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鴨川真発見記<163から168>

 

 

鴨川真発見記番外編 建設業界は今 (号外)

「シンポジウム建設未来京都フォーラム2014」

建設業の未来づくりを模索する

 

 平成26年10月10日(金)に建設業の未来を考えるシンポジウムが建設未来京都フォーラム(の主催により開催されました。会場の京都市立国際交流会館イベントホールには、100人余りの参加者が詰めかけ、盛大に開催されました。

<イベントホール前>                                      <受付 笑顔でお迎え>

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 建設業界の人手不足は、東北大震災や東京オリンピック特需もあいまって深刻な事態を招いています。京都土木事務所も建設業界あってこそ成立する業務です。今回は、その業界の未来を考えるシンポジウムの様子をご紹介したいと思います。

<会場の様子>                                        <フォーラム設立趣意書>

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 昨年開催されました、第2回京都建設技術フェアの様子は鴨川真発見記第92号でご紹介していますので、併せてご覧ください第92号にリンク

 

 冒頭、今回のフォーラム開催を記念して募集された作品集「建設業を見守る人々」の作文の1つが読み上げられました。読み上げ作文(PDF)

 ※建設未来京都フォーラム2014記念事業のHPにリンク(外部リンク)

 

 最初に京都大学大学院工学研究科教授・NPO法人道普請人(みちぶしんびと)理事長の木村亮(きむらまこと)氏による基調講演が「建設業の未来づくりは人づくり」と題して語られました。

 

木村亮氏略歴<京都サンダーのカワラバンより>

 専門は地盤工学、基礎工学、トンネル工学。また専門の土木工学はもとより、20年来、国際協力を活発に行い、2007年には「NPO法人道普請人」を設立。理事長としてアフリカなど世界15カ国以上の途上国で活動を展開中。日本発の世界中をフィールドとする、世界一の「人々の暮らしを守り豊にする」国際土木NPOを目指している。

<基調講演:木村氏>

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<熱く語る木村氏>

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 木村氏の「NPO法人道普請人(みちぶしんびと)」の活動は、途上国の未舗装の道路が少しずつ傷んで、放置した結果傷みが激しくなってぬかるみが広がり、自動車が走れない程になってしまっている状況を修復・改善する活動です。

 

 重機を用いずに現地で調達できる材料で道を改善するという命題を“土のう袋”を利用することで解決されました。世界中どこにでもある土のう袋を道路の路盤にして、上から締め固めて損傷を防ぎます。現地の方にこの方法を指導することで、高度な技術無くして生活改善が可能となりました。

<整備方法>                                         <整備手順>

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<構造の説明>

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(木村教授の資料から)

<道づくりに励む現地住民と木村教授>

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(木村教授の資料から)

 

 途上国に対しての援助は、小学校建設や医療など様々な形で行われていますが、そもそも道路が使用出来なければ、病気の人を運ぶ救急車も走れず、学校へ通うにも相当の時間を要します。

<幹線道路への移動が困難>                           <整備された道>

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(木村教授の資料から)

 

 

 道が快適に利用できてこそ、様々な支援が有効になる事を熱に語られました。そしてその代表的な事例を挙げられて、今日の私の講演では、この事例を覚えて帰って頂ければとおしゃっていました。

 

 その事例とは、道が使用困難となり、対価を得る作物の搬出が出来なくて、自分達の食べる作物を細々と栽培していた農家がありました。人手を雇う事も出来ず、小学生の息子が農作業を手伝っていました。道普請人の指導により、現地の方の手作業で道が安全に利用できるようになりました。

 出荷が可能となった事から、対価を得る事が出来る様になり、人手を雇う事が出来、息子も学校に通う事が出来る様になりました。土嚢による道改修技術を現地にもたらす事で、その技術による道改修の雇用も創出されました、というお話しです。社会基盤整備の基本がここにあると感じました。

<NPO法人道普請人の活動の成果事例>

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(木村教授の資料から)

 

 

 木村氏のお話しの中で、これは素晴らしいと納得した事例をもう一つご紹介したいと思います。長野県天竜川水系の西天竜幹線水路に関する事例です。

 

 農業用水に関しては、水争いと呼ばれる衝突が各地で起こっていました事は、今は無き農業用水路“蓼倉川”の紹介で第165号でお伝えしましたところです。

 そこには農業用水を平等に分配するための仕掛けがあるのです。その名も“円筒分水工”と呼ばれる施設です。一方向から流れて来た水を一度サイフォンして円筒型の池の様な溜まりに集めます。

<円筒分水工 写真>

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(木村教授の資料から)

 

 その円周に等間隔に穴を空けて、仕切りを動かす事でその先へ導く水量を調節します。その先にある耕作地の規模によって平等に水を分配する仕組みです。

 鴨川や高野川といった本川上では、この施設は設置出来ないと思いますが、農業用水路での末端への分配には非常に良くできた仕組みです。

<円筒分水工の仕組み>                              <数ある円筒分水工>

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(木村教授の資料から)

 

 木村氏は、時折りジョークを織り交ぜて会場を沸かせながら基調講演を終えられました。

 

 休憩を挟んで、パネルディスカッション(Ⅰ)「建設業リアルー建設業を描く」テーマ:建設業のイメージアップのための表現とは?が進行されました。

 コーディネーターは、新井清一氏(京都精華大学デザイン学部建築学科教授)

パネリストは、

山下尚治氏(京都府建設業協会広報委員長)

河上大志郎氏(マンガ「雨のち晴れ」著者 京都精華大学マンガ学部卒業生)

竹宮惠子氏(京都精華大学マンガ学部教授)

大黒澄人氏(京都府建設交通部指導検査課入札制度・建設業担当課長)

<マンガ広報誌「雨のち晴れ」が映し出されたスクリーン>

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 このパネルディスカッションでは、河上氏が京都府建設業協会からの依頼を受けて描かれた“マンガ広報冊子「雨のち晴れ」”の作成経緯をめぐって、土木業界の現状が語りあわれました。

 

 山下氏からは、広報委員長として土木業界をアピールする方法がないかと、構想を温めていたところ、マンガミュージアムからの紹介で精華大学の学生さんにマンガとして描いてもらう事が実現したことが語られました。

 

<新井氏 竹宮氏>                                     <山下氏 河上氏 大黒氏>

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 河上氏は、土木業界に対して全く興味を持っていなかったが、おおまかな“あらすじ”をもらって肉付け作業をしていった事。自分も興味が無かった業界の美談を大きく取り上げるのではなく、手にとって先ずは興味を持ってもらえる様な内容とした、などと作品を仕上げた経過が語れました。

 ※河上氏は週刊マンガ雑誌で8月から連載デビューされました。

 

 京都府建設交通部の大黒氏からは、災害が起こった時に真っ先に協力願うのは、建設業の皆さんの災害対応であり、建設業界の人手不足は深刻な問題だ。京都府でも人材の確保に苦慮しているところで、今年から初級採用(高校卒業)の門戸を開いたが、京都府下で土木系の学科を教えているのは、伏見工業高校の1学年30名のみで、3kと言われる建設業離れから、高校の学科が減少しているのが実態と現状のお話しがありました。

