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京都府環境審議会総合政策部会・地球環境部会の議事要旨(平成22年2月3日)

1 開催日時

平成22年2月3日(水曜) 午後2時00分から4時30分まで

2 場所

京都府公館 「レセプションホール」

3 出席者

【部会委員】
浅岡委員、井上委員、黒田委員、寺島委員、内藤委員、橋本委員、藤田委員、星川委員、槇村委員、増田委員、松本委員、山本委員、横山委員(計13名)(うち総合政策部会委員10名、地球環境部会委員8名)
※上記のうち、次の委員は代理出席
 橋本委員(代理:波多野京都府市長会事務局次長)
 星川委員(代理:宇髙京都市地球温暖化対策室計画推進担当課長)

【事務局】
石野環境政策監、新井環境技術専門監、柴田環境政策課長、越智循環型社会推進課長、森田自然環境保全課長、奥谷地球温暖化対策課長、その他関係課員

【報道機関】 6名

【傍聴者】  1名

4 議題

 新京都府環境基本計画(仮称)の策定について
 京都府地球温暖化対策条例の見直し及び新京都府低炭素社会づくり計画(仮称)の策定について

5 議事概要

<新京都府環境基本計画(仮称)の策定について>

・「低炭素」という表現が気になる。実際は「低二酸化炭素」ではないのか。二酸化炭素は減らせても、炭素は減らない。世界では二酸化炭素といっているが、日本だけが「炭素」といっている。「Low Carbon Society」を直訳的に日本語にしたのだろうが、一般市民にとっては分かりにくいと思う。難しく感じるのではないか。

・国は持続可能社会の要素のひとつとして位置づけたかったのだろう。

・「低炭素」について、「Low Carbon」は世界発なのでそれでよいが、「低炭素社会」は日本発。しかし、日本でなかなか言葉が定着しない。「低炭素社会」は誰がどう関わるか見えにくい構造になっている。どうするか大きな問題。

・「都市」については、交通システム等も徒歩や自転車利用など市民の努力で変えていって欲しいが、コンパクトシティとして都市の機能が集約されて魅力的になると、ますます都市への人口集中が起こり得る。東京は単身マンションが増えており、若年層の東京一極集中がまだ進んでいる。それを抑止するためには農村に魅力をつくる必要がある。農山村に居住しながらオフィスワークができるなど、都市の労働人口を農村に戻すような取組を強力に進めなければ、農山村の疲弊が進む。これはこれで社会問題になる。そういうことにふれることは重要。

・電気自動車でのカーシェアリングやレンタルがあってよい。また、カーシェアリングとはいうが、車だけでなくあらゆるものを共同で使用し、共に生きて共に死すというくらいの哲学が必要な時代になっているのではないか。シェアリングの話はもう少し重点を置くべき。

・府民が読んで分かりやすいものであることが重要である。

・特にコンパクトシティ化を京都府下でというと、一言では誤解を与える可能性がある。どのくらいのイメージか。京都市で集約するというイメージではないと思うが、では舞鶴はどうなるかという話になる。超寿命住宅も府内産木材を使用した200年住宅というものも何度か耳にした。

・「快適性の高い居住空間と省エネルギー性能の両面を備えた高断熱住宅」とあるが、両面を備えているものは高断熱住宅だけではないし、性能も省エネだけでなく、いろんな要素が加わる。高断熱住宅と言い切ると狭くなるので、少し改めてはいかがか。

・2050年頃を目途に京都府が目指すべき環境像・社会像との記述があるが、40年後は技術革新がかなり進むと考えられる。ライフスタイルは茫洋としているが、住宅に関しては、住宅関連設備として挙げられているエアコン、給湯器、コンロなどの燃焼効率などは今とは随分違う感じになっている可能性がある。細かく書いた方が施策に結びつきやすいのか。

・具体的な数値目標については2020年で設定する。その前提として長期的スパンで社会像を描こうという時に、2050年は今の延長線上ではない前倒しした年数かもしれない。低炭素社会は実際にやってくるので、2020年を中間点とし、そこに向かって歩み始めるというつもりで2050年をビジョンとして描いた。その上で具体的な数値目標は2020年で設定しようということ。

