、お庭の紹介の快諾を得ました。「山縣有朋第二無鄰庵跡」の石碑と共にお店の看板がお出迎えです。

<山縣有朋第二無鄰庵跡の石碑とお店の看板>

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 素晴らしい庭園を堪能する前に、鴨川側から覗いていた取水口に足を運びました。この下から高瀬川が流れ込んでいます。

<高瀬川の取水口>

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 やはり最初に気になるのは、そこからどんな風に流れ込んでいるのかです。庭園の中に架けられた小さな橋の上からその様子を覗き込んでみました。

 

 秋には真っ赤に色づく紅葉の、今はまだ爽やかなグリーンのトンネルの下をたっぷりの水が流れ込んできます。

<鴨川の水が庭園に流れ込む>

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 振り返ると、その流れは庭園の真ん中の池を満たしながら流れていきます。

<庭園の池を満たす水>

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 取水口の上に立って、全体を見渡すと豊富な水が庭園の景色を引き立てています。水の流れる庭園は魅力的ですね。

<直線的な流れから>                                      <曲がりくねって池へと注ぐ>

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 そして興味は外の鴨川の景色です。目隠しとなっている植え込みの上に手を伸ばし鴨川の様子を撮影しました。鴨川の水を庭園に引いて、鴨川越しの東山を眺めるという贅沢な暮らしがそこにあったと実感しました。

<鴨川越しに東山を望む>                              <夏の風物詩納涼床も設置>

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 日が暮れるとその庭もライトアップされて幻想的な雰囲気になってきます。写真奥には滝があり、その滝を狙う位置にライトが設置されています。

<滝を照らし出すライトもスタンバイ>

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<小さな明かりがポツポツと>                                <庭園の向こうにお座敷>

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 いたるところに石灯篭が設置され、緑の庭園を映し出しています。手入れの行き届いた素晴らしい庭園を眺めながらの食事は会話も弾む事でしょう。

<そろそろお食事の時間です>                              <名残惜しくも庭の見えないお座敷へ>

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 緑の爽やかな季節もいいですが、是非紅葉の季節に再度訪問したいと思います。この後おいしく食事をさせて頂きました。目の保養と共に。

平成28年7月26日 (京都土木事務所Y)

 

 

 

 

梅雨の合間を縫って鴨川でイベント開催+α(第243号)

京都学生祭典プレイベント&鴨川探検!再発見

 

 気象庁は7月18日に近畿地方が梅雨明けしたとみられると発表し、今年も本格的な夏がやってきました。が、今回ご紹介するのは、梅雨の真っ只中の合間を縫って繰り広げられた鴨川でのイベントの紹介です。そして+αは鴨川・高野川で目にした光景です。

 

 7月9日(土)は朝から雨模様でしたが、午後からの京都学生祭典プレイベントが鴨川の出町右岸のウッドデッキを会場にして開催されるということで、鴨川と会場へ向かいました。

 

 いつものように、高野川を松ヶ崎橋から下流に向かっていくと、ヒメジョオンの花が咲いていました。よく見ると、咲いている花の傍にすでに種が飛び去って「がく」だけになっているものも見受けられます。同じ一本の野草でも花の成熟はそれぞれなのですね。

<ヒメジョオン>                                              <種が飛び去った花も>

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 小雨降る高野川を歩いていくと、赤茶けた葉の植物が目に入りました。こちらもよく見てみると、葉が食い散らかされて赤く変色しています。その葉の上には小雨の雨粒をまとった「コガネムシ」でした。

 

<赤茶けた葉の植物>                                    <そこにはコガネムシ>

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<水滴を身にまとって>                                      <葉の柔らかい部分を食べていく>

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 植物の葉を食べるのは自然界ではごく普通の事ですが、たくさんの個体が一本の植物を集中して食べているのには訳があるのでしょうか。庭に植えた観賞用の植物だったら・・・と考えてしまいます。

<しばし雨をやり過ごそう>                                  <葉は網の様に葉脈が残る>

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 更に下流に向かうと、園路の両脇から細長い植物が“通せんぼ”するように内側に倒れかかっています。これもよく見ると、小雨の水滴がぶら下がってしなっていました。

<通せんぼするように>                                     <細長い茎>

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<たっぷりの水滴が>                                        <きらきらとぶら下がる>

