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「明日の京都」ビジョン懇話会 文化・環境部会(第3回)の概要

 平成21年7月28日に開催した「明日の京都」ビジョン懇話会 文化・環境部会(第3回)の結果について、下記のとおり概要を報告します。

日時

平成21年7月28日(火曜)午後1時から3時

場所

京都府庁1号館 6階 政策企画部会議室

出席者

「明日の京都」ビジョン懇話会

池坊美佳委員、畑正高委員(部会長)
(※ 欠席 浅岡美恵委員、千宗室委員) 

ゲストスピーカー

小暮宣雄氏(京都橘大学現代ビジネス学部都市環境デザイン学科教授)
吉澤健吉氏(京都新聞総合研究所長)

京都府

髙嶋政策企画部長、本田文化環境部副部長、小田農林水産部副部長、今井建設交通部都市計画課長、川村教育庁指導部文化財保護課長、事務局ほか

議事概要

「京都文化・地域文化」「文化産業」というテーマに基づき、ゲストスピーカーを招聘し、議論 

小暮宣雄氏のスピーチと意見交換

(小暮氏スピーチ要旨)

  •  自治省に入省、23年の勤務後、国土庁で全国総合開発計画の仕事を最後に退職。自治省企画室課長補佐時代には、ふるさと創生事業に携わった経験。
     公務員時代に財団法人 地域創造を設立。当時、文化庁は「文化は自分たちの分野、口出しするな」と言って牽制してきたが、地域文化については何もしておらず、その部分で一点突破して財団を設立した。そこで「ステージラボ」事業を実施。美術館には学芸員がいる一方、公立のホール等にはステージづくりのプロがいないことから、事業の企画制作、施設運営、地域との関わりなど、ホール、劇場等のソフト運営に欠くことのできない要素を体得するための研修等を実施
  •  アーティストと社会がつながっていない現代。このアーティストと社会の間の「と」や「ま(間)」を大事にし、関係性を築くことがアートマネジメントであり、文化政策のエッセンス。
     アートマネジメントは、シェイクスピアの劇団をどう運営していくか、というところに起源
  •  文化政策の根拠は、1.将来の世代に残すという「遺産説」、2.国家の誇り、地域のアイデンティティであるという「威信説」、3.地域経済への波及効果や生活の質の向上といった「波及説」、4.社会・経済への革新的効果を期待する「イノベーション説」、5.市民形成の基点であり、社会のあり方変革につながるとする「社会批判説」など。これらの考え方は学説的にも成立。しかし、文化政策の中で何をするかということについては様々な手法があり、その中で特に、限界芸術に関心
  •  アウトサイダーアート(アール・ブリュット)とは、正規の芸術教育を受けていない芸術家の生み出す芸術を言い、このような芸術作品がときに驚くほどのインパクトを持つ。一方、「アウトサイダーアート」と並んでこれから重要になる考え方として、鶴見俊輔氏が提唱した「限界芸術」がある。限界芸術とは、現実の生活の中にある芸術、無意識に作り出された芸術。アルタミラ洞窟の壁画などが例。1960年代、鶴見俊輔氏はこのような一握りのエリートに限定しない、大衆や非専門家にまで拡大した芸術を「限界芸術」と定義
  •  限界芸術の最たるものとして、盆踊りなど。地域で皆が踊るということに芸術性。京都では盆踊りがあまり盛んでない。その他、葬式も限界芸術の例
  •  「アート」と「文化」の違い。5万年前のホモサピエンス登場より以前、60万年程前の旧人の時代にも、石器を意識的に左右対称にするということが行われていた。このような様式美、機能美は「文化」。
     他方、5万年前のホモサピエンスは、目に見えない自然の力、超自然的なものとのふれ合いに恐れを抱き、それに対する驚きの中に物語を作り出していた。ネアンデルタール人の墓の前には花粉の化石も出土しており、薬として使われた跡という説もあるが、目に見えない自然の力に対して花を手向けたものか。いずれにせよ、この「物語を作り出す力」がアートの始まり
  •  京都府に望むこととして3つ。1.消えてしまう芸術を残して欲しい。文化の中心、京都で演劇、戯曲などの実演芸術(パフォーミングアート)のアーカイブを作ることに意義。今はそのような実演芸術の集積がDVD化などされないままに消えてしまい、芸術作品が散逸。
     2.俳優養成所の設立。国立の俳優養成所が京都にはない。2005年にようやく東京にできたが、結局そちらに人が集まってしまい、成功すればなおさら、地域から出て行った人が戻って来ない。
     3.地域の中で一緒に芸術を作る活動。映画を地域に誘致するフィルムコミッションはメジャーになってきたが、地域の中でアーティストが物語を作る取組として、ステージコミッションというものがある。行政がそのような取組を行うことにより、さまざまな芸術家同士が触れ合う機会が創出され、地域おこしにもつながる。京都橘大学でも、アーティストと地域社会をつなぐ取組として、まちかど寸劇やまちかど紙芝居などを実施
  •   芸術家として売れるのはほんのわずかの人々。他方、我々には芸術を楽しむ自由がある。
     大きな劇団では花開かない人が、京都に来て、芸術大学などと一緒に取り組むことにより活躍できる可能性もある。
  •  そのほか、思うところとして、まず、旧暦を大事にしたい。京都府で開催される国民文化祭でも、スケジュールなどを旧暦で表示するなどの工夫が必要。旧暦に基づいてこそ、京都の文化を愉しめる。
     また、盆踊り、地蔵盆など、地域の小さな祭りを大事にしたい。以前は団地などでもお地蔵さんを借りてきて地蔵盆をやっていた。さらには、このような小さな祭りの中にどれだけアーティストを入れていけるか。かつて旦那衆がアーティストを育てたように、地域がアーティストを育てることが大事

