京都盆地周辺における平安時代以降の植生の変遷マツ林から常緑広葉樹林への植生の大変化

京都盆地周辺では、平安時代以降にアカマツを中心とした植生が広がり、昭和初期まで続いていた。昭和30年代以降、人々の生活様式の変化に伴い、大きく植生景観が変化してきた。本論では、前半に平安時代以降、これまでの自然植生がより人為の加わった植生へと変化してきた経過をまとめ、後半には、昭和時代における大きな植生景観の変化を、特に京都盆地の東山と南部の宇治川周辺に焦点をあてて解説する。なお、本稿は、奥田ほか(2007)、高原ほか(2008)、高原、奥田(2008)、高原(2015)、高原(2020)の内容の一部をもとに、新たな資料を加えて再構成したものである。

1平安時代から大正時代の植生変遷

遺跡調査(佐々木、高原,2012)や自然堆積物(Sasaki, N. and Takahara,2011;高原ほか,2011)の花粉分析によって明らかにされた平安時代よりも前の時代における植生は、主にカシ類などの常緑広葉樹やスギなどの温帯性針葉樹からなる森林であった。その後、平安時代直前の7世紀には、これまでのカシ類などの森林は維持されてはいるものの、マツ(アカマツ)が増え始め、室町時代以降にはマツが優勢となり、江戸時代中期(1700年代)には、圧倒的にマツが優占する植生になった(佐々木ほか,2011)。この植生の大きな変化は、人々の活動が活発になり森林の利用が進んだことによって自然植生が破壊されたため、陽生樹種であるアカマツが増加したことによるものと考えられる。

また、絵図の解析から小椋(1992など)は、室町後期から江戸時代にかけては、京都盆地周辺の山々は、低木林が多く、ほとんど植生のない禿げ山も珍しくなかったことを指摘した。江戸時代において、東山については「知恩院から伏見稲荷の裏山付近にかけて特に連続した森林が広範囲にみられたものと思われる。そのような林は、マツが主体であったが、社寺のすぐ近くでは、スギなどの針葉樹や様々な広葉樹からなる林や竹林も珍しくなかった。」と述べている。

江戸時代末期に描かれた東山(淀川両岸一覧(松川半山画,曉晴翁著,1861年(柳原(1978)参照)の四條橋,五條橋の絵図)では、比較的高木の樹木が多く描かれているが、所々、樹木の疎なところも見受けられる。ほぼ同じ年代の宇治橋上流右岸(宇治川両岸一覧(松川半山画,曉晴翁著,1863年)の朝日山,恵心院,離宮八幡の絵図,図1)では大吉山(仏徳山)、朝日山の尾根近くにはマツ状の樹形をした樹木が密に描かれている。

図1 宇治川両岸一覧(1861年)の朝日山恵心院(宇治市歴史資料館蔵)
図1 宇治川両岸一覧(1861年)の朝日山恵心院(宇治市歴史資料館蔵)

一方、大吉山の斜面には高木はなく、低木か草原状の植生が描かれている(高原ほか,2008)。このように、江戸時代末期には、マツを中心とした高木の分布する場所と、低木あるいは草原状の場所が存在していた。

現在、糺の森として知られる下鴨神社境内では、エノキやムクノキなどの落葉広葉樹が拡がっている。しかし、下鴨神社の絵図(小椋,2018)や遺跡堆積物の花粉分析(竹岡、高原,1992)から、近世には現在よりもマツやスギの多い植生であった可能性が高い。

京都盆地や宇治周辺だけではなく丹後半島においても、江戸時代後期に描かれた天橋立の絵図(松川龍椿,島田雅喬らの絵図)の天橋立周辺の山地には、マツが散在し、草地の拡がる景観が描かれている(高原,2015b)。

明治時代になると、明治4年(1871年)の上知令によって、寺院と神社の領地が、官有地に編入された。東山では、昭和初期に調査されたアカマツの樹齢が60〜80年であった(後述)ことから、この上知令の直前に、「一度激しい濫伐が加えられた」(大阪営林局,1936)とされ、明治初期には、東山の広い範囲で、植生遷移の初期段階のアカマツなどの低木からなる植生が拡がったと考えられる。山裾に清水寺が位置する清水山では、後の昭和9年の室戸台風による甚大な被害後の倒木調査によって、ここには、江戸時代初期からヒノキ林が存在していたとされている(大阪営林局,1936)。

明治時代では、さらに地形図を資料として、当時の植生景観を調べることができる。参謀本部測量局(陸軍)による仮製地形図(明治17年から23年(1884年から1890年))に示された植生に関する記号を比較することによって、明治時代22年(1889年)頃の植生図が示されている(小椋,1992)。これによると、東山一帯はほとんど樹高5m以下のマツ林であり、ススキ草原などの草地やはげ山も点在していた。