・2050年はもう少し抽象的なイメージ。2020年の数値の延長の数字になると違ってくるだろう。しかし逆に2050年の将来像が2020年(2030年や2040年も)の対策を誘導するようなものになるよう工夫する必要がある。

・バイオマスやスマートグリッドは既に動き始めていて、10年もたてば完璧に具体化される。

・単なる予想や願望が入っているだけの計画になることが一番問題である。目標を定め、社会像を目指すということを明確にしなければ、説得力がない。こうなっている「はず」ではなく、こう「したい」というスタンスが必要。

・CCS(二酸化炭素の回収・貯留)についてふれているが、これが目指すべき環境像・社会像だとすると、この技術の使用を目指すということか。

・産業については、大学を中心とした最先端の高度技術だけでなく、京都の独自性や伝統的に培われてきたものが、今効用を発揮している。京都には、デザイン的要素をはじめとした文化的蓄積があり、経済面で将来の展望があるのではないか。テレビや雑誌などでもとりあげられているが、どの地域もデザイン的な部分で成功している。そんな付加価値的要素を含めて、京都経済全体が動いていけるような前向きな雰囲気を作ることが重要である。可能性は充分にあるし、雇用創出にもつながる。

・私のイメージでは、つながるというより、もっと最初から政策的実現と同時に政策目的にするというニュアンスである。それにつながる派生的なものではない。

・コベネフィットの概念、例えば、温暖化政策と福祉政策、交通政策と高齢者モビリティの課題などの相乗効果の概念をどこかに入れてはどうか。

・低炭素と同時に、こういった点をターゲットにしたら、こんな社会像が望ましいという帰結にもなりまとまるのではないか。

・目指すべき環境像・社会像の中に、基本方針を反映させる必要がある。例えば、住宅の「快適性の高い居住空間と・・・高断熱住宅」で、省エネ性能を高めることで、居住性が高まり、その結果健康保持につながり、それが一番大きな目標とつながるのではないか。それが単なる低炭素ではなく、持続可能な安定した社会につながる。

・低炭素社会の実現が2050年で、低炭素社会に向けて持続可能な美しい都市(まち)と地域(むら)を創ることが2020年の課題なのか。それにあわせて何をどこまでやるかを整理する必要がある。

・2050年の環境像を掲げた上で、その実現に向かって最初の10年間にあたる2020年までに取り組むべき環境施策の基本方針を掲げる。したがって、ここは低炭素社会が2050年に到来するなら、そこに向かって持続可能な美しい都市(まち)づくりと地域(むら)づくりを始める、取り組むという意味で、その方向に向かって歩むということを基本方針とした。それを受けた具体的な10年の目標、施策展開の方向といった構成である。

・そこに持続可能性やもっと制約のかかった計画が目標になるべき。

・低炭素社会は、循環型社会や生物多様性などに取り組みながら、少なくとも2020年までにかなり実現しておく必要がある。

・中間目標であるということにふさわしい表現が必要。

・趣旨はだいたい共有できたと思う。

・「自然」と「環境」の表現については、随所で混乱がある。例えば、「環境と共生する暮らし・・・」と「自然と調和し共生する・・・」も混乱する。「環境」を「自然」に置き換えれば全体的におさまるのではないかと思う。

・京都の場合、「環境」ではなく「自然」と思い切って書いてもよいのではないか。


<温室効果ガス排出削減目標について>

・現状と2020年と2050年の電気の排出係数を再度教えて欲しい。

・2005年で0.358、2020年と2050年は0.282で試算した。

・各部門の二酸化炭素排出量について積算結果が出ているが、2050年推計を見ると対策した場合で-67%で 2050年の削減目標の80%まで届いていない。京都市も同様の計算をし、よく似た結果が出た。

・計算の中身とその計算がどんな意味を持つかというそもそも論と、京都府の京都府たる所以はどこにあるかをご議論いただく。京都市や滋賀県も同様だろう。基本的には共通するモデルを使っており、ベースラインとしてはこういうことで、その上にそれぞれの地域の特性がある。

