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京都府レッドデータブック2015

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自然生態系のアイコン京都府における最終間氷期以降の植生史

京都府立大学大学院生命環境学研究科●高原 光

地球は太陽のまわりを回る公転軌道や地球の自転の周期的変化によって生ずる日射量の変化などの要因によって、およそ10万年の長期間にわたる寒冷な氷期と数万年の比較的短期間で温暖な間氷期を繰り返してきた。図1には過去50万年間の気候変動を示した。この間には、現在の温暖期である完新世を含めて、5回の間氷期が認められている。

特に約40万年前の間氷期(MIS11)は、地球の日射量変化のパターンが完新世に類似しており、現在と同様に温暖であることから注目され、現在の温暖期の状況や将来を類推するための貴重な情報源として研究が進められている(Tzedakisほか 2009など)。

このような氷期・間氷期の気候変動に伴って、植生も大きく変化してきた。また、特に歴史時代以降、人間の影響により植生が改変されてきた。このような植生の変遷を解明するため、有力な手法として花粉分析法がよく使われる。この方法は、堆積物中に保存されている化石花粉を抽出し、その情報から過去の植生を明らかにしようとするものである(高原 2010)。

酸素同位体曲線(Lisiecki and Raymo)に基づく過去50万年間の氷期・間氷期変動 図1 酸素同位体曲線(Lisiecki and Raymo)に基づく過去50万年間の氷期・間氷期変動(高原 2011)
海底堆積物の酸素同位体から寒暖の変化が復元され、海洋酸素同位体ステージ(MIS)として、寒冷な氷期と温暖な間氷期に番号が付けられている

1 植生変遷を記録している重要な泥炭地

京都府内には、花粉分析による植生変遷の研究に適した泥炭地が多く分布している(図2)。それらのうち、氷期・間氷期の長期の植生変遷を記録している重要な泥炭地の概要を以下に示す。

京都府における主な花粉分析地点 図2 京都府における主な花粉分析地点

最も長期間の堆積物が連続して堆積しているのは南丹市八木町神吉盆地である。ここには、約45万年間にわたる主に泥炭からなっている堆積物が認められる。上述のように現在の温暖期と類似した約40万年前の温暖期も含んでおり、日本列島全体からみても、極めて稀で、貴重な堆積物である。この堆積物には多くの火山灰層を含んでおり、日本列島の他の地域との対比が可能である。

その他、最終氷期に達する堆積物には、深泥池(京都市北区)、八丁平湿原(京都市左京区)、大フケ湿原(宮津市上世屋)、蛇ヶ池(南丹市日吉町)、亀岡盆地(亀岡市千歳町)がある。その他、氷期後の完新世の堆積物は各地で認められている。

ここでは、これらの各地点の堆積物の花粉分析から明らかになっている植生変遷に基づき、京都府における植生変遷について述べる。図3には、京都府内の各地における主な花粉分析結果の対比を示した。また、図4には、京都盆地における3万年前以降の植生変遷を模式的に示した。

京都府における主な花粉分析結果の対比 図3 京都府における主な花粉分析結果の対比
*1:高原ほか(2011)、*2:植村・松原(1997)、*3:佐々木・高原(2012)、*4:深泥池団体研究グループ(1976)、中堀(1981)、Sasaki and Takahara(2011)、*5:Takahara ほか(2000)、Hayashi ほか(2009)および未発表データ、*6:高原・竹岡(1986)、*7:高原(1997)、*8:高原ほか(2002)、Sasaki and Takahara(2012)、*9:中村・高原(未発表資料)、*10:高原ほか(1999)および未発表データ、*11:高原・竹岡(1987)、未発表資料、*11:高原(未発表資料)、*13、14:杉山ほか(1986)、*15、16:三好・高原(2010)

京都府における日本海側地域と内陸域の植生変遷 図4 京都府における日本海側地域と内陸域の植生変遷

堆積物の年代を知るには放射性炭素年代測定法が用いられるが、放射性炭素年代測定値と実際の暦年代との間にはずれが生じる。これは、過去から現在まで大気中の放射性炭素(14C)の濃度が一定ではないために起こる。近年、放射性炭素年代を暦年代へ較正することが可能となった。そこで、本稿では、年代は暦年代に較正して示した。