 竹宮氏からは、今回の様な“生活マンガ”というジャンルのマンガを描く事により、学生の技術の向上にも繋がる。卒業と共にデビュー出来る学生は1割程度であるが、教授陣であるプロの漫画家と肩を並べて話が出来る技術を磨く良い機会とのお話しがありました。

<学生への想いを語る竹宮氏>                         <行政の立場から大黒氏>

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 会場からは、この様な取り組みを継続させるためにどの様な事を考えているかとの質問があり、山下氏から「今後は地元放送局の協力を得て、ラジオドラマの製作を予定している」と取り組みの広がりを紹介されました。

<会場からの質問>

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 一部のパネルディスカッションが終了して、休憩を挟んで(Ⅱ)「建設業を考える」テーマ:地方のインフラを安定的に維持していくために、なにをすべきか?のパネルディスディスカッションの始まりです。

<第Ⅱ部パネルディスカッション開始>

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 コーディネーターは、建山和由氏(立命館大学常務理事 理工学部環境システム工学科教授)

パネリストは、

木村亮氏(基調講演者)

宮脇恵里氏(ミヤシステム株式会社 常務取締役)

神原孝行氏(株式会社五星 取締役副社長)

 

 最初に建設業界を取り巻く現状の推移など、統計的な報告が建山氏からありました。高度経済成長期に一気に整備されたインフラは、時期を同じくして劣化その後パネリストのお話がありました。

<建山氏>                                             <木村氏 宮脇氏 神原氏>

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 神原氏からは、建設業のイメージについてマスコミの報道の現状についてお話しがありました。災害現場での救助活動についての報道は、警察、消防、自衛隊と展開される救助シーンが大きく報道される。救助に向かう救助隊にカメラが向けられるが、その背後では建設業者が塞がれた道を重機で通行出来る様に土砂や瓦礫を撤去している。

 お亡くなりになった方を発見すると、手を合わせて救助隊に引き継いでいる。その姿が全くと言っていいほど報道されない。とかく建設業に対するイメージは良いとは思われていないようだが、救助作業に向かう為には、建設業者の働きがあってこそ前に進めるのである。そんな姿をもう少し取り上げて欲しいと目頭を熱くされながら語られました。

 

 宮脇氏からは、土建屋に生まれ、土建業界に育てられた生い立ちから建設業界をサポートする建設業の原価管理システムを開発・提供している。「土木業界の技術者不足には、若者を技術者として育てる事が大切」と本フォーラム発起人代表の新井氏と“暑苦しい”議論を交わしていると語られました。

<土建屋魂 宮脇氏>                                  <大胆提案 木村氏>

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 木村氏からは、急速に進行するインフラ構造物の劣化と限られた予算に関連して、大胆な視点が必要とした上で「劣化した構造物は通行止めにして、不便にすればよい」「自分も含めて50歳を超えた人間の考える事では全くダメ」などとまさしく大胆なご意見がありました。

 また、インフラが劣化していく事を伝える例えとして、「家電製品を見て下さい。同じ時期に潰れます。社会基盤も同じです。修理するか買い換えるの判断が必要です。こう話すと主婦の理解が得られます」と更に熱く語られました。

 

 神原氏は、単年度予算のぶつ切り発注では効率性の確保は難しい。PFIの様な組織が構造物の効率的な補修の運用と、それを取り巻くソフトを併せて管理することにより、経済の流れを作りながら取り組む事も必要と提案がありました。

 

※「PFI(Private Finance Initiative:プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)」とは、公共施設等の建設、維持管理、運営等を民間の資金、経営能力及び技術的能力を活用して行う新しい手法です。(内閣府ホームページより)

<PFI導入を提唱する神原氏>

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 会場からも声が上がりました。最初の声は技術者の資格の問題です。資格を持った技術者も持たない技術者も同じ雇用条件である。資格による利点が無いのに時間を割いて勉強する技術者が減っている。技術者不足を解消するには、資格の利点を与えて欲しい。

 続いて工期の問題です。受注しても、設計変更が多く工事に着手するまでに時間がかかる。その上で工期は限られており、効率的に工事が進まない現状がある事。

 そして休暇の問題です。建設業界では、突貫工事などがあり、週休2日が確保出来ていない。充分に休養出来ない状況では、建設業離れは解決出来ない。

 この声に対して、木村氏からは「京都府の建設業界は、水曜日と木曜日を休日にするとか」とまたしても大胆提案がありました。

 滋賀県で休みを平日に設定しようと試みた事があるが、子供など家族が休みの時に休めないのは困るという声が多く寄せられ実現しなかった。

 などと多くの意見が出て、会場とパネリストが一体となり盛り上がりを見せ、時間いっぱいの盛会となりました。

 

 最後に発起人代表の新井恭子氏から、一般の方にも建設業の未来を考えるキッカケになればとの挨拶でフォーラムは無事終了となりました。

<新井代表から閉会の挨拶>

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 建設業界の皆様の生の声をお聞かせ頂く良い機会となりました。この様なフォーラムを企画されました、発起人のお三方(新井恭子氏 新井清氏 建山和由氏)そして事務局の京都サンダーのスタッフの皆さん有難うございました。

  平成26年10月15日 (京都土木事務所Y)

 

【追伸】

 京都土木事務所のHP「鴨川真発見記」冊子版も会場に展示して頂きました。重ねてお礼を申し上げます。「有難うございました。そしてお疲れ様でした。」

 

<“鴨川真発見記”冊子版>                                <バックナンバー紹介>

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里山の風景と共に高野川の上流域を歩く(第168号)

普段は目にしない高野川を真発見

 

 9月23日春分の日は、左京区役所主催の「左京朝カフェ」というイベントに参加しました。「左京朝カフェ」の詳しい内容は、ネットで検索してご覧頂く事として、会場となった“京都大原学院”(大原小学校・中学校)から周辺と帰りの様子をご紹介したいと思います。

 

 京都バスに揺られて大原バス停に着くと、会場は目の前です。大原学院の傍には鴨川の支流である高野川が流れています。

 

 近くの里の駅という施設で野菜の販売をされているので、買い出しに行く事はしばしばありますが、川をじっくり眺める事はあまり無く、車で通過して行くばかりです。

 

 イベント開催まで少し時間があったので、辺りを散策してみました。会場周辺の高野川の様子は、中下流に比べて少し大きな石がごろごろしていて“渓流”の姿です。市街地の護岸が整然と整備された表情とは違い、上流域の高野川は様々にその表情を変えます。

<里山をバックに流れる“高野川>

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<林の間を流れる高野川>

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 大原は、鴨川の支流である“高野川”が流れる地域です。近くには、三千院、寂光院と大変有名な社寺があることで知られています。三千院の周辺からは、高野川へと注ぐ“呂川”と“律川”が並行して流れています。

<呂川は細い谷筋>

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<律川の方が少し幅広>

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 呂と律を組み合わせると「呂律(ろれつ)」という言葉になります。「ろれつが回らない」という言葉と何か由来があるのかは解りませんが、何だか気になる2つの河川です。

 三千院へ向かう途中、段畑と里山の風景スポットが案内されていました。そちらに足を運ぶと、稲刈りの終わった田と里山の風景が広がっていました。

 

<目の前に広がる里山の風景>

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 イベント開始の時間が近づいたので、会場へ向かいます。面識の無い方と色んな事を話合うイベントへの参加は、とても刺激があって興味深いものでした。

