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京都府レッドデータブック2015

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地形のロゴマーク地形の概要

京都府の位置

京都府は北西-南西方向に細長い長方形状の範囲をもつ。その北端経ヶ岬と南端名張川中流部との南北直線距離は約150km、また東西幅は平均約40kmに達する。図1に近畿中北部の地形を示す。北は日本海に面し南部は大和高原に至る本府の範囲は、西南日本弧断面の北半分を占める。この島弧系は紀伊半島沖の南海トラフからフィリピン海プレートが年約4cmの速度で西北西方向に沈み込む収束境界を形成する。その主たる構成物は北から南へ舞鶴帯、丹波帯、秩父帯、四万十帯などを構成する地層で、古生代から新第三紀にわたって海溝から陸棚斜面に堆積した海成堆積物からなる。それらが多数の逆断層によってナップパイルとして付加されたものである。また、丹波帯の南部には白亜紀の花崗岩や片麻岩類が広く分布する。地質構造はトラフに平行な北東-南西方向の帯状配列を示し、プレートの斜め沈み込みによる横ずれせん断応力は主に中央構造線の右ずれ運動によって解消されている。

一方、西南日本弧東部は明瞭な火山フロントや活火山を欠くこと、深発地震面も長さ約150km、深度60kmまでしか見られないこと、第三紀以前の基盤岩類の分布がひろく、被覆層は薄くかつ局地的であることなどの特異性を有する。これはフィリピン海プレートの年代が約3,000万年前と若くて熱いこと、5~6Ma頃にスラブが切断されその後沈み込みを再開したことなどに起因する。また、現地形の骨格の大部分は第四紀の地殻変動によって形成され、その後の侵食・堆積作用によって修飾・変形をうけたものとする考えが広く受け入れられている。

京都府は中緯度温帯湿潤帯に位置し、日本海岸域では冬期の多雨・多雪、京都市付近は瀬戸内気候の影響で少雨、丹波地区は寒暖の激しい内陸気候の特徴を示す。また、河川は由良川水系を代表とし日本海に流入する北部水系と、桂川水系をはじめ宇治川や木津川などと合流して大阪湾から太平洋に流入する南部水系とに二分される。

図1 近畿地方中北部の地形(等高線は100m間隔)
太実線は顕著な活断層(5㎞方眼による接峰面、植村原図)

地形区の設定

本府の地形は多くの地質帯や活断層区、気候区や水系域を包含しているため、複雑で変化に富んだものとなっている。地形の特徴を述べるに際し、地形の性質や形成過程を共有するいくつかの地形区に区分し、地形区ごとに記載するのが合理的と考える。図2は町田、水山(1973)を参考にして新たに作成した京都府の地形区分図である。ここでは北から南へ、(1)丹後区、(2)宮福区、(3)丹波区、(4)山城区、(5)笠置区の5大地形区に分け、それらをさらに細分して表1のごとく12の地形区を認定した。各地形区の境界線は北東-南西方向を持ち、地質境界または断層線にほぼ一致する点で注目される。これは島弧の一般方向および南海トラフの長軸とも平行である点で重要であろう。


図2 京都府の地形区分図(植村原図)


表1 京都府の地形区名

地形区ごとの特徴

つぎに、表1の地形区ごとにその概略をのべる。図3は京都府を中心とした接峰面(等高線間隔は100m、2km以下の谷を埋積)と主要水系を示したものである。

図3 京都府を中心とした接峰面と水系(等高線は100m間隔、植村原図)

(1)丹後区

丹後半島および網野・峰山・久美浜地域を含み、東北東方向の長方形をなす。三辺が日本海に面し、南縁は山田断層帯により限られる。本地区の山地や低地は南北方向に配列しており、竹野川河谷によって東西に二分される。

丹後半島区(1-a):半島部を中心とし、北東・北西方向の海岸線で限られる長方形の地塊を形成する。地質の大部分は第三紀中新-鮮新世の北但層群からなる。山地は高度500~600mに著しい定高性をもち、その分布は東西両側を断層によって限られた断層地塊にほぼ一致する(多田1928)。この小起伏面を高位小起伏面とよぶ。そこから汐霧山(624m)、角突山(629m)、太鼓山(683m)、権現山(601m)、岳山(451m)などの高峰が南北線上に並んで突出している。また、この山塊周辺を取り巻く高度200~300m程度の小起伏面が認められる。この低位小起伏面は侵食抵抗性の低い第三紀層や花崗岩の分布地域に広く見られる。峰山-網野地域に分布する高度100~200m程度の花崗岩丘陵面はこの低位面が著しく剥離低下した結果であろう。本地域では2回の小起伏侵食面の形成期があったと考えられる。

