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北山林業の関連歴史・年表

北山杉は応永年間(1394年から1427年)頃からつくり始めたといわれ、現在に至るまで深い歴史をもっています。
ここでは、北山林業に関係する歴史を年表にまとめ紹介しています。

江戸時代以前

大和時代

四世紀後期 弓月君、120件の人民を率いて来朝(秦氏渡来伝承)
五世紀後期 秦氏、葛野の大堰を造る。
六から七世紀 秦氏、葛野川流域開発、嵯峨・桂・梅津の辺りに本拠をおく。
大宝二年(702年) 山背区に、8郡に分割。(大宝令)葛野郡城画定される。

奈良時代

延暦三年(784年) 長岡京に遷都。都城築営に秦氏奉仕する。

平安時代

延暦十三年(794年) 平安京に遷都。都城築営に秦氏奉仕する。
天長元年(824年) 神護寺を和気仲世が河内より移建。
仁和四年(888年) 御室仁和寺、建立。中河村、仁和寺領の荘園と推定。
中河村と梅ヶ畑四ヶ村とで梅ヶ畑郷を構成す。
仁安元年(1166年) 神護寺復興される。(文覚上人)

鎌倉時代

(1192年から1300年) 中河から鷹ヶ峯の京道街道が開かれる。
承久元年(1219年) 仁和寺と神護寺で争い、中河荘、神護寺荘園となる。

南北朝時代

中末期(1330年から1390年) 中河村で杉の植林始まると推定される。

室町時代

初期(1393年から1454年) 台杉仕立中河村で始まると推定される。
応永年間(1394年から1427年) 台杉作り山国より始まると推定される。
茶の湯・挿花流行する。
応仁元から文明九年(1467年から1477年) 応仁の乱が起きる。
永正年間(1504年から1520年) 中川八幡宮神宝、永正年代に火災。
永正七年(1510年) 西芳寺湘南亭、建つ。
天文年間(1532年から1555年) 村田珠光、茶道を確立。
天文八年(1540年) 中河村宗蓮社、創建。
天文九年(1541年) 四ヶ郷梅ヶ畑地下人宛、御綸旨賜る。

安土・桃山時代

永禄年間(1558年から1569年) 千宗易(利休)草庵を茶道の究極とする。大徳寺黄梅院昨夢軒、建つ。
永禄十二年(1569年) 中河村納「く路木」受領の御綸旨賜る。
天正年間(1573年から1591年) 千利休、北山丸太の一部伐採権を持っていたとの記録あり。
天正元年(1573年) 中河村供御人、諸果役免除の御綸旨賜る。
天正十年(1582年) 妙喜庵の待庵、建つ。(千利休作)
天正十二年(1584年) 中河村、宗蓮寺創建。
天正十五年(1587年) 豊臣秀吉、北野の大茶会を開く。
慶長年間(1596年から1614年) 島原角屋、創建(六条三筋町)、高桐院、建立(千利休邸の古在使用)
慶長三年(1598年) 醍醐寺三宝院・書院、建立。