2 最終間氷期における植生

温暖であった約12~13万年前頃の最終間氷期における植生に関する詳細は、京都では、南丹市八木町神吉盆地から採取された堆積物の分析によって詳細に解明することができた(Hayashi ほか 2009)。図5に神吉盆地の堆積物の最終間氷期から3万年前までの花粉分析結果を示した。京都近辺では、琵琶湖(Miyoshiほか 1999、林ほか 2010a、b)や大阪層群と呼ばれる地層においても、この最終間氷期の植生が記録されている。

神吉盆地堆積物の花粉分布図 図5 神吉盆地堆積物の花粉分布図(Hayashiほか 2009をもとに作成)
(各折れ線グラフに重なって表示されているグラフは、低率の出現率をわかりやすくするため、値を5倍して表示している。)

最終間氷期には、植生はカシ類、スギが優勢であったが、カシ類などの常緑広葉樹の花粉出現率は、後氷期(完新世)のそれよりも低い値になっており、現在よりもスギが優勢であった。また、現在の天然分布の北限が屋久島にあるサルスベリ属が認められている。

3 最終氷期における植生変遷

(1)最終氷期初期から中期(約12〜13万年前)

上述の神吉盆地、琵琶湖、若狭湾沿岸の黒田低地堆積物(Takahara and Kitagawa 2000)の花粉分析結果は、最終氷期初期から中期にかけての植生変遷を示している。これらによると、最終氷期初期(10から7万年前)には、スギ、コウヤマキ、ヒノキ科(ヒノキ科については花粉形態から種、属まで同定できない)などの温帯性針葉樹が優占する森林が発達した。さらに、地球規模で寒冷化する7~6万年前(図1のMIS4)には、ツガ属、トウヒ属、マツ属などからなるマツ科針葉樹林が発達し、続いて、ブナ、コナラ亜属などの冷温帯性落葉広葉樹林が6万年前に形成された。

6~3万年前(図1のMIS3)は旧石器時代に対応し、人類が東アジアに拡散した時期でもある。この時代には、神吉盆地ではヒノキ科の樹木が増加し、ツガ属、マツ属、コウヤマキ、スギ、さらに落葉広葉樹のブナやコナラ亜属(ナラ類)を伴い、温帯性針葉樹と落葉広葉樹の多い森林が形成されていた。神吉盆地は内陸に位置しているが、日本海側に位置する丹後半島の大フケ湿原や若狭湾沿岸の黒田低地の花粉分析結果は、この時代、スギが優勢で、ブナやコナラ亜属の比較的多い植生を示している。このように、6~3万年前には、温帯性針葉樹林であったが、内陸部でヒノキ科、日本海側でスギが優占し、いずれの地域においても、落葉広葉樹が比較的多く分布していた。この時代の落葉広葉樹の多い傾向は、本州以南の各地で共通している(Takahara and Hayashi 2015)。

(2)最終氷期後期(約3~1万年前)

南九州の姶良カルデラから噴出した姶良Tn火山灰(AT)が3万年前(Smithほか 2013)に日本列島全土に降灰した後には、気候はさらに寒冷、乾燥化し、2万数千年前には最終氷期最盛期と呼ばれる最も寒冷で乾燥した時期が認められている。また、海水準も低下し、現在よりも100mは低かったと言われている。

この時期の植生は、大フケ湿原(高原ほか 1999)、蛇ヶ池(高原ほか 2002)、深泥池(深泥池団体研究グループ 1976、中堀 1981)、八丁平湿原(高原、竹岡 1986)など堆積物の花粉分析結果によって明らかになっている。図6に大フケ湿原の花粉分析結果を示した。この最終氷期最盛期には、丹後半島の山地、丹波山地から京都盆地まで、モミ属、ツガ属、トウヒ属、マツ属を中心とするマツ科針葉樹林が発達していた。大フケ湿原ではトウヒの針葉が認められている(高原ほか 1999)。また、カバノキ属以外の落葉広葉樹は非常に低率であった。

