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鴨川真発見記<217から222>

 

 

昭和の鴨川大改修の経過をたどる(第222号)

現在の鴨川・高野川の姿を決めた河川整備(その2)

 

 鴨川真発見記第220号では、鴨川の七条大橋から上流の昭和の大改修の様子をご紹介しました。今回は出町で鴨川と合流する高野川と鴨川で前回ご紹介できていなかった箇所をみてみましょう。

高野川と接する叡山電鉄の鉄橋の橋台の崩落と大原と京都を繋ぐ府道京都大原線も広い範囲に渡って崩落しました。

<叡山電鉄高野川鉄橋東橋台付近の崩壊>

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<府県道大原京都線(八瀬・大原村界より南方約500m)の決壊>

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<高野川左岸府県道大原・京都線山端の決壊箇所より上流を望む>

手前護岸ヶ所より先方電柱のある所を結ぶ線が在来の道路の位置

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<高野大橋上流府県道大原京都線の流失>

 右手民家の白壁の下黒くなれる部分が最高水位

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 今回最初にご紹介するのは、高野川の北大路通りに架かる高野橋上流です。

 昭和11年から始まった改修で、下流域からの改修が進んでいなかった松ヶ崎浄水場付近の昭和13年8月の増水時の様子です。

 

 当時少年だった郷原氏の回想を綴られた「高野川の畔」という随筆を第156号でご紹介しました。その中に「増水する高野川と護岸の崩落」の様子が出てきます。この写真の説明は当時の様子を目の当たりにされた郷原氏の随筆を引用させて頂きたいと思います。

 

 

<高野川右岸松ヶ崎森ヶ本町地先 昭和13年8月4日撮影>

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<同上 平成28年2月5日撮影>

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※左京医報掲載随筆 昔話“高野川の畔”(上) 養徳班 郷原 憲一氏より

 あれは何年のことだったでしょうか、1937年か8年(昭和12年か13年)・・・やはり大雨で増水し、この時は溢れるのではなくて、濁流の川が大きく蛇行を始めて、河岸を削り落とし出しました。

 

 近くではうちの川上にあったカネボウの社宅の処を削り落とした流れが向かい側へ曲がって行き、松ヶ崎浄水場の正門の前の川岸に建つ瀟洒な一軒屋の敷地を削り落とし、その家が丸ごと濁流の中に落ちてしまいました。ガラガラガララ・・・バッシャン・・・大きな落雷を思わせるような轟音がして、それは実に恐ろしい光景でした。

 そこから流れがこちら側に向かって来て、高野橋の直ぐ川上にあった二階建ての三軒長屋を、やはり地面を削り落として流れ去らせました。

 あのカーブがもう少し南に寄っていたら高野橋を東端で削り落として流したことでしょう。

 

 うちの少し南に新しく建った二軒の家の土地も削り取られ始めたので、水流を少しでも弱めようと、電車通りのニセアカシアの街路樹を何本も根元から切ってきて、幹を針金で縛って流れに投げ込みます。一方が岸に固定してあるので、枝葉の張った木が岸に流れ寄ってきます。

 

 水流が土地に直接当たって削り落とすのを防ごうというのです。何本も何本も試みているうちに、何とか何とか表玄関の間の下まで削り取られたところで水の猛威が止まり、倒壊を免れました。

 この洪水の後、本格的な川の改修工事が急ピッチで進められました。

 

 出水当日の緊迫感のある情景描写が、水害の“怖ろしさ”やそれに対応する人々の奮闘を伝えてくれます。郷原氏のように水害を体験された方の語り継ぎも水害や河川整備を考える上で重要な事だと改めて感じました。

 

 

 同じく高野橋上流の様子です。

 

 郷原氏の随筆のとおり急ピッチで工事が進んだのでしょう。昭和15年には落差工が完成し、両岸に護岸の石積みが整備されています。遠くに見えている橋は馬橋ですが、現在はその間に松ヶ崎人道橋が架かっています。住宅が増えて人が往き来する橋を架ける必要があったものと思われます。

 

 当時の写真には川端通り沿いのサクラ並木はおろかその他の樹木も見当たらず、その先の家屋が見通せます。河合橋上流から松ヶ崎橋まで川端通り沿いに見事に続くサクラ並木も高野橋上流には存在しなかった様です。同時期に植えたサクラは同時期に寿命を迎える事になります。この区間のサクラは京都市管理の歩道部分にあります。

 

 京都市では、古くなって元気の無い古木の植え替えが進められています。少しずつ世代交代が必要になるのはどこのサクラ並木も同じですね。

 

 

 

 

 

 

<高野橋上流比叡山を望む 昭和15年3月撮影>

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<同上 平成28年2月5日撮影>

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<高野橋の上から比叡山を望む 平成26年9月14日撮影>

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<植え替えられたサクラの若木 平成28年2月7日撮影>

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 高野川と岩倉川の合流する地点の改修です。白く新しい石積みの護岸が整備されて、背割り堤も整備されました。現在では、石積みも黒く変色し、手前のお宅の庭木も大きく成長しています。

 

<高野川、岩倉川合流点を下流から望む 昭和15年8月撮影>

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<同上 平成28年1月18日撮影>

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 花園橋が跡形もなく流失しています。この橋は現在の白川通りの高架橋から岩倉方面に繋がる橋ですが、写真左に写っている道も崩落している様です。こちらの道は大原へ続く道ですので2つのルートが寸断されたと思われます。

