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今日の一句(1月16~31日)

資料紹介コーナー「京都新聞連載『京近江 名所句巡り』に紹介された本たち」

2011年4月1~15日, 4月16~30日, 5月1~15日, 5月16~31日, 6月1~15日, 6月16~30日, 7月1~15日, 7月16~31日, 8月1~15日, 8月16~31日, 9月1~15日, 9月16~30日, 10月1~15日, 10月16~31日, 11月1~15日, 11月16~30日, 12月1~15日, 12月16~30日, 2012年1月1~15日, 1月16~31日, 2月1~15日, 2月16~29日, 3月1~15日, 3月16~31日

宛(あたか)も似(に)たり 昔時(せきじ) 渓を渡るの虎(とら) 1月16日

龍安寺(外部リンク)(京都市右京区)は室町幕府の管領(かんれい)細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受け、妙心寺の義天玄承(ぎてんげんしょう)を招いて禅院としたのが始まり。今日、何といっても方丈庭園の枯山水の石庭が有名だ。一面に白砂を敷き十五個の石を配する。句は「洛北名庭の第一」と絶賛する「都林泉名勝図会」(外部リンク)の絵に添えた皆川淇園(きえん)の絶句第三句。石庭が「虎の子渡し」と呼ばれているのを詠む。

踏むだにも縁(えにし)なるてふこの山の 1月17日

「土となる身は頼もしきかな」と藤原定家が歌に詠み、つねに閑寂な地を愛したのは比叡山横川飯室谷の安楽律院(外部リンク)(大津市)。もと安楽院と称し、比叡山五別所の一つで、恵心僧都らも隠棲(いんせい)した地だ。「都名所図会」(外部リンク)は歌を掲げ、境内南端にある定家塚へ案内する。尾根になっていて定家峰と呼ばれる。峰には定家六百五十回忌に建てられた碑もあり、側面にこの歌も刻まれる。

冬深く野はなりにけり近江なる 1月18日

「伊吹の外山(とやま)雪降りぬらし」と平安中期の曾禰好忠(そねのよしただ)が詠んだ伊吹山(米原市)は標高一三七七メートルの滋賀県の最高峰。歌を引いて案内する「近江名所図会」(外部リンク)が記すように日本七高山の一つだ。古来、山岳信仰の対象とされ、役行者(えんのぎょうじゃ)が霊場として開いたといい、幾多の修験者が修業した。円空もその一人だ。歌枕として有名で紫式部も琵琶湖から冠雪した山を眺め歌を詠んだ。

冬枯(ふゆがれ)や平等院の庭の面 1月19日

平等院(宇治市)は仏師定朝作の阿弥陀如来(あみだにょらい)座像を安置した国宝の鳳凰堂が有名だ。末法の世に入るとされた平安後期、藤原頼通が父道長の別荘を寺院に改め極楽浄土を表したといわれる。鳳凰堂の建つ中島の前に池が広がり、芝生の堤が緩やかな曲線を描く。句は「宇治川両岸一覧」(外部リンク)の挿絵に掲げた俳人鬼貫(おにつら)の作。近年、中島の洲浜(すはま)などの整備が進み端然として美しい。

木曽殿(きそどの)と背中合(あわ)せの寒さかな 1月20日

義仲寺(ぎちゅうじ 大津市)は木曾義仲(きそよしなか)と俳聖松尾芭蕉の墓所として名高い。義仲は源範頼・義経の軍勢と粟津で戦い戦死。その塚を近江守護の六角氏が寺に再建。のち芭蕉がしばしば訪れ、大坂の旅先で亡くなると、遺骸は寺に運ばれ葬られた。今も二人の墓が並んで建つ。句は「近江名所図会」(外部リンク)が寺の案内記に引いた芭蕉の門人又玄(ゆうげん)の作。境内には句碑が多くあり、この句もある。

兼平(かねひら)が塚渺々(びょうびょう)と刈り田かな 1月21日

今井兼平は木曽義仲の四天王の一人。平家討伐に従ったが、粟津合戦で義仲の戦死を知り、口に刀をくわえ馬から落ち壮絶な死を遂げた。初め小さな塚だったが、膳所藩主が墓石を築き旧東海道脇の広々とした田の中に移した。今は住宅や工場の中となり勇猛忠義をたたえる碑とともに兼平の墓(大津市)がある。句は「近江名所図会」(外部リンク)が塚の案内に添えた俳人鬼貫(おにつら)の作。

言語 禅に近く 形 仙に肖(に)たり 1月22日

日本文人画の大成者池大雅(いけのたいが)は妻玉瀾(ぎょくらん)と真葛ヶ原に住んだ。幼くして書画に天才を発揮し数々の奇行は有名だ。没後門人は遺蹟の消えるのを惜しみ大雅堂(外部リンク)を建て「文雅の人、相続して翁が風致を慕へり」と「花洛名勝図会」(外部リンク)は記す。句は大雅を詠んだ詩僧六如(りくにょ)の律詩第二句。その名所も円山公園開設で消え、いま大雅堂旧跡碑(京都市東山区)が「和光同塵(わこうどうじん)」碑と並んで建つ。

比良の嶺雪(れいせつ) 暮江(ぼこう)寒し 1月23日

続けて「軽舟(けいしゅう)短棹(たんとう) 興 何ぞ尽きん」と近江八景の漢詩第二・三句に詠まれた比良山(大津市・高島市)の比良暮雪。比良山は琵琶湖西岸に千メートルから千二百メートルの峰が南北に連なり、湖の方に急峻(きゅうしゅん)な断層の崖を見せる秀麗な連峰だ。その景勝は「東海道名所図会」(外部リンク)が「古詠多し」と記すように詩歌に詠まれてきた。殊に冬の夕べ、湖岸から眺める雪景色は情緒が尽きない。

