ホーム > 地域振興 > 広域振興局 > 京都府南丹広域振興局 > 企画振興室 > 京都・保津川の筏流しの歴史

ここから本文です。

南丹広域振興局

京都・保津川の筏流しの歴史

1 筏流しのはじまり

 丹波地方は昔から杉・松・桧など良質の天然木を産出しており、古くは長岡京・平安京造営のための材木も供給していました。その材木を運ぶ手段として、筏を組んで桂川を流したのが、筏流しのはじまりです。

保津川の筏流し

保津川の筏流し

2 筏問屋の出現

 鎌倉・室町時代には、荘園制の下で年貢などの輸送・管理等を行う「御問(おとい)」が川関・小塩保に設置され、13世紀には保津川流域で木材筏の輸送を担当する御問=問丸が成立します。

3 筏流しの発展

 室町末期、京都で消費される材木のほとんどが丹波材でまかなわれるようになり、保津川の水運はますます発展。これに注目した豊臣秀吉は筏士の保護政策として諸役を免除する朱印状を与えています。

豊臣秀吉(天正16年)7月8日付

豊臣秀吉朱印状(天正16年)7月8日付

 

4 舟運の開始

 江戸時代に入ると保津川の開削工事が積極的に行われるようになり、角倉了以は幕府の許可を得て世木より嵯峨までの水路を開きます。これによって舟運も可能となり、主に米殻などが運ばれるようになりました。

大堰川(桂川)マップ

 大堰川(桂川)マップ

 延喜式巻34木工寮

 延喜式巻34木工寮

5 丹波材流通体制の確立

 丹波材の需要が増えるとともに、その流通機構も確立。大きくは、生産地で伐採された木材を筏に組んで流す「山方」、筏を中継する役割の「筏問屋」、送られてきた材木をまとめて材木屋に販売する「材木問屋」の3つに分けられます。

6 亀山運上

 筏流しの取り締まりは、当初は山本村の御用掛問屋が行っていましたが、寛文4年(1664)からは亀山藩が行うことになり、幕府への運上木として一筏につき20分の1の原木を徴収(運上税)しました。

7 筏と船

 隆盛の一途をたどった筏流しも、明治32年(1899)に京都鉄道が開通し、大正末期頃からトラック輸送が行われるようになると、次第に姿を消していきます。筏士から遊船の船頭になる者も現れ、戦後の昭和23年頃に筏の仕事がなくなると、筏士のほとんどが船頭になりました。

筏の組み方

  筏は、材木の端にメヨキで1本ずつ穴を開け、ネソ(マンサクの樹幹)または藤蔓を通して編んだものを、12枚(または13枚)連結して組むのが一般的です。亀岡周辺から産出された材木を筏に組み流す場合は、カンを打って材木をつなぎ止める方法をとりました。

 筏士のあいだでは、筏の先頭のことをハナといい、順にワキ、ソウなどといい、最後尾を猿尾(サルオ)といいました。ハナは細い丸太で組みますが、後ろのほうは1尺5寸(約56センチメートル)や2尺(約75センチメートル)もある大きい丸太を組みました。

ウチガイ パッチ カン

 左からウチガイ、パッチ、カン

ネソ ネソ

左からトチ、ネソ

筏作り(イラスト)

筏作り(イラスト)

筏作りの道具(イラスト)

筏作りの道具(イラスト)

 

筏絵図(イラスト)

筏絵図(イラスト)

お問い合わせ

南丹広域振興局企画総務部 企画振興室

亀岡市荒塚町1-4-1

電話番号:0771-24-8430

ファックス:0771-24-4683

nanshin-ki-kikaku@pref.kyoto.lg.jp

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください

このページの情報は役に立ちましたか?

このページの情報は見つけやすかったですか?