ここから本文です。

第1回文教部会の開催結果

日時

平成30年10月9日(火曜日)午前10時00分から午前12時00分まで

場所

京都府庁旧本館2階資料室B

出席者

委員

郡嶌部会長、淺井委員、池坊委員、布部委員、原委員

事務局

稲垣政策企画部副部長
前川教育監、大路総務企画課長
中地文教課長

配布資料

議事内容

委員からの主な意見

20年後にありたい姿について
  • 現在、京都の教育は「京都府教育振興プラン」に基づいて進められていますが、非常に優れた計画であり、これからもこれをもとに進めることが前提だと思います。
  • 京都府には、例えば「家庭教育支援協議会」があって、就学前の保護者をどのように支えるかというような構造がきちんと出来上がっていて、亀岡市などでは困っている親や家庭に手が届くようなアウトリーチ型の支援の仕組みが試行として始まっています。その点について、京都はとても丁寧に対応しているので、一つの例ですが、この方向性でよいのではないかと思います。
教員の資質能力向上を図り、質の高い学力をはぐくむ教育の実現について
  • ICTは必須であり、府内の小中学校にはタブレット端末やデジタル教科書、場所によっては遠隔教育も既に試行としては導入され始めているので、これができるだけ多くの学校に行き届くような施策が必要なのではないかと思っています。
  • 教職員の資質・能力の向上については、昨年、京都府教育委員会において「京都府教員等の資質の向上に関する協議会」が立ち上がり、指標を策定しています。その指標に従って大学はどのように教員を養成すればいいのか、そして、教育委員会は教員をどのような基準に従って採用、養成すればいいのか、一つの目標が出来上がっていますから、それを大事にすることが重要だと思います。
  • 地域に応じた教員の養成の仕組みを考えていく必要があると思います。例えば、府北部の学校は非常に自然に恵まれていて、子どもたちにとっては得難い環境ではあるものの、一方で、山村部の子どもたちに接する教員の養成、へき地教育が急務だと思います。今の大学は赴任する地域に関わらず同じ基準で教員を養成していますが、これからは少人数教育や山村部の教育を理解した教員を養成していかなければならない。京都は南北に非常に広いので、各地域の教員を交流させるという発想も新しい総合計画の中で必要ではないかという気がしています。
  • 日本では英語教育だけですが、ICTなどを活用して、英語圏以外の帰国子女の言語能力を伸ばす取組が必要だと思います。
  • グローバル化に対応できる人材の育成は観光産業にとっても重要であり、特に語学については、観光ガイドや伝統工芸ボランティアガイドなど、自国の伝統を日本語で学んだ上でそれを英語に訳して考えて、それを生きた会話の中で話すことが非常に良い経験になるのではないでしょうか。東山界隈の観光地では、修学旅行生が海外の方に話しかけている光景がよく見られますが、海外の方との交流という点で、他の都道府県に比べて本当に京都は恵まれていると思います。
  • 海外では、「サバティカル(長期勤務者に対し1カ月~1年の長期休暇を付与)」という制度があります。日本においても、教員の資質向上のためには、全員ではなくてもある程度、推薦や公募によって選抜し、例えば1年間有名な教育を行っているところに研修に行ってはどうでしょうか。発表や報告書によってその成果を評価するような制度を試験的に作って、どれが教員の資質向上に役立つのか検証されてはどうかという気がします。
  • 質の高い学力と同時に、学力の底上げが重要だと思います。学力と貧困は非常に関係が深いですが、アメリカで始まった「ティーチ・フォー・アメリカ(教員免許の有無に関わらず2年間、大学の学部卒業生を各地の教育困難地域にある学校に常勤講師として赴任させるプログラム)」という制度が広がり、日本でも「ティーチ・フォー・ジャパン」という組織が立ち上がっています。「ティーチ・フォー・アメリカ」の場合には、参加した学生が就職する際に企業がその経験を非常に高く評価するため、学生の人気が高く、応募が採用を上回っている状況です。就職のために参加者が増えるのは困りますが、「ティーチ・フォー・ジャパン」を少し京都らしくアレンジして、特に教育大学がありますから、所得に関係なく子どもたちの学力の底上げを目指すような制度も必要ではないかという気がしますので、検討していただけたらと思います。