 現在では、大原へ続く道路は広げられて、川底も深く堀下げられているのがわかります。

 

 

 

<鞍馬電鉄鉄橋上より下流 昭和13年8月4日撮影>

花園橋は流失され跡形なし

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<同上 平成28年1月31日撮影>

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 花園橋から一つ上流に位置する橋が「三宅橋」です。この橋が崩落した事によりルートは完全に寸断された事になります。当時の写真の書き込みに、右手側旧三宅橋、左手仮橋とあります。昭和10年に流失した三宅橋は本復旧する前に仮橋が流失しています。現在の写真にも当時橋のたもとにあった建物がそのままの佇まいで残っています。

 

<三宅橋西詰めより上流 昭和13年8月4日撮影>

仮橋流失の状況を望む

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<同上 平成28年1月11日撮影>

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 次の写真は、今回ご紹介する高野川の様子では、最上流の位置のものです。昭和10年の大水害をキッカケに実施された高野川改修の終点付近です。この上流にはかつて「八瀬遊園」という遊園地があり、現在は会員制のリゾートホテルが建っています。

 川の中の様子は樹木の枝が繁茂し、この地点からは大きな落差の半分以上が隠れて見えません。

 

<高野川 市郡界付近 昭和15年8月撮影>

高野川改修工事終点付近落差工

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<同上 平成28年2月5日撮影>

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 前回の鴨川の様子を紹介した中で、紹介できていなかった箇所を今回ご紹介したいと思います。

 

 

 

 出雲路橋の下流、二つめ目の落差工の下流の位置から上流を眺めた写真です。

 この区間の左岸側には現在、大きな住宅が建ち並んでいますが、当時も大きな建物(京都映画?)が目立っています。

<出雲路橋下流から上流を望む 昭和15年12月9日撮影>

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<同上 平成28年2月6日撮影>

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 今回最後にご紹介するのは、昭和10年の大改修の中でも、一部区間を付けかえた区間です。それは、現在の“勧進橋”から“水鶏(くいな)橋”の間の区間です。

 改修前は、勧進橋から下流に向かって“くの字”に東に流路を曲げて、現在の水鶏橋辺りに向かって西に戻ってくる流れでしたが、その間を直線に真っ直ぐに流れる様に流路を付けかえました。

 現在、水鶏橋東詰め上流の「京都府立京都高等技術専門校」が建っている場所は、改修前は鴨川の中だった事がわかります。

 

 鴨川では、蛇行する川を真っ直ぐにして、川の水が暴れない様に改修した唯一の箇所がこの勧進橋、水鶏橋間の改修でした。

 

 

<昭和10年からの改修図面より 勧進橋・水鶏橋間>

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<勧進橋下流右岸から下流側を望む 新河道流頭部 昭和15年11月21日撮影>

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<同上 平成28年2月5日撮影>

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<水鶏上流左岸から上流を望む 新河道流末部 昭和15年11月12日撮影>

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<同上 平成28年2月5日撮影 写真右の建物は「京都府立京都高等技術専門校」>

水鶏橋の東詰めを挟んで下流側にある「京都府精神保健福祉総合センター」も旧河川敷きです。

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 その後時代は平成となり、阪神高速8号京都線が完成し、勧進橋の上空をクロスするように鴨川をまたいでいます。この辺りの風景も大きく変化しました。

 

 そして、現在勧進橋・水鶏橋間の右岸では、低水護岸、高水敷、高水護岸の整備に続いて、堤防上に桜の木を植樹しています。

 

<勧進橋の上/右岸から下流を望む>           <水鶏橋の上/右岸から上流を望む>

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<植栽が進む右岸堤防上>                  <同左>

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 かつて殺風景だった高野川の高野橋上流と同様に、このサクラも時を経て大きく育ち、春には見事な花を咲かせてくれる事と思います。

 

 (京都土木事務所Y)

 

 

鴨川リレー探鳥会に参加しました(第221号)

「木の陰に見え隠れ」そんな野鳥観察も楽しいものです

 

 

 

 平成28年1月31日(日)は「公益財団法人日本鳥類保護連盟京都」主催の「鴨川リレー探鳥会」に参加しました。まさに「小春日和」のぽかぽか陽気とあって、快適な探鳥会となりました。

<快晴の高野川 叡山電車中より花園橋を望む>

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 今回の探鳥コースは高野川の上流部、八瀬から花園橋付近までという事で、山でよく見られる野鳥たちも姿を見せてくれました。

 

 しかしながら、木の枝の間を素早く動き回る野鳥や、木の枝の陰になる野鳥もあり「見えた!見えない!逃げた!」などの声を上げながらの探鳥会となりました。

 

 集合場所に早く到着したので、付近の野鳥の様子を1人で見て回りました。最初に姿を見せたのは、木の枝や葉に隠れて“ヒヨドリ”です。「ヒヨー、ヒヨー」と鳴きながら赤い木の実を食べていました。

 

 

<写真中央に“ヒヨドリ”>

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 次に現れたのは“シロハラ”です。鴨川真発見記では始めてお目見えの野鳥です。こちらはバッチリ全身を撮影させてくれました。お腹が白いから“シロハラ”です。クチバシの下側の黄色がアクセントですね。

 

<鴨川真発見記初お目見え>                        <シロハラ>

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 背中の白い斑点が紋付きの羽織の様に見えるのは、“ジョウビタキ”のメスです。こちらも背中からながら全身を撮影させてくれました。首を傾げた様な仕草が愛らしいですね。