(委員等からの意見)

  •  今、自治体の文化施設は、規模が大きすぎたり小さすぎたり極端で、パフォーミングアートの立場からは使い勝手が悪く、そのため稼働率も悪い。また、単なる貸館業務に終始しており、プロデューサーも不在
  •  今、シニア劇団が人気。府内の高齢化社会に対する一つの道ともなるのでは。
  •  劇場が若者に占有される時代は終わった。福知山の百貨店の跡地で演劇を通じて地域おこしを、というステージコミッションの取組もある。
  •  昔は労演(勤労者演劇協会)があった。(それがあったから自治体は演劇の分野に手を出しづらかったという意見もあるが、)そういう取組から始めていかないと、パフォーミングアートは盛んにならない。
  •  井上ひさしさんの「こまつ座」のようなものを持って来られたら良い。箱モノを作ってもダメ
  •  以前、小学校が建てられる際、「建物の各角にお地蔵さんを置き、児童たちに供花を替えさせては?」と提案したが、「学校に宗教行事を持ち込むな」と大反対に遭ったが、そのようなことでは文化は守れない。文化と宗教は切り離せない部分もある。
  •  京都府民だけを対象にするのではなく、文化は広域で考えるべき。京都府の北部から観客を連れてくるより、大阪から呼ぶ方が早い。
     また、1000人規模の舞台を1回やるより、200人規模の舞台を5回やる方が良い。また、ブロードウェー型のロングランシステムをどこまで取り入れられるか。地域で売れたらブロードウェーへ、さらに人気が出たらロングラン公演へ、という流れが京都でも作れたら良い。 

吉澤健吉氏のスピーチと意見交換

(吉澤氏スピーチ要旨)

  •  大学で京都学の講義を担当しているが、聞きに来るのは京都が好きな学生が多く、アンケートを取っても受講の理由として「京都が好きだから」という項目が60%。だが、どこが好きかを尋ねてみても、「何となく好きだが、何が好きなのかは分からない」という回答
  •  京都は「権威の都」であり、文化首都。歴史と伝統はお金で買えない。京都を代表する権威として、1.天皇・公家、2.本山、3.家元、そして最近では4.大学。
     1.は数多くの公家に代表される和歌の権威、2.は異端の発生を許さない伝統仏教の教学の権威、3.は「型」の権威として、型に含められた心を継承、そして4.は言わずと知れた学問の権威。これらの権威が千年以上守り続けられているということが京都の誇りであり、京都が愛される理由
  •  東京、広島、福岡各地域の新聞社と共催してフォーラムを開催したこともあるが、かなりの応募数。また、大学でも「日本建築における縁側の美学」「生け花にある省略の美」といった京都学が人気。戦後、日本が否定してきた伝統への回帰現象が発生
  •  他方、外からもてはやされている「京都」と、現実の「京都」での生活にギャップ。京都は本当に潤っているのか。
     茶の湯などの伝統文化における指導者の高齢化や、現代人の和装離れの一方で、カルチャーセンターは盛況。「一人の先生に一生つくのは嫌」「どこかの流派に縛られるのは嫌」といった若い人の考え方が影響
  •  京都であるからこそ、生け花や茶の湯など、授業科目として取り入れ、幼稚園・小学校から「型」を体で覚え込ませるべき。日本はこれまで、授業科目の中で古典の時間を削減し、日本史も選択制にするなど、古典をないがしろにしてきた。着物の着方を家で教えない分、学校用の着物を業界に提供してもらい、学校で着付けを教えるべき。
     また、友禅、西陣の業界も、生地を洋服に活用するなど、もっと和装振興のための工夫をすべき。
     このような取組を通じて、片方で若い人に伝統を叩き込みながら、他方で「おしゃれだ」と感じさせる伝統文化のシステム化が必要
  •  古来より京都には、海外から輸入してきた文化を独自に自分たちのものにしてしまうというダイナミックさがあり、それは東京には叶わない良さ。まさに、不易流行。最近でも、新しい人々を受け入れて鉾町の過疎化を克服する祇園祭での取組や、能・狂言における新作の発表、日本料理アカデミーによる日仏料理の交流など。
     時代迎合であってはならないが、何を守り、何を変えて良いかをしっかり認識して取組を進めることが必要 

