北山に伝わる話「京の道」 [京都林務事務所]
北山のくらしとロマンを伝えて-京道・女の道-
中川と京都市内を結ぶ交通路は、「京道(又は菩提道とも言う)」、「峰山街道」、「小浜・若狭街道」、「周山街道」と4通りがある。
現在の主要道路は、「周山街道」であるが、それ以前は中川の人々は「京道」を主として利用していた。「京道」は、北山の里から菩提の滝、から坂尻峠、から千束を通って鷹ヶ峰に通じる約6キロメートルの道で徒歩1時間半を要する。現在は、休日になるとハイカーや家族連れの姿を見かけるが、昔の北山杉の里の住民にとっては、大切な生活の道であった。里の女たちは、一日一回、日用品と交換するため薪、柴、松茸などを持って鷹ヶ峰を往復したのである。そんな女たちを「町行きさん」と叫び、「町行きさん」の道である「京道」を、いつしか“女の道”と称したようである。
北山中川に伝わる「中川京道音頭(京道恋道中)」について
江戸時代のある年の秋のこと、宗蓮寺の若いお坊さんと里の若い娘とが、北山杉の里を駆け落ちして行った。
北山杉の深い谷間野村から、果てしなく拾い世界を垣間見ようとある悲恋を中心に「女の道」の秘めたロマンを歌った「中川京道音頭(京道恋道中)」は、古くから年中行事の盆踊り唄として伝えられ、独特の節まわしで謡い継がれている。
「中川京道音頭(京道恋道中)」
住みし久しき栢木町、返すその身は、すべり石
ここは親御の墓の段、こぼす涙は坂むかえ、地獄の谷に上下あり
罰無き者の千札や、池の休場はや越えて、菩提の坂も是れなるぞ
あたらこの坂登り坂、我れ息災に守らせ給え、不動尊
身はしみじみと寒ぶ山の、枝尾のもみじ眺むれば、鹿はもみじにたわむれて
ゆくへも知らぬ旅の空、焦がれて行くのが陰長尾、日向長尾で休ませて
胸の騒ぎを撫で下ろし、恋のかけ橋筒走り
人が笑ふは池の谷、音に名高い上の水、白見峠は是なるぞ
流れて行くのが下の水、浮名を流す竹谷や、比丘尼の山の隠れ土居
あちらこちらの百合の花、ぼけん平や千束や、向ふに見ゆる車坂
音に聞こえし五軒屋、こらは上品蓮台寺、松千本の花車
称福寺にてたずねたら、悪業はこなたに恋い焦がれ、行えも知らず旅の空
石の金輪で野で住むとても、なじょうにおとよを、見捨てはせぬぞ
二人は、こうして菩提の滝から上の水峠、鷹ヶ峰の坂を下って豊臣秀吉の築いた御土居の長坂口を過ぎて、蓮台寺、千本通りへと出て、車の往来の激しい京の町にと至る。さらに、伏見へと逃れ、そこから五十石船で淀川をくだり、大坂へと逃れて行ったという。