大フケ湿原堆積物の花粉分布図 図6 大フケ湿原堆積物の花粉分布図(高原ほか 1999を改訂、年代を暦年代で表示)

優勢であったマツ科針葉樹は1万5,000年前には減少し、丹後半島など日本海側地域ではブナが急増し、京都盆地のような内陸ではコナラ亜属が最も優勢となり、各地で落葉広葉樹林が拡がった。

このように、内陸部では、ブナの増加は日本海側ほど著しくなかった。また、スギは1万5,000年前から増加し始めた。

4 後氷期(完新世)における植生変遷

1万5,000年前から日本海側地域ではブナ、内陸域ではコナラ亜属が増加し、約1万年前まで、落葉広葉樹林が発達する。

約13万年間の琵琶湖の堆積物に含まれる微粒炭(微小な炭化片)の分析によると、後氷期の初期に微粒炭が高い値を示している(井上ほか 2001)。また、由良川の大野ダムに近い蛇ヶ池では、後氷期の初期の1万数千年前~7,000年前に微粒炭が増加し、火事の影響でクリを中心とする広葉樹林が形成されたと考えられる(高原ほか 2002)。

同様に京都盆地の深泥池堆積物の微粒炭分析によって、氷河期の終盤である晩氷期および後氷期初期に多量の微小炭化片が認められている(小椋 2002)。この時期に、琵琶湖周辺では、コナラ亜属を中心とする落葉広葉樹が拡がったが、火事が多発し、耐火性のあるカシワが比較的多かったことが明らかにされている(Hayashiほか 2012)。

丹後半島など日本海側地域では、ブナが優勢となった後、1万5,000年前の後氷期のはじめからスギが増加し、1万年前以降には優勢となる(図6)。特に若狭湾沿岸域では、急速にスギが増加し、低地から山地までスギの優勢な森林が発達した。約7,000年前以降には常緑広葉樹が増加するが、日本海側地域におけるスギの優勢は、人間活動の影響が強くなるまで続いた。現在水田が拡がる低地帯では、スギの埋没木が認められ(福井県三方低地(高原、竹岡 1990)、京都府丹後半島乗原など)、このような場所にはスギ林が形成されていたことを示している。

一方、京都盆地などの内陸部では、晩氷期に優勢となったコナラ亜属は10,000年前頃から次第に減少し、9,000~5,000年前の期間に、エノキ、ムクノキ、ケヤキなどの暖温帯性落葉広葉樹が優勢となる。この時代における暖温帯性落葉広葉樹林の増加は、西日本各地で認められている。約7,300年前に、鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)が降灰する。京都盆地ではこのK-Ah降灰以後にアカガシ亜属を中心とした照葉樹林が発達し、これにスギ、ヒノキ科などの温帯性針葉樹が伴う植生が形成された。

約600~700m以上の丹波山地(八丁平湿原、蛇ヶ池など)では、後氷期にブナ、ミズナラを中心とする冷温帯林が形成されたが、上記のように日本海側に近いほどスギが優勢であった。

京都盆地の京都大学構内に位置する北白川追分町遺跡では、縄文時代晩期以降の堆積物が認められ、アカガシ亜属以外にコナラ亜属などの落葉広葉樹、スギ、ヒノキ科型の花粉が比較的多く認められ(佐々木、高原 2012)、カヤ、オニグルミ、トチノキなどの植物遺体が認められている(那須 2012)。さらに、アカガシ亜属、コナラ節、フジ属、オニグルミ、クリ、エノキ、ヒノキなど多様な材や(杉山ほか 2012)、加工痕のあるコナラ節の幹も出土している(村上 2012)。

これらの樹種の分布は、斜面や谷など地形の違いに応じて配置されていたであろうが、常緑広葉樹だけでなく、温帯性針葉樹、落葉広葉樹など多様な樹種からなる植生であったことがうかがえる。また、イネの植物遺体(那須 2012)や植物珪酸体(辻本 2012)も認められている。このように人々が木材を利用し、農耕を始め、植生に影響を与え始めていたと考えられている

