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京都におけるやきものの歴史は千二百有余年前に遡ります。奈良時代に、僧行基が清閑寺(東山区清閑寺)に窯を築いて土器を製造しており、その遺跡が茶碗坂といわれています。
京焼・清水焼の歴史に欠かせぬ人物に、野々村仁清(にんせい)がいます。丹波の陶工でしたが、入洛後、茶器を作り、錦手の秘法を会得します。それは華麗で優雅な色絵陶器であり、京焼・清水焼のひとつの頂点ともいえるものでした。また、仁清から直接手ほどきを受けた尾形乾山は、装飾性に富んだ絵模様で、独自の意匠性を加えました。
江戸の末期になると、大雅(たいが)、玉堂(ぎょくどう)など、中国の文人画の流れをくむ南画家が数多く出たことが影響し、京焼・清水焼は色絵陶器と奥田頴川(えいせん)によって開発された磁器に中国風土を加味した二つの世界が生まれます。その後、青木木米(もくべい)や仁阿弥道八(どうはち)、永楽保全(えいらくほぜん)などの名工が続き、伝統的な京焼・清水焼の全盛をもたらし、そのまま今日の薫り高い作品に受け継がれています。
成形については手工法、ロクロ法、石膏型による型押し法、流し込み法など、製品によってそれぞれの技法があります。焼成は、従来、京式登り窯によっていましたが、最近では電気釜やガス釜に移行しています。現在、東山地区のみならず山科や宇治市の炭山地区にもその技術が広がり、新しい京焼・清水焼の創造に意欲を燃やしています。
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