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行政文書にみるさまざま地図資料

歴史資料課 行政文書にみる さまざま地図資料

 地図は、辞書では単に「地形を図に落としたもの」と解説されますが、作製する側が何をどのように見せたいのか、知らせたいのかによって、同じ場所でもいろいろな役割をもつ地図が作られます。天気予報などでおなじみの「日本地図」や、カーナビの出現で最近では出番が減ってしまった「道路マップ」、書店にところ狭しと並ぶ「ぐるめマップ」など、その種類はたくさんあります。
 総合資料館では、過去にさまざまな目的で作製された多くの地図を所蔵しています。
 今回は、このうち長く京都府庁内に保管されていた地図の一部をご紹介します。

[今回ご紹介する資料]

資料名(資料番号、作成年)

  1. 地籍編製心得書(京都行政文書 明15-40、1882年)
  2. 下京区第六組鍋屋町全図(下京区地籍図6、1884年頃)
  3. 葛野郡9 上嵯峨村(乙)(官有地籍図144、1886年頃)
  4. 第五部 字地図 伏見町役場(地籍図5・地籍図199、明治後半)
    第四部 字地図 伏見町役場(地籍図4・地籍図198、明治後半)
  5. 京都市明細図(京都市明細図NW14、1927年頃~1951年頃)
    京都市明細図(京都市明細図NE04、1927年頃~1951年頃)

1 「地籍編製心得書」(京都行政文書 明15-40)

 明治7(1874)年、政府は土地の境界を確定する地籍編製事業を行うため都道府県に地籍調査を命じます。これをうけて京都府は、明治17(1884)年3月に京都市と府内郡に地籍調査を実施するよう通知し、そのためのマニュアルを示しました。
 写真は、そのマニュアル「地籍編製心得書」の冒頭です。「…第三条 地籍は別紙雛形により調整すべし…」などと、作製するにあたっての心得を全19条にわたって詳細に定めています。

    「地籍編製心得書」冒頭写真
    「地籍編製心得書」冒頭写真

(画像)「地籍編製心得書」のpdfファイル(221KB)(PDF:220KB)

2 「下京区第六組鍋屋町全図」(下京区地籍図6)

 当時、上京区は33組に、下京区は32組に分けられていました。その組ごとに住民自治の基盤がすでにあったことなどから「地籍編製心得書」にもとづく地図作製も順調に進み、明治17(1884)年末には完成しました。完成した「上京区地籍図」と「下京区地籍図」には個々の宅地・番地・土地の等級が明記され、道路・水路などが色分されています。写真は、鴨川と高瀬川に挟まれた四条木屋町上ル附近の鍋屋町の全図です。

下京区下六組鍋屋町全図
下京区下六組鍋屋町全図

(画像)「下京区第六組鍋屋町全図」のpdfファイル(1068KB)(PDF:1,068KB)

3 「葛野郡9 上嵯峨村(乙)」(官有地籍図144)

郡部では山林や原野が多く、境界の把握が困難であったため作業は思うように進みませんでした。そこで、府はより実施しやすい改訂版マニュアル「地籍編纂主任心得書」を作成し、郡部については官有地のみを調査した結果を台帳に記し、図面を添えて提出するよう指示しました。この図面が「官有地籍図」です。こちらは縮尺も小さく、市内に比べかなり大胆な描き方になっており、里道・水路・畑などを大きく色分けしていますが、土地の等級、幅員や細い水路についてまで詳細に記しています。この「官有地籍図」は明治19(1886)年頃、葛野郡・愛宕郡・乙訓郡・宇治郡の一部で完成しました。
 写真の資料は、今も時代劇の撮影によく利用される嵯峨の大覚寺附近の図です。大覚寺の土地の等級は「官四」と記されています。これは「大政官布告第120号(明治7年11月7日)」によって、個人や村の土地ではない社寺地が「官有地第四種」と位置付けられたためです。なお、官有地は、皇宮地(皇居・離宮等)・神地が第一種、官用地などが第二種、民有地でない堤防や原野・山岳・墳墓地などが第三種、民有地でない寺院・学校・病院などが第四種に区分されていました。

葛野郡9 上嵯峨村(乙)(8分割中5枚目)
葛野郡9 上嵯峨村(乙)

「葛野郡9 上嵯峨村(乙)」一覧リスト

4 「第五部 字地図 伏見町役場」(地籍図5・地籍図199)
  「第四部 字地図 伏見町役場」(地籍図4・地籍図198)