5 歴史時代における植生変遷──照葉樹林からマツ林へ

前述の京都府内のほとんどの花粉分析地点において、堆積物の上層部で、マツ属花粉の増加が示されている。このマツ属花粉の増加は、人間活動が活発になり、自然植生を破壊したため主にアカマツが増加したことによるものと考えられている。このマツ属の増加し始める年代は、近畿地方各地で異なっており、山地と京都盆地でも異なっている。

京都府の山間部や北部の丹後半島では、いくつかの地点で、人間活動が植生に与えた影響を解明するための研究が進んでいる。丹後半島の沿岸部では、久美浜湾に面するハス池、離湖、宮津市江尻などで約2,000年前以前から、多くはないがマツ属花粉やイネ科花粉の増加が認められる。丹波山地の蛇ヶ池では、2,500年前には微粒炭が増加し、火事の影響でスギを中心とする森林が落葉広葉樹の二次林へ変化していったことが示されている(Sasaki and Takahara 2010)。

約1,000年前には、マツ属花粉、イネ科花粉が急増し、さらに、多くの地点でソバ属の花粉が連続して認められるようになる。これにともなって、微粒炭が多数検出される。丹後半島の山地では、大フケ湿原周辺や大宮町などの花粉分析(高原ほか 1999、未発表資料)によると、スギが優勢でブナ、コナラ亜属などを伴う森林が、約1,000年前以降にマツ属、コナラ亜属、クリなどの二次林となり、さらにソバの栽培が認められた。この変化が起こる以前から微粒炭が多量に認められ、人によると考えられる火事が度々起こっていたと考えられる。

また、現在、原生林が残る京都大学芦生研究林に位置する長治谷湿原と芦生研究林に接する長池湿原の花粉分析結果は、約600年前から火事が頻繁に起こり、スギを中心とする森林が二次林化していったことを示している(高原 1997および未発表データ)。

京都盆地では、いくつかの遺跡調査に伴う花粉分析資料(植村・松原 1997、パリノ・サーベイ株式会社 1991、1993)によると、古墳時代にはアカガシ亜属やスギなどからなる照葉樹林が認められ、長岡京期から平安時代前期には、アカガシ亜属やスギは減少傾向にあり、マツ属花粉が増加する。平安時代中期にはマツ属花粉が急増し、鎌倉時代末期にはマツ属花粉が最も優勢となる。

上述の深泥池では、連続した堆積物の花粉分析が報告されているが、これまでマツ属の増加する年代は測定されていなかった(深泥池団体研究グループ 1976、中堀 1981)。そこで、深泥池において新たに堆積物を採取し、マツ属花粉が増加し、大きく植生が変化する年代を、種子などの植物遺体を使って放射性炭素年代測定法によって測定した。

その結果、少なくとも京都盆地北部では、次のような森林の変化が認められた(図7)。本来、アカガシ亜属を中心とする照葉樹林が広がっていたが、西暦794年の平安京造営に先だって、7世紀にはアカマツが増加し始めた。11世紀には、照葉樹林はアカマツとコナラ亜属を中心とする二次林へ変化した(Sasaki and Takahara 2011)。

また、京都盆地南部の平等院阿字池の堆積物では、放射性炭素年代によって平安時代初期と考えられる層準から、アカガシ亜属、コナラ亜属、エノキまたはムクノキ、スギ、ヒノキ科型の優勢な花粉組成が得られ、マツ属が増加傾向にあった(高原ほか 2011)。この花粉組成は、平安時代初期には、常緑広葉樹や温帯性針葉樹などからなる植生が優勢であったが、アカマツが増加し始めていたことを示している。

深泥池堆積物の花粉分布図 図7 深泥池堆積物の花粉分布図
(Sasaki and Takahara 2011をもとに作成)

遺跡調査資料も含め、植生変遷を検討した結果、平安時代の直前の7世紀には、これまでの常緑広葉樹やスギは維持されてはいるものの、マツが増え始め、室町時代以降マツは優勢となり、江戸時代中期(AD1700年代)には、圧倒的にマツが優占する植生になったことが示されている(佐々木ほか 2011)。