このような植生は、人々による木材、燃料、肥料としての森林利用の結果として成立していたものである。淀川両岸一覧には、大原から燃料のための柴や薪などを売りに来た大原女の姿も描かれている(柳原,1978)。このように人々の生活のための活動によって長期間維持されてきたアカマツや草地を中心とする植生は、昭和時代の前半まで維持されてきた。

2東山における昭和時代以降の植生(1930年代)

(1) 昭和時代初期の植生(1930年代)

昭和初期の東山の植生について、詳細な調査結果が写真や調査データとともに示されている「東山国有林風致計画書」(大阪営林局,1936)は、現在の東山の植生の成り立ちを考える上で極めて貴重な資料である。この計画書に記載された青蓮院、知恩院から清水寺に至る東山の植生を次に紹介する。図2には昭和7年(1932年)の知恩院とその背景の国有林(大阪営林局,1936)の写真を示した。

図2 知恩院(昭和7年(1932年))(大阪営林局,1936)
図2 知恩院(昭和7年(1932年))(大阪営林局,1936)

青蓮院、知恩院の背景となる花頂山の西斜面では、シイの樹冠が目立ち、アカマツ、モミ、スギ、ヒノキの針葉樹の樹冠が単木的に混じっていた。調査によって、シイの樹齢は50〜200年、スギ150年、アカマツ100〜150年、モミ100年、ヒノキ100年と推定されている。花頂山の南方尾根の将軍塚下方に分布する森林では、アカマツとシイが高木層で優占し、コナラを交えていた。下層植生にはシイ、アラカシ、クロバイ、タカノツメなどが生育していた。これらの高木層を構成する樹木は、伐採された標本木の樹齢から約60年生と推定され、明治初期に成長を始めたものと考えられる。

昭和7年(1932年)の清水山の写真(大阪営林局,1936)を図3-aに示した。清水寺に接している清水山の斜面には、老齢のヒノキを主体として、アカマツ、シイを交えた森林があり、その山裾にはシイの純林が帯状に拡がっていた。

図3-a 昭和7年(1932年)の清水山(大阪営林局,1936)
図3-a 昭和7年(1932年)の清水山(大阪営林局,1936)

このヒノキの樹齢は昭和9年(1934年)時点で350年生であった。東山国有林植物誌(大阪営林局,1936,「東山国有林風致計画書附録」)には、この森林の植生が詳しく記述されている。上層木にヒノキ、シイ、アカマツなど、中層木にクロバイ、リンボク、ソヨゴ、サカキ、シイなど、低木にヒサカキ、シャシャンポ、ヤマウルシ、コバノミツバツツジなどが生育していた。

大文字山から稲荷山の京都盆地を望む西側斜面の東山全域では、アカマツが中腹以上を占めており、全体の6割を占めていた。樹幹解析の結果、アカマツの樹齢は60〜80年生の範囲に入り、明治初期に発生したアカマツであることを示している。これらの大阪営林局(1934)の記述に基づいて、昭和時代初期における東山西斜面の森の景観を図4−aに模式的に示した。

図4 東山における昭和以降の植生の変遷(高原,2020)
図4 東山における昭和以降の植生の変遷(高原,2020)

また、前節に述べたように、東山は上知令直前の濫伐後、国有林となり、禁伐が続いた。その後の植生遷移によって、江戸時代末からシイの低木が拡がりつつあった知恩院に近い花頂山や清水山の下部では、昭和初期(1930年代)にシイ林が形成されていたと考えられる。

昭和9年(1934年)の室戸台風によって、清水山の350年生のヒノキ林やアカマツ、シイの混交する森林は壊滅的被害を受けた(図3-b)。

図3-b 昭和9年10月(1934年)の清水山(大阪営林局,1936)
図3-b 昭和9年10月(1934年)の清水山(大阪営林局,1936)

この台風被害を復旧するため、国有林によって行われた植林では、シイと考えられる広葉樹の根株からの萌芽を利用し、さらに早期に景観回復を行うため、ヒノキの高さ1〜2mの大苗を用いた。山麓にはシイ、カシ、中腹以上にはアカマツ、ヒノキを主に植林し、大気中の窒素を土壌に固定する性質のあるヤマモモやヤシャブシも同時に混植した(大阪営林局,1936)。

室戸台風よる京都府内の被害状況をまとめた「風害を被った京都の風致」(京都府土木部,1935)には、神社、寺院境内や風致地区の風害被害状況がまとめられており、当時の植生を示す写真も多数掲載されている。この中には修学院離宮裏山、高台寺境内など、細長い樹幹をしたアカマツと考えられる樹木が映っている(図5)。

