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今日の一句(7月16~31日)

資料紹介コーナー「京都新聞連載『京近江 名所句巡り』に紹介された本たち」

2011年4月1~15日, 4月16~30日, 5月1~15日, 5月16~31日, 6月1~15日, 6月16~30日, 7月1~15日, 7月16~31日, 8月1~15日, 8月16~31日, 9月1~15日, 9月16~30日, 10月1~15日, 10月16~31日, 11月1~15日, 11月16~30日, 12月1~15日, 12月16~30日, 2012年1月1~15日, 1月16~31日, 2月1~15日, 2月16~29日, 3月1~15日, 3月16~31日

深草の少将団扇(うちわ)安ければ 7月16日

「京の小町に買いはやらかす」と俳人去来が歌った深草団扇。深草の伏見街道(京都市伏見区)で売られていた名物だった。歌は「拾遺都名所図会」(外部リンク)が描く団扇屋のにぎわい(外部リンク)に掲げる。小野小町と深草少将の話を踏まえ、安価さや美しい絵入りのデザインが都の女性に受けたことをいう。考案したのは深草に住んだ文人僧の元政と伝える。いま街道に団扇屋はもう見られない。

鉾に乗る人のきほひも都かな 7月17日

十七日は祇園祭山鉾巡行。句は「都名所図会」(外部リンク)が先頭を行く長刀鉾(外部リンク)を描く絵に添えた其角のもの。鉾に乗った囃子方ら祭りの人たちのきおいが確かに伝わってくる。鉾建て以来、山鉾町(京都市中京区・下京区)は観光名所だったが、その豪華なゴブラン織や西陣織などで飾られた鉾や山がくじ取り式で決まった順に、四条通から河原町通を通り御池通へと巡行していく。

あたりさへ涼しかりけり氷室山 7月18日

「まかせし水の凍るのみかは」と「拾遺都名所図会」(外部リンク)が平安後期の藤原公能(きんよし)の歌を添えたのは洛北山中の氷室神社(外部リンク)(京都市北区)。氷を作り額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)に献上したと伝える稲置大山主神(いなぎのおおやまのぬしのかみ)を祀る。「延喜式」に記される氷室のあった地で、冬に池の氷をを貯え、夏に宮中に運んだ。いま近くに氷室遺構が残り、氷室と関係する神社がそろって現存する貴重な史跡になっている。

通り雨かからぬ森やせみの声 7月19日

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)(外部リンク)(京都市東山区)は、通りまで大きく樹冠を広げる神木クスノキがまず目に止る。「花洛名勝図会」(外部リンク)の絵も注連縄を張った木を手前に描き俳人梅室の句を取り合わせる。神社は平安後期、後白河上皇が法住寺殿に紀州熊野の神を勧請して創建、造営には熊野の土砂を運んだ。クスノキも後白河上皇が手植えした神木。境内は樹木が茂り街中の森となっている。

醒井(さめがい)の木陰の清水むすぶとて 7月20日

下句「しばし涼まぬ旅人ぞなき」と「近江名所図会」(外部リンク)が掲げる鴨長明の歌が詠んでいるのは中山道の宿場、醒井(米原市)だ。この宿場の一番の名所は現在も豊かに湧き出る清澄な居醒の清水。街道を歩く旅人にとって泉は何よりの御馳走だろう。しかも日本武尊が伊吹山で大蛇の毒をうけた時、清水で癒したという名水だ。いまも伝説ゆかりの腰掛石や武尊像がある。

聞くたびに頼む心ぞすみまさる 7月21日

「賀茂の社のみたらしの声」と「都名所図会」(外部リンク)下鴨神社(外部リンク)(京都市左京区)の挿絵に掲げた藤原定家の歌。「みたらし」は御手洗川。土用の丑の二十一日から四日間、御手洗祭がある。境内末社の御手洗社の例祭で、水源の御手洗池に足をひたし社殿に灯りを献じ無病息災を祈る。足つけ神事とも呼ばれる。平安時代、貴族の間で行なった罪けがれを祓う禊ぎが起源だという。

千歳ふる小松のもとを住み家にて 7月22日

法然は建永元(一二〇六)年七月、九条兼実の提供による小松谷坊を終のすみかと定めて移り、下句「無量寿仏の迎へをぞ待つ」と歌を詠んだ。そのゆかりの地に移し建てられたのが小松谷正林寺(外部リンク)(京都市東山区)と「都名所図会」(外部リンク)は歌を添え記す。いま門前に旧跡を示す石碑が建ち霊場の一つとなっている。しかし終のすみかにはならず、翌年、法難で四国へ配流となった。

門前の飛閣 高きこと千尺 7月23日

南禅寺(京都市左京区)は鎌倉時代、亀山法皇の離宮の地に無関普門(むかんふもん)、規庵祖円(きあんそえん)によって創建された禅寺。句は「花洛名勝図会」(外部リンク)が三門や法堂(はっとう)の絵に添えた新宮涼庭の絶句(外部リンク)第三句。渡来僧清拙正澄(せいせつしょうちょう)の塔所である塔頭(たっちゅう)聴松院を訪ねた時の詩で、門前に三門が高く建つ地にある。三門は藤堂高虎の寄進になり、歌舞伎で石川五右衛門が「絶景かな」と京都を眺める場面が有名だ。