6 過去50年間の植生景観の変遷──マツ林からシイ林へ

これまで述べたように京都では約1,000年前の平安時代前後に、自然植生から強度に人為の加わったマツ林へと植生が大きく変化した。絵図の解析から小椋(1992など)は、室町後期から江戸時代にかけては、京都盆地周辺の山々は、低木林が多く、ほとんど植生のない禿げ山も珍しくなかったことを指摘している。

丹後半島においても、江戸時代後期に描かれた天橋立の絵図(松川龍椿、島田雅喬らの絵図)に描かれた天橋立周辺の山地は、マツが散在し、草地の拡がる景観が示されている。このような植生は、人々による、木材、燃料、肥料としての森林利用の結果として成立していたものである。

このように人間活動によって長期間維持されてきたアカマツを中心とする植生は、特に過去50年ほどの間に大きく変化し、京都盆地周辺の丘陵地や丹後半島でもシイを中心とする森林が発達してきた。空中写真の解析によって明らかになったこのような植生景観の変化の様子を高原光、奥田賢(2008)にしたがって述べる。用いた空中写真やその解析方法は奥田ほか(2007)、高原、奥田(2008)に示されている。

(1)東山における植生の変化

空中写真の解析によって明らかにした1961年、1975年、1987年、2004年におけるシイの分布域を図8に示した。この図によると、 1961年におけるシイ林の分布は、小椋(1992)が示した昭和初期のシイ林の分布状況から大きく変化していない。現在も大径木が分布している知恩院の東側にはまとまったシイ林分が認められ、東山の山裾には線状にシイが分布している。1975年から1987年にかけて、シイは斜面中腹へと分布を広げ、東山東斜面の山科側においても認められる。

京都市東山におけるシイの分布変遷 図8 京都市東山におけるシイの分布変遷(奥田ほか 2007)

2004年には、シイは調査地北端の粟田神社近辺から南端の清閑寺付近までほぼ連続して分布している。西側斜面では、ほぼ斜面下部から尾根までシイが広がっている。一方、尾根を隔てた東側斜面には、点在する程度ではあるが分布を広げている。2004年におけるシイ分布域の面積は1961年の約4.7倍の32.1haに達した。

1961年と2004年における東山の植生変化を図9aに示した。1961年には、アカマツを主とする植生が森林全体の40%を占め、シイ林は11%であった。2004年には、アカマツの優占する植生はほとんど認められなくなり、シイ林は38%まで増加した。前述のように、現在、このシイ林は西側斜面のほとんどを占めている。

東山(a)、宇治(b)、深泥池・宝ヶ池周辺(c)における近年の植生変化図9 東山(a)、宇治(b)、深泥池・宝ヶ池周辺(c)における近年の植生変化

現地の林内を踏査して調べた結果、東側斜面など高木のシイがない地域でも、低木や実生のシイが広く認められた。このように、高木だけでなく下層植生も含めると調査地域の8割近くで、シイの分布が確認されている。

(2)深泥池、宝ヶ池周辺における植生の変化

京都盆地の北部には、五山の送り火の一つである妙法の送り火が行なわれる丘陵の植生の変化を、1961年と2005年を対比して図9bに示した。1961年には、深泥池、宝ヶ池、妙法周辺では、アカマツが優占する森林がほとんどの地域を占め、樹高の低い林分が多かった。一方、45年後の2005年には、主にリョウブなど低木性の落葉広葉樹林と常緑のソヨゴなどが優占する植生に移行した。

森下、安藤(2002)は、この地域で、松枯れ前後の植生変化を、同様に空中写真によって解析し、前述のような低木性の植生を「松枯れ低質林」と呼び、低木性の広葉樹が優占することによって、長期にわたって林冠層を欠く状態が持続する可能性を指摘している。

(3)宇治市東部における植生の変化

宇治川にかかる宇治橋周辺は、平等院、宇治上神社、興聖寺等の社寺が位置し、京都の代表的な景観の一つでもある。この地域の植生の変化を、1961年と2006年とを対比して図9cに示した。1961年には、特に宇治川周辺域は、スギ、ヒノキの人工林を交えながらも、アカマツが優勢な森林あるいはマツを混生する落葉広葉樹林であった。したがって、宇治橋から上流側をみた景観も、アカマツを中心とした森林の中に社寺があり、宇治川が流れるものであったであろう。45年後の2006年には、アカマツを中心とする植生は約10%であり、アカマツ林は激減した。一方、1961年に小面積であった常緑広葉樹林は、2006年には宇治川にかかる宇治橋南の興聖寺周辺にシイを中心とする常緑広葉樹林が広がっている。

