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京都府における最終氷期以降の植生史

京都府立大学農学部 高原 光


はじめに

 地球規模の気候変動の歴史からみると、過去数十万年の間、温暖な間氷期と寒冷な氷期が約10数万年の周期で繰り返している。現在、分布している植生は、このような氷期・間氷期サイクルに対応して、その消長を繰り返してきた。さらに、特に後氷期以降、人類の活動が活発化してからは、その影響が植生に及んで、現在に至っている。また、現在は温暖な間氷期にあたるが、この温暖期に人為による地球温暖化が進行し、将来の地球環境の悪化が懸念されている。
 このような気候変動等に対応して植生がどのように変化してきたかについての知見によって、歴史的な存在である現在の植生をより合理的に説明することができる。さらに、地球温暖化による動植物の分布の変化を予測するための重要な情報となるであろう。植生変遷を解明する手法の一つに花粉分析法がある。本法は、堆積物中に保存されている化石花粉を抽出し、その情報から過去の植生を明らかにしようとするものである。
 京都府内には、花粉分析による植生変遷の研究に適した泥炭地が多く分布している。それらのうち半数以上が、最終氷期に達する堆積物を含み、ほぼ現在まで
連続している。代表的な地点は、京都市北区深泥池(深泥池団体研究グループ,1976;中堀,1981)、京都市左京区八丁平(高原・竹岡,1986)、宮津市上世屋大フケ湿原(高原ほか,1999)、船井郡八木町神吉盆地(Takahara et al., 2000)、竹野郡丹後町乗原(高原・竹岡,1987)、船井郡日吉町蛇ヶ池(高原ほか,2002;佐々木ほか,2002)、北桑田郡美山町長治谷湿原(高原ほか,未発表)などである。これらの、各地点の堆積物の花粉分析から明らかになっている植生変遷について以下に述べる(図1,2)。なお、ここで用いる年代は、放射性炭素年素年代である。近年、測定された放射性炭素年代は、暦年代に換算することが可能であるが、従来からの議論を混乱させないために放射性炭素年代を用いることにする。
主な花粉分析地点図 クリックすると拡大 クリックすると拡大
図1.京都における主な花粉分析地点



主な花粉分析結果の対比グラフ クリックすると拡大 クリックすると拡大
図2.京都における主な花粉分析結果の対比
*1:中堀(1981),*2:Takahara et al.(2000),*3:高原・竹岡(1986),*4:高原ほか(未発表),
*5:高原ほか(2002),佐々木ほか(2002),*6:中村・高原(未発表),*7:高原ほか(1999),
*8:高原・竹岡(1987),*9:杉山ほか(1986)





1最終間氷期における植生
 温暖であった約12万年前ころの最終間氷期における京都府内の植生については、まだ十分に解明されていない。深泥池の深度13〜14mにカシ型花粉(アカガシ亜属)が優占する時代が示されている(中堀,1994)が、詳細は明らかでない。また、神吉盆地では、少なくとも30万年前にさかのぼる泥炭を中心とする堆積物が採取され、詳細な植生変遷の解明が期待される(高原,未発表)。京都近辺では、若狭湾沿岸(Takahara and Kitagawa, 2000ほか)や琵琶湖(Miyoshi et al.,1999)において、最終間氷期にカシ類、サルスベリ属、スギなどで特徴づけられる植生が報告されている。

2最終氷期における植生変遷

 (1)最終氷期初期から中期(約12万〜3万年前)
 神吉盆地堆積物の花粉分析結果は、最終氷期初期から中期にかけての植生変遷を示している(Takahara et al.,2000)。 これによると、最終氷期初期の10万から7万年前には、スギ、コウヤマキ、ヒノキ科(花粉から種まで同定できない)などの温帯性針葉樹が優占する森林が発達した。さらに、地球規模で寒冷化する7万から6万年前には、ツガ属、トウヒ属、マツ属などからなるマツ科針葉樹林が発達し、続いて、ブナ、コナラ亜属などの冷温帯性落葉広葉樹林が6万年前に形成された。6万から3万年前には、ヒノキ科の樹木が増加し、ツガ属、マツ属、コウヤマキ、スギ、コナラ亜属を伴う温帯性針葉樹林が発達した。神吉盆地は、やや内陸に位置しているが、日本海側に位置する丹後半島の大フケ湿原の花粉分析結果(図3)は、この時代スギの優勢な植生を示している。若狭湾沿岸の黒田盆地(福井県三方郡)でもスギの優勢な植生が報告されている(Takahara and Kitagawa, 2000)。このように、6万から3万年前には、温帯性針葉樹林が広がっていたが、内陸部でヒノキ科、日本海側でスギが優占していた。