  • 外からの力を借りるということと併せて、いわゆる職業的なものを1週間勉強に行く、お手伝いをしてみて社会経験をするなど、外へ子どもたちが出ていくようなチャレンジ教育みたいなものがあればと思います。例えば、ごみ処理や消防、警察など、いわゆる社会の安全・安心を守る縁の下の力もちがいるからこそ、社会の安心・安全が守られているということが子どもたちはなかなか理解できていない。社会の中でみんなが働いている、それで社会が成り立っているということを理解することが、生きる力から言えば、非常に重要だと思います。
  • 外国では子どもたちが自分の親の職場で1週間くらい働いて、お小遣い(賃金)を貰うような仕組みがあり、その中で子どもたちが、ただ社会見学するだけではなく、働くことの意味を理解することができます。基本的には外から社会みんなで教育をするということ、そのようなフィールドワークを学習の中に入れることが、小中学校で必要ではないかと思います。それによって初めて社会がどのような仕組みになっているのか、その社会の一員としての個人というものが理解できるのではないでしょうか。
  • 将来の起業家については、恐らく学校教育よりも社会教育においてどう育てるかだと思います。例えば、図書館におけるビジネス支援が急速に外国で進んでいます。単に研究や読書のためだけの図書館ではなくて、新しい機能を図書館に持たせるということも大切、他にも博物館、植物園などの公共施設を活用し、社会教育において起業家を育成することができるのではないかという気がします。また、起業家を志し、ある程度のアイディアがあれば、大学の研究とつなげることもできるのではないかと思います。
  • 大学3年、4年生の専門科目の中で大学院の科目を取得すれば、大学の単位としても大学院の単位としても認定されるようなフレシキビリティを少しずつ高校教育にも持たせないと、せっかく能力を持っている子どもたちを伸ばすことができないのではないかという気がします。
  • 学校外の学習の単位認定制度については、例えばボランティアへの参加が高校の単位として認定されたり、連携協定を結んでいる大学の科目の受講が高校の単位としても、大学の単位として認定されたりする制度がありますが、整備をもっと進める必要があると思います。
伝統文化学習など京都ならではの教育を進め、豊かな人間性をはぐくむ方策について
  • 音羽小学校の生徒さんに年間10回ほどお店に立っていただいて、清水焼の販売を体験していただいています。従業員と一緒に朝礼をして、社員食堂でお弁当を食べて、夕礼をして帰られるのですが、初日では挨拶もできなかった子が、「いらっしゃいませ」と大きな声で言えるようになったり、海外の方々と目を合わせて「ハロー」と挨拶できるようになったり、極端に変わる子も多い。受け入れる企業もたくさんありますし、そのような伝統産業との出会いが、将来、就労の選択肢の一つになれば業界も盛り上がります。
  • 府の教育の中に伝統文化を入れていただいていることを、とてもありがたく思っています。伝統文化を学ぶということは、伝統文化を通して日本人としてのアイデンティティーを知ることや、本物とそうでないものを見極める目を持つこと、歴史のつながりの中で自分が生きているのだということを実感すること、また、経済的な価値だけではない、時空を超えた普遍的な価値観や物差しを知るといった意味があると思います。講師の技量によりますが、どうしてもテクニカルなこと、例えばきれいな花の生け方やお茶を飲む時の作法などが中心となって、なぜそのようにするのかという背景や根本をどこまで伝えきれているのだろうかという気がします。伝統文化というのは日常生活にも生かせる、未来の自分たちにも生かせる一つの芯であるべきなのに、テクニカルな部分だけに終わってないか、どこまでそれを現代、未来に生きる文化として伝えきれているのだろうかと、そのあたりが難しいと思っています。
  • 伝統文化については、教室外、例えば展覧会を見に行くとか実際の現場に行くとか、外に出ることによってまた違った目から見るという機会になりますが、教員や顧問が忙しくてとてもそこまでは対応できないという例もよくあります。例えばボランティアや地域の方の力を借りて、できるだけ教員の負担を減らしつつ、外部の力を登用できたら本当に良いことだと思います。
  • 教員の過労死ラインの残業を聞いて、まさに非人道的過ぎて、こういう状態が続くと、将来、本当に良い教員を確保するのが難しいのではないかと心配しています。良い教員を確保できないと、将来的な教育力も下がっていくのではないでしょうか。伝統文化一つとりましても意外と知らない教員が多いので、教員の視野を広げるとか極めるという意味で、もう少し他の社会とのかかわりを持つような時間をつくることが必要だと思います。