図5 修学院離宮の裏山「風害を被った京都の風致」(京都府土木部,1935)
図5 修学院離宮の裏山「風害を被った京都の風致」(京都府土木部,1935)

(2) 昭和時代戦後の植生(1945年以降)

清水山における室戸台風後の復旧造林地において、台風被害後12年たった昭和21年(1946年)の調査資料(大阪営林局経営部,1946)をもとにアカマツ、シイ、ヒノキ、アラカシの直径階分布を図6に示した。

図6 昭和21年における清水山の復旧造林地(11林班か小班(国有林の地番))の直径階分布調査地280m²あたりの直径階ごとの本数
図6 昭和21年における清水山の復旧造林地(11林班か小班(国有林の地番))の直径階分布調査地280m²あたりの直径階ごとの本数

アカマツ、シイは直径8cmに達しており、ヒノキは4〜6cmのものが多かった。樹高については、中腹以上でシイ、ヒノキ、アカマツで樹高5〜6mに成長している。以上の資料などに基づき、図4-bには、室戸台風被害の復旧造林後の昭和10〜20年(1935〜1945年頃)における森の景観を示した。

現在、知恩院から清水寺に面する斜面には、広くコジイ林が分布しているが、この森林の形成過程を調べるため、空中写真の解析を行い1961年、1975年、1987年、2004年におけるシイの分布域を図7に示した(奥田ほか,2007)。

図7 東山におけるシイ林の変化(奥田ほか,2007)
図7 東山におけるシイ林の変化(奥田ほか,2007)

この図によると、1961年におけるシイ林の分布は、小椋(1992)が大阪営林局(1934)の資料から推測した昭和初期(1930年代)のシイ林の分布状況から大きく変化していない。現在も大径木が分布している知恩院の東側にはまとまったシイ林が認められ、ひろく東山の山裾には線状にシイが分布している。1975年から1987年にかけて、シイは東山西斜面中腹へと分布を広げ、東山東斜面の山科側においてもシイの樹冠が認められた。2004年にはシイは北端の粟田神社近辺から南端の清閑寺付近までほぼ連続して分布していた。西側斜面では、ほぼ斜面下部から尾根までシイが広がった。一方、尾根を隔てた東側斜面には、樹冠が点在する程度ではあるが分布を広げている。2004年におけるシイ分布域の面積は1961年の約4.7倍の32.1haに達した。1961年と2004年における東山の植生変化について、空中写真を解析した結果、1961年には、アカマツを主とする植生が森林全体の40%を占め、シイ林は11%であった。空中写真の解析に基づき、図4-cには昭和30年代(1955〜1960年頃)の森の景観を示した。

2004年の空中写真では、アカマツの優占する植生は、ほとんど認められなくなり、シイ林は38%まで増加した。図8には1961年と2004年の空中写真による植生図(高原、奥田,2008)を示した。

図8 東山における森林の変化(高原、奥田,2008) 図8 東山における森林の変化(高原、奥田,2008)凡例
図8 東山における森林の変化(高原、奥田,2008)

室戸台風による被害の復旧のために造林されたアカマツ、シイ、ヒノキの成長後、昭和50~60年代にマツ材線虫病によるマツ枯れが起こり(図4−d)、清水山の現在のシイ、ヒノキ混交林(図9)の形成を促したと考えられる(図4-e)。

図9 清水山の森林(2007年5月 高原撮影)
図9 清水山の森林(2007年5月 高原撮影)

現在では、2004年から約20年が経過したが、2018年における台風被害跡地を除いて、シイ林は西側斜面のほとんどを占めている。

3宇治橋周辺における植生の変化

宇治川にかかる宇治橋の上流部には、平等院、宇治上神社、宇治神社、恵心院、興聖寺等の社寺が位置し、2018年には一帯が名勝宇治山として国の名勝に指定されている。ここではこの地域の昭和以降の植生景観の変遷を解説する。

宇治橋東詰から上流へ進むと、宇治川へ流れ込む大きな流れがあり、その山側に大正2年(1913年)に完成した宇治発電所がある。大正2年の宇治発電所導水管工事の写真(図10)には当時の工事の様子が映っている。

図10 宇治発電所導水管工事一部1913年3月(宇治市歴史資料館蔵)
図10 宇治発電所導水管工事一部1913年3月(宇治市歴史資料館蔵)

宇治上神社周辺の常緑広葉樹の林冠が見え、斜面上部には,アカマツと考えられる高木が認められる。また、1961年に撮影された大吉山(仏徳山)の空中写真(図11)では、現在は高木に覆われている大吉山へ登る遊歩道がはっきりと見え、大吉山の斜面から上部にかけて低木が拡がっている。