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 見上げると、緑のビワの葉の向こう側にイガイガが見えます。緑の保護色ですが、よく見るとクリのイガです。栗の木があったのですね。

<緑の葉に囲まれて>                                       <緑のクリの実>

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 丁度お昼時に出町に到着です。先程までしとしとと降っていた雨も上がりました。「京都学園祭典プレイベントIN出町」の会場の一つ「鴨川出町会場」の設営も完了したようです。

 

<会場のテントが見えてきました>

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 そして鴨川河川敷ステージの演目がはじまりました。チラシには、京炎そでふれ!スペシャルバージョン、簡単バージョンに加え、幅広いジャンルのおどりを披露します。迫力のあるステージで皆様を圧倒します。とあります。

<京炎そでふれ!スペシャルバージョン>

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 賀茂大橋から会場を眺めると、あいにくの空模様ですが、客席となったウッドデッキには人々が集まっておられます。

<賀茂大橋から>                                            <集う人々>

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 続いて今回の企画の一つ、京阪電車貸し切りイベントで中之島から出町柳を経て「鴨川会場」に到着のお笑い芸人「銀シャリ」のお二人と、おけいはん(出町柳けいこ)さんによるトークショウが始まりました。

 

 トークショウに続いては「おどり披露」の時間です。

<浴衣の観客も到着>                                        <スタンバイOK>

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 最初はヒップホップ系のダンスです。2人が3人になり、少しずつ人数が増えて最後は8人で躍動です。

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 そしてモダンバレー、フラメンコと続きました。

 

<モダンバレー>

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<フラメンコ>

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 ここで一つご紹介したいDVDがあります。「鴨川を美しくする会」美化啓発ブースの一角に京都府河川課・砂防課のコーナーが設置され、昭和10年の大水害の様子を再現した紙芝居「水禍(すいか)みずのわざわい」が当日の映像とともに語り入りの映像となりました。それを来場者の方にご覧いただきました。

 

 このDVDは、昭和10年6月29日の大水害をもたらした鴨川の実際の映像が盛り込まれているので臨場感があります。今後、出前講座などのあらゆる機会に皆様に披露したいと思います。

※「水禍」 語り:嶋田恵子  脚本:久保田真由美 作画:西村栄治

      編集:濱口十四郎 制作:上賀茂社会福祉協議会

      映像提供:NPO法人「京都の文化を映像で記録する会」

 

<「水禍(すいか)みずのわざわい」をモニターで上映>

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 ステージに目を戻すと、再び「京炎そでふれ!スペシャルバージョン」が披露されていました。

<迫力ある演舞のはじまり>

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<鳴子を鳴らして>

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<躍動する若者>

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<最後もバッチリ決まりました>

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 そして「観客の皆さんも一緒に体を動かして」と声が掛かりました。私の鴨川ステージ鑑賞はここまでにして会場を後にしました。

<ハイ、皆さんご一緒に>                                  <手を上に、広げて>

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※このイベントは京都府が後援するイベントです。

 鴨川でのイベント開催は京都府の許可が必要です。

                                       平成28年7月21日 (京都土木事務所Y)

 

梅雨の晴れ間に見た光景(第242号)

あてもなく鴨川を感じる一人旅

 

 気象庁は6月4日に近畿地方が梅雨入りしたと思われると発表しました。

 すっきりしない空模様ですが、晴れた日には鴨川でどんな光景に出会えるか、楽しみになってきます。

 

 前回の第241号では、五月晴れの鴨川をご紹介しましたが、今回は梅雨の晴れ間にあてもなく鴨川沿いをぐるりと回って色んなネタを拾ってきましたので、その様子をご紹介したいと思います。

 

 高野川沿いに下流に向かっていくと、今回もヘビが姿を見せてくれました。前回は川の中を起用に泳いでいましたが、今回は川の中州でクネクネと体をくねらせながら日向ぼっこのようです。

 

<この日のお出迎えは>                                   <ヘビでした>

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 丸太町橋下流左岸の落差工には、今年もアユの遡上を手助けするため、仮魚道が設置されています。少し前に、仮魚道を設置されている「京の川の恵みを生かす会」の関係者の方から、アユがたくさん跳ね上がっていたとの情報を頂いていました。(ただし、天然アユの遡上には時期が早く、おそらく放流したアユとの事です)