本地区に特徴的な地形として地すべりの発達が指摘される。これは全域的に分布するが、京丹後市弥栄町味土野や等楽寺地区、京丹後市丹後町宇川地区、伊根町菅野本庄地区、宮津市日ケ谷地区に集中的に発生している。なかでも最大規模のものは、宮津市上世屋および木子地区の地すべり群である。周知のように、地すべり地は山間地における数少ない平坦地を提供し、かつ土壌が肥沃で水利にも恵まれ、半島部の重要な生活空間として多くの隔絶山村集落が立地してきた。宮津市域の地すべりについてみると、前述の高位および低位小起伏面の末端付近に形成されており、傾斜した泥岩層がすべり面となっている場合が多い。この発生機構として、侵食基準面の低下により、河谷が谷を深く侵食するようになって斜面の重力的不安定が大きくなったこと、谷頭部が前進して開析(侵食)前線が小起伏面の末端にまで達したことが重要な要因とみなされる。

北岸には海成段丘が連続的に発達する。本地区では上位Ⅰ、Ⅱ、中位、下位の4面が識別され、それぞれに海成砂層または海浜礫層を伴っている。とくに、分布の広い中位面は最終間氷期の最大海進(MIS5e、約13万年前)に対応して形成されたと考えられ、連続的に追跡される。その旧汀線高度は経ケ岬で38m、中浜28m、間人25mから網野周辺で10m程度まで低下し、東高西低の傾動変形を受けている(植村1981)。また上位Ⅱ面や下位面も同様の傾動を受けており、累積的変位が認められる。 

北丹後区(1-b):竹野川以西の地区では、網野―峰山低地および久美浜低地が南北方向に分布し、その間を山地が隔てている。山地高度は南端に最高部をもち、北へ徐々に低下していく。このことは本地区が南高北低の傾動地塊を形成しているとみなせる。南端には山田断層系による急峻な断層崖が形成されており、その崖頂に磯砂山(661m)、高竜寺ケ岳(697m)、法沢山(644m)などの定高性をもつ尾根が東北東方向に連なる。これらは白亜紀末期の花崗岩から構成される。網野低地は離湖や浅茂川湖(干拓で消滅)、久美浜低地は久美浜湾などのラグーンと海岸低地を抱いており、その前面に砂洲や砂丘を形成している。砂丘構成層は古砂丘、旧砂丘、新砂丘に区別される(角田1982)。しかし、海岸には中位面相当の海成段丘が発達しており、相対的には全域が隆起傾向にある。また、旧汀線高度は山地部で曲隆、低地部で曲降変位を受け、地形と調和的な変形を示す。本地区の東縁には北北西走向の郷村断層と仲禅寺断層が並走する。前者は、1927年北丹後地震(M=7.2)に伴って地震断層が出現したことで著名である。地震時の変位は左ずれが約1.5~3m、西上がりは約0.5m程度で、横ずれ成分が卓越していた(Yamasaki and Tada 1927、渡辺、佐藤1928)。トレンチ調査などにより、本断層の活動周期は約8,000~1万年程度と推定される。左ずれオフセットの変位地形は100m程度で、約30万年間の断層変位の累積で形成されることから、現在の断層運動が約30万年前から開始されたことを示す。

(2)宮福区

本区は北東-南西方向に延びる山列および複雑に入り組んだ水系の発達により特徴づけられる。この北西縁は山田断層と野田川河谷により、南東縁は上林川断層と上林川河谷によって限られる。また、海岸部は宮津湾から舞鶴湾、大浦半島西部までの間を占める。本地区の大部分は舞鶴帯の分布域と一致し、その地質構造の一般走向と山列および水系の方向が一致する。これは断層線谷やホグバックなどの組織地形が発達していることを示す。

