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京都新光悦村とは

京都新光悦村とは

江戸時代初期、本阿弥光悦によって京都洛北・鷹ヶ峰の地に形成された「光悦村」には、さまざまな分野の工人が移り住み、交流機会が創出され、次々と新しい技や表現が生み出される拠点になったと言われています。
日本の芸術や工芸の発展に大きく貢献した、この「光悦村」の精神を継承し、これからの産業やモノづくりのあり方を示す新しいスタイルの産業拠点が「京都新光悦村」です。

用地のあらまし

分譲主 京都府
所在地 京都府南丹市園部町内林町京都新光悦村、瓜生野京都新光悦村(京都縦貫自動車道園部IC西隣)
総面積 23ha
給水 南丹市上水道
排水 南丹市公共下水道
電力 高圧6,600V
通信 CATV、光ファイバー接続可
地域指定 工場適地(工場立地法)、準工業地域(都市計画法)
建ぺい率 60%
容積率 200%
環境基準 環境保全協定締結
景観等基準 環境形成協定締結

詳しくはこちら 分譲要綱(本文)(PDF:263KB)

本阿弥光悦について

本阿弥光悦(ほんあみ こうえつ1558〜1637)は、安土桃山から 江戸時代初期の書家、芸術家です。刀剣の鑑定(めきき)、磨研(とぎ)、浄拭(ぬぐい)を家業とする京都の商家に生まれ、書、蒔絵、陶芸など、さまざまな分野で才能を発揮しましたが、特に書では独自の書風を確立し、近衛信尹(このえ のぶただ)、松花堂昭乗(しょうかどう しょうじょう)とともに「寛永の三筆」と称されています。

関ヶ原の合戦から大坂夏の陣にかけて、戦乱の世もようやく終わりに近づき、町衆の隆盛、阿国歌舞伎の流行など、社会・経済に新しいエネルギーがみなぎり始めたとき、古典文化の復興に力を注ぐ光悦は、俵屋宗達(たわらや そうたつ)との見事なコラボレーションによって新しい表現(「鶴下絵和歌巻」(重要文化財。京都国立博物館蔵)など)を次々と世に送り出し、宗達とともに、「琳派」の創始者として日本文化の発展に絶大な影響を与えました。

1615年、光悦は徳川家康から京都洛北、鷹ケ峯に広大な土地を拝領し、本阿弥一族および友人、職人らとともに移り住みました。そこでは光悦を中心として感性豊かな創作活動が展開されたことから、後に「光悦村」と称され、芸術村として広く知られるようになりました。

「舟橋蒔絵硯箱」(国宝。東京国立博物館蔵)は、古典文学を題材とした優品で、光悦の高い教養を示すものとしてたいへん有名ですが、斬新な器形や意匠、大胆な素材の用い方などからは、アート・プロデューサーとしての並々ならぬ才能が窺えます。「不二山」(国宝。サンリツ服部美術館蔵)などの手すさびの茶碗は、彼の優れた美的感性を今なお私たちに直接伝えてくれます。

【白楽天(はくらくてん)(京都府立総合資料館蔵)】

光悦本の謡曲内百番の一つである。光悦本(嵯峨本)は、慶長年間(1596~1615)後期に本阿弥光悦やその門流により嵯峨で刊行された古活字版の書物。豪商角倉素庵(すみのくらそあん 了以の子)も出版に協力したため角倉本ともいう。表紙や料紙に雲母模様が刷り込まれ、活字も光悦流の書体で、わが国出版史上最も美しい本ともいわれる。

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商工労働観光部産業立地課

京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町

ファックス:075-414-4842

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