(4)京都盆地周辺におけるマツ林衰退とシイ林分布拡大の要因

人間活動によって長期間維持されてきたアカマツを中心とする植生は、これまで述べてきたように、過去50年間にさらに大きく変化し、近年、京都盆地の縁辺部の丘陵地では、シイを中心とする照葉樹林が発達してきた。このようなシイ林の拡大の要因には大きく二つが指摘されている(奥田ほか 2007)。

1950年代から始まった都市周辺域での急激なプロパンガスの普及(社団法人日本ガス協会 1997)、いわゆる燃料革命によって、これまで都市近郊の森林で行われてきた柴や下草、落葉落枝の採取などの生活資源としての樹木の利用が減少した。その結果、都市近郊の森林では人為の影響が減少し、遷移が進行したと考えられる。

また、シイが急速に分布を拡大したもう一つの原因として、マツ枯れによる影響が挙げられる。京都市周辺では1970年代以降にマツ材線虫病などによるマツ枯れが激化し、多くのアカマツが枯死した(安藤ほか 1998、森下、安藤 2002)。東山の高台寺山国有林においても、1954年から1991年の間に8,885本の被害木が処理されている(大阪営林局・京都営林署 1993)。

このようなアカマツの大量枯死により、それまで下層で生育していたシイが成長し林冠に達したため、シイの樹冠面積が急速に増加したものと考えられる。そのメカニズムも、平山ほか(2011)によって確かめられている。

これまで述べたように、京都盆地周辺の森林は、平安時代以前の常緑広葉樹に落葉広葉樹や温帯性針葉樹の伴う照葉樹林から、人間活動の影響を受け、アカマツ林あるいは低木林状態へと変化し、数百年以上にわたって維持されてきた。しかし、1960年代の燃料革命によって森林へ人手が入らなくなったことと、1970年代以降のマツ材線虫病などによるマツ枯れの激化によって植生遷移が急速に進み、近年、盆地の縁辺部の丘陵地では、シイを中心とする常緑広葉樹林が発達してきた。

植生遷移の観点から、上述の経過を模式的に図10(高原、奥田 2008)に示した。極相林であった照葉樹林は、破壊されると図10のa→b→cのように陽樹林のアカマツ林へと遷移する。アカマツ林はそのまま放置すると、本来、d→eと極相林へと移行していくが、ここで、下層植生が柴として燃料などに利用された。これが常に行われることによって遷移は停止し、アカマツ林が維持される(図10 c→f→c)。1960年代以降、燃料革命によって下層植生の利用がされなくなると、低木層に陰樹であるシイ、カシなどの常緑広葉樹が成長してくる(図10d)。次第にシイなどの常緑広葉樹が大きくなり、遷移が進んでいく。さらにここで、高木層を形成していたアカマツがマツ材線虫病によって大量に枯死すると、低木層にいたシイは成長を早め(図10g)、シイ林が形成された(図10h)。

植生遷移からみた京都における森の変化 図10 植生遷移からみた京都における森の変化(高原、奥田 2008)

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  • 高原光(2010)花粉分析 過去を探るツール 地球環境学事典 400-401 弘文堂
  • 高原光(2011)日本列島とその周辺域における最終氷期以降の植生史 日本列島の三万五千年-人と自然の環境史6 環境史をとらえる技法(湯本貴和編)15-43 文一総合出版
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  • Tzedakis P. C, Raynaud D, McManus J. F, Berger A, Brovkin V. and Kiefer T (2009) Interglacial Diversity Nature Geoscience 2: 751-755
  • 植村善博、松原久(1997)長岡京域低地部における完新世の古環境復元 歴史地理学と地籍図(桑原公徳編) ナカニシヤ出版 211-221

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