由良川河谷から舞鶴湾の長軸を結ぶ線によって東西に二分される。

大江山区(2-a):大江山連峰を中心に北東―南西方向にのびる山塊を形成する。北東端は大浦半島北部で、空山(549m)などを中心とする高原状の山塊が分布する。舞鶴湾を隔てて南西方には、由良ケ岳(640m)から杉山(697m)、鍋塚(763m)、千丈岳(832m)、そして赤石ケ岳(736m)へと続く延長約15kmの大江山連峰が発達している。この大部分は古生代前期の海洋地殻の構成物である超塩基性岩類からなり、蛇紋岩に変質している部分が多い。山頂高度は600~700mに定高性をもつが、断裂が多く浸透性に富む岩質であることから、谷の少ないなだらかな山容を呈する特徴をもつ。さらに南西へ天ケ峰(632m)や三岳山(839m)、夜久野町の居母山(730m)や深山(780m)など高度600~700mの山峰群が東西方向に配列している。本地区では低地の占める割合は小さく、侵食域が圧倒的に卓越している。海岸線は屈曲に富むリアス式の特徴をもち、海成段丘が分布しないことから、この部分は安定または幾分沈降傾向を示すと見られる。なお、舞福区との境界部に青葉山の第三紀火山、田倉山の第四紀火山体が形成されていることは注目される。

舞福区(2-b):由良川以東の地区では、北東-南西方向に3列の山地が並走する。山地は谷によって開析、分断化が進み、幅広い埋積性の谷が入り組んで分布する。また、舞鶴湾の複雑なリアス海岸や低平な沖積低地、福知山盆地や竹田川流域の低地帯の分布などから、本地域が沈降傾向にあると推定される。かつて侵食の卓越していた本地区は、第四紀中期以降に沈降域に転じ第四紀層による埋積が進んで現在に至っていることを示す。福知山や綾部の盆地周辺には広大な河成の台地が分布し、長田野面や以久田野面に代表される顕著な堆積段丘面が発達している。これらの構成層は約20~50万年前にわたる湖・河成層であり、この段丘面(H面)の離水は約18~20万年前ころと推定される(藤田、福間1986、植村2001)。また、離水の原因は海面変化とは関連せず、流路変更による基準面の低下が重視されている。また、H(長田野)面期まで由良川は福知山から竹田川の河谷を南流して加古川に流れ込んでいたことがわかっている(岡田、高橋1969)。

(3)丹波区

府の中央部に最も広い面積を占める山地域で、丹波高地と通称される地域にあたる。本地区は綾部から由良川中流河谷、胡麻をへて桂川沿いに亀岡盆地、西山山塊の東縁を結ぶ線により東西に二分される。この境界はほぼ三峠断層系の分布と一致し、丹波高地の山頂高度はこれを境に西側が約200~300m程度低下している。また、これに沿って須知、園部、亀岡、越畑などの山間盆地が配列する点も注目される。

若丹地区(3-a):由良川および桂川の二大水系の上流域にあたる。山地は塊状をなし、その高度は東部で800~900m、西部では500~600mと低くなって東高西低の分布を示す。その東縁は花折断層により比良・比叡山地と分離される。また、両河川ともに東から西に流下する必従的流路をとることから、東から西へ傾きつつ隆起した傾動地塊とみなされる。水山(1956)は山頂地形の分析から800m面と500m面(周山付近に分布)を識別し、両者は撓曲によって高度分化したものと考えた。しかし、500m面が桂川流域に入り込んで分布し、上古下新の関係にあるとみることも可能であろう。主な河川沿いに分布する河岸段丘について水山(1965)は全域の分布と対比を行い、植村(2001)はテフラや植物・花粉化石などからその形成年代を推定した。それによると、離水の年代はHT(最高位)面で約40万年前、H(高位)で約18~20万年前とされ、その発生要因として流路変更に伴う局地的侵食基準面の低下が重要と考えられた。