※左京朝カフェトップページにリンク(外部リンク)

 新たな出会いを喜びつつ会場を後に帰宅の途につきました。日が暮れゆく大原の里と高野川の様子を眺めながら少し散策しながら帰る事にしました。

 

 彼岸花が咲き乱れ、暮れゆく大原は、日本の原風景と表現すれば良いのでしょうか。童謡“里の秋”が似合う風景です。知り合いの大原出身の方が子供の頃の話をしてくれました。「大原の里山は素晴らしい景色ですよ。」と。“これ”が“それ”なのだと感じました。

<暮れゆく大原 中央付近に彼岸花の赤が>

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 高野川沿いに歩いていくと、普段は自動車で通過する国道の遙か下に流れがあります。普段見下ろす事のない“山あい”の高野川は、里山の様子とはまた違った味わい見せてくれます。

 

<竹林の傍を流れる高野川>

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 少し視界が開けたところに来ると、「役場橋を渡って 里の駅 大原 寂光院へ」という看板がありました。通行止めとなっています。橋が老朽化しているのでしょうか。

 

 それにしても、今までこの橋の存在すら知りませんでした。渡れる様になったら渡ってみたいです。皆さんも今はお渡りになりませんように御注意ください。

<役場橋 案内 でも通行止め>                         <こんな橋があったのですね>

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 山あいから高野川へと向かう谷筋があります。この辺は砂防指定地となっています。砂防堰堤には、「亀甲谷川筋第参号堰堤 昭和16年3月竣工」とあります。これも昭和10年の大水害を契機に整備された砂防堰堤なのでしょう。

 

<山から流れ出る谷筋>                                <高野川へと向かいます>

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<砂防指定地を示す看板>                              <昭和16年竣工>

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 しばらく歩くと高野川と国道の距離がまた縮まって、眼下に見下ろすスポットにやって来ました。山あいの“渓谷”そのものです。河川が自然にカーブを描き流れていきます。

 

<谷を見下ろす高野川>     <木の間から垣間見る高野川>

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<少しカーブを描きながら>

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 少々急勾配の国道を下っていくと、すぐ傍に高野川の流れが近づいて来ました。大原の山里ですぐ傍を流れていた高野川が、自然の蛇行を繰り返し国道から距離を置いたり、高低差を見せたりする変化に富みます。

<すぐ傍の堰堤を落ちる高野川の流れ>

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<三段の落差>                                        <瀧の様に流れ落ちる>

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 直線的に流れる市街地の様子も魅力がありますが、上流域では自然河川の魅力も楽しめます。

 八瀬に入ると、高野川沿いに民家が並び護岸も整備されています。

<里山から下りてきました>                               <新八瀬橋>

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<新八瀬橋上流>                                     <新八瀬橋下流>

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 この辺で日も暮れ、足も疲れてきましたので、バスに乗って帰る事にしました。八瀬の高野川を振り返り、いつか高野川の上流域の流れの中を歩いて遡上して見たいと思いつつバス停へ向かいました。

 今回は、大原から八瀬までの高野川の様子をご紹介しました。鴨川の支流は他にも沢山あります。また違う支流もご紹介出来ればと思っています。

  平成26年10月15日 (京都土木事務所Y)

<八瀬の高野川を眺めて>

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鴨川 花の回廊整備から15年その変化は(第167号)

先人の想い込めた記念碑と共に

 

 鴨川の下流域の整備も進み、続々と竣工していますが、今回は今から15年前の平成11年6月に全体が竣工した“鴨川 花の回廊”にスポットを当ててご紹介したいと思います。

<花の回廊完成記念パンフレット 表紙・裏表紙>

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 この事業は、京阪電車地下化に伴う七条大橋から三条大橋にかけての河川改修工事に併せて、鴨川東岸に様々な樹木を植栽し緑豊かで花を楽しめる空間を創出する事を目的に整備されました。

 整備期間は七条側から平成4年に着手し、約8年の整備期間を経て全体が完成しました。整備当時のパンフレットから「鴨川東岸の緑について」という解説がありますので、ご紹介したいと思います。

 

「鴨川東岸の緑について」

 現在(平成6年当時)、目にしている鴨川東岸の緑は、京阪電車と鴨川の双方からの目隠しや防音のために設けられたものです。京都らしい風景になる木というより、とにかく早く成長し良く繁る樹木が多く植えられており、今回、街の風景の中心となれるよう再整備します。

 これらの樹木は電車の運行に支障のないように枝が切られたり、木が美しく育つための手入れがされてこなかったため、樹木のかたちが乱れていたり樹勢に乏しい木が多くあり、新しい都市機能として歩道が確保された現在となっては、東岸からみる鴨川の景観を阻害するものとなっています。

 整備にあたっては、健康木は出来るだけ残す努力をし、移植できるものは鴨川全体の緑化に活用しながら、新しく京都らしい樹木を植えます。また、西岸からの景観にも配慮し、鴨東線を通行する車両等の目かくしとして中低木による緑の垣根をつくります。

 これらの樹木を育てる事により、美しい緑を豊かにし、永く京都の「街の財産」となるよう育てていきたいと考えています。

 

 京阪電車がまだ地上を走っていた昭和61年の写真をみてみると、“もりもり”と繁った樹木が壁になって京阪電車を覆い隠しています。大きな桜も花を咲かせていますが、大きく鴨川に枝を伸ばしていますので、かなりの老木の様です。

 「健康な樹木を残して」とありますので、この老木の桜は世代交代をしたのではないでしょうか。

<三条大橋下流 整備前>                                  <四条大橋下流 整備前>

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<松原橋から上流 整備前>                                 <団栗橋下流から 整備前>

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 整備が進む下流域でも同様ですが、整備から数年は樹木も小さく“スカスカ”感がありますが、次第に樹木は大きく育ち、緑豊かな空間が生まれます。すると、前々から目の前の風景があったと思ってしまう事はありませんか。

<四条大橋下流 整備直後>                          <団栗橋上流 整備直後>

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 「鴨川東岸の緑について」を読んでから、当たり前の風景となっている“花の回廊”を眺めてみるとどうでしょうか。先人の想いを見事に果たしていると思いませんか。

 鴨川の西岸から眺める花の回廊は今や都市空間の景観をなしており、京都を代表する河川空間の一つとなっています。

<三条大橋から下流 現在>                             <三条大橋下流 現在>

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<四条大橋下流 現在>                                 <三条大橋下流 現在>

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 この整備の完成を記念して一般募集された「俳句・短歌」のうち、特選、入選の句碑が花の回廊に設置されている事を皆さんは御存知でしょうか。足早にそして自転車で通り過ぎる花の回廊の足元にその碑は佇んでいます。

 今回は、鴨川に込められた俳句・短歌をご紹介したいと思います。ご自分の詠まれた俳句や短歌が、鴨川をバックに後世にかたちとして残るという副賞は、どんなにお喜び頂けたかと想像します。

<花の回廊完成記念碑 メインの石碑>

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<三条大橋東詰めの記念碑>

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 それでは、特選の俳句・短歌から。この特選作品は、先にご紹介しました「鴨川東岸の緑について」の想い込がこもった、三条大橋東詰めに設置されている「鴨川 花の回廊 京都府」の記念碑の両脇を飾っています。