 

 

 

 

<“ジョウビタキ”メス>                                  <右見て左見て>

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 集合時間が近づき、叡山電鉄八瀬駅改札前まで行くと、頭上のサクラ?の木の上に“メジロ”がさえずっています。

 小さくて動きの速い“メジロ”が少し開き始めた花の蜜を吸いながら、「あっちへ、こっちへ」飛び回ります。

 

 なんとか撮影したものの、やはり木の枝が邪魔をしてその姿をハッキリ捉える事が出来ませんでした。その“なんとか”な写真を御覧ください。

<花にクチバシを伸ばす“メジロ”>                      <メジロの片方の目が見えました>

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<蜜を吸う 真下から>                                <飛び去りました>

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 そうしているうちに、探鳥会が始まりました。最初に確認できたのは“モズ”ですが、こちらは木の二股の付け根に止まってこちらを見ています。お天気が良すぎて白く発色してしまったのがこの写真です。

<二股の付け根に“モズ”>                           <こちらを見ています>

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 こちらも小さな野鳥“シジュウカラ”です。普段見るのは木の上でさえずっている姿ですが、この日は地面に落ちた木の実をついばんでいました。

 

 ここでも、手前の木の枝にピントが合って“シジュウカラ”がピンぼけになりますが、なんとか粘って一枚、背中を撮影する事が出来ました。

<手前の木のピントをふりほどいて“シジュウカラ”>

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 この日の案内人は、会で一番の肉眼での鳥探しの達人「伊佐さん」です。このコースの一番の目玉は“カワガラス”です。

 

 叡山ケーブル乗り場の前に架かる橋の上から上流を参加者全員で眺めていると、「カワガラスがいる!」と声が上がりました。他の参加者には見えません。同氏にフィールドスコープの中にカワガラスを捉えてもらって見せて頂きました。

<この橋の上から>                                  <肉眼で見るとこの遠さ>

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 どうやらもう一羽いるようで、「営巣しているようだ」との事でした。ここもサクラなどの枝が川全体を覆うように伸びていて、焦点が定まらずデジカメで撮影する事は困難でした。

 

 やっとの思いで、一枚だけシルエットを撮影する事ができました。

<写真上部 中央やや左寄り>                          <なんとか“カワガラス”のシルエット>

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 そんな撮影の邪魔をされた木の枝にも花が咲いています。紅梅です。北野天満宮の梅園も早くに見頃を迎えたようですが、高野川沿いの紅梅も開花していました。

<花開いた紅梅>

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 頭の上遙か上空では、猛禽類が2羽悠然と飛んでいましたが、飛び方がいつもと違います。一羽がもう一羽に“ツバメ”の様に急接近して、また離れてを繰り返していました。どうやらディスプレイ(オスがメスに求愛)しているのではないかとの事でした。

<遙か頭上に舞う猛禽類>

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 こちらは、木の枝ではなく“電線”に邪魔されて一羽が細い電線の陰に隠れてしまいました。会の皆さんのお見立てでは“オオタカ”だろうとの事でした。

<トリミングして2羽確認 おそらく“オオタカ”>

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 高野川を少し離れて、三宅八幡へ向かいました。その途中で再び“モズ”が現れました。こちらでも木の枝が邪魔します。参加者が色んな角度から確認を試みます。

 

オスメスの判断の基準となる、目の所の黒い帯状の模様を確認します。無いようでメスとの事でした。私が見た角度からは、その肝心な目の辺りが丁度木の枝でブラインドされて、どっちかわかりませんでした。

<目隠し状態の“モズ”>

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 ゴール地点の三宅八幡宮に到着すると、「“イカル”がさえずっている」ということで、その黄色いクチバシを確認しましたが、写真には収められませんでした。

<クチバシ、頭確認出来ず“イカル”>

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 最後まで木に邪魔される探鳥会でしたが、チラリと見える野鳥を探すのも楽しいものだと気づかせてもらった探鳥会でした。

 

 

公益財団法人鳥類保護連盟京都から当日の「出現鳥」の情報が寄せられました。

【出現鳥】22種

マガモ、カルガモ、キジバト、カワウ、トビ、オオタカ(♂♀?)、モズ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ヤマガラ、シジュウガラ、ヒヨドリ、エナガ、メジロ、カワガラス(♂♀?)、シロハラ、ツグミ、ジョウビタキ、スズメ、キセキレイ、ハクセキレイ、イカル 以上

 

(京都土木事務所Y)

 

 

昭和の鴨川大改修の経過をたどる(第220号)

現在の鴨川・高野川の姿を決めた河川整備(その1)

 

 昭和10年に京都市内に大水害が発生し、鴨川や高野川も大きく被災した様子は鴨川真発見記でも何度かご紹介しました。今回は、その後昭和22年までの11年間かけてほぼ現在の姿に改修された工事の様子をご紹介したいと思います。

<昭和10年の大水害 三条大橋>   

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<昭和の改修計画>

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 京都府立総合資料館に保存されている永年文書の中に、「昭和16年中小河川改良工事説明書」があります。昭和16年時点での鴨川の改修を国に説明するための文書で、当時の河川改修工事や昭和10年以降の増水の写真が添付されています。

 

 その写真の中から一部抜粋してご紹介したいと思います。

 

 最初は七条大橋の上右岸から上流を望む様子です。

 現在のみそそぎ川は五条大橋の上流で鴨川に注いでいますので、この辺りでは鴨川沿いに並ぶ建物のすぐ傍に石積みの護岸があり、その傍の川底を深く堀下げていく様子がわかります。