 

<丸太町橋下流左岸>                                <この中をアユが遡上>

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 今日はどうかな?と近くに行ってみましたが、この日はアユを含めて魚の姿を見る事はできませんでした。近くを散策されていたご婦人に「それで魚が遡上できるの?」と尋ねられましたので「たくさん遡上したそうですよ」と答えておきました。

<魚の姿は見えませんでした>

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 三条大橋にやってきました。橋脚に留まっていた“アオサギ”が「これ見て!」とばかりにポーズをとっています。片足を上げて、懐にしまうでもなく片足立ちです。それでは、とアオサギの足をアップでパチリ。

 鳥の専門家の方にアオサギの足についての不思議の話を聞いた覚えがあるのですが、ハッキリと思い出せません。また聞いてご紹介したいと思います。

<三条大橋>                         <アオサギ>

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<アオサギの足 何かをつかむ?>                       <平坦面に接地時>

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 ところで、よく質問されるのがアオサギは青くないのに何故「アオサギ」と名がついたのかというものです。先日も知り合いの小学生から同じ質問を受けました。「う~ん 何故だろうね」と答えましたが、私も知りたい疑問です。

 そこで、ネットの情報をヒントに謎解きに挑戦しました。広辞苑の「あお【青】」の説明の前文には(一説に、古代日本語では、固有の色名としては、アカ・クロ・シロ・アオがあるのみで、それは明・暗・顕・漠を原義とするという。本来は灰色がかった白色をいうらしい)とあります。

 古代の頃にこの「サギ」を見た人にとっては、原義の「漠」漠然とした色、灰色がかった白、まさにアオの色をしたサギとして、アオサギと呼ばれたのではないでしょうか?

 

 水面から顔を出しているブロックの上で甲羅干ししているのは、スッポンです。鴨川でスッポンを目にする事はしばしばありますが、こんなに堂々と甲羅干ししている姿は初めてみました。

<ブロックの上に>                                          <甲羅干しするスッポン発見>

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 高水敷では、踊りの振りの確認でしょうか?両手を上げ下げしながら、動画を撮っておられるようです。

 

<何のジャンルの踊りでしょうか?>

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 その傍らでは、手元で操作するシャッターで自撮りの女性もおられます。カメラを覗いて位置を確認しながらシャッターを切っておられました。

<鴨川をバックに色んなポーズ>

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 浴衣の女性二人組は、手提げ袋を三脚代わりに記念撮影の準備をされていました。鴨川四条大橋の下、芝生の上で浴衣で記念撮影。ひとけも少なく絵になる記念撮影ですね。

<四条大橋上流左岸から右岸を望む>

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<写真撮るよ>                                         <チョット待ってね>

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 四条大橋の下流では、最近姿を見なかった“ゴイサギ”も姿を見せてくれました。野鳥図鑑などを読むと、解説には「夜行性で昼間は林でじっとしていて夕方から餌を捕る」とありますが、鴨川では昼間でも姿を現して「コサギ」と猟場争いを姿も見る事があります。

 

<四条大橋下流左岸から右岸を望む>                     <白い冠羽が鮮やかなゴイサギ>

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 荒神橋下流まで戻ってきました。ここにも仮魚道が設置されています。昨年は仮魚道を上る小魚を目当てに“サギ”の類がいましたが、この日はその姿はありませんでした。

 

<荒神橋下流右岸の仮魚道>

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 北大路橋下流では、二人の女性が木陰のベンチで楽器の演奏をされていました。お一人の楽器は多くの人が認識できる“バイオリン”そしてもうお一人が手にされているのは、見たことの無い楽器でした。

 

<北大路橋下流右岸でお会いしたお二人の女性>

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 一曲演奏が終わって、お声をかけさせて頂きました。その見たことの無い楽器の名前を教えてもらいましたが、忘れてしまいました。ネットで検索してみると「カンテレ?」では無いかと思われます。

<その楽器の名は?>                                 <バイオリンとの共演>

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 たくさんの弦が張られていて、その弦を両手で響かせる弦楽器ですが、その楽器単体でメロディーを奏でるのではなく、何かの楽器に合わせてその音色を響かせるそうです。