  • 教員の働き方改革については、例えば一般の企業であれば自分だけで残業を決めるのではなくて、同じ会社の中で残業しなくてはならないのかそうではないのか判断されると思いますので、是非、教員についても残業内容の精査と意識の両面で改革を進めていただきたいと思います。そうすれば、もっと人間らしく、そして、教員も余裕を持って子どもと向き合うことができますし、他の世界を知るということも、巡り巡って最終的には子どもの学力向上に還元されていくように感じます。
  • 例えば茶道でも華道でも、本当にそのレベルで教えられる教員がほとんどいないので、専門家の力を借りるしかないとのことですが、京都の子どもたちの様子を見ていると、とても積極的で、頑張ろうという気持ちは強い。しかしながら、教員との関係性が非常に強いので、例えば一つの伝統文化を子どもたちにしっかり教えようと思うと、教員がそれに関してしっかり理解して、それを子どもたちに一旦情報として下ろしたときに初めて子どもが興味を持つということがあります。そうなると、今度、子どもたちが直接、例えば池坊先生のところに行って勉強しようという気持ちになるのですが、そのつなぎ役になる教員がとても忙しい状況です。
  • 例えば学力・学習状況調査で、中学校が全国12位、小学校で全国8位というのは、ひとえに教員の頑張りに尽きます。本当に真面目に努力している方が多い一方で、過労死ラインを超えている教員がとても多い。これが恐らく京都の現場の状況なので、教員がサバティカルを活用するなり、しっかりした研修機会を保障するなりするのが一番大事なことだと思います。恐らく多くの小中高等学校の現実は、むしろ一番中心になる教員は学校の中核にいるので、研修に出せない、学びに行けない、その方がいなくなったら学校が回らないのが実態で、ここを何とかするような施策を講じないと、このような会議をする趣旨が薄らいでしまいます。それを突破できるようなものがつくれたら、教員も自分でしっかり大学院で勉強できる、研修に参加できる、伝統文化を学べる、帰って来てそれを子どもたちにフィードバックできる、そして子どもたちが今度は興味、関心持って自分で動こうとする、このような循環の構造をつくらないといけないだろうと思います。
  • これだけ社会や価値観が多様化した時代では、教員が子どもの全てを面倒見るということは幻想であって、ある意味、無責任ということではなく、社会で担うべきことではないかいう気がしています。伝統文化を理解し、教えられる教員を育成するということではなく、既にいる人材の中から制度的に地域の知恵を借りるようなシステムをつくったほうがずっと早く対応できるのではないでしょうか。また20年後のありたい姿の中では、「社会総掛かりで京都の力を生かした教育」ですから、例えばアウトソーシングするなど、何も教員が全てに対応できるようにする必要は全くないと思います。
一人一人の個性や能力を最大限に伸ばす教育について
  • 高校の時の基礎学力が高い子どもが大学で伸びることを考えると、やはり基礎学力が一番重要だと思います。ただ、それと同時に、大学に来ていきなりディスカッションさせたり、問題意識は何かということを言ったりしても、なかなか大学の授業の仕方になじめない。だから、高校の時から問題意識を持って自分なりの視点から極めていくというようなことも重要ではないかと思います。特に議論やディベートについては、日本の学生は外国の学生に比べて経験が少ないので、日本の高校教育の中にも取り入れられればと思います。
  • 教員の働き方改革においては、部活のあり方も合わせて解決されるべきではないでしょうか。
  • 高校の成績とクラブ活動の相関関係があることがわかり、教員から活動実態を聞き取ろうとすると、それぞれ一人一人がクラブ活動の中でどのように伸びてきたのかというようなことまでは捉えてないとい言われたことがありました。そうなると、大学側がその他の活動を評価しようとしても、それを推薦入学の中で活用することができない。先ほどおっしゃったアウトソーシングなどで評価することも必要かと思います。アメリカでは、例えば絵画が上手だという能力に教員が気づいたら、恐らく大学などを紹介して、そこで個人的に絵画を習いに行ったりします。コーディネートする人がいないのと外とのネットワークがつくれてないというところが、一人一人の能力を伸ばすという点で、海外に比べて日本は遅れているような気がします。これをゆとりと言ってしまったのが間違いであり、いわゆる自分の才能を伸ばす教育というのは、それぞれで見つけないといけない。金太郎飴をつくるのが教育ではないので、一人一人の個性や能力を最大限伸ばしていくためには、外部との連携と能力を発見する教員を育てていくことが重要だと思います。