 

 左岸側(東側)に流れを寄せるために土を盛り上げて、右岸側(西側)に水が流れないようにして施工する方法は今も昔も変わりませんが、重機は無く手作業で改修が進められました。

<七条大橋 橋上右岸より上流 昭和15年11月27日撮影>

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<同上 平成28年1月22日撮影>

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 四条大橋の架け替え工事の様子です。四条大橋は昭和10年の水害で流失はしませんでしたが、上流から流れてきた流木や橋のガレキが当たり大きな損傷を受けました。そこで、昭和17年に現在の橋に架け替えられました。工事が始まった昭和15年当時のものです。

 

 右岸に中華料理店のビルの一部が、そして左岸にレストランのビルが見えています。

 川の中は、現在の様に高水敷は無く、なだらかに平常時の流れと繋がっています。写真に示された断面図には後に“みそそぎ川”と呼ばれる水路が書かれています。

<鴨川団栗橋より工事中の四条大橋 昭和15年12月4日撮影>

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<同上 平成28年1月9日撮影>

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 昭和13年の増水の様子です。改修工事が始まって2年が経過した頃の増水時の様子です。この頃はまだ高水敷が整備されていないので、増水による損傷はなかったでしょうが、増水前後の川の中の様子の変化が気になります。

 

<四条大橋橋上より上流 昭和13年7月5日撮影>

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<同上 平成28年1月9日撮影>

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 賀茂大橋下流から取水した水の流れ“みそそぎ川”が二条大橋下流で高瀬川と分流する場所です。“みそそぎ川”はこの下流で階段状真っ直ぐ流れ落ち、高瀬川は写真右(西側)に引き込まれていきます。

 手前の構造物は、二条大橋の橋台です。みそそぎ川の工事の後で現在の二条大橋に架けられたようです。

 

 

<二条大橋右岸より下流みそそぎ川>

<昭和15年9月27日撮影>                         <平成28年1月9日撮影>

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 みそそぎ川の名の由来はハッキリしませんが、昭和10年の大水害以前にあった納涼床の下を流れる水を確保するために、歴史的由緒ある流れとして「みそそぎ」(みそぎ)の名称を使ったとの説もあります。

 

<参考文献>

※「日本風景史ヴィジョンをめぐる技法」 昭和堂 田路貴浩・斉藤潮・山口敬太 編

第9章 近代の都市河川-「山紫水明」の風致と鴨川の整備 林倫子氏執筆

 

 荒神橋・丸太町橋間の河床堀下げの工事です。下へ掘り進んだ土を上へ運びあげるコンベアの様な機械に向かってレールが敷かれ、手前にはトロッコの荷台が並んでいます。

 写真の中央に帯状に並ぶのは、埋設されていた管(御所水道鉄管かもしれません)が掘り出されて並べられているようです。

 丸太町橋右岸上流には、二本木と呼ばれる文学作家が集う街と山紫水明処の建物があります。この写真にも写っているのでしょう。

<荒神橋左岸下流から丸太町橋を望む 昭和15年11月20日撮影>

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<同上 平成28年1月10日 撮影>

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 同じく荒神橋・丸太町橋間の河床堀下げ工事の様子ですが、下流側の丸太町橋から上流を見たものです。写真説明概略には、「護岸は玉石練張」とあります。堀下げ工事で鴨川から出た石を使用したのであれば、加茂七石と呼ばれる鴨川水系の貴重な自然石も含まれているかもしれません。石の見分けがつく方に鑑定してみて欲しいものです。

<丸太町橋 橋上の左岸側より上流 昭和15年11月26日撮影>

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<同上 平成28年1月22日撮影>

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 賀茂大橋上流の堀下げ工事の様子です。作業する人の手には“クワ”か“ツルハシ“が握られています。

写真右には、旧護岸石垣基礎とあります。この位置から橋の下の深さまで掘り下げられました。

説明には、根固めは木工沈床とあります。橋の下、橋脚の手前に木組みが見えます。

現在の賀茂大橋は昭和8年に架けられ、10年の大水害にも耐えました。それから80年以上を経過し、今年度耐震補強工事が実施されています。

<賀茂大橋上流側 昭和15年11月8日撮影>

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<同上 平成28年1月10日撮影>

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 賀茂大橋から鴨川、高野川の合流点の工事の様子です。写真には現在「鴨川デルタ」とも呼ばれている剣先の石積みが描かれています。思い思いに過ごされている逆三角形の平地もこの時の工事で整備されました。

 写真手前の白く石が並んでいる所が、現在鴨川側と高野川側の飛び石を繋ぐ先端部分と思われます。

 鴨川側に架かる橋には、葵橋とあります。現在の「出町橋」は当時「葵橋」の名がついていました。

<鴨川・高野川合流点背割り堤 昭和15年12月9日撮影>

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<同上 平成28年1月10日撮影>

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 昭和13年7月6日、出雲路橋右岸から左岸を見た様子です。先程の四条大橋から上流を望む増水写真の翌日ですが、やはりまだ水位は高いようです。この写真、よく見ると水際に数人の人が立って川を眺めておられます。増水のピークは過ぎているのでしょうが、危険です。皆様も増水した川には近づかない様にしてください。

