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京都まちとみどり写真コンクール令和5年度第36回講評

[総評]審査委員長:草木勝(京都写真家協会)

今回はインターネットメールでの応募ということで、これまでよりは応募数は少なめでした。それでも作品レベルは大変高く、受賞作品の選考には苦労しました。

3年間の休止の後、今回再開したコンテスト審査を担当して思ったのは、デジタル写真の進歩によって写真作品の質が変わってきているように感じたことです。そしてそれに伴って評価の基準も微妙に変化しています。作品の傾向としては、これまでの写真的完成度を極めようとした作品より、今回は見る人に気持ちの良い印象を与えるような作品が評価されていたように思います。言い換えれば「うまい写真」より「気持ちのいい写真」がより評価されていたように思います。といっても「写真が上手であること」が欠点であるはずもありませんが、デジタル写真時代になって、写真技術より表現内容に評価の比重が写ってきているように思います。結果的には楽しそうな状況やいきいきした表情を撮った写真の受賞が増えています。

それから毎回思うことですがコンテストの趣旨をより理解されている応募作品が評価されるということがあります。この写真コンクールの審査基準はタイトルからわかるように「京都」、「まち」、「みどり」の三つのキーワードから成り立っています。つまり「京都という地域性が表現されていて、都市生活の中での自然との調和が肯定的に表現されている」ことが大切です。写真的には大変優れていながら選考に漏れてしまった写真は概ねこの条件が足りなかったということだと思います。

ニュースなどで最近の不安定な世界情勢に触れるたび、応募していただいた写真作品が表現している、平和のありがたさを再認識しています。

京都府知事賞「紅葉落葉に魅せられて」川口喜美惠

美しく紅葉した木々と、青い空。画面の半分以上を占める落ち葉の絨毯。それらがとてもバランス良く構成された写真です。落ち葉で遊ぶ子供たちと、地面に伸びた撮影者のとても長い影が、爽やかな秋の午後を感じさせます。撮影者の影が二人であることもこの写真には大きな要素になっています。

特別賞(京都市長賞)「あじさいプロムナード」村田寛明

予想よりちょっと成長しすぎたように見えるアジサイの向こう側に都会風のおしゃれな店舗やレストランのある鋪道を散歩している人々が写っています。アジサイの葉には水滴が残っていて、傘を持っている人もいるので小雨が降っているのか、雨上がりなのでしょう。梅雨の季節といっても、屋根のあるアーケードや地下街ではなく、傘をさしてでも空が見える場所を散歩したくなるのは道端のアジサイが自然を身近に感じさせてくれるせいでしょうか。

特別賞(宇治市長賞)「錦秋の宇治」金子栄一

写真の上半分は、紅葉している部分とまだ緑が残っている部分が混ざり合って、きれいな図柄になっています。紅葉の切れ目がちょうど額縁のような効果になって水面のレガッタがうまくその空間にはまりました。できればもう少し画面周辺をトリミングしてレガッタを楽しむ人たちが大きく見えるようにすれば、彼らの気分までが伝わってくるかもしれません。

(公財)京都府公園公社理事長賞「晩秋の公園」荒木正義

紅葉し始めた木の葉が、逆光できれいに光っています。その下の遊歩道で散歩を楽しむ親子がいる平和な風景です。感心したのは、少しはなれて歩く子供を気遣っているようにも見えるお父さんの様子をうまく捉えたところです。写真に写っている子供は、ベビーカーにはもう大きすぎるような気がしますが、もしかして弟か妹がベビーカーに乗っているのかもしれません。いろいろ想像を誘う力のある写真です。

(公財)京都市都市緑化協会理事長賞「ドクターイエローとお花見」中村多克

様々な要素が一枚の写真の中に捉えられています。梅小路公園の芝生から東山の山並みまでの間にお花見を楽しむ人々がいて、大宮通りの交通があり、その上に新幹線の点検車両が走っています。ドクターイエローが通過する瞬間をタイミングよく画面に入れるにはそれなりの準備と技量が必要だったと思いました。都市と自然の調和を象徴している良い写真だと思います。

(一社)京都造園建設業協会会長賞「茶の輝き」深井征子

お茶の栽培農家が茶葉を収穫する風景は和束町の初夏の風物詩でしょうか。普段、茶摘みの光景を見る機会がない私には不思議な風景に見えます。こういう機械で、二人が協力して作業されるのですね。刈られた茶葉を回収するための袋が鯉のぼりのように膨らんで、こちらに向かって突進してくるような迫力もあります。青空と白い雲と袋のコンビネーションが印象的です。

京都府市長会会長賞「気持ちいい」白木文枝

特別の出来事ではないけれど、いつまでも憶えていることってありますよね。そんな思い出になるのはこんなシーンではないでしょうか。滝でしょうか、湧水でしょうか、落ちてくる水滴を手に受けている子供達の楽しそうな様子がタイミングよく撮られています。子供たちが手に持っているのはそれまで履いていた靴のようですね。素足で立っていることが想像されます。背景の森の影が水滴の輝きを強調しています。

京都府町村会長賞「春がすみ」早坂良二

太陽が山の稜線に顔を出していて、通常の写真撮影では太陽が明るすぎて風景が暗く沈んでしまうところです。そうはならず周辺の風景がぼんやり幻想的に仕上がったのは春霞のせいでしょうか。私がこの写真から強い印象を受けるのは土手を這い上がってくるような菜の花の存在感です。舗道がもう少し見えると、写真に別のストーリーが加わるように思うのですがどうでしょう。

京都新聞賞「明日に向かって」片山智士

こちらに向かって元気に駆けてくる子供達の表情が爽やかで、とても気持ちのいい写真です。服装から見て、すこしおしゃれをして出かけてきたようです。背景は満開の桜で、入学式のような式典の後でしょうか。花の色も芝生の色もきれいに表現されています。「転ばないようにね。」と言ってシャッターを切っている撮影者の様子が想像できます。

KBS京都賞「新緑の日差し」山下文行

その場の空気感さえ感じさせる美しい写真です。早朝でまだ観光客も少ないのか、霞がかかった竹林に続く遊歩道は、写真に写っている二人のために用意されているようにも思えてきます。竹林の影も、歩いている二人の影も、地面に長い模様を描いて写真に奥行きを感じさせる効果をあげています。

エフエム京都賞「自然の魔法」金亦衛

初めて拝見した時は、あまり見たことがない風景なので合成写真かと思いました。よく見ると手前のお店の軒下に粉雪が流れて写っていました。画面上部は青空のようなので、木の枝に積もっていた雪が風で飛ばされた時の写真のようです。雪の粉が空中で陽光を反射して、塔の前の空間にフィルターのような作用を及ぼしたのかもしれないと思います。いずれにしても一瞬の出来事なのにうまく配置を整えられたのはすごいなと感心しました。

NHK京都放送局賞「秋を描く」東野祥代

被写体になった画家はまだらに紅葉している木の葉や枝が水面に反射している様子を描いておられるのでしょうか。ちょっと失礼して作品を覗き見したくなります。美しい自然の風景があって、それを絵に描きたいと思っている人がいて、それをまた写真に撮って、という構造になるのでしょう。表現手段として絵を描くことと、写真を撮ることの違いを考えてしまいます。

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