(委員等からの意見)

  •  京都市の文化だけでなく府域全体を考えた時に何を提言できるかということは20年ほど前にも府から尋ねられたが、その際には「北部で大学(府立大学の分校など)を作っては?」と答えた。その後、福知山創成大学ができたが、あまり成果は上がっておらず、なかなか北部の文化振興というのは難しいのが現状
  •  お金で買えないからこそお金をかけなければならないことがあるにも関わらず、今はあまりにお金をかけなさすぎている。それでは残すべきものも残らないし、羽ばたけるものも羽ばたかない。京都府として、日本として、何をどこまでしてくれるのか。京都に居ながら、知らない伝統工芸も多い。分かる人は分かる、では残らない。個人指導者の稽古事も減ってきている。
     今も続いている伝統文化は、今の生活様式に応じてプラスアルファしてきたから生き残っている。床の間文化から、テーブル・イスの文化に対応するなど、残すべきところは残しながら、プラスアルファしていかないといけない。
  •  京都の外にいる人にとって、京都を応援することが1つのステータスになっている。京都の中に住む人との意識のギャップがある。
     私たちにもできることはいっぱいあるが、イベントなど、単なる「打ち上げ花火」で終わらせるのではなく、府や国が一体となってどこまで何ができるのか提案してほしい。
  •  知らないことが多いのは、誰も教えていないから。墨のすり方、筆の置き方、着物の着方、着物の畳み方という作法、水無月というお菓子の由来、等々。京都に関わる人間が、京都人としての原点、自分のこだわりを足元に1つ持つべき。
  •  文化はどんどん楽な方、空虚な方へ向かっている。「型」が毎日きっちりしているからこそ、祭りなどの「ハレ」の時が華やかになる。学校教育やNPOの活動を通して「型」を教えることが大事。
     他方、伝統文化に違和感のある人もいる。そのような人たちは単に排除されるのではなく、アーティストとして関わっていける道がある。この活動が次の遺伝子につながる。
  •  反発する人を作るべき。基礎の部分がしっかりしていないと反発も出てこない。基礎を厳しくやると、それに反発していろいろなアートが出てくる。
  •  伝統は革新の連続
  •  カルチャーセンターで習い事をするより、1人の指導者に習う方が長続きする。月謝だけでの関係ではなく、稽古の外で学ぶことも多い。
  •  伝統文化の稽古では、単に技術を学ぶだけでなく、人徳を学ぶ。若い人にこれがすんなりと受け入れられないことがネック
  •  価値観は多様化しているが、カルチャー教室で見えるものは本質のごく一部。若い間にいろいろな世界を見る機会を作ってほしい。「枝葉」ではなく、日本文化の「幹」(本質)を見るようにしてほしい。
  •  京都の顔である寺社は皆、民活を取り入れている。行政は「恐れ多い」という理由でノータッチ。寺社は海外へのPRを全て民活で行っているが、そろそろ行政も任せきりではなく、自ら手を出す時期に来ている。
  •  京都府では、「文化庁、観光庁を京都へ」と政府要望している。
     また、平成23年には国民文化祭を京都府で開催予定。昭和63年には京都府国体で箱モノを作ったが、その際、大山崎町のフェンシングや長岡京市のバドミントンなど、各地域にスポーツも根付いた。国民文化祭でも同様に、これをきっかけとして文化を残していきたい。
  •  京都府から、「教育のことは国でやったら良いが、文化庁は国に要らない。文化のことは各地域でやる。」と言うべき。文化が教育の下にあるのは、先進国では日本だけ。
     また、市町村などでも、団体に対する特別奨励金などは要らない。自由に活動させてくれさえすれば良い。
  •  毎年の雇用対策などで削られない、「京都文化枠」のようなものがあれば良いという希望はある。

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