ここから本文です。
尾上松之助(本名:中村鶴三、1876~1926)は、幼少から舞台に立ち、一座を率いて岡山市を中心に旅興行をするうち牧野省三にその身軽いケレン(派手な演技)をかわれ、京都の横田商会撮影所に招かれます。
「碁盤忠信」(ごばんただのぶ、明治42年)に映画初出演を果たし、以後、英雄・豪傑・立ち廻り・忍術ものなど、多数の牧野監督作品に出演、時代劇映画の平俗な楽しさを一般に広めました。見得を切る時、大きな目をぎょろりと睨みすえるところから「目玉の松ちゃん」の愛称で親しまれました。
【京都市歴史資料館「フィールド・ミュージアム京都(京都の映画産業)」から抜粋引用】
大正14年、氏は社会福祉事業資金として多額の私財を府に寄附され、府は氏からの寄附金を基に京都市南区に低所得者を対象にした小住宅20戸を建設しました。この住宅の入居者は、資力が回復すると新たな入居者と交替するなど、40年にわたり恵まれない人々に尽くし「松之助出世長屋」の異名がつけられました。
その後小住宅は民間に払い下げられましたが、府では氏の功績を称え、氏の名前を後世に残すため、昭和41年に胸像を建立し、その功績を今に伝えています。
台座の裏面には「尾上松之助(本名中村鶴三)氏は、目玉の松ちゃんの愛称で親しまれた時代劇俳優の先覚者であった。この像は、氏が社会の福祉につくされた数々の功績をたたえるとともに、その精神である平和な社会を念願して建造したものである」との碑文が刻まれています。
府立鴨川公園
(京都市左京区下鴨宮河町)
京阪出町柳駅西方約200m
お問い合わせ