 俳句や短歌には、サラリーマン川柳くらいしか深く理解出来ない私ですが、選者の評の助けを借りて、これまで撮りためた写真からその情景に近いと思う写真を選んで「花の回廊俳句・短歌」にイメージ写真を添えてみたいと思います。

 

特選俳句 かもがわに どこからきたの ゆりかもめ

選者の評

  幼な子の素直な問いかけがとてもやさしく、自然と子供の触れ合いが微笑ましい

<俳句 特選>

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◆イメージ写真

<どこから来たのユリカモメ>                         <夏はカムチャッカ在住冬は日本へ 京へは琵琶湖から>

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特選短歌 我が心 きよめ流るる 鴨川は 優しき母の まなざしに似て

選者の評

 比喩がやさしく、心を打つ情緒がある。鴨川の悠久の流れが京都の歴史を母のように包み込む様子がよく歌われている。

<短歌 特選>

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この短歌からは、大きく真っ直ぐに流れる街中でも上流の様子と、繁華街の四条大橋下流辺りの川に下りて、抱かれているようなイメージの写真を選んでみました。

<出雲路橋から上流を望む>                              <団栗橋下流 川の中から上流を望む>

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 続いて入選作品です。

 三条大橋と四条大橋の間に設置されているのは短歌です。

 

入選短歌 かめいしを みんなでとんだ ふゆのあさ はくいきしろく やままでしろい

選者の評

 子供らしさにあふれ、愛らしい元気な子供たちの姿が思い浮かび、楽しいイメージを得た

<三条大橋・四条大橋間>

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 この短歌で浮かんだのは、子供達がカメの飛び石で楽しく遊ぶ様子と、冬の朝にうっすら雪化粧した鴨川と、雪を冠した北山をバックに並ぶカメの飛び石の

写真です。

◆イメージ写真

<出町の飛び石 カメ>                                    <荒神橋上流の飛び石 カメ>

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 団栗橋東詰めに設置されているのは俳句です。

俳句 鴨川の 水べり刻む 青春譜

選者の評

 青春時代を京都ですごした人たちにとっての鴨川が詠まれており、若い世代にも訴えるものがある。

<団栗橋東詰め>

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 「青春時代」というキーワードで、浮かんだのは鴨川真発見記を始める前に早朝の鴨川で出会った若者達の事です。鴨川である大学のサークルの引き継ぎ式が行われていました。

 

 2回生が高水敷に整列し、1回生が川の中に整列して引き継ぎ式が始まりました。3回生が荷物の番人約をして、4回生が橋の上から見守ります。最後は2回生も川に入り水の掛け合いで終了しました。また別の大学のサークルのレクリエーションの様子も浮かんできました。

<サークルの引き継ぎ式>                               <サークルのレクリエーション>

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 松原橋の東詰めに設置されているのは短歌です。

短歌 身障の 妻の手とりて 川小径 ゆりかもめ舞う 空と川面に

選者の評

 生活感と、それを救う自然がある。人をいたわる優しい気持ちがユリカモメのように読者の心にも舞い上がる。

<松原橋東詰め>

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 ユリカモメが空と川面に舞う様子ということで、このご夫婦もご覧になったかも知れない光景を選んでみました。

思いっきり真上を向いて、雲をバックに天高く旋回するユリカモメの群れの写真と水面近くを舞うユリカモメの写真を選びました。

 

◆イメージ写真

<高く舞うユリカモメの影>                                  <川面を舞うユリカモメ>

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 松原橋と五条大橋の間に設置されているのは、俳句です。

俳句 鴨川に立ちて 比叡の 峰あかり

選者の評

 京都ならではの美しい情景を象徴している

<松原橋・五条大橋間>

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 “比叡山の峰あかり”という言葉に私の頭の中に浮かんだのは、早朝の日の出前、登り来る太陽の光がその稜線を浮かび上がらせる景色です。

 鴨川真発見記第115号でも紹介しましたが、鴨川に立って眺めるこの様子はどこか荘厳で比叡山信仰にも繋がる光景だと思いましたのでその写真を選ばせて頂きました。

 記念碑に使用されている石の形も、どこか山並みを彷彿させる形です。

※バックナンバー115号から120号へリンク

<白く浮かび上がる稜線>

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<赤く浮かび上がる稜線>

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 五条大橋と正面橋の間に設置されているのは短歌です。

短歌 ひとひらの 花をみながら たたずめば 賀茂の河原に   みやこどり舞ふ

選者の評

 作者の視点、人間の姿が浮かび上がり、その人と環境の関わりがうまくあらわされている。静と動のコントラストもよい。

<五条大橋・正面橋間>

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 正面橋と七条大橋の間に設置されているのは俳句です。

俳句 凛とした 白さぎの様 京の川

選者の評

 鴨川に集う白さぎが京の比喩となっていて妙。歴史都市・京都の鴨川の気品が漂う。

<正面橋・七条大橋間>

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 鴨川で年中見る事ができる“白いさぎ”は“コサギ”とダイサギです。

 凛とした姿を見せてくれますが、魚を捕獲する時は、俊敏な動きを見せます。普段は静かに過ごして“やる時はやる”といった感じです。

<凛と佇む コサギ>                                    <集う コサギ>

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<凛と佇む ダイサギ>                                   <アオサギを挟んでコサギ・ダイサギ>

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 今回は、整備開始から20年余り、全区間完成から15年が経過した“鴨川花の回廊整備とそこに設置された俳句・短歌の記念碑をご紹介しました。

 

 整備から15年から20年が経過した鴨川花の回廊の姿は、今や鴨川を代表する空間となりました。鴨川下流域の整備拠点も20年後には立派な景観を見せてくれることでしょう。鴨川の下流域の整備の様子もご紹介していきたいと思います。

  平成26年8月28日 (京都土木事務所Y)

 

 

水が繋ぐ人の縁シリーズ第5弾(第166号)

人の縁が明治期に存在した“蓼倉川”を繋ぎました その2 蓼倉川を歩こう

 

 水が繋ぐ人の縁シリーズ第4弾では、“蓼倉川”の流路が何処を流れていたかを確定する過程をご紹介しました。今回はより詳細にその流路を辿ってご紹介したいと思います。宅地開発等により大正11年の水路跡とは完全に一致しませんが、おおよそこの辺りを流れていたであろう付近の道路を辿ります。

 京都府ホームページで公開しております地図情報(京都府・市町村共同 統合型地理情報システム<GIS>を覗きながら追いかけていきます。上流の起点(取水口)から5つの区間に分けて詳細をご紹介します。

 注:大正11年の地図は京都市都市計画図(京都大学図書館蔵)

 

<“蓼倉川”最上流部取水口から 第1区間>         <大正11年>

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 取水口付近から見ていきます。取水口部分は現在マンションが建ち、住宅が建ち並ぶ場所に至るまでの敷地は某協会の施設があり、立ち入る事は出来ません。高野川から西へ斜めに流れるその区域を過ぎると、住宅街のちょうど始まりから5軒程のお宅の前に自然石で積まれた水路が現れます。玄関口には小さな橋が設けられていますが、水は流れていません。

 