  • 大学に進学していきなりディベートをしようとしてもできない、それはなぜかというと、論理立てて物事を話したり、アピールしたり、そういう機会があまりないことが原因だと思います。新聞を読んでいる子どもの就職内定率が高いということを言っておりますが、そういう面で新聞というものを生かしてもらえないかということを業界では考えております。
  • 私が大学で教えている際に、インターネットのデータを活用するのは構わない、ただ、デジタルには嘘、フェイクが多いとも伝えています。だから何が本当かということを見分けられるだけの力を持った上で使うべきであって、デジタルは単なるツールとして、重要なのは構想力であると、そのあたりの教育が大学になってやっと始まるというような状況です。
  • 私学の比率の高さは京都の教育の大きな特徴の一つであり、高等学校だと高校生10人いたら6人は公立、4人は私学の状況です。先ほどからの議論にあった、一人一人の個性や特徴を生かすという意味で言うと、私学の教育というのはそれぞれにミッションがあって、非常に特色のある教育を続けてきた、これは京都の伝統、力だと思います。例えば、公立と私学のあり方については本部会でしっかりと提言をしていかなければならないと考えています。
  • 平成40年には府北部の子どもの人数が平成25年の約半分ぐらいになってしまうとの推計があり、現状にある北部の高等学校の数がこれで果たしていいのかという議論も政策的に必要だと思います。教育学的に言うと適正な場所に適正に配置されていることは重要で、子どもの数がこれからどんどん減少していく、それに合わせて学校の統廃合というのは進めて行かざるを得ない部分があるのかもしれません。それをどうすればいいのか、どういう視点を我々が持たなければならないのかということについて、しっかりと政策的には議論しておく必要があると思います。
  • 人口が減少していく中で教育をどうしていくのか、府域の均衡ある発展を目指す上では大きいテーマだと思います。それぞれに地域事情があって、教育に関しては非常に地域感情があって調整が難しいとのことですので、総合的にどうしたらみんなが納得できるかということを、早めに考える必要があると思います。
  • 大学の講義でも、ゲストスピーカーを呼ぶと学生が途端に興味を示し始めます。同じことでも違った方から教えてもらうと、テクニックの違いなどにかなり学生たちが興味を示しますので、是非、公立と私学の教員の交流を進めていただきたいと思います。
対応方策に連動して検討すべき数値目標
  • 数値目標については、自己点検や自己評価のシステムがはっきりしてないとなかなか難しいと思います。目標というのは、ある意味では平均ですが、我々は一生懸命、一人一人の個性を伸ばそうとしているところですので、単に平均値だけで判断するのではなく、ばらつきを見ることも大切で、評価には気をつけなければならないと思います。また、目標値が達成できなかった場合に、教育委員会が支援するなど、いわゆるアクション、見直しをどのような形で行うのかが問題です。
  • 数値目標について、例えば校外学習を何回行ったかというような客観的なものはわかるのですが、何かに関心があるかどうかというのは少し目標としてはわかりにくいのではないかと思います。
  • 本当に大事なことなので教育行政上の評価を毎年するのですが、ただその評価が構造的に学校現場に返っていきにくいのではないでしょうか。つまり、教育政策及び教育行政を展開するということにおいて重要性はあるものの、何が不足しているのか、どこが問題なのか、どうすれば良いのかまでの提案が、なかなか学校現場に下りていきにくい状況があります。毎年関わりながら、そこは何か工夫する必要があると感じています。

お問い合わせ

総合政策環境部総合政策室

京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町

ファックス:075-414-4389

sogoseisaku@pref.kyoto.lg.jp