 当時の写真右側に写っている蔵は、現在の写真にも写っています。

<出雲路橋右岸橋の上から対岸を望む 昭和13年7月6日撮影>

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<同上 平成28年1月10日撮影>

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 鴨川の市街地では最上流の柊野堰堤を下流から望む様子です。写真奧に真新しい白い砂防堰堤が姿を現し、そこから白い石積みの護岸がカーブを描いて下流に繋がっています。当時は砂防堰堤の右岸側には現在の様な住宅地はなく、家もまばらに見えています。

 

 北に見える山並みは当時と同じですが、柊野堰堤の手前の庄田橋は当時架かっていませんでした。現在は同じ地点から庄田橋が目隠しになって堰堤本体は見えません。

 

<柊野堰堤を下流から望む 昭和15年12月4日撮影>

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<同上 平成28年1月25日撮影>

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 小学校をはじめ、地域住民の方の依頼で「出前講座」を実施し、昭和10年の大水害を契機にほぼ現在の鴨川の姿に改修されたお話しをしてきましたが、昭和11年から22年までの11年間の経過を写真と共にご紹介までは出来ていませんでした。

 

 今回は、京都府立総合資料館の永年文書の中から見つけた写真のうち、鴨川の七条大橋から柊野堰堤までの工事の様子を「その1」としてご紹介しました。

 同じ文書に鴨川の七条大橋以南や高野川の写真もありましたので、次の機会に「その2」としてご紹介したいと思います。

 

 「鴨川のあるべき姿」を議論する前に、80年近い歳月を経た鴨川の変化を皆様にも知っておいて頂きたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

 

鴨川・高野川にも今シーズン初の積雪(第219号)

早朝から舞い降りた雪が魅せる白い世界

 

 今シーズンは暖冬で京都の市街地に積雪する事はないかなと思っていましたが、平成28年1月20日(水)は前日からの気象情報どおり早朝から雪が舞い降りました。

 

 京都の市街地の中でも北部に位置する京都土木事務所の周辺、北山通りあたりは、朝8時の時点で道路にも白く雪が積もっていました。

 

 鴨川の周辺の現在の状況を確認してみることにしました。どうやって確認するのか?それは京都府のホームページからです。トップページの真ん中オレンジ色の帯「防災・防犯・安心・安全情報」の真下に「●きょうと危機管理WEB」があります。ここをクリックすると、

 

<きょうと危機管理WEBをクリック>

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 きょうと危機管理WEBのページに移動します。次に画面左の上から2番目「雨量水・河川水位・土砂災害 気象(警報・注意報)」をクリックします。

<雨量水・河川水位・土砂災害 気象(警報・注意報)をクリック>

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 移動した画面の中の、「河川防災カメラ」をクリックします。このカメラの画像は降雨時に降水量、河川水位と共に実際の川の状況を平常時と比較してお伝えしているものです。降雪時にもその周辺の様子を確認できます。

<河川防災カメラをクリック>

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 カメラの設置位置が示された画像に移動しますので、見たい場所のカメラをクリックしてください。

<見たい場所のカメラをクリック>

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 さて、この日の朝のカメラの画像はどうだったでしょう。

 私が最初に気になったのは、繁華街の真ん中「三条大橋」の様子です。三条大橋に向けられたカメラには、横殴りに降る雪の白い筋が上流から下流へ流れています。

三条大橋の歩道は積雪で真っ白で、車道にも積雪があり車の“わだち”の部分以外は真っ白です。

<鴨川(三条大橋)午前8時20分>

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 次に確認したのは、上流へさかのぼって出町の様子です。雪の降り方は三条大橋付近よりは穏やかなようですが、高水敷には真っ白に雪が積もっています。

<賀茂川(出町橋)午前8時22分>

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 そして、鴨川・高野川では最も上流に設置されているカメラをチェックしました。高野川と岩倉川の合流点(宝ヶ池子どもの楽園近辺)のカメラの映像には、合流点の剣先の先端部分もクッキリと白く浮かび上がっていました。

<高野川(岩倉川合流部)午前8時24分>

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 城陽市から出勤してきた職員さんから、「家を出る時には全く雪がなく、伏見区に入ったあたりから雪が降り始めた」との情報を得ました。それではと、鴨川では最下流のカメラをチェックしました。

 鳥羽大橋のカメラの画像には、上流域ほどではありませんが、薄く白い雪景色が写し出されていました。

 

 鴨川真発見記では、今シーズンで4シーズン目ですが、三条大橋以南の積雪の様子に遭遇する機会を逃してきました。防災カメラとはいえ、鴨川下流域の雪景色をお楽しみください。

<鴨川(鳥羽大橋)午前8時26分>

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 この記事を書いている現在の時間は午前10時ですが、北山大橋付近はまだ雪が降り続いています。北山大橋には防災カメラは設置されていませんが、事務所からその様子を見る事が出来ます。橋の上の雪は自動車の通行で消えていますが、後から後から雪が降ってきています。

<北山大橋上流 午前10時頃>                     <同左>

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<北山大橋下流 午前10時頃>                       <同左>

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  さて、ここで気になるのが、鴨川の源流域はどうなっているのかということです。源流域には防災カメラは設置されていませんが、「鴨川真発見記」のネットワークがあります。

 

 鴨川源流域の一つ雲ヶ畑では、公式ホームページがあります。その中のブログで雲ヶ畑の様子をこまめに情報発信されている波多野佳美さんに連絡を入れました。

 

 「雲ヶ畑の雪の状況はどうですか?」と訪ねると、岩屋橋付近午前10時の時点で約20cmの積雪のようです。波多野さんは当然雪景色の撮影中でしたので、鴨川を中心の雪景色の写真をお願いしました。