 これは“蓼倉川”の遺構かもしれません。俄然信憑性が高まります。その先は水路の幅も狭まり、暗渠となり真っ直ぐ下って次の住宅街のブロックで方向を変えて行きます。道路側溝として利用されているようです。

<“蓼倉川”の遺構らしき水路を見つけました 第1区間>

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<遺構と思われる水路 第1区間>

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 住宅街に突き当たってから松ヶ崎浄水場の敷地まではその存在があった事を窺い知る事は出来ません。

<“蓼倉川” 第2区間>                                    <大正11年>

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 松ヶ崎浄水場の敷地を過ぎると、疏水分線の高野川から1つめの橋の所へ続きます。そのタッチ橋にタッチした所から南に現在の道路沿いを進みます。そして、北大路通りへ辿り着きます。北大路通りに出る前に少し南北にゆるくz字状に流れを振って、また道路沿いに進みます。

<“蓼倉川” 第3区間>     <大正11年>

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 現在の現地の様子を見てみると、一部ガソリンスタンドをかすめていますが、道路側溝などの雨水排水の暗渠の存在を示すマンホールが確認できます。

<道路沿いに進む水路 “蓼倉川”第3区間>

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 北大路通りを渡ると一筋目を西へ更に一筋目を南へ南下していきます。しばらくすると再度西へ進路を変え、一筋目を南下して細い路地へと入って行きます。

 

 蓼倉川は当時の農地の境界線上を流れていた様ですので、農地の地権者が宅地として手放された際には、その用水路に沿って所有権が移転し、住宅もその境界線に沿って立ち並んでいる様です。

<“蓼倉川” 第4区間>                                   <大正11年>

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 比較的広めの道路が続きますが、道路には側溝が無く、暗渠で雨水排水の水路が設置されている様です。“蓼倉川”の旧流路沿いに進んで行くと段々とその道幅が狭まっていきます。いわゆる路地裏的な道へと変化していきました。

<住宅が建て込んだ路地へと進む“蓼倉川”旧流路 第4区間>

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<“蓼倉川”第4区間 道路幅が比較的広い部分>

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<“蓼倉川”第4区間 道路幅が比較的狭い部分>

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 そして、最下流泉川との合流点までの第5区間です。

 この区間には、軽自動車も通り抜け出来ない箇所が一箇所あります。蓼倉川の元の水路幅に最も近い箇所と思われます。この狭い場所を抜けると少し道路幅が広がります。そこから真っ直ぐ南下すると、下鴨中学校の北門に突き当たります。

 

 少し西斜めに進んで、同校のグラウンドを囲うブロック塀突き当たり、塀沿いに西に進むと、下鴨神社の塀に突き当たります。この下鴨神社の塀に沿って泉川が流れています。ここで泉川と合流しました。終点です。

 暗渠になる前に下鴨中学へ通っておられた方の証言によると、同校の北門付近の道路は当時現在の半分程で、“どぶ川”の様な水路が流れてたそうです。それが“蓼倉川”の名残だったようです。

 大正11年の都市計画図では、泉川との合流点は真西に進むのではなく、斜めに南下して、現在の下鴨中学校の敷地内を通り、泉川のもう少し下流で合流しています。

<“蓼倉川” 第5区間>                                 <大正11年>

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<終点に向かう“蓼倉川” 第5区間>

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<この先が最も狭い箇所>                                <ここは自動車は通り抜け出来ません>

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<下鴨中学校北門>                                        <下鴨中学校に沿って南下>

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<突き当たりを西へ>     <“終点”西の突き当たりに下鴨神社の塀>

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<泉川の流れを確認しよう>                               <泉川の流れを確認しました>

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 千年の都京都は、何処を掘っても遺跡が出て来るといわれるのは、主に洛中と呼ばれた平安京の広大な敷地の遺跡です。それ以前の遺跡は周辺の山に分布していますので、遺跡を身近に感じる事はあまり無いでしょう。

 明治時代の先人の苦労の末開削された水路の跡が、普段何気なく歩いている道路の下に眠っているかもしれないのです。それを知ってその道を歩く事によってその歴史を伝える1つのツールとなればと考えています。

 住宅密集地ですので、大勢で騒がしく歩くのは遠慮して頂きたいと思いますが、小学生が少人数でその道を辿る事で、地域の子供達学習の一助として頂ければ幸いです。

 目に見えている歴史的構造物でも、あまり気にせず生活している時代です。今回の蓼倉川追跡で、目に見えない地域の歴史も後世に引き継ぐ事の大切さを改めて感じました。

  平成26年8月28日 (京都土木事務所Y)

 

水が繋ぐ人の縁シリーズ第4弾(第165号)

人の縁が明治期に存在した“蓼倉川”を繋ぎました その1

 

 今回は、水が繋ぐ人の縁シリーズ開始のキッカケとなった、今は存在しない農業用水路“蓼倉川”のお話しをご紹介したいと思います。

 この農業用水路“蓼倉川”開削碑が下鴨小学校に今も設置されています。開削当時は、蓼倉川の傍(現在の高野川から北大路通りを西へ2つ目の“高木町バス停“)に設置されていたそうです。その後何度かの移転を経て下鴨小学校に収まっています。

 明治12年に開削され建立された碑文は風化が進み、肉眼では文字は読み取れない状況です。しかも漢文で書かれているので、一般の方には読み解く事ができません。先人の労苦を後世に伝えようと、京都産業大学名誉教授で賀茂文化研究会会長の勝矢氏が代表者となり、地元の有志が発起人となって「水路開削碑説明板設置委員会」を結成されました。

<水路開削碑 一見しただけでは何か解りません>

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 賛同者の寄付を募って開削記念碑の説明板を設置する活動が始まりました。開削記念碑は漢文ですので、まずは碑文の書き下し文を作成されました。その書き下しに協力されたのが京都西山高等学校国語科の石垣氏です。

 

※水路開削碑の文面と書き下しをみる(PDF)(PDF:94KB)

出典:小松 明「明治十二年の『水路開鑿碑』から想いを馳せる」、賀茂文化、第5号、平成20年4月

 

 そして、この説明板設置工事の日(平成26年4月4日)に発起人のお一人で面識のある椎村氏からお誘いを受けてその様子を拝見しに下鴨小学校を訪ねました。

<設置工事を終えた説明板>

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 その場で、郷原氏の随筆に提供した写真(高野川での友禅流し)を預かられておられる勝矢氏と初めてお知り合いになりました。校長室でしばしの談笑の中で廣庭氏(鴨川真発見記第156号・第159号参照)の事を知り、そして勝矢氏からの依頼を受ける事となりました。

 その依頼とは、「今では存在しない“蓼倉川”ですが、みんなが知りたいのは何処を流れていたかです。川を管理している土木事務所の方なら何かわかるでしょう。」そうです、かつての“蓼倉川”が何処を流れていたかの追跡です。

 農業用水路は京都土木事務所の管理外で手掛かりも少ない中です。躊躇しましたが、この用水路は“音羽川”から水を引いたとあるではないですか。京都土木事務所の管理河川から水を引いたという事なので、ダメもとで取り組んでみようという事になりました。