江戸時代

慶長五年(1600年) 古今伝授の間(現水前寺公園内)建つ。(推定)
慶長五から慶長十九年(1600年から1614年) 西芳寺湘南亭、千少庵により再興。
慶長六年(1601年) 中河村は、神護寺領より西明寺領となる。
中河村戸数52戸の記録。年貢「三捨五石四斗七升五号六勺余」
慶長七年(1602年) 西明寺再興。(明忍律師)
慶長十一年(1606年) 角倉了以、大堰川の水路改良の開削完成。
大徳寺龍光院密庵席、建つ。面皮柱(節物)使用
慶長十六年(1611年) 角倉了以、高瀬川の開削工事開始。
慶長十九年(1614年) 元仙洞御所、現伏見稲荷の御茶屋建つ。(推定)高瀬川の開削工事完了。
元和四年(1618年) 有楽苑「如庵」、建立。(現犬山城下)
元和六年(1620年) 桂離宮古書院、庭園の一部等第一期工事着手
寛永元年(1624年) 桂離宮古書院、建つ。第一期工事完成。
寛永五年(1628年) 大徳寺高桐院茶室松向軒、建つ。
寛永十四年(1637年) 鹿苑寺夕佳亭、建つ。(推定)
寛永十八年(1641年) 修学院離宮造営。三棟の御茶屋建つ。島原角屋、現在地に移築。
長押、面皮柱、並丸太、タルキ、桁、霧除等使用。
一乗寺詩仙堂、建立。
寛永十九年(1642年) 桂離宮中書院、建つ。
寛永十九から寛保三年(1643年から1742年) 栗林公園、掬月亭建つ。
寛永二十年(1643年) 大徳寺、孤蓬庵直入軒、山雲床建つ。
正保五年(1648年) 裏千家今日庵建つ。
明暦二年(1656年) 曼殊院、洛中より現在地に移築。八窓軒、建つ。「黄昏の間」の床柱に磨丸太(節物)使用。
万治二年(1659年) 修学院離宮、建つ。
寛文元年(1661年) 京都大火、禁裏上皇御所炎上。
寛文三年(1663年) 桂離宮新御殿、建つ。
寛文十年(1671年) 吉野洗丸太を初めて製造。
寛文年間(1661年から1672年) 中河村火災、八幡宮社殿類焼。
延宝元年(1673年) 京都大火、皇居などが炎上する。
延宝五年(1677年) ダンゴ付挿木、福岡伊右衛門持山に、本白杉の挿木苗若干植裁。
元禄元年(1688年) 北山丸太の名が知られ、各地に出荷する。
宝永元年(1704年) 中河村の戸数111戸、人口475人の記録。
宝永五年(1708年) 京都大火、中心部がほとんど焼失する。
享保年間(1716年から1735年) 中河村、株仲間の制度成立。
享保三年(1719年) 山国村、人工植林を行う。(山国村所蔵文書)
享保十七年(1732年) 嵯峨・梅津・桂の材木商、三ヶ所株仲間結成。
この頃、鷹ヶ峰の材木商仲間組を作る。
寛政(1789年から1800年)年間当時、13軒
安永六年(1778年) 春正月綸旨再改の記録残る。
天明年間(1781年から1788年) 島原角屋、改築。
寛政三年(1791年) 山城国土産名物として「北山丸太」の名が現る。(都名所図絵)

明治時代

文化年間(1804年から1818年) 大坂材木商仲間組の取引文書、このころより多数残る。
文化七年(1810年) 8月23日、「御綸旨再改之覚」あり。尚諸果役免除特権持続。
文化九年(1812年) 「今出川御役所」城州葛野郡中河村の文書に240年に渡る朝廷の保護を受け村人大いに誇りとしていたとあり。
安政四年(1857年) この頃、中河村の生産業者と大坂材木問屋との直取引始まる。
明治元年(1868年) 中河村の人口535人内男258人、女277人。
中西又助氏北山で初めてスギの実生栽培を行った。
「台杉」の呼称は明治以降のこと。
明治二年(1869年) 「中河村」以外に「中川村」の名称が用いられ始める。 
明治四年(1871年) 廃仏毀釈により神仏分離が行われた、寺社領の廃止。
明治八年(1875年) 「杉細円材1万3千本、戸数108戸、人口545人の記録。
明治十四年(1881年) 中川・小野郷地区の材木(杉)年間生産2万5千8百本の記録。
明治二十年(1887年) 周山街道起工始まる。
明治二十二年(1889年) 町村制施行により「中川村」と改め、独立する。
明治二十六年(1893年) 楳田市兵衛氏、立木丸太買取り、中に天然出絞1本あり、天然絞の挿穂に成功する。
明治二十七年(1894年) 5月20日、中川村の大火73戸消失する。
明治三十二年(1889年) 日下部大助氏「白杉北山丸太撫養法」を刊行。
吉野緒川村より磨丸太の製法と枝打技術の修得に来る。
明治三十五年(1902年) 府道周山街道(現国道162号線)開通 これにより北山丸太等は大八車や牛馬車によって搬出始まる。
中川村、下流側より出火、13三戸消失。
明治四十年(1907年) この頃、周山街道の清滝川沿い二間巾車道開通。
明治四十一年(1908年) 中川尋常小学校建築に着工、中川八幡宮の境内の一部を敷地として提供。
火災を免れた中川八幡宮境内の本白杉二本のうち一本伐採する。
明治四十二年(1909年) 「京都府山林誌」山林会より発刊される。