さて、今までご紹介したような作製目的等がはっきり判っているものもあれば、現在でも判っていない地図もあります。最近公開した「地籍図」という資料群は、相楽郡や船井郡等の字図など約200点をまとめた貴重な資料群といえますが、「作製時期は地図の端に書いてあるが、何のために作ったものかわからない」、「作製時期も、目的もわからない」というものもあります。その中でとくに利用が多い資料に「字地図 伏見町役場」というものがあります。この資料は字(あざ)図が10枚ほど綴られた冊子数冊で構成されておりますが、表紙に「伏見町役場」と書かれているだけで、いつ、何のために作製されたものかはわかりません。また同じ図ではありますが、作製後の書き込みが異なることから、それぞれ別の場所で使われていたと思われる資料が2冊ずつ組になっています。これらの資料は、経過は不明ですが、最終的にそれぞれが揃って京都府用地課で保管された後、資料館に移されました。
 写真では、この「字地図 伏見町役場」の中から「字南浜」と「字両替町四丁目」の4枚2組をあげています。まず「字南浜」をみてみましょう。地籍図5・地籍図199は、坂本龍馬で有名な寺田屋があるあたりです。この2枚の地図を見ると字(あざ)の形はほぼ同じですが、区割りや書き込みが異なっています。
 また次に「字両替町4丁目」をみてみましょう。地籍図4の下方には、「軌道用地」と書き込みがあります。ここは後に、京阪電車桃山駅や線路ができるところです。一方区割りは類似している地籍図198には「軌道用地」が書き込まれていません。これらの違いを時間をかけて見比べ、調べていけばそれぞれの担ってきた役割が見えてくるかもしれません。

南浜(地籍図5)
南浜(地籍図5)

(画像)地籍図5のpdfファイル(2092KB)(PDF:2,091KB)


南浜(地籍図199)
南浜(地籍図199)

(画像)地籍図199のpdfファイル(2015KB)(PDF:2,014KB)

両替町4丁目(地籍図4)
両替町4丁目(地籍図4)

(画像)地籍図4のpdfファイル(2127KB)(PDF:2,127KB)

両替町4丁目(地籍図198)
両替町4丁目(地籍図198)

(画像)地籍図198のpdfファイル(2260KB)(PDF:2,259KB)

5 「京都市明細図」(京都市明細図NW14・京都市明細図NE04)

 この地図は、昭和初期に大日本聯合火災保険協会が作製した「京都市明細図」に、戦後(1951年頃まで)訂正・加筆等を行っていったもので、縮尺は1200分の1、全部で291枚あります。東は東山山麓、西は西大路通附近、南は十条通附近、北は北山通附近、という京都市の中心部をカバーし、昭和初期の都市改造、戦中期の建物疎開などを経て、現在の京都市の街並みが形成される様子がよくわかる資料です。地図自体は昭和初期に作られましたが、その後幾度かの修正が行われ、最終的に地図に色がつけられ、細かい書き込みがなされたのは、昭和26(1951)年ごろと考えられます。しかし、作製経過等に不明な点も多く、地籍図同様、これから研究を進めるのが楽しみな資料群です。
 写真の「京都市明細図NW14」は、堀川通の今出川から一条通までのものです。太平洋戦争末期に行われた建物疎開事業によって、堀川通りに大きな空き地ができている様子がわかります。
 「京都市明細図NE04」は、河原町三条附近です。図の上部の御池通は同じく建物疎開のために空き地になり、占領軍のための駐車場やテニスコートが設置されている様子がわかります。図の中央、三条通り沿いには、現在明治村に移築されている天主教会の建物が記され、図の左下部の新京極通りには映画館や劇場が集中しています。

京都市明細図NW14
京都市明細図NW14

(画像)京都市明細図NW14のpdfファイル(2560KB)(PDF:2,560KB)

京都市明細図NE04
京都市明細図NE04

(画像)京都市明細図NE04のpdfファイル(2507KB)(PDF:2,506KB)


当館では、今回紹介したもののほかにも、京都市内外の「字(あざ)図(地籍図)」など様々な地図を閲覧提供しています。この中には、当サイト内「行政文書アーカイブズ」や「京の記憶ライブラリ」で覧いただけるものもあります。
 ぜひ、研究や学習にご活用ください。

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文化スポーツ部文化政策課 京都学・歴彩館

京都市左京区下鴨半木町1-29

ファックス:075-791-9466

rekisaikan-kikaku@pref.kyoto.lg.jp

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