 そして、同日の午前中に鴨川源流域雲ヶ畑の写真が届きました。それでも“まだまだ”雪は降り続いていました。

 

 夏は涼しい「雲ヶ畑の川床(かわどこ)」も雪景色です。鴨川の上流祖父谷川にも雪が積もり、川の流れがつくる「動」の白い水しぶき、石に積もった「静」の雪、更には空から降る「動」の雪、水で出来た三つの主役が水墨画の様な光景を魅せてくれました。

<雲ヶ畑川床>                      <川を拡大 積もる雪、流れる水、降る雪>

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祖父川が「一級河川鴨川」と名を変える辺りの堰堤では、更に流れ落ちる

水と周りの雪景色で水墨画のようです。

<祖父川が鴨川と名を変える付近の様子>

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 防災カメラのネットワークと、人のネットワークで2016年鴨川・高野川の初雪をご紹介しました。もうすぐお昼休みです。午後から晴れたら少し外の様子を見に行ってみようかと思います。明日まで雪は残るでしょうか?

 

 雪景色の中でご紹介するような光景に出会いましたら、次回その様子をご紹介したいと思います。今回は、雲ヶ畑の波多野佳美さんに感謝しつつ記事を終えたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

 

2015年から2016年をまたぐ(第218号)

2016年は鴨川真発見記の原点「小ネタ集」で幕開け

 

 遅ればせながら、新年あけましておめでとうございます。

今年も「鴨川真発見記」をよろしくお願いいたします。

これまでから鴨川真発見記はジャンルを問わず様々な情報を発信してきました。

今回は2016年第1弾として鴨川・高野川で年末年始に目にした光景を様々にご紹介したいと思います。

 

 知り合いの方とお話しをしていて、高野川の鹿の話題となりました。春から秋にかけて高野川に山から鹿が子連れで降りてきて中州、寄州の草を食べている様子は何度も見てきましたが、その方の話では冬になっても鹿がいるという事でした。

 以前、新聞社の取材にも冬になると草が枯れてしまうので、姿を見かけなくなるとお応えしてきました。事実、冬に姿を見たことがありませんでした。

<2015年末の高野川>                             <角の生えた大きな鹿>

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<まだ小さい鹿>                                    <3頭目も大きな鹿>

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 今シーズンは、高野川の傍を走る路線バスの乗客の皆さんが、今日も鹿がいると話題になっているとのことでした。

 

 そんな年末のある日、話題のスポット「高野川の馬橋上流」を歩いていると、御婦人が指をさして今日も鹿がいると教えてくださいました。

 

 年が明けて再びそのスポットへ行くと、2頭の鹿が枯れ草の間から生えている緑の葉を食べている様子を見る事が出来ました。この鹿達は高野川で新年を迎えたのでしょうか。枯れ草ばかりと思っていても、なにがしかの緑の葉が生えているのですね。

<2016年年始の高野川>                            <2頭の鹿が>

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<枯れ草の間から緑の草を食べる鹿>

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【御注意】

 鹿は山から食べ物を求めて自然に降りて来た訳ですが、エサを与えたり、追い立てて驚かしたりすると、道路に出て来て交通事故を誘発する恐れもあります。

 

 

 

 枯れ草ばかりと先入観でみている光景の中に緑が隠れている事は、「ヒドリガモ」の様子を見ていてもわかります。枯れた芝生の間から顔を出した緑の葉を丁寧により別けてついばんでいました。

<枯れた芝生の間を探る“ヒドリガモ”の群れ>

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<枯れた草ばかりではないようです>

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 季節外れの花にも出会いました。春になると桜の裾を飾る様に真っ白な小さな花を咲かせる「ユキヤナギ」です。茶色くなった葉の間から、ひと株に十数輪の花が咲いています。

 

 この冬は観測史上何年ぶりかの暖かい日もありました。その影響なのでしょうか、春の満開とは違い控えめに咲いていました。

<ユキヤナギの紅葉した葉の間に>                  <小さな花が咲いていました>

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 花といえば、1月11日は成人の日でしたね。高野川でも華やかな振り袖をお召しになった新成人が記念写真を撮っておられました。高野川と比叡山をバックに、また北山をバックに記念の一枚は思い出に残る事でしょう。

<比叡山をバックに記念撮影>                         <北山をバックに記念撮影>

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 ここで、何故?なものが足元に大量におかれていました。高野川の馬橋近くです。それはというと「セミの抜け殻」です。何かの研究をされた後で捨てられたのでしょうか。おびただしい数の抜け殻です。

 新聞でこの夏「クマゼミ」が激減との報道がありました。このセミが何の種類か解りませんが、これだけの数を集めるのは大変だった事でしょう。

<何故ここに?>                                   <セミの抜け殻>

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 鴨川・高野川での人の営みも様々ですが、昨年末に三条大橋の下流で大縄飛びをしている方々に出会いました。その時にはお声がけする事もなく、通過しました。

<鴨川で大縄飛び>                               <橋の上から手拍子を>

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 これまた新年になって、同じ場所を歩いていると大縄飛びをする方々に出会いました。お声がけをして「どういう趣旨」かとお訊ねするとその意味をお応え頂きました。

 教育関係の方が主催されているそうで、現代の世の中人と人との繋がりが希薄となっており、様々な問題が起こっている。大縄飛びをして通りすがりの方がそれに興味を持って参加される。そこに知らない人とのコミュニケ-ションが始まるという取り組みだそうです。