花粉分布図グラフ クリックすると拡大 クリックすると拡大
図3.丹後半島大フケ湿原堆積物の花粉分布図(高原ほか(1999)を改変)
高木花粉の出現率のみ示した。出現率は高木花粉総数に対する百分率で示されている。





(2)最終氷期後期(約3万〜1万年前)

 約3万年前からさらに寒冷化が進み、マツ科針葉樹が増加し始める。神吉盆地における断層調査のトレンチから採取した堆積物は約2.5万年前に降灰した姶良Tn火山灰(AT)から約3万年前までを含んでいる(植村ほか,1998)。この堆積物の花粉分析は、この時代は、モミ属、ツガ属、トウヒ属、マツ属のマツ科針葉樹が優勢で、ブナ、コナラ亜属の冷温帯性落葉広葉樹が伴う植生であったことを示している(高原,未発表)。この堆積物は、植物遺体を多く含んでおり(植村ほか,1998;Takahara and Krivonogov,未発表)、今後、詳細な植生復元が期待される。
上記のAT火山灰降灰後には、気候はさらに寒冷化し、乾燥し、約2万年前から1.5万年前には最終氷期最盛期とよばれる最も寒冷で乾燥した時期が認められている。

この時期の植生は、大フケ湿原、蛇ヶ池、深泥池、成勝寺・岡崎遺跡(中村・高原,未発表)、八丁平など堆積物の花粉分析結果によって明らかにされている。
この時期には、丹後山地、丹波山地から京都盆地まで、モミ属、ツガ属、トウヒ属、マツ属を中心とするマツ科針葉樹林が発達していた。落葉広葉樹は、カバノキ属以外は非常に低率であった。
 約1.5万年前から(晩氷期)、優勢であったマツ科針葉樹は減少し始める。1.2万年前には、丹後半島など日本海側地域では、ブナが急増し、マツ科針葉樹に置き換わってしまう。京都盆地のような内陸では、ブナは伴っているが、コナラ亜属が最も優勢になる。



花粉分布図 クリックすると拡大 クリックすると拡大
図4.京都市深泥池堆積物の花粉分布図(中堀(1981)を改変)

山地性風媒花粉の出現率のみ示した。出現率は樹木風媒花粉総数に対する百分率で示されている。火山灰の年代は図3の説明参照。





 
3.後氷期(完新世)における植生変遷

 丹後半島など京都の日本海側地域では、ブナが優勢となった後、約1万年前の後氷期のはじめからスギが優勢となる。特に若狭湾沿岸域では、急速にスギが増加し、低地から山地までスギの優勢な森林が発達した。約6000年前以降に、照葉樹林が増加するが、日本海側地域におけるスギの優勢は、人間活動が極めて強くなるまで続いた。
京都盆地などの内陸部での、後氷期の植生変遷は深泥池の堆積物によく記録されている(図4)。晩氷期に優勢となったコナラ亜属は9000年前頃から次第に減少し、8000〜6000年前の期間に、エノキ属・ムクノキ属の暖温帯性落葉広葉樹が優勢となる。この時代における、暖温帯性落葉広葉樹林の増加は、西日本各地で認められている。約6300年前に、鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah)が降灰する。この火山灰層は、京都府内各地の堆積物に認められている。このK-Ah降灰時期にアカガシ亜属を中心とした照葉樹林が形成された。
 後氷期以降、標高約600から700m以上の丹波山地では、ブナ、コナラ亜属(ミズナラ)を中心とする冷温帯林が形成されたが、上記のように日本海側に近いほど、スギが優勢となる。
 後氷期における森林変遷は、従来、歴史時代までは、人間活動の影響は少なかったと考えられてきたが、近年、次に示すいくつかの研究から、後氷期のかなり早い時期から、人間活動によって植生が改変されていた可能性が、指摘されている。
 約13万年間の琵琶湖の堆積物に含まれる微小炭化片(微粒炭)の分析によると、後氷期の初期に微小炭化片量が高い値を示している(井上ほか,2001)。また、大野ダムに近い日吉町蛇ヶ池では、後氷期の初期の10000年から6000年前に微小炭化片が急増し、火事の影響でクリを中心とする広葉樹林が形成された。さらに、2500年前には、再び微小炭化片が増加し、スギを中心とする森林が、落葉広葉樹の二次林へ変化していった(高原ほか,2002;佐々木ほか,2002)。前述の深泥池堆積物の微小炭化片(微粒炭)分析の結果でも、後氷期初期に多量の微小炭化片が認められている(小椋,2002)。ここでは後氷期初期の微小炭化片(微粒炭)増加期は2つのピークがあり、そのうちより新しい増加期ではトチノキ、マツ属、イネ科などの花粉が一時的に増加し、火事が植生に影響を及ぼしたことを示している(小椋後述)。このような、後氷期における微小炭化片の増加が示す火事が、人為によるものか直ちに判断することは難しいが、今後、多地点での資料を増やして検討してゆく必要がある。