図11 大吉山周辺の空中写真1961年5月1日(国土地理院MKK614-C13-6716を改変)
図11 大吉山周辺の空中写真1961年5月1日(国土地理院MKK614-C13-6716を改変)

また、斜面の下部の山裾には樹冠の大きな樹林が認められる。この大吉山は前述の宇治川両岸一覧の絵図(図1)と同じ場所である。江戸末期から昭和時代の中頃まで大吉山の斜面は宇治上神社周辺を除いて高木に覆われることはなかったようである。

この地域の植生の変化を、1961年と2006年を対比して図12(高原、奥田,2008)に示した。

図12 宇治川周辺における植生の変化((高原、奥田,2008)を修正) 図12 宇治川周辺における植生の変化((高原、奥田,2008)を修正)凡例
図12 宇治川周辺における植生の変化((高原、奥田,2008)を修正)

1961年には、特に宇治川周辺域は、スギ・ヒノキの人工林を交えながらも、アカマツが優勢な森林あるいはアカマツを混生する落葉広葉樹林であった。45年後の2006年には、アカマツを中心とする植生は約10%であり、アカマツ林は激減した。一方、常緑広葉樹林は1961年には大吉山山裾の宇治上神社から興聖寺周辺に小面積ながら認められる程度であったが、2006年には宇治上神社、興聖寺周辺から大吉山の全域にコジイを中心とした常緑広葉樹林が拡がった。上述の宇治発電所導水管工事では、当時むき出しであった導水管周辺には、当時京都府の指導の下(林,2016)、景観に配慮して、大苗のアカマツと下層にアラカシを植樹した(宇治川電気株式会社,1916)。現在、この部分ではアラカシのみが林冠を構成している。図11の空中写真にもアラカシ林冠の並んでいる様子が見受けられる。また、大吉山頂上の北側斜面は現在コジイの高木林になっているが、この空中写真をみると南北に樹木が並んでおり、コジイの植樹が行われたようである。

2025年現在の大吉山の景観を図13に示した。

図13 大吉山(2025年4月28日 高原撮影)
図13 大吉山(2025年4月28日 高原撮影)

4月下旬のコジイの開花によって樹冠が黄色く色づいている。

4京都盆地周辺におけるマツ林衰退とシイ林分布拡大の要因

平安時代以降に、人間活動によって長期間維持されてきたアカマツが優占する植生は、これまで述べてきたように、1960年代以降に大きく変化し、京都盆地の縁辺部の丘陵地では、コジイを中心とする照葉樹林が発達してきた。このようなシイ林の拡大の要因は大きく2つの要因が指摘されている(奥田ほか,2007)。

1950年代から始まった都市周辺域での急激なプロパンガスの普及(社団法人日本ガス協会,1997)や電力の普及、いわゆる燃料革命によって、これまで都市近郊の森林で行われてきた柴や下草、落葉落枝の採取などの生活資源としての樹木の利用が減少した。その結果、都市近郊の森林は人為の影響が減少し、低木として分布していた常緑広葉樹が成長し、植生遷移が進行したと考えられる。

また、シイが急速に分布を拡大したもう一つ原因としてマツ枯れによる影響が挙げられる。京都市周辺では1970年代以降にマツ材線虫病によるマツ枯れが激化し、多くのアカマツが枯死した(安藤ほか,1998;森下、安藤,2002)。東山の高台寺山国有林においても、1954年から1991年の間に8,885本の被害木が処理されている(大阪営林局・京都営林署,1993)。このようなアカマツの大量枯死により、それまで下層で生育していたシイが成長し林冠に達したため、シイの樹冠面積が急速に増加したものと考えられる。そのメカニズムも平山ほか(2011)によって、確かめられている。

また、清水山の室戸台風被害跡地や宇治大吉山の北斜面のように、積極的にコジイを植栽した場所も認められる。

これまで述べたように、京都盆地や宇治周辺の森林は、平安時代以前の常緑広葉樹に落葉広葉樹や温帯性針葉樹の伴う照葉樹林から、人間活動の影響を受け、アカマツ林あるいは低木状の植生へと変化した。このような人と森との関係は、数百年以上にわたって維持されてきたが、1960年代の燃料革命によって森林へ人の手が入らなくなったことと、1970年代以降のマツ材線虫病によるマツ枯れの激化によって、植生遷移が急速に進み、近年、盆地の縁辺部の丘陵地では、シイを中心とする常緑広葉樹林が発達してきた(高原、奥田,2008)。

文献一覧

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  • 大阪営林局京都営林署(1993)東山国有林の風致・防災施行 京都営林署 106pp
  • 大阪営林局経営部(1946)東山国有林清水山復興造林地調査資料昭和21年2月
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