 

「挑戦者求む!」「只今の記録」「手拍子お願いします」などの興味をそそるうたい文句にとおりすがりの方々が足を止めておられました。

<知らない同士で息を合わせて>          <只今の記録56>

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 鴨川を観察して4年半が経過しました。鴨川ではじめて「カワアイサ」を見たのは3年程前です。オス一羽にメス2羽の3羽やオス・メスペアの2羽はよく見かけますが、昨年の年末にはメスばかり3羽を見てこれははじめてと思っておりました。

<2015年年末の鴨川>               <カワアイサ メス>

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<頭をかく カワアイサ>                <メスばかり3羽のカワアイサ>

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 年が明けて新年、鴨川歩きを楽しんでいると、ジャバジャバと水に潜ったり浮かんできたりと繰り返している「カワアイサ」の群れに出会いました。

 目をこらして見ると、どうやら5羽の「カワアイサ」メスばかりの群れです。私が歩いていく方向へ移動していくので、観察しながら一緒に移動してみました。

<2016新年の鴨川>                <メスばかり5羽のカワアイサ>

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<葵橋の下に集まる4羽>               <上流へ向かって進む>

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 もう少し近くに寄ってみようと、葵橋の上から覗いてみると、警戒心からか4羽が上流に向けて移動していきます。太陽の光が届く場所では3羽並んで綺麗な体が浮かび上がります。

 

<葵橋の上から上流を望む>            <太陽に照らされて>

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 しばらくすると、飛び去りましたので、また鴨川沿いを上流に向かって移動していくと、待っていてくれた様にその姿を再び見せてくれました。

 

<カワアイサ着水>                  <飛び立つカワアイサ>

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 残りの一羽も、上流へ移動していたようで、同じく姿を見せてくれました。

<太陽の光を背中から浴びて>           <更に上流に向かうカワアイサ>

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 中州から伸びた草の下には、身を隠すように「マガモ」のオス・メスペアが佇んでいます。中州の草も野鳥にとっては身を隠す場所のようです。

<中州から伸びた草の陰にマガモのペア>

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 また違う場所では、「キセキレイ」が落差工下のブロックのところで、ジャンプを繰り返しています。舞い上がっては同じ場所に戻ってきます。飛んでいる虫をキャッチしているようです。

<水辺のキセキレイ>                <舞い上がり>

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<再び同じ所へ>                   <着水>

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<狙いを定めて>                   <縄跳びの様なジャンプ>

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 しばらくすると、「セグロセキレイ」もやってきて、同じ行動を見せてくれます。キセキレイはセグロセキレイに場所を譲って、少し離れたところで舞い始めました。

<後からセグロセキレイ> <宙を舞う>

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<同じ所へ戻ってくる>

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こうした思いがけない出会いを楽しむ事が出来るのも、鴨川・高野川の持つ魅力のひとつです。これからも、鴨川を散策しながら様々な情報を発信して行きたいと思います。今年が皆様にとってよい1年でありますように願いつつ2016年最初の鴨川真発見記を終えたいと思います。

(京都土木事務所Y)

 

 

 

鴨川源流域雲ヶ畑をさまよう(第217号)

桟敷ヶ岳頂上を目指して

 

鴨川の事を見つめはじめて4年半が過ぎました。鴨川は雲ヶ畑の桟敷ヶ岳から始まるという事は当然知ってはいますが、その桟敷ヶ岳の頂上までは行った事がありませんでした。

 

桟敷ヶ岳へ向かう途中の「足谷」の事は鴨川真発見記でもご紹介しましたが、今回は雲ヶ畑の地元山主さんの案内で桟敷ヶ岳を目指しました。

<この先の桟敷ヶ岳を目指します>

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その前に、雲ヶ畑に伝わる伝説のスポットにご案内頂きました。登山道とは違う道無き山肌の急斜面を這うようにしてそのスポットを目指します。

 

 

 雲ヶ畑の地元のみなさんも聞いた事がある、探して見たが見あたらない。そんなレアなスポットです。今では古老の久保常次さんしか知らないスポットで、御自身が体力的に案内できるうちに後継者に伝える機会をと他の山主さん2名と地元の2名を案内されるということで同行が叶いました。

<登山道ではない入口>               <祖父谷川を渡って山の中へ>

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<前日の雨で水量が多くなった沢>

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 その言い伝えは、惟高親王が鷹狩りをされた時に傷ついた鷹がそのスポットで水浴びをしたところ傷が癒えたというもので、「鷹の水はぎ」と名付けられた場所です。大きな岩の下にほこらの様にできた洞窟で、水が年中絶える事無く湧き出る場所です。

<目指すはこの急斜面の上>

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 道無き急斜面を沢を渡りながら比較的登りやすいルートを探りながら進みます。足元は滑りやすく、やっとの思いで踏み出した一歩が無情にも後ずさりとなるような急な斜面に息が切れ、12月というのに汗が噴き出します。

<沢渡りながら>                    <急斜面を行く>

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<治山堰堤の原形か>                <水飲み場か 石積みの構造物>

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 この急斜面をおよそ40分格闘しながらひたすら登っていくと、大きな岩が見えてきました。その大きな岩の下に穴が見えています。私の頭からはふかした肉まんの様に湯気が立ち上っていると笑われましたが、やっとの思いで到着です。

 