滝つぼにくだけて涼し蝉の声 7月24日

南禅寺(京都市左京区)を訪ねても、神仙佳境と呼ばれる最勝院やその奥の院駒ケ滝(外部リンク)に参る人は少ない。「花洛名勝図会」(外部リンク)は滝の絵に似水(じすい)の句を添え「瀑布(たき)の流れ烈しくして最奇観」と絶賛する。最勝院は鎌倉中期の高僧道智をまつる寺。道智は南禅寺の開創以前、この地に隠棲し、やがて白馬に乗り天空に隠れたといい、駒大僧正と呼ばれる。のち南禅寺の護法神となった。

清水の滝の三筋の白糸を 7月25日

「吹き来る風ぞより合はせける」と江戸後期の歌人香川景樹(かげき)が詠んだ(外部リンク)清水寺音羽の滝(外部リンク)(京都市東山区)。この滝こそ清水寺開創の根源となった霊泉だ。大和の僧延鎮が川をさかのぼってきて、滝の傍らで修業する行叡(ぎょうえい)居士に出会い庵を任され、のち坂上田村麻呂が訪れ延鎮に帰依して寺院を建立したという。滝は夏も冷たく「花洛名勝図会」(外部リンク)は都の人が避暑する地だと記す。

眺むれば心のそこぞすみまさる 7月26日

「三井の清水にうつる月影」と「東海道名所図会」(外部リンク)が鎌倉後期の僧道珍の歌を掲げ案内する園城寺(大津市)。三井の清水はいま金堂西側に重文の閼伽井屋(あかいや)で覆われる霊泉で、園城寺が三井寺と呼ばれる根源をなす湧水だ。この清水が天智・天武・持統天皇の産湯に用いられたと伝わり、大津宮を造営した天智天皇の孫の大友与多王(おおとものよたおう)が寺を創建し、御井(みい)の寺といわれたのだ。

すずしさや水はなくとも浪の紋 7月27日

日蓮宗本山の本法寺(外部リンク)(京都市上京区)は日親が本阿弥清信の帰依を受け開いた寺。寺地は二転三転し、現在地には秀吉の命で移り、本阿弥家の支援をうけ再建した。いま国名勝の庭園「巴の庭」は芸術家本阿弥光悦の作という。句は「都林泉名勝図会」(外部リンク)の絵に添えた雨龍のもの。枯滝石組が有名で、石の縞模様が水流の紋を表す。その上、斬新な小蓮池が配され一層涼しげだ。

庭の石に目立つる人もなからまし 7月28日

「かどあるさまに立てし置かねば」と西行が詠んだのは大覚寺大沢池(京都市右京区)の庭湖石。大沢池は嵯峨天皇が離宮嵯峨院の造営にあたり中国の洞庭湖を模してつくったという庭園池で、庭湖とも呼ぶ。天神島と菊が島が美しく浮び、その間に趣あるさまに庭石の頭が見えているのが庭湖石だ。「山城名勝志」(外部リンク)は絵師巨勢金岡(こせのかなおか)が建てたものかと西行の歌を添え記す。

むすびつつししが谷間の岩清水 7月29日

「もれずば遠く流れざらまし」とは「花洛名勝図会」(外部リンク)が鹿ケ谷の談合谷(外部リンク)(京都市左京区)に引用した国学者尾古重伴の歌(外部リンク)。平安後期の僧俊寛が山荘で権勢ふるう平家追討の密議を行なった地だ。しかし多田行綱の密告で計画が漏れ鬼界島に流される話は「平家物語」で有名。山荘の位置は明確ではないが、いま山荘跡の石標があり、清水流れる山中に俊寛僧都忠誠之碑が立つ。

清滝川にすすぎつるかな 7月30日

高山寺や神護寺、愛宕山の下を流れる清滝川(京都市右京区)は、青く清らかな水が奇岩を縫っていく景勝地。句は鎌倉中期の公卿近衛兼経の歌「世々を経てにごりにしみしわが心」に続く下句。「菟芸泥赴(つぎねふ)」(外部リンク)はこの歌を引き「愛宕にまうづる人、この河にて垢離(こり)をとれり」と説明する。いまは清流に臨む岸辺で、水遊びに興じ食事を楽しみ、日ごろの心の憂さを晴らす人が多い。

桃盛ったやうにころころ打ちのりて 7月31日

「山はさかしきみちとせを行く」と愛宕神社(京都市右京区)参詣の皿駕籠(さらかご)(外部リンク)の絵に添えた「都名所図会」(外部リンク)の秋里籬島自作の狂歌。三十一日夜から参る千日詣は千日の参詣に匹敵し、三歳までの幼児が参ると一生火難に遭わないといい、親に負われて登る。皿駕籠は乗る所が皿のように竹で編んだ江戸時代の簡単な駕籠。階段また階段の愛宕山の険しき道には重宝だったろう。

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