・この試算は、長期エネルギー需給見通しをベースにしていて産業構造転換が進まないという仮定に問題がある。したがって、ほとんど家庭や業務ばかりになる。国立環境研究所による計算もそこで一回縛りをかけてモデルつくった。産業部門の技術積み上げが分からない。目に付いたものだけで、実態を反映していないような気がする。あまりここに依拠するのはよろしくない。既存の技術で十分できるという部分を捉えつつ、2020年に近いところで特にどこを強化すべきかを考えるべき。家庭の普及率しか勘定していないが、10年で8~7割は自然に機器更新がある中で、高効率のものに転換するための施策がどうリンクしていくかというのは大事。

・技術の目処をつけることはできる。事業系はもっと大きな経済チャンスをもたらす可能性がある。それを誘導するようなことは基本的に国がやるべき。

・フィーリングのようなものを皆で共有することはなんとかできそうだ。大きな目標値があり、その抜け落ちをこれからの作業で埋めていくが、これから起こり得る産業構造の変化は国が動かないので入れ込めない。また、新しい技術の大きなトレンドが変わることが考えられる。また、それ以上に石油価格、食品価格の高騰など、とんでもない社会経済的変動が予想される。それを入れたら、その根拠を一体誰が保障するかという話になる。国の予測値を援用するしかない。どの幅で計算するかが大きな課題である。

・2050年になると難しい。バックキャスティングで考えても、どこに比重を置けばよいか。何事もすぐには変わらない。何十年か先に効果が出る部分もあるだろう。今はそのあたりが十分管理できないもどかしさがある。

・環境問題は府民の一人一人が納得して協力しないと前に進まない。しかし府民との接点がイメージできない。その接点をどうつくれば府民に納得してもらえるかを常に意識していただければと思う。

・2020年の推計を提示いただき、自分の生活スタイルがどう変わるかを想像した。一府民としては、こんな姿を目指すということが誰にでも分かるように適時PRをお願いしたい。突然こうなる!といわれても困る。近々、国民文化祭が京都で開催され、全国から人が集まるだろう。国民文化祭と環境とは少し関係があると思うので、そういったところでPRして府民が意識を持てるように進めて欲しい。

・もう少し若い人、例えば学生さんの意見を盛り込んで欲しい。

・今の若い人は車に興味がないと聞く。我々の世代との価値感の違いを知っておきたい。

・京都だけで排出量削減しても京都だけが減るわけではない。空気は流動しているので、全体がやらねば意味がない。その辺がよくわからない。

・なぜ地方が削減に取り組まねばならないかというと、理由は二つあると考える。一つは、地球温暖化を止める、止めないの話を日本がしても仕方のないこと。地球温暖化は必ず起こるので、それを前提に生き延びられる社会を考えた方がよいだろうということ。もう一つは、都市は近代化の中で地球温暖化を起こしてきた張本人で、田舎はその煽りを受けて疲弊した。石油文明に代わるような、新しい文明社会を再構築するとすれば、都市ではなく地方からしかできないし、地方にこそそのポテンシャルがある。東京は取り残される。単に経済やライフスタイルを変えることだけでなく、根底にある価値感や社会のありようそのものをトータルで変えることが大事。

・非常に大事な考え方である。温暖化の悪影響にどう適応するかという時代である。日本がやろうとやるまいと、そういう時代になるのは当然で、生き延びるためにはやるしかないし、そういう社会構造に変わるということである。地域が生き延びるために、京都がどう対応していくかであり、時代に見合う経済基盤、暮らし方、まちづくりが必要である。今はひどい時代ではなく、よい時代をつくるチャンスである。それに早く気づいたヨーロッパは10年20年先を進んでいる。日本の中では京都が先進モデルになろう。地球温暖化対策をやらなくて済む世の中ではない。

・国の出している第3次環境基本計画との関係はどうなのか。こういった計画は、国と協働で進めなければならないこともある。国の考えを入れてそれを府民に知ってもらうことも大事。しかし、国の計画で今後の環境政策の展開の方向性として「環境的側面、経済的側面、社会的側面の統合的な向上」を1番目に掲げている。府でも、もう少し強調してもよいと思う。国の計画と府の計画の関係性をもう少し明確にすればよいと思う。

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