<足の置き場を確認しながら>            <大きな岩が現れました>

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 先に洞窟の中を見るみなさんの「これはすごい」の言葉を聞きながら、息を整えてまだみぬ光景を楽しみに待っていました。

<これはすごい>         <ホントに凄い>

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 ひととおり中を見終えた皆さんの後に中を覗いてみると、滔々と湧き出る水と苔が何とも言えない神秘的な光景をかもし出しています。地元の山主さんでさえ見る事が出来なかった「鷹の水はぎ」が目前にありました。

<岩穴を覗いてみると>      

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<年中かれない水>                  <湧き出る水>

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 山主さんから「鷹の水はぎ」では意味がよくわからないので、何かいい命名してよとご注文がありました。「鷹のいやしみず」とでも命名しましょうか。

 ここまでの道のりの険しさも吹き飛ぶすがすがしさを味わう事ができました。大きな岩の上には大きな木が生えていて、この岩には水分が多く含まれていることがわかります。

<岩の上に生える樹木>

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 しばし休憩をして、桟敷ヶ岳頂上を目指してハイキング道を進みます。先程までの険しい道のりとはうって変わってなだらかで歩きやすい道を進んでいくと、これまた惟高親王にまつわる言い伝えのある「都(みやこ)眺めの石」に到着です。

<登山道を目指して>                 <急斜面を更に登ります>

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京(みやこ)から逃れて雲ヶ畑に身をよせておられた惟高親王が、懐かしんで眺めた京の都をこの石の上から眺めたという石です。残念ながらかすんですっきりとした京は見えませんでしたが、うっすら鴨川も見ることができました。

<みやこ眺めの石>                  <惟高親王の気分>

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<山の彼方に京都の町並み>

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 さらに15分ほど進むと、待望の桟敷ヶ岳頂上に着きました。数人の登山客の皆さんが、眺望をおかずに昼食を取っておられました。

<桟敷ヶ岳頂上を目指して>    <桟敷ヶ岳頂上>

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<桟敷ヶ岳 895.8m>

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<眺望をおかずに昼食>               <しばしの休憩>

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 ここからが、「さまよう」の始まりです。3人の山主さんの案内ですが、山のルートは様々で、どっち行けば次の目的地「3本杉」へ行けるのか半信半疑でとにかく前へ進みます。

 

「おーい、そっちは大森へ抜けるんじゃないか?」の声もあがり、ますます不安がつのりますが、少年時代のあて無き山歩きのようで「わくわく感」も出てきました。

<大森の集落>

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 7人という人数と、山主さんと一緒という事もあって不安よりも「わくわく感」のほうが強くなってきたとき、目指す道が間違っていなかった事を示す案内札がありました。「ナベクロ峠」ほっと一安心です。

<ナベクロ峠>

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そこで久保さんが枯れた大木に大きな猿の腰掛けを発見です。薬効があるとされる猿の腰掛けです。山主さんもこんな大きなものは見た事がないと驚いておられました。

 

<大きな「猿の腰掛け」>

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 祖父谷峠まで15分の案内札に、期待して先を急ぎます。樹齢500年を超えるとされる杉の木が3本ならんでいます。昔京北から牛馬に載せた薪炭を京の都に運んだ最短ルートで、この後雲ヶ畑を通過して京を目指す時、峠の休憩場所だったそうです。この杉に牛馬をつないで一服されたとの事でした。

<祖父谷峠の休憩場所「三本杉」>

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 その傍に、水が湧き出ています。これが源流のわき水かとシャッターを切り、その時出会った登山の方にも「これが鴨川の源流です」とお伝えしたのもつかの間、「源流はこっちですよ」と先にゆく山主さんから声がかかりました。

<今日の源流>          

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 今回は、「今日の源流」ということでひとまず納得して、又の機会に湧き出る源流を見に行くことにして、途中牛馬が歩く為に整備されていた石積みのなごりを確認しながら一路下山しました。

<石積みで整備された道>              <今では崩れている場所も>

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 山主の皆さんも今回の道のりは厳しく、「足やひざが痛い」とおっしゃっていました。2時間程度の行程と見積もって始まった今回の山歩き(さまよい?)は結局5時間近いものとなりましたが、多くの名所を拝見できる貴重な時間となりました。

 

 久保さん夫妻をはじめ、雲ヶ畑の地元のみなさんに感謝して、この報告をさせて頂きます。「本当にありがとうございました」

(京都土木事務所Y)

 

 

 

【追伸】

 記事本文を書いてから、手元にある惟高親王関連の資料を読んでみると、桟敷ヶ岳の名の由来や「みずはぎ」に関する言い伝えの記述を見つけました。

以下にご紹介したいと思います。

 

惟高親王 京都の伝説民話1 

昭和43年3月31日発行

著者 京都府立総合資料館資料部

発行 京都府立総合資料館

京都府立図書館蔵書

 

雲ヶ畑 北区

 

大神家文書 「小野の里」二号

桟敷ヶ岳は、親王がこの頂に桟敷を組んで都を望見され、なつかしがったことからこの名がついたといい、この山の東斜面の、みづはぎの泉は親王が飼っておられた鷹の飲水に供した水羽着の泉であるとか、山頂には親王愛用の鞭が根を生じて出来た竹林があるとか、愛馬を飼った厩の跡があって、そこに財宝が埋められているとか、伝えられる。

 

雲ヶ畑桟敷ヶ岳 なんともロマン溢れる伝説の地でした。

平成27年12月14日(京都土木事務所Y)

 

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