 “蓼倉川”捜索は、「水か繋ぐ人の縁」の如く川が御縁で知り合った方々の多大なる御協力の元、最終的には現在の地図にその流路を示す事が出来ました。その顛末は、「ミッションコンプリート:蓼倉川を追跡せよ」としてまとめましたのでそちらをお読みください。

※「ミッションコンプリート:蓼倉川を追跡せよ」を読む(PDF)(PDF:183KB)

 

 この農業用水路が開削された背景は、碑文の説明板に示されているとおり、当時水不足に苦しんだ下鴨村の人々が自らの手で開削されたということです。

 農業が盛んであった頃、川筋の上下流、左右岸で隣接する村々では度々水争いを繰りひろげられていました。京都市編纂の資料本には、この水路が開削されるまで、水争いが繰りひろげられたとあります。悲願の水路開削だったのです。

 音羽川の水は、隣接する村々は農業用水として利用していませんが、全量高野川へ落ちています。その水をどうやって蓼倉川へ引き込んだのかというのが最初の疑問です。この疑問は、京都市建設局の方からの情報で解決しました。

 音羽川から直接水を引いたのではなく、一旦高野川に落ちた水を合流点から約30m下流で堰止めて取水口を作り取水した事が解りました。

<蓼倉川の取水方法>

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 つまり、高野川に落ちた音羽川の水量を理論上取水するという事で、実際には高野川から取水したのでした。

 水争いを繰りひろげている中で、他の村々の同意を得て“蓼倉川”を開削出来た訳は、この取水口よりも下流で農業用水を取水する村が無かったからです。

 鴨川高野川の川筋の村々の中で、下鴨村は最下流に位置しているのです。

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 さて、取水口は解りましたが、何処を流れていたのでしょうか。その謎解きに大変心強い協力者に相談に乗って頂きました。立命館大学大学院で地理学を研究されている飯塚氏です。大正11年の都市計画図に記された当時の水路を辿る作業で、恐らくこのルートが蓼倉川ではないかという所まで辿り着きました。

 琵琶湖疏水分線も整備済みの大正11年の都市計画図ですので、水路が途切れる箇所もあり、枝分かれするルート候補を示しました。赤線が既に水路でない部分。

<“想定蓼倉川” 水路部分と道路に繋がる部分を繋ぐルート>

tade5※PDFで見る(PDF:1,790KB)

赤線=大正11年に既に水路が示されていない区間

<出典:京都大学図書館蔵>

(大正11年測量の京都市都市計画図3000分の1の地図から水路をデータ化)

 

 ここまで詰めた段階で、水路開削碑説明板完成式が7月26日に開催されました。その完成式を拝見しに出向きましたところ、更にルート確定を求められることとなりました。その完成式の様子をご紹介します。

“蓼倉川”開削記念碑 説明板完成式典にお邪魔しました

下鴨地区の心意気 地元愛の結晶

 

 7月26日(土)下鴨小学校に設置されている“蓼倉川”開削記念碑の説明板が完成し、関係者にお披露目されました。

<下鴨小学校正門>

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 完成式では、司会進行役の椎村氏が開会の辞を述べられ、下鴨地区の地域の結束の強さを誇りに思うなどと語られました。

<椎村氏の開会の辞>

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 続いて、説明板の除幕が執り行われました。除幕は、発起人から代表の勝矢氏、下鴨小学校校長の園部氏、地元重鎮の藤原氏、下鴨小学校卒業生で市会議員の村山氏の4名が、椎村氏の「3、2、1」の合図で勢いよくお披露目です。

<除幕者の紹介>                                   <除幕準備完了>

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<「3、2、1」>                                         <無事除幕完了>

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 続いて、説明板を作る会会長の勝矢氏の挨拶です。ご自分は、下鴨地区の住人ではないけれど、その碑の存在が気になっていて、どうにかしてその碑の存在を皆さんにも知って欲しい思いから、地元住民の方に呼びかけて今回の説明板の設置に至った事など、これまで経過の説明を交えての挨拶となりました。

 

<勝矢氏の挨拶>

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 続いて、下鴨小学校校長の園部氏の挨拶です。校長先生も、碑の存在は御存知でしたが、その内容は御存知なかった事、児童に何の碑か尋ねられても答えられなかった事を語られました。また、地元の歴史に児童が興味を持ち調べるきっかけになればと、児童の学習の一助となることに期待が寄せられました。

 

<園部校長先生の挨拶>

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 続いて、地元の重鎮で下鴨神社責任総代の藤原氏の地元代表挨拶です。藤原氏の父親の代もおじいさんの代も代々農業を営んでおられたそうで、農業に関わる歴史が後世に語り継がれる事を嬉しく思うと語られました。藤原氏のおじいさんの代というとまさしく、この蓼倉川の恩恵を受けられた時代かと思います。もしかしたら、開削に関わっておられたかも知れません。

 

<藤原氏の挨拶>

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 予定の時間より少々早く進行したため、村山氏に一言と司会の椎村氏が水を向けられました。最初は、遠慮されていた村山氏でしたが、そこは市会議員さんです、マイクの前にお立ちになりました。

 

 御自身が下鴨小学校の卒業生という事で、在校中のエピソードが披露されました。「この碑の下には、小学生の頃クラスで飼っていた金魚を埋めました。死んでしまい、どこかに埋めてあげたいという事で、墓石に見えたこの碑の下に埋めてあげました。何の石か解っていなかったので・・・。今では肥やしとなっている事でしょう。」と思い出が語られました。

<村山氏の挨拶>

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 閉会の辞で椎村氏は、「下鴨地区が昔から一丸となって結束し、物事に取り組む姿勢があります。良い事、も悪い事?いや悪い事はいけませんが、これからも結束して物事に取り組んでいきましょう。」と結ばれました。

 

 私も蓼倉川が当時何処を流れていたかを調べる宿題を頂いております。おぼろげながらその流れに近づきつつありますが、現在ではその流れは住宅地にのみ込まれ、僅かに道路がその片鱗を見せるのみです。

 立命館大学大学院の飯塚氏の協力を得ながら、もう少し精度を上げて追跡してみたいと思います。

<説明板>

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 この完成式の勝矢氏の挨拶の中で、京都土木事務所のYさんに蓼倉川が何処を流れているのか調査依頼している事、この辺だろうという所まで絞り込まれている事が紹介され、更に「今年度中には確定してくれる事でしょう」と更なる精度アップが要求されました。

 再度、立命館大学の飯塚氏に協力を仰ぎ、大正12年当時に既に水路が繋がらない部分について、「琵琶湖疏水分線との関係」「不自然な流れのルートを排除」1つのルートに絞り込みました。更に当時の地籍図を重ね合わせて、土地の用途からそのルートが妥当である裏付けをし、ルートが確定しました。

 

<確定した“蓼倉川”流路 大正11年都市計画図から>

tade17※PDFで見る(PDF:1,820KB)

<出典:京都大学図書館蔵>

 

<確定した“蓼倉川”流路 現在の地図に重ねる>

tade18※PDFで見る(PDF:615KB)

<出典:【基図:国土地理院基盤地図情報(2014年7月現在)】>

 

 こうして、水か繋いでくれた人の縁が、今は存在すら忘れられかけていた“蓼倉川”の流れを繋ぎました。これで確定となった瞬間、飯塚氏から「実に面白い」と握った右手の親指を突き上げるゼスチャーが出ました。

