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御築地内外擾乱人之次第
「御築地内外擾乱人之次第」 小林万兵衛家文書
今回の戦いで犠牲となった死体を書き上げたもので、戦争の生々しさがつたわってきます。小林家は会津藩に出入りする商人であり、この政変に対しても関心は高かったものと思われます。
<解読文>(右下資料から左上資料へ)
甲子七月十九日 御築地内外擾乱人之次第
緋羅紗陣羽織着            中町夷川上ル町
裏ニ 君か為ちりとかはねをすてゝこそ  姓名不分
名はよろつ代ののちそさかえめ       死骸
幅袖印 富小路仏光寺上ル町
長藩 岩本勝次郎所藤原具之ト記シアリ      死骸
花色縅具足着   上長者町新町東へ入丁
享和二戌六月三拾領之内    胴骸
二 山本又四郎倶計調之
 
 長藩
 国司信濃組  袖印       右同断
 松田清右衛門     胴骸

(中略)

死骸胴体合 六拾七
此外聢と相分り兼申候長藩者、両脚首
之処ニ白木綿括り有之、目印と相見へ候事