摂丹地区(3-b):この地区は丹波高地の西部にあたり、東西に並走する四列の稜線部が存在する。北から、といし山(536m)―三峠山(668m)―親不知(605m)の列、美女山(483m)―櫃ケ嶽(582m)―八ケ尾山(677m)―小金ケ嶽(725m)の列、半国山(774m)―深山(790m)―弥十郎ケ嶽(715m)の列、そしてポンポン山(678m)―湯谷ケ岳(622m)―妙見山(660m)へつづく山列である。また、これらの間に挟み込まれた低地帯として、須知から春日、亀岡から篠山、田能から別院、倉垣、宿野へつづく三列が認められる。東西性の山陵部は開析が進み、岩質の影響による差別侵食地形も見られるが、いずれも高度500~600mに定高性尾根を発達させている。また、低地帯には埋積性の幅広い谷底低地が入り組んで分布しており、一部は段丘化している。このような地形的特徴は、波長約15km程度の東西性基盤褶曲によって地形骨格が形成された可能性を推定させる。一方、南丹市日吉町胡麻には由良川および桂川両水系の大規模な谷中分水界が存在する。両者の流路変更については、上治(1927)や水山(1965)により論じられてきた。現在では、かつて園部川を含む桂川水系が北流して由良川に合流していたことが確実になっている(図4)。また、桂川水系の北流から南流への転換は20~40万年前の間に生じたもので、流路変更の要因として亀岡および殿田両断層による北東側の隆起と亀岡盆地の沈降という地形対立の強化が重視されている(植村2001)。三峠活断層系は三峠断層、殿田断層、神吉越畑断層、亀岡断層などが並走する幅約5kmの大規模な断層帯を形成する。これらは一般に北西~南北走向をとり、北東側の隆起と左ずれをもつ点で共通の変位様式をもち、活動度はB級中~下位である。殿田断層のトレンチ調査では、約1.1万年間に3回の活動が生じ、その平均活動周期は約3,750年、最新活動はA.D.100~B.C.395の間に生じたことが示された(植村ほか2000)。

図4 桂川および由良川の段丘面とその投影断面(N40°方向に投影、植村2001)

(4)山城区

本区では東部に比叡―醍醐山地が南北方向に発達し、その西側に京都盆地と南山城盆地が南北に連続している。本地区では地形の主方向は南北配列となり、丹波、丹後地区とは大きく異なる。また、地形境界は南北性活断層によって限られている。

比叡・醍醐山地区(4-a):東西幅約5km、南北約30kmの細長い地塁山地を形成する。丹波高地や京都盆地とは花折断層系によって切り離され、その東縁は近江盆地に接する。大津市途中付近の凹地により比良山地と分けられ、大尾山(681m)、水出山(794m)そして比叡山(848m)へ続き、山科盆地の北縁で終わる。一方、醍醐山地は大文字山(466m)の南方で東へ約3km齟齬して南北にのびていく。音羽山(593m)から千頭岳(602m)、喜撰山(461m)、宇治川の先行谷をはさんで大峰山(506m)に至り、郷ノ口低地で終わる。両山地とも定高性の著しい山頂が分布し、その平均高度は前者で600~700m、後者で500~600m程度である。また、比叡山―大文字山間には白川花崗岩類からなる小起伏山地が分布し、高度350m付近に稜線高度が揃っている。花折断層は北北東走向で、右ずれ変位が卓越する活断層であり、吉田山はその末端膨隆丘として形成された(吉岡1986)。また、この断層活動によって比叡山地は大阪層群堆積末期の30~40万年前以降に本格的に隆起した。

京都盆地区(4-b):本盆地は南北約15km、東西約7kmの内陸盆地で、桂川および鴨川水系によって涵養されている。東西両縁は花折断層系および西山断層系の活動による断層崖が発達し、活断層の活動によって形成された陥没盆地をなす。東部には、そのミニチュアというべき山科盆地が発達している。北縁では丹波高地の山地斜面と低地とが入り組んだ境界をなし、曲降運動が卓越していることを示す。盆地底の西半部(ほぼ大宮通以西)では低位および高位段丘面、東半部は完新世の扇状地面からなり、離水は南東に向かって進行してきた(石田1995)。扇状地面は平均0.7 %の勾配で北から南へ低下し、十条通以南で後背湿地へ移行し旧巨椋池周辺の低湿地帯へ続いていく。本盆地の沈降は中南部で約110万年前頃に断層を伴う曲降によってはじまり、低地内に大阪層群が堆積した。これは少なくとも6枚の海成粘土層を挟む。約60万年前頃から断層運動に伴う山地の隆起が顕著になり、大阪層群は約50万年前に離水して侵食を受けた。一方、堆積域は南から北へ移動したことを示し、北部での大阪層群の離水は約30万年前頃と推定される。ここでは30m以上の堆積物をもつ高位段丘層を構成し、その堆積面が鷹峯や吉田山の台地として保存されている。