 

 再度一曲演奏を聴かせて頂きました。普段イメージするバイオリンの音色とは違い、低音でゆったりとした音色に涼やかな「カンテレ?」の響きがあいまって、とても“和”を感じる一曲でした。

<鴨川に響く“和”テイストな音色>                            <ゆったりとした時間>

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<専用の楽器ケーズも>

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 北大路橋を渡り、左岸上流には最近リニューアルされた「鴨川で観察できる野鳥」の看板を見る事ができます。日焼けして色あせたイラストの看板から、野鳥を写真で紹介する看板となりました。

 

<鴨川で観察できる野鳥>                                  <見つけてみてください>

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 皆さんも、鴨川でこんな鳥を見つけて名前を覚えてみてはいかがでしょう。リニューアル版では、日本語表記に加えて、英語・中国語・韓国語での表記も追加しました。お知り合いの外国人の方にもご紹介頂きたいと思います。

 

 こうして、梅雨の晴れ間の1日を堪能する事が出来ました。あなたも様々な出会いを探しに鴨川へ出向いてみませんか。

 

                                    平成28年6月13日 (京都土木事務所Y)

 

 

五月晴れ続く鴨川で過ごすひととき(第241号)

命ある動植物と共にエトセトラ

 

 「五月晴」を広辞苑で調べると、「①さみだれの晴れ間。梅雨の晴れ間。②五月の空の晴れわたること。またその晴れわたった空。」とあります。

 

 2016年の5月は、17日から一週間②の五月晴が続きました。鴨川の大きな魅力の一つ空の広さが一段と際立つ一週間でした。今回はそんな五月晴れの鴨川で過ごすひとときをご紹介したいと思います。

 

 5月21日(土)鴨川では、「トベラ」の花が順次満開を迎えています。傍に近づくとなんともいえない「芳香」が香り立ちます。花の時期は短いですが、是非一度トベラを見つけて香りをお楽しみください。

<芳香を放つ“トベラ”>                                        <葵橋から出雲路橋間 満開>

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<出雲路橋上流>                                        <こちらは三部咲き>

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 鴨川の中流部でも特に広く空を見渡せるのが、高野川との合流部出町です。飛び石では、足をその流れに浸す人の姿があります。

<出町の飛び石>                                          <五月晴>

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 しばらくベンチに腰をおろしていると、賀茂大橋の上を屋根がオープンとなった観光バスが通り過ぎました。観光客の皆さんも京都の五月晴れを楽しんでおられるようです。

<開放的な観光バス>

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 以前にもご紹介しましたが、鴨川のゴミ箱はふた付きのものが増えてきました。これで、カラスやトビがゴミを散らかす事を防ぐ事ができます。座るところが木製のベンチもリニューアルされて気持ちよく利用できます。

 

<専用のふた付きゴミ箱>

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<蓋は清掃委託業者クリエイティブの清掃員さんの手作り。※企業努力です。>

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 川の中の中州では、お父さんと息子さんでしょうか、石を並べて遊んでおられます。夢中になっているのはお父さんの方のようですね。

<父子で川遊び?>                                        <夢中なのはお父さん?>

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 荒神橋の飛び石でも涼しげに流れる水際で記念撮影する女子の姿も見られます。対岸からは、トロンボーンのパート練習の音色が聞こえてきます。少し離れたところから、ハーモニーをチェックするのは先輩でしょうか。

 

<五月晴の空の下>                                        <記念撮影>

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<トロンボーン パート練習>                                   <音のチェックは先輩?>

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 翌5月22日(日)も見事な五月晴れです。姪とその娘(3歳)と鴨川で遊ぶ約束をしていましたが、娘の発熱でキャンセルとなりましたが、足は鴨川へと向かいます。

 

 

 いつものように高野川の松ヶ崎橋から川沿いに出町へ向いました。足元には“ニワゼキショウ”が群生しています。紫色の花びらの中心部は鮮やかな黄色で目を楽しませてくれます。

<ニワゼキショウ>                                               <花の中心は黄色>

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 馬橋のたもとでは、桑の木がその実を順次濃い紫色に熟していきます。そこへスズメがやってきて、よく熟した実を選んで収穫していました。