  私も「good job」と応え、お互いに何かスッキリしなかったものが一気に流れた様な達成感を感じる事ができました。

 

 これで勝矢氏からの依頼は完了「ミッションコンプリート」です。今回の経験から、色んな目線の人が集まってディスカッションする事により、沢山のヒントが生まれ、見えなかったものが見えてくる事を再確認しました。

 

 地域の方からの依頼を、人のネットワークで実現する事が出来ました。小さな地域協働活動が出来たかなと思います。次回は、これを現実に地域に還元すべく、作成した詳細な地図(京都府・市町村共同 地理情報システム<GIS>)と現地の写真を交えて、今でも道路として歩ける“蓼倉川”水路跡をご紹介したいと思います。

                                  平成26年8月28日 (京都土木事務所Y)

 

鴨川で“パフォーマンス”練習の成果を(第164号)

実演:鴨川の舞台で演技披露

 

 鴨川真発見記では、様々な方のパフォーマンスの練習光景をご紹介いたしました。そんな鴨川を練習フィールドされている方が鴨川に設営された舞台でその成果をご披露されました。

 

 今回は、8月2日・3日に開催された「鴨川納涼床2014」の仮設舞台で繰りひろげられたパフォーマンスのうち、鴨川真発見記でご紹介させて頂いた経歴のある方々の晴れ舞台をご紹介したいと思います。

<曇り空の鴨川納涼会場>

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<三条大橋下流右岸に設置された仮設舞台>

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 1日目の舞台では、鴨川真発見記でご紹介した方のご出演は無かったので、舞台を離れて会場を歩いていると、以前三線でアンパンマンの歌を奏でておられた方が、沖縄県人会のブースの前で三線を演奏されていました。この方々も翌日舞台での出演が予定されています。来場された皆さんも足を止めて聞き入っておられました。

 

<島唄に道行く人の足も止まります>

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 多くの人で賑わう会場を回っているうちに、小雨が落ちてきました。会場に傘の花が咲き始めました。

<小雨が落ちてきました>

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 夜も更け始めて、七夕飾りのイルミネーションがみそそぎ川を照らします。その明かりの下で水際に腰を掛けて涼む来場者の姿があります。霧のような小雨が、ミストのように舞い降り、風に乗って涼を運んでくれていました。

<“みそそぎ川”の水際に座る来場者>

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 京都府河川課と京都土木事務所の啓発ブースでは、夏休みも中盤を迎えた小学生が、川で遊ぶ時の注意を読んでくれています。川で遊ぶ時はくれぐれも御注意をお願いいたします。子供だけで川に入らないようにしましょう。

<無事カエル>

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 一夜明けて2日目のステージです。前日のお会いしました高畠さんのグループの演奏でスタートです。鴨川真発見記第117号でご紹介しました時に島唄と共に聞かせていただいた“アンパンマンのマーチ”も披露され、会場も盛り上がりました。

 

<三線の演奏>

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<“アンパンマンのマーチ”も披露されました>

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<鳴り物は女性が担当>      <ボーカルは高畠さん>

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 そして、こちらも約1年前の鴨川真発見記第109号でご紹介しました「世界をつなぐ鴨川ダンス駅伝」です。以前ご紹介したのは、鴨川を移動しながら、鴨川全体を舞台にして繰りひろげられた「鴨川ダンス駅伝」です。

 

 今回は、設営された舞台でのパフォーマンスです。それでも、従来のダンスの枠に捕らわれない自由なダンスです。客席も舞台にしてしまう観客も一体となったパフォーマンスが繰りひろげられました。

 ダンスの途中から小雨が落ちて来て、出演者も濡れてしまいましたが、自然のままのダンスには雨も演出の様に感じます。後日、代表の小林さんから「出演者皆濡れてしまってその後のパフォーマンスを見る事が出来ませんでした。いつも通り自由に表現できました。」と連絡を頂きました。

<自由な発想の創作ダンス “鴨川ダンス駅伝”>

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<小雨の中での熱演>

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<不思議な空間が広がります>

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 小雨が続く鴨川納涼会場ですが、中央ステージも賑やかに「熊本の山鹿灯籠踊り」「阿波踊り」「フラダンス」とプログラムが続いていきます。

<山鹿灯籠踊り>

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<阿波踊り>

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<フラダンス>

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 舞台も最後の演目となる頃には、雨足が強まり「このまま降り続くと舞台中止となります」と司会の方からのアナウンスがありました。

 

 しばらく様子をみる事となりました。すると「なんという事でしょう。」雨足が弱まり、やがて雨が止みました。最後の演目はというと、この方も鴨川で練習されている様子を鴨川真発見記第118号でご紹介させて頂きました西川さん率いる「フラダンス&タヒチアンダンス」のチームです。

 大地の恵みに感謝するフラダンスが鴨川で披露されました。みなさん笑顔でとても楽しそうに演目を披露されました。残念ながら、会場の客席は雨に濡れて座る人はまばらですが、立ち見の観客の皆さんが大勢カメラを向けておられました。

<フラダンス&タヒチアンダンス>

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<立ち見の来場者>

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 最後はフラダンスチームの皆さんの記念撮影で“鴨川納涼2014“は全ての演目を無事終了する事ができました。

<そして舞台はフィナーレへ>

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<無事終了 記念写真>

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 鴨川に舞台を設置する事に関しましては、賛否両論あり、試行的な仮設舞台の設置です。来場された皆さんの目にはどの様に映ったのかは、アンケートの結果を待つばかりです。

 

 あいにくの雨模様となりましたが、皆さんのパフォーマンスは素晴らしいものでした。

                                         平成26年8月27日 (京都土木事務所Y)

【おまけ】

 鴨川納涼2014の開催前の数日前に、会場を見に行きました。三条大橋下流の護岸に設けられた足場に設置された板の上で涼む方の姿がありました。鴨川納涼床は、江戸時代は川の中に床几が設置されていましたが、現在では“みそそぎ川”の上に設置されているのみです。

 

鴨川の水に最も近い位置でウッドデッキの様に設置されたこの場所が、昔に近い形で利用されている光景が印象的でした。

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平成26年台風第11号上陸その時鴨川は(第163号)

京都土木事務所も台風への備え

 

 平成26年8月10日(日)台風第11号が日本に上陸しました。昨年の台風18号に迫る勢いの強い台風に鴨川を始め京都市内の河川の水位もかなり上がりました。

 今回はその台風への備えと、増水時そして翌日の様子をご紹介したいと思います。

 京都土木事務所では、大雨や洪水の注意報が発表された場合には2人体制、警報が発表された場合には4人体制で雨量や水位の監視をし、指定水位に達した場合には水防団待機情報、氾濫注意情報(水防団出動)をそして1時間後の予想水位が指定水位を上回る場合は洪水予報を発表しています。

<水位情報の一元管理>

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 今回の台風第11号は、大雨を伴った低気圧に続いて上陸するもので、しかも土曜日・日曜日の休日とあって、24時間8人体制を組んでの対応となりました。

 私は土日それぞれ昼間の班に組み込まれました。大雨・洪水の注意報なら通常の2人体制、警報が発表されると即8人体制という事で、朝8時過ぎには警報が発表され、招集の連絡が入りました。