山城盆地区(4-c):木津川水系に属する低地帯で、木津川河谷と東西両側に分布する丘陵域を含む。木津川は木津川市木津町泉大橋付近から低地へ出、流路を90°変えて北流する。ここから旧巨椋池付近まで南北に約15km、幅2~3kmの細長い河谷低地を発達させる。東西両岸には、小規模ながら河岸段丘が連続的に分布する(図5)。一方、木津川とその支流には風化した花崗岩類や大阪層群の分布域が広く、古代より開発が進み森林の伐採や火入れなどによる山地荒廃が進んだことから、運搬土砂量が極めて多い。このため、ほとんどの河川が天井川化しており、破堤や内水による水害を繰り返してきた(日下1968)。また、木津川は大量の運搬土砂をもち、低地は島畑景観が展開する砂質平野を形成する。破堤や旧流路を示す自然堤防や大規模な砂堆地形の発達が著しい。

(5)笠置区

府最南部の南山城域で、和束谷および木津川谷によって北から鷲峰山地塊、信楽高原西部、大和高原北部に分けられる。本地区は領家帯の花崗岩や片麻岩類よりなり、高原状地形と樹枝状谷の発達が著しい。とくに、高度300~400mに定高性の著しい侵食小起伏面が発達し、全体として南から北へ低下していく。これら山地はいずれも山塊南縁に逆断層をもち、北への傾動地塊を形成する点で共通している。また、山砂利層の分布が最初に指摘された地域でもあり、現在では中新統の砂礫層、古琵琶湖層群下部の砂礫層、大阪層群下部の砂礫層が識別されている。特に、約300万年前頃の砂礫層が小起伏面上に広く分布しており、古山城川の古地理変遷が明らかにされている(飯田1980)。当時琵琶湖域は侵食域であり、そこから南流する河川があったこと、本地区はかなり低起伏状態で、地塊運動によるブロック化はまだ発生していなかったことを示す。その後、この河川は120~200万年前頃に郷ノ口水道から宇治丘陵方面に砂礫層を運搬堆積するようになり、さらに100万年前以降に現宇治川へと転移していったことがわかっている。この流路の北遷は北傾斜の傾動運動の進行と調和的である。

執筆者 植村善博

文献

◎福間敏夫、藤田和夫(1986)福知山盆地の中部更新統 第四紀研究 24 263–281
◎飯田義正(1980)信楽高原の古地理学的研究――大福礫層により復原される鮮新世の河谷について 地質雑 86 741–753
◎池田碩、植村善博(1980)南山城 木津川流域の段丘地形 奈良大紀要 9 75–85
◎石田志朗(1995)自然をうまく利用した都市づくり京都 「日本の自然 地域編 6 近畿」 36–52 岩波書店
◎日下雅義(1968)山城盆地南部における内水災害 地理評 41 505–519
◎町田貞、水山高幸(1973)京都府の地形区分図「日本地誌 14 京都府 兵庫県」 16 二宮書店
◎水山高幸(1956)尾根起伏の計測による丹波山地の面の吟味 京都学芸大学報 A9 27–38
◎水山高幸(1965)丹波山地の河岸段丘の分布図の作成 京都学芸大学報 A25 167–186
◎岡田篤正、高橋健一(1969)由良川の大規模な流路変遷 地学雑 78 19–37
◎岡田篤正、東郷正美編(2000)近畿の活断層 東京大学出版会
◎角田清美(1982)奥丹後半島の海岸砂丘地の地形 砂丘研究 29 32–44
◎多田文男(1928)奥丹後半島の地形発達史 地震研彙報 5 111–121
◎上治寅次郎(1927)丹波胡麻郷付近の分水界の地貌 地理教育 V 435–439
◎植村善博(1981)丹後半島の海岸段丘――特に旧汀線高度を中心として 「地表空間の組織」 古今書院 430-437
◎植村善博ほか4名(2000)三峠活断層系 殿田断層世木林地区のトレンチ調査と最近の活動履歴 地学雑 109 73–86
◎植村善博(2001)「比較変動地形論――プレート境界域の地形と第四紀地殻変動」古今書院
◎植村善博編(2010)京丹後市久美浜湾の古環境と形成過程 京丹後市教育委員会 143p.
◎山内一彦(2002)大堰川・由良川上流部における河川争奪とその原因 立命館地理学 14 17-35
◎Yamasaki,N. and Tada,F.(1927)The Oku-Tango Earthquake of 1927,地震研彙報 4 159–177
◎吉岡敏和(1986)花折断層の変位地形 地理評 59 191–204
◎渡辺久吉、佐藤才止(1928)丹後震災調査報告 地質調査所報告 100 1–102

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