4.歴史時代における植生変遷

 前述の京都府下のほとんどの花粉分析地点において、堆積物の上層部で、マツ属花粉の増加が示されている。このマツ属花粉の増加は、人間活動が活発になり、自然植生を破壊したため主にアカマツが増加したことによるものと考えられている。しかし、そのマツ属の増加し始める年代は、近畿地方各地でも異なっており、京都府下では、京都盆地周辺と北部の山地では異なっている。  京都盆地では、連続した堆積物の花粉分析は深泥池において報告されているが、マツ属の増加する年代は、測定されていない(深泥池団体研究グループ,1976;中堀,1981)。いくつかの遺跡調査に伴う花粉分析資料(植村・松原,1997;パリノ・サーベイ株式会社,1991,1993)によると、平安時代はじめには、まだ照葉樹林が広がっていた。平安時代中期にはマツ属花粉が増加し、鎌倉時代末期にはマツ属花粉がもっとも優勢となる。また、深泥池では、マツ属花粉の増加とともにソバ属花粉が連続的に出現している。したがって、今後、年代測定やさらに詳細な花粉分析がおこなわれることによって、京都盆地における人間活動と植生の関係が解明されるものと期待される。
 また、絵図の解析から室町後期から江戸時代にかけては、京都盆地周辺の山々は、低木林が多く、ほとんど植生のない禿げ山も珍しくなかったことが明らかにされている(小椋,1992)。
 京都府の山間部や北部の丹後半島では、いくつかの地点で、人間活動が植生に与えた影響を解明するための研究が進んでいる。丹後半島では、大フケ湿原や大宮町などの花粉分析資料(高原ほか,1999;中村・高原未発表)によると、スギが優勢で、ブナ、コナラ亜属などが混生する森林が、約900年前以降(年代については、今後さらに詳細な検討が必要である)に、マツ属、コナラ亜属、クリなどの二次林となり、さらにソバ花粉が認められた。この変化が起こる以前から火災を示す微小炭化片が多量に認められ、人によると考えられる森林火災が度々起こっていたと考えられる。
 また、現在、原生林が残る京都大学芦生演習林に位置する長治谷湿原と同演習林に接する長池湿原の花粉分析結果は、約600年前から火事が頻繁におこり、スギを中心とする森林が、二次林化していったことを示している(高原ほか,未発表)。
 以上のように、歴史時代には人の影響が強くなり、本来の植生が、アカマツ林やコナラ、シデ類などの落葉広葉樹林へ変化した。その年代は、京都府内のいくつかの地域でも異なっており、今後、本来の植生にどのような人間活動がおよんで、現在に至っているのかについてさらに詳しく解明することによって、植物と人間活動の関係がさらに明らかになるであろう。







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 北東部,神吉断層の活動履歴と神吉盆地の形成過程.史
 学論集-佛教大学文学部史学科創設三十周年記念-,1-
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