 9日土曜日の雨は比較的穏やかで、府民の方から寄せられる災害関連情報も倒木が主なものでした。しかし、自然相手の水防待機はいつ何が起こるかわかりません、夜の班も引き続き8人体制に引き継いで事務所を後にしました。

 

 

 翌日も朝から8人体制です。午前中は電話も鳴ることなく静かに過ぎていきました。同僚の「嵐の前の静けさとはこの事か。」という言葉と共に。

 

 お昼の時間になって、お弁当を食べていると台風が本州に再上陸というテレビからのアナウンスが聞こえます。外を見ると大粒の雨と強風が吹き荒れはじめました。京都市内の水位計の設置された各河川の水位がみるみる上がっていきます。

 

 

 水防団待機情報送信、水防団出動情報と各河川毎にFAXを送信して受信確認となりますが、複数の河川が同時期に指定水位を超え出すとファックス受信確認だけでも混乱が生じてきます。加えて一般府民の方からの災害情報の電話が入り更に慌ただしくなってきました。

 

 夜班の職員に連絡して更なる増員体制を組みました。京都土木事務所の前の鴨川も昨年の台風18号並みの増水を見せています。午前中は普段と変わらない位の流量だったと、普段巡視をしている職員も驚いています。

 

 私は、鴨川を隅から隅まで知り尽くしている巡視担当の職員さんと、下流の様子を巡視に行く事になりました。車に乗り込んで、まずは一気に塩小路橋まで南下しました。

 

道中、鴨川の見える加茂街道沿いでは、台風による増水にも関わらず、洪水敷で犬の散歩をしてる方がおられます。中には傘をさしている方も・・・。強風で傘があおられる可能性もあるので危険です。

<車窓から見る北大路橋上流>

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<小降りですが、まだまだ雨が降っています>

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<落差工付近ではうねりが起こります>

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 増水時の川に近づく事は大変危険ですので、絶対お止めください。足を滑らすなど、絶対大丈夫という事はないのですから。事実増水時の川を見に入って流される方が全国で後を絶ちません。自分の命は自分で守りましょう。

<平常時の北大路橋上流>

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 程なく塩小路橋に到着です。この地域では昨年の台風18号同様に高水敷は完全に水没して川幅いっぱいに濁流が流れています。川へと続くスロープには立入禁止のバリケードを設置し水際に近づけないようにしています。

 

<鴨川公園全域に立入禁止措置>

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<塩小路橋から上流七条大橋を望む>

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 上流の架橋100周年を終えた七条大橋も水位が橋脚の一番上に近い処まで上がっています。もう少しでアーチ状の桁に迫る勢いです。昨年の台風18号時には、七条大橋の上から撮影しましたので、その下がどうなっていたのか解りませんが、同様の状況だったのでしょう。

<ここまで水位が上がっています>                      <平常時の七条大橋下の水位>

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<塩小路橋から下流を望むJR橋>

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<JR橋下の道路は余裕が少ししかありません>

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 五条大橋にやってきました。当然のことながらここでも高水敷は完全に水没しています。

 

<五条大橋を上流左岸から望む>                     <平常時の五条大橋下の水位>

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<“みそそぎ川”は鴨川にのみ込まれています>

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 五条大橋の上から見ても昨年の台風18号並みの水が流れています。報道関係のカメラも現地からの中継でその様子を伝えています。五条大橋下流の高水敷は少し高くなっていますが、雨水吐口はもう少しで鴨川の水に塞がれてしまいそうです。

 

<五条大橋から上流を望む>                         <五条大橋から上流平常時>

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<五条大橋から下流を望む>

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<五条大橋下流左岸の雨水吐口>

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<増水の様子を伝える報道カメラ>

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<レポーターもスマホでパチリ>

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 さて、芝を貼り養生していた三条・四条界隈です。昨年の台風時には、完全に水没し芝も流された区間ですが、今回は水が上がっているものの、流木や瓦礫が乗るほどには水位が上がっていません。流速も遅くみそそぎ川に“京の七夕”で設置されたモニュメントでせき止められた水が、鴨川側に横断方向に流れているようです。

<下流から四条大橋を望む>                        <四条大橋下の平常時の水位>

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<四条大橋から下流を望む>

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<四条大橋から上流を望む>    

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<右岸の高水敷は水没>

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<ところどころ芝が見えています>

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<平常時の四条大橋から上流を望む様子>

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<三条大橋の橋脚に当たった流れがスーと流れて落差工で暴れます>

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<“みそそぎ川”から鴨川へ水が流れ込みます>

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 それに対して三条御池間は完全に水没しています。どうなることでしょう。

 

<“どっぷり”と水に浸かった御池大橋から三条大橋間><平常時>

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 丸太町橋まで行くと、橋の下には水が上がっているものの、前後の高水敷には水が上がっていません。

 

<丸太町橋から上流を望む>            <巡視職員が橋の下を確認>

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<平常時の丸太町橋から上流を望む>

 

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 荒神橋です。ここは、増水時に流速を観測する場所であり、鴨川の洪水予報を発表する基準となる水位計が設置されています。

 

 

<荒神橋下流>                     <荒神橋水位計>

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 賀茂大橋の上では、通行する方の傘が下流からの強風で雨が吹き付けます。

 

 ここでも巡視職が橋の下を確認します。

<傘を下流に向けて>                <吹き付ける雨に巡視職員の姿もばやけます>

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<高野川との合流点を望む>            <平常時の出町合流点>

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 そして一気に柊野堰堤まで北上し巡視です。鴨川の市街地では最上流にして、最大の落差の迫力は満点です。近所の方や車で乗り付けた方の人だかりが出来ています。再三申しあげていますとおり、増水時の川には近づかない様にしてください

<柊野堰堤>                       <大きな落差で水しぶき>

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<うねる水流>                      <庄田橋から下流を望む>

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<平常時の柊野堰堤>

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 柊野堰堤上流のグラウンドも昨年同様池と化してしましました。公園内の大きな木も強風にあおられて根元から折れています。川の水だけでなく、強風時の樹木の倒木にも注意が必要です。

<柊野グラウンド 駐車場も浸水>         <グラウンドも池状態>

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<被災状況を記録>                  <グラウンドから駐車場へ流れる水>

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<通路を塞いで倒れた樹木>                 <根元からボキッと>

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 我々は、職務として危険回避、災害確認、大雨の記録を行っています。増水した川の上流で更なる大雨が上流域で降れば、あっという間に水位が上がります。今回の台風では、最上流域の雲ヶ畑で沢山の雨が降り1時間半程の間に一気に水位が上昇しました。市街地が小降りでも水位がグンと上昇する恐れもあります。

 事務所に戻り、夜の班と引き継ぎをしてこの日の私の任務は終了しました。

<所長を交えて引き継ぎの様子>

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 この台風による鴨川への影響は後日ご紹介しようと思いますが、この記事を書き上げる前、8月10日の翌週の土曜日16日にも同規模の増水がありました。

 

 8月に2週連続同規模の大増水です。今後も鴨川で一気に増水して溢れる危険があります。増水時は川を見に行くのではなく、氾濫の危険が迫った時に何処へ避難するのかを今一度ご確認願いたいと思います。

                                           平成26年8月19日 (京都土木事務所Y)

 

 

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