<桑の木にスズメ>                                            <よく熟した実を選んで>

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 またまた足元に目を戻すと、ナワシロイチゴが小さな花を咲かせています。もうしばらくすると赤い実が実ります。

 

 

<ナワシロイチゴの花>                                    <実をつける準備も進んでいます>

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 川の中に水際に降り立ったのはキジバトです。水際で涼んでいるようにも見えます。少年2人組も川に溜まった砂で遊んでいます。水遊びの後は綺麗に手を洗ってから食事をしてくださいね。

<水際に降り立ったキジバト>                                   <涼んでいるのでしょうか?>

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<落差工の下に溜まった砂で>                                 <楽しそうに遊ぶ少年2人>

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 チョウチョもレッドクローバーの花にとまってお食事中です。

<チョウチョもお食事中>

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 植物の若葉が赤く出る種類のものも多いようです。こちらの蔓草も小さなピンクの葉が印象的です。

<蔓草の若葉は>                                            <ピンク色>

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 川の中の丸々と太った鯉に見とれていると、その横を上流に向かって泳ぐニョロニョロの姿が通り過ぎました。ぺろぺろと舌を出し入れしながらヘビが器用に泳いでいきました。

<丸々と太った鯉>

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<ニョロニョロと泳ぐヘビ>                                        <舌をぺろり>

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 出町に到着すると、五月晴れの空の下スケッチする方の姿もあります。鉛筆で描かれたスケッチに、どんな色彩が乗せられるのでしょうか。

<スケッチを楽しむ人々>

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 姪とその娘との鴨川遊びは延期となりましたが、五月晴れの下で憩う母子の姿を拝見する事ができました。

<出町で憩う親子>

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 また今度、姪の娘ちゃんと遊ぶ日を楽しみにしながら鴨川を後にしました。

 

 

【追伸】

 鴨川真発見記第238号では、「御所南小学校の児童が“ゆるキャラ”とゴミ拾い」と題しまして、鴨川子ども会議での提案を実現した鴨川でのゴミ拾いの様子をご紹介しました。

 

 実際にゴミ拾いを体験した児童から感想が寄せられましたので、ここでご紹介したいと思います。五月晴の鴨川もゴミがあっては台無しです。ボランティアとしてゴミを拾ってくれた児童の率直な感想は大人にも通じるものがあります。

 

1 女児

 かも川のゴミ拾いに行って、思っていた以上にゴミが落ちていたのでびっくりしました。とくにたばこのかすがとても多くてびっくりしました。くつやマスコットも落ちていたので、もったいなかったです。ゴミ拾いをしているうちにとても楽しくなりました。またゴミ拾いを出来るときがあればゴミ拾いをしたいです。

 

2 女児

 はじめてかも川のそうじをしてたのしかったです。またらい年もかも川のそうじをしたいです。かも川にごみをおとしたくないです。らい年もゴミ拾いをするときは、金よう日よりもたくさんひろいたいです。

3 男児

 僕は、鴨川をそうじして川ぞいなどが少しずつきれいになっていくのがいいなあと思いました。ゴミ拾いだと楽しくなさそうだけれども、やってみるとどれだけ拾えるか競争的にできたのがよかったです。このような活動をすることで、ゴミを捨てにくくなるし、ゴミを拾おうと多くの人が思えると思います。

 

4 男児

 かも川にいろんなゴミがおちていてびっくりしました。たとえば「スリッパ」「さかな、トンビのしたい」がおちていました。ゴミブクロがいっぱいになってあながあきました。

 

5 女児

 最初は、できるかなと少し思っていたけれど、やってみたらすごく楽しかったです。とくに川の「よりす」「なかす」に初めて行けてとても楽しかったです。そして、ごみひろいは、かも川にどんなしゅるいのごみがあるのかもよくわかりました。なので、ごみひろいをしてとても楽しかったです。本当にきかくしてもらいありがとうございました。

 

 感想に共通するのは、ゴミ拾いをして楽しかったというものです。これは大人にも共通するもので、川をきれいにして心が晴れるのでしょう。大人のあなたも一度鴨川でゴミ拾いのボランティアに参加してみませんか。

 

                                     平成28年5月23日  (京都土木事務所Y)

 

 

 

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