中丹広域振興局
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雲原砂防パンフレット( PDFファイル ,1MB)(PDF:1,806KB)
室戸台風と土砂災害
近年の雲原村は、災害を受けやすい山村でした。特に1934(昭和9)年、室戸台風により大災害に見舞われました。
被害の原因は、山から流れ出る土砂でした(土砂災害)。
三岳山に8か所も山くずれが発生し、あれた山はだから土砂が川へおし流されました。
土砂と混ざり合った水は、川岸をえぐり、橋を流し、田畑や宅地をけずり取りました。
この大災害と経済不況から立ち直るため、砂防工事を軸とする村づくりが進められました。
雲原砂防工事
砂防は古くから行われていて、その歴史は1300年をこえています。
砂防とは、山や川底から土砂が流れ出ないようにする対策、流れ出した土砂を安全に下流まで流す対策をいいます。
その長い歴史の中で、雲原砂防工事は日本の砂防の大きな転機となりました。
雲原砂防以前の工事は、河川工事が中心でした。
河川工事は、土砂が発生するのを防ぐための工事ではないので、くり返し災害を受けました。
その状況から一歩ふみ出し、水源から下流まで流域全体を考えた工事を初めて行ったのが雲原砂防工事です。
その結果、下流でも上流でも災害がなくなりました。
これが、現在の砂防工事の基本的な考え方となっています。
堰堤工9基、床固工129基、流路工延長15km
1934(昭和9)年から始まった工事は、18年ものさい月をかけ、1952(昭和27)年に完成しました。
これにより雲原川に注ぐ3つの谷すじ、すべての支川で砂防施設が整備されました。
昭和の初めごろは工事用機械はほとんどありませんでした。
雲原では、人力で大半の工事をしていました。
今とは比べものにならないくらい大変な工事だったのです。
上流に造られた砂防堰堤-堰堤工
山の谷間に堰堤を造り、山でくずれた土砂が川へ流れないようにしました。
特に山くずれがひどかった三岳山には、最も大きい高さ8m、幅40mもある堰堤が造られました。
これらの堰堤により、山から出る土砂は止められました。
(砂防堰堤完成時の状況:昭和15年5月18日、上三岳川)
曲がった川をまっすぐに-流路工(線形改良)
災害を受けた時、川は田畑の間を曲がりくねって流れていました。
曲がりくねったところでは、洪水が起こった時、勢いのついた流れが川岸に当たり、土砂がけずり取られました。
そのため、曲がった川をなるべくまっすぐにして水当たりを少なくしました。
嶋瀬谷川(上流から床固工、護岸工、帯工などが見られる。):昭和17年
洪水の流れをゆるやかに-床固工
川のこう配がきついと流れは速くなり、川岸や川底の土砂がけずり取られます。
そのため、川のこう配がゆるくなるように、一定区間ごとに段差を設ける床固工を造り、洪水の流れをゆるやかにしました。
川岸、川底に石を張り水路を守る-流路工(護岸工・帯工・河床張工)
安全に洪水を流すためには、がんじょうな水路が必要でした。
そのため、川岸には石を積み、川岸がけずられないよう護岸を造りました。
床固工と床固工の間が長いと、その間で川底がけずられたりすることがあるので、計画した川底を保護するため、川底を横断する帯工を造りました。
川のこう配がきつい上流部では、床固工を造っても流れをゆるくするには限界がありました。
そのため、川底にも石を張り川底がけずられるのを防ぎました。
雲原砂防の効果
理想的な砂防事業
雲原砂防は、施設配置、流路工の線形改良など砂防の理想とする計画をそのままに実施した初めての工事です。
山間部の農村では、耕地は非常に貴重で、少しでも耕地が減ることは、だれもがいやがることでした。
どの村でも、砂防工事を行うときに障害になっていたのは、土地の問題でした。
しかし、雲原村では、村民が砂防堰堤に必要な土地を、無償で出し合い、川をまっすぐにする工事では、土地を交換するなど大変協力しあいました。
そのおかげで、どの谷にも砂防堰堤を造ることができました。
砂防工事の効果
砂防工事が完成した翌年の1953(昭和28)年に台風13号が近畿一円をおそいました。
室戸台風を上回る大雨でしたが、雲原村では、災害は起こりませんでした。
このことからも雲原砂防が大変役に立っていることがわかります。
雲原砂防は「農村砂防」とも呼ばれています。
砂防工事と同時に、村のくらしを良くするための経済更正事業など様々な事業が行われました。
それにより、京都府の中でも貧しいといわれていた雲原村が豊かな村に生まれ変わりました。
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