大正時代

大正三年(1914年) 即位大礼の用材、北山丸太626本納入。
大正四年(1915年) 即位大礼行われる。
大正五年(1916年) 「楳田出シボ」挿木による人工増殖、初出荷する。
立命館大学創立者中川小十郎氏、中川村役場に来所、同家28代前に中河で杉の植林をした記録が保存されていると告げる。
大正七年(1918年) 北山丸太商組合設立。
「落合出シボ」中田氏、自家伐採する。
大正十年(1921年) 中川村に電灯がつく。
大正十一年(1922年) 新谷栄太郎氏、吉野の細川氏同時に人造絞を始める。
大正十三年(1924年) 中川村役場に電話架設。新谷氏、人造絞4本のみ販売、207円也。
大正十五年(1926年) 「竹と台杉」京都府山林会より発刊される。

昭和時代

昭和元年(1926年) 貨物自動車の運送(山石運送)が営業開始。丸太生産の搬出始まる。
この頃、北山丸太の年間生産約3万本。
昭和三年(1928年) 8月、今上天皇御大礼による由基、主基殿用の黒木丸太500本納入。
昭和十年(1935年) 雪害発生。電話開通8軒加入。
6月29日、中川村の大水害、新築の役場、尋常高等小学校共、竣工式の前日流失しさらに重要記録のほとんど流失した。
「本白杉」75本立状の老齢台杉流失す。
昭和十二年(1937年) 周山街道に省営バス(現JR)運行し、従来の民営バスを買収 当時北山丸太の生産年間約5万本。
昭和十三年(1938年) 7月5日、中川村再度大水害、学校の講堂、民家2戸流失 床下浸水多数。
昭和十四年(1939年) 「用材生産統制規則」施行 銘木は除外。
昭和十五年(1940年) 「奢移品等製造販売制限期制」(七・七禁令)施行「協定価格」決定。
昭和十六年(1941年) 「木材統制法」発令 地方木材会社設立 太平洋戦争勃発。
昭和十七年(1942年) 「企業整備令」公布 統制機関「中川村森林組合設立北山丸太商組合廃止。北山丸太の「協定価格」制定、全面統制となる。
昭和十八年(1943年) 北山丸太の「公定価格」制定。
昭和二十年(1945年) 第二次世界大戦終結。
昭和二十年(1946年) 「木材需給統制規則」施行。(戦後統制継続)銘木類は自主統制となる。「京都府北山丸太生産組合」設立。組合員48名
昭和二十二年(1947年) 「京都府銘木林産組合」設立。「北山共栄会」結成、北山丸太の公定価格の改正。「全国銘木協会」が結成され加入する。
昭和二十三年(1948年) 銘木類の公定価格制撤廃。中川村京都市に編入、上京区中川北山町と改称。
昭和二十四年(1949年) 「全国銘木協会」が「全国銘木連合会」に改組し加入する。
この頃、北山丸太の年間生産約10万本に達する。
昭和二十五年(1950年) 木材の国家統制全廃。「建築基準法」制定。9月3日から4日のジェーン台風により丸太及び一般材被害。
昭和二十六年(1951年) 中小企業等協同組合法の施行により「京都北山丸太生産組合」設立。
昭和二十七年(1952年) 「京都北山丸太生産組合」として「全国銘木連合会」に加入。
昭和三十二年(1957年) 人造絞丸太の量産体制に入る。
昭和三十四年(1959年) 8月13日、中川北山町水害発生。この頃より高度経済成長本格化。
昭和三十七年(1962年) 人造絞丸太の生産改善に取組む。
昭和三十九年(1964年) 中川北山町、火災発生八戸焼ける。
昭和四十年(1965年) 人造絞丸太の大量需要起こる。京都市左京区岡崎の勧業館において全国銘木展示会(全銘展)開催、天然出シボが農林水産大臣賞受賞。
昭和四十一年(1966年) 「北山杉」が「京都府の木」に選定される。11月、皇太子殿下御夫妻を迎える。
8月「京都北山丸太生産組合」から「京都北山丸太生産協同組合」に名称変更。
昭和四十二年(1967年) 5月20日、常陸宮殿下夫妻を迎える。
10月1日、秩父宮妃殿下、10月13日、三笠宮殿下御一家を迎える。
昭和四十四年(1969年) 3月13日、北山林業未曾有の雪害、その額50億と報道される。
昭和四十六年(1971年) 北山丸太、全銘展において農林水産大臣賞受賞。
昭和四十八年(1973年) 「京都北山丸太生産協同組合」と改称。
石油ショック起きて丸太価格が暴落する。
昭和四十九年(1974年) この頃、北山丸太の年間生産約18万本、32億円。政府、総需要抑制政策、不況転換。
昭和五十年(1975年) 第1回「京都特産北山丸太展示大会」開催。産地市売事業開始。
昭和五十三年(1978年) 「京都北山丸太生産協同組合」、展示倉庫竣工、産地市売事業が本格化する。
昭和五十四年(1979年) 4月19日、高松宮殿下御夫妻を迎える。展示即売会御見学。
昭和五十五年(1980年) 11月4日、浩宮殿下北山杉及び展示即売会御見学。
昭和五十七年(1982年) 2月18日、スギハダニの被害が発生。
昭和五十九年(1984年) 1月31日、大雪。
昭和六十一年(1986年) 3月23日、春の雪で北山杉折損、倒木の大被害。