里の名の今朝ふる雪にあらはれて 1月24日

「この山松の色もわかれず」と後西天皇が詠んだ北白川照高院行幸の歌。照高院は秀吉の信任厚い道澄(どうちょう)が東山に開基。のち廃絶し興意(こうい)法親王が北白川に再興、聖護院門跡の兼帯所となった由緒ある寺。歌を掲げ「拾遺都名所図会」(外部リンク)は案内するが、明治維新で智成(さとなり)親王は復飾、寺は現在ない。ただ近くに智成親王墓(京都市左京区)があり、将軍地蔵に照高院宮(しょうこういんのみや)址碑(あとひ)(外部リンク)が建つ。

東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 1月25日

「あるじなしとて春な忘れそ」は有名な菅原道真の歌。昌泰四(九〇一)年正月二十五日、藤原時平の陰謀で大宰権師(だざいのごんのそち)に左遷され一家離散の悲しみの時、自邸の庭先の梅を見て詠んだという。その道真の邸宅・誕生地であった天神御所、紅梅殿の跡が菅大臣神社・北菅大臣神社(京都市下京区)だと「菟芸泥赴(つぎねふ)」(外部リンク)は歌を記し案内する。ゆかりの飛梅(とびうめ)や産湯の井戸が残される。

君が住む宿の梢(こずえ)をゆくゆくと 1月26日

「隠るるまでもかへり見しはや」と大宰府へ左遷された菅原道真が街道脇の石に腰掛け詠んだ(外部リンク)のが離宮八幡宮(外部リンク)(京都府大山崎町)の菅公腰掛石だと「都名所図会」(外部リンク)は記す。山崎は古代の駅。道真はここから舟に乗って行く時、遠ざかる都を心細く思い、都の北の方に対し詠んだと「大鏡」は描いている。腰掛石は低く平らな石で、今も祠(ほこら)とともに腰掛天神社としてまつられる。

うば玉のわが黒髪やかはるらむ 1月27日

「鏡のかげに降れる白雪」と紀貫之(きのつらゆき)が詠んだのは紙屋川のほとりの鏡石(かがみいし)(外部リンク)(京都市北区)だと「洛陽名所集」(外部リンク)は案内する。左大文字山の山裾にある巨石で、水晶石のように人の姿を写すという。源義経が石の前で戒衣(じゅうい)を整えたとの伝説もある。江戸期の名所記が次々紹介した有名な石(外部リンク)だが、道路拡張で削られたらしく今は光沢がない。ただ名声は町名や通り名に残っている。

いかにけさ冴野(さえの)の沼の凍るらむ 1月28日

「小塩の山に雪はふりつつ」と鎌倉中期の藤原光俊が詠んだ勝持寺(外部リンク)(京都市西京区)の冴野の沼(外部リンク)「都名所図会」(外部リンク)が記すように寺は役小角(えんのおづぬ)の創建に始まるという古刹(こさつ)で、小塩山と号して小塩山の麓にある。西行や木下長嘯子(ちょうしょうし)ら歌人にゆかり深く、冴野の沼も歌枕だ。今も境内に静かに水をたたえる。「冴(さ)ゆ」は本来しんしんと冷える意で、厳寒の清澄感が歌人を引きつけた。

法(のり)の道うつす甲斐ありや蓮華筆(れんげふで) 1月29日

日蓮宗京都八本山の一つ妙伝寺(京都市左京区)は「西身延(にしみのぶ)」と呼ばれる。室町時代、日意(にちい)が甲斐の身延山久遠寺から宗祖日蓮の遺骨を分与され寺を建立。身延山は遠く西国の信者のために京都に移したのだと中川喜雲(きうん)「京童(きょうわらべ)」(外部リンク)は句を詠んで案内する。初め洛中にあったが、秀吉による移転や宝永の大火で現在地に移った。本堂に関西身延の額を掲げ、北側には御真骨堂が建つ。

河上や笠置(かさぎ)の岩屋けを寒(さむ)み 1月30日

「けを寒み」は「寒さが厳しいので」の意。続けて「苔を筵(むしろ)とならす優婆塞(うばそく)」と曾禰好忠(そねのよしただ)の歌を引き「山城名勝志」(外部リンク)がいざなう笠置寺(相楽郡笠置町)の千手窟(せんじゅのいわや)。聖武天皇の時、窟に良弁(ろうべん)が籠(こも)り秘法で東大寺造営の資材を運ぶ木津川の通路を開き、また高弟実忠(じっちゅう)も弥勒(みろく)の兜率天(とそつてん)に入り、お水取りの行法を持ち帰ったという。寺の聖地で、今も巨石の間に祠(ほこら)を祀(まつる)る窟がある。

湖水(みずうみ)の龍宮城はかはりけり 1月31日

「鯉鮒(こいふな)うなぎなまづ鼈(すっぽん)」と秋里籬島(りとう)「東海道名所図会」(外部リンク)が狂歌に詠んだのは俵藤太(たわらとうた)こと藤原秀郷の有名な百足(むかで)退治伝承だ。秀郷は瀬田川の水底に住む龍神に頼まれ、三上山の大百足を弓矢で退治し、龍宮に招かれ種々の宝物を賜ったという。いまも瀬田の唐橋(大津市)のたもとには、龍神と秀郷を祀る勢田橋龍宮秀郷社と、秀郷を追善供養する雲住寺が隣り合って建つ。

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ファックス:075-791-9466

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