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大堀直人さん (令和4年度訓練生)

 大堀直人

私の選んだ道

 普段から私達の身の回りにある陶磁器ですが、例えば家にある食器や花瓶、その一つ一つには必ずそれを「作った」人がいるのです。この器は何でできているのだろうとか、どうやって作られたのだろうとか、どんな人が作ったのだろうとか、専門校に入る前は考えもしなかった、その器ができあがるまでのプロセスについて考えるようになりました。これまでは使う側だった自分が専門校での学びを通して、今まさに、少しずつ作る側になろうとしているのだという事を改めて実感しています。

 何気なく手に取った器ひとつをとっても、そこには隠された焼き上がるまでのプロセスがあり、それは試練の連続でもあります。まずは土もみ(土を捏ねる事)から始まり、土もみが終わった時には既に汗だく。その土は主にロクロや石膏型を駆使して器の形に変貌し、それぞれの器が様々な道を通って焼き上げへと向かっていきます。入校してから1年以上が経ち、日々行う訓練の中で実践と経験を繰り返す内に、成形のための技術や焼き物に関する知識は自然と増えましたが、一方で知識が少しずつ増えて来たからこそ、知らない事がこの世界にはまだまだ沢山ある事にも気付きました。

 ふと器作りに躓き、迷った時には、先人達が残した焼き物がヒントをくれます。器がただそこにあり、決してどうやって作られたのかを教えてくれる訳ではありません。しかしそれをよく観察し、どうすれば真似できるだろうか、自分なりに作るならどうアレンジしようかなど、探求する内に自分の中で美意識が磨かれていくような気がするのです。

 様々な作品を目にする毎に、自分の好みや作りたい器の方向性などが段々とはっきりして来ましたが、肝心なのは単なる自己満足に終わってはいけないという事です。使いやすさや大きさ、それを見る人に与える印象、美しさやその器が持つ味など。妥協せず細部にまで拘り、最後まで徹底して人を思いやる器作りをした時に、そこに「やきもの」としての美しさが生まれるのだと思います。

 安くて軽い機械生産の器ならいつでもどこにでもありますが、人間は違います。陶工達が限りある人生の時間を費やし、その血と汗の結晶が器となって、私達を感動させます。生きている人間だからこそ表現できる、機械には出せない魅力や思いを器に注ぎ込み、そして先人達が美を追い求めこの世に残した器に、これからを生きる人々が求める「美」に、私は一人の陶工として挑戦していきたい。

 

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