平成時代

平成三年(1991年) 2月20日、積雪で北山杉大被害50万本、100億円。
3月1日、北山杉の大量倒木、京都府は1億1千7百万円の緊急低利融資決定。
平成五年(1993年) 2月3日、倒木被害1万3千本。
平成六年(1994年) 2月12日から13日にかけて大雪、北山杉3千8百万円。
平成九年(1997年) 1月28日、京都府林務課「北山杉雪害発生予測図(ハザードマップ」を作成。
平成十年(1998年) 4月、北山丸太が京都府の伝統工芸品の指定を受ける。
平成十六年(2004年) 10月20日、台風23号被害により北山杉3億6千万円の被害。
元旦、前夜からの降雪により雪害8億2996万6千円の被害。約19万本が降雪で倒伏した。
11月26日、京都北山丸太連合会は、「京都府農林水産フェスティバル2005」(会場は総合見本市会館)において北山丸太と和紙で製作したモニュメントを京都府に寄贈。
平成十七年(2005年) 京都北山丸太連合会は業界の統一のブランドラベル制度を制定し、9月22日の年度初市である京都北山丸太生産協同組合の丸太市から新ラベルを添付し「北山丸太ブランド」の向上を図ることとなった。
8月29日、京北銘木生産協同組合において「ガッツ!京の伝統北山丸太ブランドラベルの添付と講演会」を開催。
平成十八年(2006年) 京都北山丸太生産協同組合及び京北銘木生産協同組合が、共同で登録申請を行った地域団体商標「北山丸太」が、登録認定され(11月28日付け)、商標登録証(12月15日付け)が発行される。
  京都北山丸太連合会は、両生産協同組合の委託を受け、「北山丸太の商標使用に関する規定」を設け、その使用を管理。
平成二十年(2008年) 京都市森林組合、京北森林組合、美山町森林組合、日吉町森林組合及び八木町森林組合が、共同で登録申請を行った地域団体商標「北山杉」が、登録認定され(2月5日付け)、商標登録証(2月15日付け)が発行される。
  京都北山丸太連合会は、5森林組合の委託を受け、「北山杉の商標使用に関する規定」を設け、その使用を管理。
平成二十三年(2011年) 京都北山丸太生産協同組合及び京北銘木生産協同組合が共同で行った中国での「北山杉」「北山丸太」での商標出願が、4月28日付けで登録される。

お問い合わせ

農林水産部京都林務事務所

京都市上京区中立売通小川東入三丁町449

ファックス:075-451-5745

kyotorinmu@pref.kyoto.lg.jp

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